児※4

「……無事逃げたようだね」


 耳元に手を当てて西園寺さいおんじは言った。

 耳には小型の通信機が入っている。

 着いたら、場所を叫べと時彦ときひこに言ってあった。

 どうやらうまくいったようだ。

 襖を閉めると常時つねときに向き合う。


「お前一人でここに残ると?死ぬつもりなのか?」


 常時はニヤニヤと笑う。

 獲物を見る獣のような目つきだ。


「ここにお前たちが来たときに処分するべきだったよ」

「全く、その通りだね。出来たとは思えないけど」

「何が目的で来たんだ?」

「僕は探偵だ。人探しの依頼だよ」


 西園寺は真顔でそう言って。

 瞬間、可笑しそうに嗤った。


「なんてのは口実でね。ここに来たのは見たいものがあったからだよ」

「見たいもの?」

「ヨブメだ」


 部屋の奥を見つめて言った。


「どうせそこらへんにいるんだろ」

「……お見通しのようで」


 そう言ってヨブメが出てきた。

 いつもの神秘的な雰囲気をまとったまま、西園寺を見つめる。


「おい、勝手に出てくるなと言っただろ」


 常時の声に、ヨブメは答えない。

 コツコツと、一歩二歩と歩み寄り西園寺は口を開く。

 風の吐息のような、低い声で言った。



「ここから先はうちのには聞かれたくない話でね。……何せ真実を知ったら面倒だ」


 西園寺の目が金色に光る。

 闇の中で輝く猫の目のように妖しく見つめる。


「あれは馬鹿だからね。他人に入れ込みすぎるところがあるんだよ。依頼人を助けると言うとあっさり信じた」


 無感情なーー、静かな夜を思わせる声で言う。


「そう焚きつければ動くと思ったからだよ。僕はここに入ることが出来れば依頼人の妻と子どもがどうなろうとどうでもよかった」


 どこまでも暗い瞳には虚な闇しかない。

 本物の悪が。

 鬼がここにいる。



「これから世にも醜い話をしないといけないからね……。人でなしとして」

「あの男を先にやったのはそれが理由?」


 クス、とヨブメが笑んだ。


「醜い話を聞かせたくないからですか?お優しいことで」

「醜い話とやらを聞いて仕事に支障がでると困るのでね」


 心底どうでもいいという無表情で。


「助手のやる気がなくなると僕が困るんだよ」


 ヨブメ、常時を順に見て言った。


「最後の答え合わせだ。一つわからなかったことがある。時子ときこを殺した犯人だよ」


 目を細める。


「話では時子はヨブメになる気がなかったらしいね。だったら、跡目争いで殺す理由はなく、それで得するものもいない。ならば、犯人は誰だ?答えは、なんてことはない。犯人なんていなかったんだ」


 言葉を切って告げる。


「時子の死因は子癇しかんだ。つまり、時子は妊娠していた。嘔吐はつわりだろうね。腹痛、そして痙攣……症状が全て当てはまる」


 見下げ果てた目で常時を見る。


「その時産んだ子が時彦だ。時彦はお前と時子の間の子どもなんだろ」


 お前、のところで常時を見る。


「何を馬鹿なことを……」


 パチリと西園寺が瞬きした。


「ここまできてシラを切るつもりかい。いっそ素晴らしいね」

「違います」


 小さな声ながら強い口調でヨブメは言った。


「あの子は私の子どもです。時子の弟です」

「たしかに、時子を産んだ後にお前も子を身籠ったらしいね。だけど、死産だった。そこからお前は子どもが産めない体になったんだ」


 何の感情もない声で、西園寺は言う。


「ヨブメになったのは、人を助け徳を積めば自分の子が甦るとでも言われたかい?」

「……そんな、そんなこと……」


 ガクリとヨブメは絶望したように呟き、膝をつく。

 西園寺はそれに構うことなく、常時に冷たい視線を向けた。


「お前が孫を妊娠させたのは、察するに近い血縁の子を作るためかな。それだけ、骨髄や血液の適合率も高くなる」


 常時は歯軋りする。

 頭に血がのぼり、顔は真っ赤になっていた。


「証拠。証拠はあるのか!」

「検査をすればわかることだよ。ここから出た後で好きなだけね」


 雨が激しくなってきた。

 全ての物音を消し去るように。


「らいむ村、というらしいねここは。来るに六と描いて来六」


 来六らいむ村。


「六というのは山越えをする旅人、六部のことだ。迎え入れたものから奪うのがここの習慣だった。ここは六部殺しの土地だったんだろ。他人から奪って入ったら最後出ていくものはいない」


