児※3
「……おはよう」
そう言って入ってきたのは
「時彦くん?」
なぜここに。
「探偵ごっこをすると言って誘っておいたんだ」
いや、ごっこじゃないんだが……。
心なしか時彦の目が輝いている。
「仲間に入れてくれるって本当?」
「ああ。行こうか」
そう言ってなんでもないように
俺は驚いた。
「扉、どうやって開けたんですか」
「長年使ってないのを点検してなかったんだろうね。鍵の部分が錆びていたんだよ」
しれっと言って出てくる。
「ここに入ってきたときだいぶ黴臭かっただろ。埃も溜まっていた。誰も足を踏み入れていないからだ」
たしかにそんな気はしていたが。
まあ使っていて気持ちのいい部屋じゃないしな。
時計を見ると六時を少し過ぎたところだった。
「早起きなんだね」
「起こされる前に逃げてきた」
それでいいのか、と思う。
バレないといいんだが。
「
西園寺が時彦に聞く。
「うん。最近きたからよくいっしょに遊んでる」
合田里奈のことか?
監禁されているんじゃないのか。
なぜ逃げ出さないんだろう。
「屋敷の中を案内してくれるかな?」
「うん。みつからないようにだよね」
どうやらガイド役として時彦くんを
屋敷の裏側を草むらで姿を隠しながらこっそりと歩く。
いやいや忍者じゃないんだから。
そう思うが時彦は楽しそうだ。
「どこまで行くんですか?」
「……すぐにわかるよ」
いつもの考えが読めない顔で西園寺が答える。
「あそこだよ」
不意に大きな御殿のような離れにつくと、時彦が言った。
「ここは何?」
「お父さんの部屋」
お父さんということは、この中に
その時、女の子がたたっと廊下を走ってきた。
「里奈ちゃんだ」
小さな声だが弾むように時彦が言った。
「ちょうどいい」
西園寺はそう言うと、時彦に指示した。
「ちょっと連れてきてくれ」
「うん、わかった」
素直に時彦は里奈を呼びに行く。
里奈は目を丸くさせると忍び足で俺たちのところにきた。
「探偵ごっこしてるって本当?」
どうするんですかこれ、と西園寺を見る。
西園寺は平然と頷いた。
「ああ」
「……ママを、助けてくれる?」
そう言って、西園寺を見た。
「そうだね」
そっけない態度を俺がフォローする。
「大丈夫だよ。二人ともここから出られるから。探偵さんが助けてくれるからね」
チラリと西園寺を見ると無理やり風呂に連れこまれる猫の顔をしている。
調子に乗るな、というように見えない位置から俺の膝を蹴った。
部屋の中に入るから軒下に隠れているように、と西園寺は時彦と里奈に言った。
二人ともかくれんぼのようだと思ったのか無邪気に姿勢を低くする。
「……時彦くん、里奈さんの事情を知らないんでしょうか」
「おそらくね」
コツコツと廊下を歩いて、西園寺は襖を開け放つ。
周りに誰もいないか警戒しながら西園寺とともに中に入った。
部屋の中央に布団が置いてあるのが
西園寺が御簾を持ち上げる。
布団の中は空っぽだった。
「これは……」
どういうことだ、と言う前に。
「困りますね」
いつの間にか壁際に誰かが立っていて俺たちに声をかけた。
驚きで俺は目を見開く。
入ってくるとき誰にも見られていなかったはずなのに、黒眼鏡黒スーツの男が立っていた。
それにつき従うように白い和服姿の
今日は顔を露わにしているから見間違えようもない。
「やはりね」
西園寺はここに至っても落ち着いたものだった。
「……茶番はもうやめにしないかい」
黒眼鏡黒スーツの男を真正面から見すえて言う。
「
「常時……?」
たしか、それはヨブメの父……時彦の祖父の名前のはずだ。
「いやいやちょっと待ってください」
俺は混乱する。
「常時はもう死んだんじゃ……。それに定治はどこにいるんですか?」
西園寺は静かに言う。まるで自分には何もかもお見通しだというように。
「常時は死んでいない。定治と入れ替わっていたんだ。……臥せっているはずの当人がいないということは、定治はおそらく死んでいる」
間違っているか、というように常時を見る。
何も言わずに男ーー、常時は口元を上げた。
西園寺の言っていることは正しいということか。
「なぜ……。というか、時彦くんの祖父だとすると歳が合わないんじゃ」
目の前の男は老人というより、中年の男だ。
「随分と若作りだけど、不思議じゃないよ。
そうか、と俺は思う。
「でも、入れ替わりに誰も気づかなかったなんてことがあり得るんですか?
