呼※5

 翌朝。

 やけに大きい鐘の音に驚いて飛び起きる。

 一瞬ここはどこかと思ったが、潜入中だということを思い出す。

 そういえば昨日起床の鐘が鳴るとか言ってたな。

 夕飯の盆を下げるのを忘れていたので持って階段から降りると、白い作業着みたいなものが置いてあった。

 これに着替えろということか。

 服は一組しかない。

 本当に西園寺さいおんじを外に出す気はないようだ。



「西園寺さん起きていますか……。おはようございます」


 階段を上がると物音に気づいたのか西園寺が起き上がっていた。

 手早く着替えて言う。


「俺、行ってきます。くれぐれも大人しくしていてくださいね」


 そう釘をさす。

 わかっているのか西園寺は返事をしない。

 まあ言っても聞かないだろうな。

 西園寺は懐から何か紙を取り出した。


「この男を探せ」

谷口たにぐち吉男よしお

 そう書いてある。


「誰ですか?」

「ここの信者だ。入ってまだ日が浅いからヨブメに懐疑的らしくてね。熱心な信者と違ってうまく聞けば何か話すかもしれない」

「……難しそうだけどやってみます」


 頷くと西園寺は言った。


「ヨブメがどんな異能を持っているかということと、葦原あしはら時子ときこのことを聞け」

「時子って?」

時彦ときひこの姉だ」


 昨日来ていた子の姉か、と思う。

 だけど、それが事件に何の関係があるのだろうか。



 外に行くと昨日行った屋外の開けた集会場にどやどやと人が集まっていた。

 礼拝の後、作業がはじまる。

 この集団はどうやら自給自足で生活をしているようだ。

 草むしり、掃き掃除、野菜の手入れなどを見よう見まねでこなす。

 こんなことしている場合じゃないんだが。

 しばらく肉体労働をしていなかったせいか、中腰になると体のあちこちが痛い。

 若いくせに情けないと言われればそれまでだが少し立ち上がると休憩して、また作業をするという動きを繰り返す。

 谷口吉男はどこにいるのか。

 チラチラとそれとなくあたりを見渡すが、皆同じ顔に見える。

 西園寺にもらったサングラスのおかげでなんとかまともに人が見られる。

 外せと言われるかと思ったが弱視だと言うと黙認された。

 信者はいわゆる働き盛りの二十歳から四十歳くらいまでの者が多くを占めているようだ。

 野良仕事は男ばかりで、年寄りや子どもは見当たらない。

 別の場所で作業をしているんだろうか。

 その時、不意に声がした。


「おーい、ヨシオさん縄持ってきてくれるか」


 ヨシオ。

 その言葉に反応する。

 気の弱そうな男がわかった、と反応していた。

 一人はずれて縄を取りにか奥の方に入っていく。

 名前だけではわからないが話を聞いてみるくらいなら出来るかと思って俺はついて行った。

 納屋に入って行こうとした男を呼び止める。


「あの、すみません。谷口吉男さんですか?」

「そうですが。……何か?」


 当たりを引いたようだ。

 でも、この続きを考えていなかった。

 なんとか言葉をひねり出す。


「えっと、俺も作業道具取ってくるように言われて。新参者なんですけど教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 ああ、と谷口吉男は頷く。


「どうぞ」


 よし、疑われなかったようだ。

 俺は谷口吉男に続いて納屋に入って作業道具の置き場所を教えてもらう。


「俺連れてこられて入信したクチなんですけど……。ヨブメ様ってどんな力をお使いになるんですか?」


 嘘は言っていない。

 谷口吉男は静かに言う。


「何も聞いてないんですか?」

「はい」

「……ヨブメ様はいなくなった人を呼び戻すんです。呼び戻せるのは子どもに限るということですが」


 目を伏せながら言った。


「私もここはそんなに長くないのですが。ほら、子どもは小さいうちは神様の仲間のようなものだと言われているでしょう?だから、かどわかされるのはわりとよくある話らしいです」

「ええっと……。それは人が連れ去っている事件というわけじゃなくて?」

「人なら警察に頼めます。いや、警察に頼んでも見つからないことがある……。そんな人々にヨブメ様は救いの手を差し伸べてくださる。そう聞いて私もここに来ました」


 写真を取り出す。


「姪の菜々子ななこです」


 四、五歳くらいの女の子が写っている。

 向日葵を背景に麦わら帽子をかぶって笑う姿はまさに平和の象徴のようだ。


「母親が私の妹でね。……自分の身の上話で申し訳ないのですが、独身の私にとっても娘のような存在でした。二年前にいなくなってから妹は半狂乱になって今も病院に入っています」


 暗い声で、谷口は言う。


「ヨブメ様が本物なのかどうか。私はまだわからないのですが、姪が見つかるなら万一の可能性にも賭けてみようと思ってここにいます。……こうやって心が揺らいでいるからいけないのかもしれないですけどね」