 遠くを見る目で西園寺は言う。


「まるでここの宗教のようだね。信仰という蜘蛛の糸に絡まれ、この地から逃げ出さない。信仰を止めるくらいなら殉教を選ぶものもいるだろう。……馬鹿馬鹿しい」


 床を踏み鳴らし、西園寺は両手を広げた。

 かいなに何かを抱こうとするかのように。



 ブワリと闇が立ち上がる。

 それは人の形を取り、左右によろめくように動きながら常時に目がけて突進していった。


「な、なんだこれは!」

「お前たちに喰い物にされた人間たちだよ。なかなかの数だ。……今度はお前が食い散らかされる番だ」


 西園寺は嗤う。

 愚かなものを見下す目で。

 愉しそうに可笑しそうに。

 惨劇に喉を鳴らす。



 しかし、闇が常時に踊りかかる前に終焉が訪れた。

 ヨブメが常時の前に出る。

 その手には刃があって、常時の腹に突き立っていた。

 常時の体が崩れ落ちる。目を開いたまま、息をしていない。ほぼ即死だったようだ。

 腹から血を流すその姿は、子を腹から取り出した女の死骸のようだった。


「これにて幕引きか」


 パチンと西園寺が指を鳴らす。

 闇が四散した。


「お前は知っていたのか」


 何が、とは言わない。


「可愛い娘の子どもですもの。私の可愛い子どもです」


 そう言って笑う姿は慈悲深い母のようで、子を守るためなら何をほふることも躊躇ためらわない残酷な女の顔をしていた。


「うぶめ、だね」


 西園寺が呟いた。



「最後に聞きたいことがある」


 何か、とヨブメが首を傾げる。


「ヨブメ。いや、葦原あしはら清子せいこ。なぜ、僕が見せた名前の人物が死んでいるとわかった?」


 冷たい目で見下ろして。


「誰に吹きこまれたんだ」

「時がくればおわかりになるかと」

「……あくまで言わないつもりか」


 クスリと清子は微笑んだ。


「私には失うものは何もありませんもの」


 ーー


 時計の針が頂点に近づく。

 もうすぐ、今日が終わる。

 まだか。

 俺は思った。

 いざとなったら、何を捨ててでも……。

 そう思った時だった。

 闇がゆらりと揺れる。

 いや、違う。あれは。

 黒のインバネスコート。

 喉が枯れんばかりに俺は叫んでいた。


「西園寺さん!」


 走って行くと、細い肩を掴む。


「どこ行ってたんですか!早く出ないと死ぬんですよ!」


 いつものように五月蝿うるさいと言われるかと思ったが、予想に反してふっと口元を緩めると言った。


「まるで心配していたような顔だ」

「何言ってるんです。するに決まってるじゃないですか!」

「……本当に人が好いやつだよ。お前は」


 俺はこの時西園寺に苛立ってしまった。

 だけど、その横顔を見て口を閉ざす。

 冷たい雨が頬を滑り落ちて行く頬を。

 白く生気がない肌を見て、頭が冷めていくのを感じた。

 自分のコートを脱ぐと、西園寺の頭にかぶせる。


「冷えますよ」


 西園寺は何も言わない。

 俺もしばらく黙っていようと思った。

 けれど。

 口を開け閉めして言葉を絞り出す。


「あのっ!」


 俺は言う。


「俺、西園寺さんの助手でいる限り絶対死なないので西園寺さんもそう約束してください。簡単に命をかけるようなことしないでください」


 西園寺が目を上げる。

 灰色の目は曇天の色をしていて疲労が見える。

 けれど、今はたしかに生きている。

 しばらく二人とも黙っていた。

 肯定も否定もしない西園寺に耐えかねて俺がなにかを言おうとすると、ぽつりと呟いた。


「……そうだね。約束、か」


 自分で言っておきながら、西園寺の反応に驚く。

 じゃあ、と言った。


「お前の予言が出るまでは考えておくよ」

「……それって」

「鬼との契りは重いよ」


 西園寺が手を差し出したので慌てて握る。

 握手を交わす手は冷たい。


「……お前はやっぱりお人好しだ」


