閑話《五》

 とある山の集落一帯が土砂崩れで埋まったという記事を見て、そっと新聞を閉じた。



 帰ってきてからこのところ、西園寺さいおんじの姿をあまり見ていない。

 地下室に閉じこもってずっと何かをしているからだ。



 だから、その日久しぶりに姿を見た。

 束の間のうたた寝から目覚めると、西園寺が立っていてぎょっとする。


「あの……これは違うんです。部屋の中が暖かいからつい眠気を催したとかじゃなくてですね」


 慌てて弁解する。

 何の表情も浮かべていない西園寺が動いた。

 蹴られるかと思ったが、揺れるとガクンと足の力が抜ける。

 え、と思う。

 スローモーションのように西園寺が床に倒れ込んだ。


「西園寺さん、どうしたんですか?」


 息はしているようだが、顔に生気がない。


「西園寺さん!西園寺さん!」


 大声で呼ぶが、返事はなかった。



 一人で狼狽うろたえていると大声に気づいたのかハツが広間に入ってきてくれた。

 西園寺の寝室は二階にあるようだがどこか知らなかったので聞くと、とりあえず一階の客間に寝かせろと身振りで指示された。

 担いでベッドに寝かせるとハツが隣に付き添った。

 手首を握ったり額に手を置いたりして体の様子を見ているようだ。

 依然として、西園寺は蝋のように顔が白い。


「なんか病気とかじゃ……」


 そう呟くとハツが振り向いた。

 壁際に置いてあるレコードプレーヤーを指差す。

 かなりレトロな一品だ。

 じっと顔を見つめてきた。なんとなく表情で意思疎通ができるようになった。

 レコードプレーヤーをつけてくれということだろうか。

 操作したことないが、確かレコードの上に針みたいものを置くはずだ。

 操作してみるとそれは自然に回りはじめた。

 音楽を聞いている場合じゃないと思うんだが、そもそも音が鳴らない。

 壊れているのか?

 その時、声が聞こえた。


『心配なさらないでください。ただの貧血です』


 え、と思う。


「えっと。今、喋りました?ハツさんの声ですか?」

『はい』


 長い睫毛に縁取られた瞳が瞬いて、ゆっくり頷く。

 口は動いていない。レコードプレーヤーから音の代わりに声が聞こえる。


『自己紹介が遅れました。私は屋敷で君明きみあき様の世話をしています、ハツと申します』

「あ、どうも……」


 君明様……って西園寺さんのことだよな。


「失礼ですが、ハツさんってその……。人間じゃありませんよね?」

『はい。私はここに住み着いて、君明様と時をともにするものです』


 なんとなくぼかしているような言い方だ。


「この屋敷の……えっと妖精みたいなものですか?」

『はい。付喪つくもがみのようなものだと思っていただければ』


 ハツは頷く。


「いつも美味しい食事ありがとうございます」


 ひとまずこの機会にお礼を言っておかねばと思い、そう言って頭を下げる。


『元気でいてもらわないと困りますので。気づかいなさらないでください』


 冷たい口調だが、少し微笑んだように見えた。

 憂いを帯びた目で西園寺を見る。


『元気といえば、最近の君明様は随分とお加減が優れないようです』


 そう言ってそっと手を取る。


「あの……もともと貧血気味なんですか?」

『……お食事を召し上がらないのです』


 え、と思った。

 けれど、この屋敷に来てから西園寺が食事した姿を見たことがないことに気づく。


「まさか、本当に何も食べてないんですか……?それって大丈夫なんですか?もしかして鬼だから人間と食事が違うとか……」

『いえ、大まかな食事の内容も量も人間と変わりません。人の世に長い間結びついて生きてきた存在なので』

「それじゃどうして……」


 西園寺を見たまま、ハツがぽつりと言った。


『あなたが来てからですね。もともと朝と昼は兼用で、食べる時間をずらして召し上がっています。夜も真夜中に軽く何かを摘む程度です』


 そんなことじゃ倒れて当然だ。

 でも、どうして……。


『本人は絶対言わないと思いますので、白状しますと人に食べている姿や眠っている姿を見られたくないそうです』

「へ」


 今思い切り見てしまっているんだが。


「なんで……」

『一番無防備になる瞬間だからです』


 それはつまり。


「隙ができると何かをされるかもしれないって思っているってことですか……?」


 散々いろいろされているのはこっちなのに。

 それ以前に信用されていないことがショックだった。


『貴方が傷つくことではありません。誰に対してもそうなのです。弱味を見せたくないのが信条なので』


 でも、ハツは違うんだろう。

 それは、年期は違うけれど。


「……出会ったことは、西園寺さんにとって本当によかったんでしょうか?」


 そんな今までの全てを否定するようなことを呟いてしまう。

 ともにいるのが負担だったんだろうか。だったら、言ってくれればよかったのに。

 一人には、慣れている。


『出過ぎたまねですが。言わせてもらうと』


 そう前置きしてハツは言う。


『君明様は貴方が来てから変わりました』

「……それは、どんなふうに」


 俺の平坦な声にハツさんはゆるゆると首を振る。

 否定的な意味じゃない、と。


『この方はずっとただ一人で……、言い方は悪いですが静かな死んだような日々を送っていたのです。何も変わらず何も変えようとしない。花は散らなければ美しいままですが、非道ひどいびつです』


 ずっとハツさんはそんな西園寺を見ていたのか。


『貴方と出会って、止まっていた時間が動きはじめたようでした』


 まぶしいものをみるように目を細めてハツは言う。


『私は君明様の世話は出来ても、並んで歩くことは出来ないのです』


 どういうことなのか、言葉だけではわからなかった。西園寺とハツの距離感にも何か微妙な関係性や溝があるのか。

 でも、自分にしかできないことがあるというなら。


「つまり、ここに来てよかったんですよね」


 許された気がした。

 胸を張って歩けとハツが励ましてくれているのが伝わってくる。


『あなたが来るまで倒れるようなことはありませんでしたが』

「……すみません」


 ちょっと調子に乗りすぎたかと思う。

 小さく吐息をついてハツは言う。 


『冗談です』


 真顔だからわかりづらい。


『生きるとは痛みを伴うことですから』


 西園寺を見つめてそう言う顔は相変わらずの無表情だが、視線だけで気づかっていることがよくわかる。


『どうか、これからも君明様をよろしくお願い申し上げます』


 丁寧に頭を下げるハツへ顔を上げてください、と言ってからへらりと笑った。


「よろしくお願いされます」



 ハツが下がってから、木の椅子を引き寄せるとベッドの脇に座った。

 西園寺の寝ている姿を初めて見る。

 睫毛の長い整った顔に細くて長い手脚の西園寺は現実離れしていて、こうしていると本当に人形のようだ。

 けれど、しっかりと胸は上下して息をしている。

 鬼はどんな夢を見るのだろうか。

 どうか、穏やかな夢だといいと思った。


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