「……そんなことはありませんよ」


 慰めでも何でもなく俺はそう言った。

 縋るものの見つからない人の心が揺らぐのは当然のことだ。

 迷う先でなんとか心を支える綱を、道を照らしてくれる光を探そうとする。

 それの何がいけないのか。


「ヨブメ様はどうやって子どもを呼び戻すんですか」

「術を使って呼ばうのだそうです。ヨブメ様は呼ぶに女と書いてヨブメ様と読むのだそうです」


 呼女ヨブメさま、か。


「生まれつき、人を見つける千里眼を持ち、人を呼び戻す術が使えるそうです。呼び戻せるのが子どもだけなのは大人より純粋で精神的に繋がりやすいからだと聞きました」


 千里眼という言葉を聞いてふと目がうずく感じがした。

 大丈夫だ。

 今はサングラスをしているのだから、と思っても無意識に手をやってしまう。


「どうかしましたか?」

「いえ、大丈夫です」


 俺が黙っているのが気になったのか谷口吉男が聞いてきた。


「素晴らしい力をお持ちなんですね」


 一応そう言っておく。


「谷口さんは、葦原時子という名前を聞いたことがありますか?」

「はい。ヨブメ様の娘だと」


 戸惑った顔で谷口吉男が言う。


「ヨブメ様も人だとはもちろん知っていますが、人の母だということには驚きました。ここには噂好きな人が何人かいて……。数年前に毒殺されたと聞きました」

「毒殺?」

「はい。呪いだという人もいますが私はそうは思えなくて……。あくまで私個人の意見ですが。時子様は生まれつきあまり体が丈夫ではなく、その時期も臥せっていたようなのですがある日突然腹痛と嘔吐を訴え間もなく痙攣して亡くなったそうです」


 ここでも呪いか。

 そんなものが本当にあるのだろうか。

 まだ毒殺のほうが現実味がある気がする。


「その時期に、時彦様……。ヨブメ様のもう一人の子どもであり、時子様の弟がお産まれになったそうです。ヨブメ様のお役目は世襲制なので、時彦様を次期の座に据えたい者たちが時子様を暗殺したという話もありました」

「なんでまたそんなことを……」

「幼い頃から教育するためだと思います。時彦様がお生まれになった時、時子様は十四歳だったと聞きました。それくらいの歳であればもう大人の言うことはあまり聞かず自分の意見を持っていると思いますから」


 時彦派の人間が時子を殺したということか。

 ダメだ。俺の頭じゃよくわからない。

 とりあえずこのことを西園寺さんに報告しないと。


「ありがとうございます。いろいろ急に聞いてすみませんでした」

「いえ、いいんですよ」


 どこか影のある微笑で谷口吉男はそう言った。


「あなたは何を持っていくんですか?」


 すっかり忘れていた。


「あ、草を刈る鎌を取りにきました」


 谷口吉男は鎌を渡してくれる。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 俺に近づくと谷口吉男は耳元で言った。


「……あまり無理に嗅ぎ回らないほうがいいですよ」


 え、と俺は少し固まる。


「見られていますから」


 気の毒そうな目で見て去っていく。

 情報を集めていたことを知っているのか? 

 西園寺さんの紹介だしな、と思う。



 持ち場に帰ると黙々と草を刈った。

 やはり鎌があるとやりやすい。


「いて」


 鎌で指先をちょっと切ってしまった。

 赤い血が溢れ出す。

 自分の不器用さにため息をつく。

 また今日も日が暮れてきた。

 赤い光が落ちてくる。

 嫌な色だなと思う。


「皆さん注目してください」 


 声が聞こえた。


「今日の作業はここまでです。夕ご飯のあと、一時間後に集会を行いますので広場に集まってください。解散」


 作業をしていた人々が帰っていく。

 俺もひとまず西園寺のもとに帰ろうと思った。




 昨日と同じように夕飯の盆が置いてあったので持って階段を上がる。


「西園寺さん、いますか?」


 牢の中で肘をついて横になっていた。

 人が働いている間一日こうしていたのかと思うと羨ましい気持ちにもなるが仕方ないことだと思う。


「何か有益な情報は聞けたかい」


 退屈そうな顔で西園寺は言う。

 実際、ここには何もないので退屈だろう。


「それが……」


 俺は頭の中で整理しながら言う。


「ヨブメの能力は行方不明の子どもを呼び戻す事らしいです。呼ぶ女と書いてヨブメと読むと言ってました。子どもだけなのは子どもが純粋な存在だから呼びやすいとかなんとか……」


 仕草だけで相槌をうちながらそれで?という顔をする。 


「葦原時子は時彦が生まれるのとほぼ同時に亡くなったそうです。普通に死んだのではなく暗殺が疑われていて、犯人はわかっていないようですが動機は時彦に家を継がせるためだという噂があります。なので、それで得をする誰かということだと思われます。嘔吐、腹痛、痙攣という症状から毒殺が疑われているということですが……一部の人は呪いだと言っているらしいです」

「呪い、ね。お前もそう思っているのかい?」


 片目を閉じてからかうような口調でそう言う。


「わかりませんが……。ヨブメが異能を持っているのなら人を呪う力がある人がいてもおかしくないんでしょうか……?」

「それが本当に異能ならね」


 クス、と喉を鳴らして西園寺は嗤う。


「ヨブメの異能は偽物だ。ただのトリックだよ」



 ヒィー。

 外で鳴き声が聞こえて、俺は硬直する。

 たぶん、鳥の鳴き声だろうがそれは女の悲鳴にも赤子の泣き声のようにも聞こえた。

 夕陽が赤く、西園寺の妖しい笑みを照らしている。


「これは姑獲鳥うぶめの事件かもしれない」




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