 呟いた声は嗤っているように聞こえた。



 雨がだんだんとひどくなる。

 何もかもを押し流しそうだ。

 信者たちも屋内に篭っているのか、外には誰もいなかった。


「……ここからどうやって出ましょうか」

「……すぐ出られるさ。お前が案じなくてもね」


 コートの下から聞こえる声に尋ねる。


「どういうことですか?」

「ここに来るとき、賭けをしたことを覚えているかい?」

「はい。烏丸からすまさんとですよね」


 すっかり忘れかけていたがそれがなんなのだろうか。

 そのとき突然、雨が途切れて雲の間から月が覗いた。

 バルバルバルッと大量の羽虫が飛び立とうとするかのような、あるいは大型の獣の吠え声めいた音が聞こえる。

 空気が、地面が震える。

 なんだ?


「賭けは僕の勝ちだ」


 空から舞い降りたのは大型のヘリコプターだった。


「はいはい、皆さんお急ぎください」


 トレードマークの制服に帽子の烏丸が座席から声をかける。


「これはまた派手な登場だね」


 呆れ半分、迷惑半分な顔で西園寺は言う。


「どういうことですか!」


 大声で叫ばないとプロペラ音にかき消される。


「事件のことで烏丸と賭けていたんだ」


 不思議とよく通る声で西園寺は言う。


「三日以内で事件になんらかの落とし前をつけるとね。自分が賭けに負ければ烏丸は何でも一ついうことを聞くと言ったから、迎えを寄越せと要求したんだ」

「その三日以内に結果を出すというのは……」

「適当だね。お前の予言と重なったのは偶然みたいだ」


 西園寺はそううそぶく。


「正気なんですか!」

「少しくらいまともじゃない思考をしていないと探偵なんてやっていないでしょ」


 ニヤニヤと烏丸が笑う。

 それはそうだけど!

 まず里奈りなを抱き上げて、中に入れる。同じように時彦も。

 浩美ひろみに手をかして、続いて西園寺を押しこめる。

 俺が乗りこんでも機体は大丈夫そうだ。

 いったい何人乗りなんだろう。

 そしてどこから調達してきたんだ。


「ご苦労だったね」 


 西園寺が言うと烏丸は仕方ない、と言う顔をする。


「条件は条件だからね。皆さんシートベルトはオーケー?よし、出していいよ」 


 運転席の男が手だけで了解の合図をする。

 ヘリコプターが飛び立った。

 地上がどんどん遠くなる。


「うちの爺さんたちがこのへんの連中は山森を荒らしているから何とかしなければとか前から言ってたんだよね。森林保全家じゃないんだからさ。大概にしてほしいよねー」


 大げさに両腕を振りながらうんざりする、という表情で烏丸が言う。


「似たようなものだろ」


 西園寺が肩をすくめる。



 そのとき、俺は見てしまった。

 森の中で白く霞むような女の人がこちらを見ている。暗くて見えないはずなのに微笑んでいる気がした。

 ゆっくりと手を振ると遠ざかっていく俺たちを見ている。

 見たことがないけれどきっとあれが時子さんなんだと思った。



「久しぶりに母様が来てくれてね」


 ぽつりと時彦が言った。


「父様と別れて遠くに行くって。母様もすぐ行くから先に行ってなさいって言われた」


 俺は唇を噛み締める。

 ヨブメーー、いや。

 一人の母親が言わないことを決めたのなら俺は何も言うまい。



「そういえば」 


 時彦が思い出した、という口調で言った。


「さっき、女の人が来て西園寺さんに言っておいてって言われた。西園寺さんって白髪のお兄ちゃんだよね」

「ああ」

「あのね……」


 ぼそぼそと何かを告げる。


「……なんだって?」


 時彦が伝えたその言葉を聞いた西園寺が、裂けるほどに目を見開いた。

 俺にもかろうじて聞こえた言葉は不可解だった。



「相変わらず、綺麗な髪だね」



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