「閉鎖された場所で世話役のもの以外人を入れなかったと言っていただろ。勿論、一部の人間は知っていたはずだがね。ヨブメやそこにいる合田浩美なんかは」
合田浩美は気まずそうに目を逸らす。
いや、気まずいなんてものじゃない。
今から断罪されようかとしているようとしているような。
「合田浩美。経歴を調べると、里奈が産まれて仕事を辞めるまで医者として勤めていたらしいね。ここでお前は治療を行っていたんだろう」
西園寺がとつとつと語る。
「宗教で信者を集めるのは表向きの理由だ。本当の目的は採血によって得られる信者たちの血液だ。それを集めるために常時は信者たちを増やしていった。奇跡を起こすという文句で子供を誘拐して人質としてまでね」
西園寺は無表情で語り続ける。
「ここに来る前に事前調査をしたところ、信者の血液型は皆同じだった。血を集めたのは輸血する血液を効率的に得るためだ。そして、以前骨髄のドナー適合の診察を受けていたこともわかっている。結果、親族に適合者はなし。信者たちの中から骨髄の適合者を探す目的もあった」
「それって……」
「葦原常時。お前は白血病なんだろ」
固い表情で常時は黙っている。
でも、俺にだってわかる。
そんなの藁の中から一本の針を探すようなものだ。
成功する確率があるとは思えない。
「人間の死への忌避は凄まじいものだね。残り時間が少ないと焦ったか」
ニヤリと西園寺が嗤う。
「合田浩美。お前は娘の里奈を人質に取られて仕方なく治療を行っていたんだろう。外に出たら罪の告発をするから今のうちにこの集落から逃げろ」
合田浩美は目を見開いた。
「本当ですか……」
「行かせると思うのか?」
今までの丁寧な口調を除いて、勝ち誇ったように手の中に収まるくらいの黒い機械を常時は掲げた。
「詰めが甘いな。私の号令一つで、人が一斉にここに押し寄せる。誰も逃しはしない」
西園寺に全く動揺した様子はない。
懐を探って何かを取り出す。
「詰めが甘い、ね」
西園寺が手に握っていたのも常時が持っているのと似たような機械だった。
「無線の妨害機だ。お前の声は誰にも届かないよ」
ニヤリと西園寺は嗤う。
常時の顔が歪んだ。
「
そう言って西園寺は部屋から飛び出した。
合田裕美の背を押すように俺もそれに続く。
「時彦」
部屋から飛び出すと西音寺が言った。
「逃すか!」
中から声がする。
反応せず西園寺は言う。
「広場までの近道……一番早く行ける道を走ってくれ」
「わかった」
戸惑った顔ながらも時彦は頷く。
「件、里奈の手を引いて時彦を追ってくれ」
「わかりました!」
俺は里奈と手を繋ぎ、時彦、浩美に続いて駆け出す。
とりあえず依頼人をここから助け出せれば依頼完了で、俺たちの勝ちだ。
複雑な道を通り過ぎて、広場まで出た。
「広場、ついたよ!」
「時彦くん……。ありがとう」
息を切らしながら言う。
その時、俺は背に氷を突っ込まれたような気がした。
「西園寺さん」
呼ぶが、どこにもいない。
後ろについてきていると思っていたのに。
戻らなければと思ったが、子どもと女性だけを残していくわけにはと心が揺れる。
俺は立ち尽くすしかなかった。
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