呼※4

「閉めろ」


 ガシャンと蔵の南京錠が閉まる音がした。

 蔵の中は闇に包まれている。

 かろうじて西園寺さいおんじの顔が見えるほどだ。


「大丈夫ですか?」


 聞くと西園寺は顔を上げた。

 顔はいつもの凪いだような無表情だがどこか得意げだ。


「まんまと敵の懐に入り込めたね」

「無茶はやめてくださいよ……」


 今のところ無事だからいいものを。

 蔵に入れられる時に手を後ろに縛られて、西園寺からもらった手帳と万年筆が入った荷物を取り上げられてしまった。

 それ以外大したものは入っていないけれど返してほしい。

 西園寺はやおら立ち上がると壁際に行った。


けん、こっち」 


 来てくれということか。

 俺も壁際ににじり寄ると西園寺が言った。


「後ろを向け」


 なんだろう。

 視線の先には高窓がある。

 ぼんやりと外の光が見えていた。日が落ちてきたようだ。


「ちょっと待ってください」


 まさかあそこから出ようってわけじゃないよな?

 いくら西園寺が細いとはいえ子どもでも難しそうな気がする。

 猫とかが入るのがやっとじゃないか?


「早く」


 いつもの蹴りが胸に入った。

 せながら俺は後ろを向く。

 手の平を踏み台にして西園寺は立ち上がる。

 重い。


「足りないな……」


 高さがということだろう。

 今度は肩によじ登ってきた。


「あの……西園寺さん」

「もう少し右」


 仕方なく俺は右へ動く。

 肩が外れそうです、とか言っても聞かないんだろうな。


「そこで止まれ」


 ぶつぶつと呟く。


「……屋敷の外みたいだね。太陽の位置からすると方角は……」

「あの西園寺さんそろそろ限界……」


 するといきなり西園寺が飛び降りた。


「ふがっ」 


 なぜか俺が下敷きになる。

 胸の上、猫が着地するように落ちてきた西園寺はさっさと腰を上げると移動して座りすました顔をしている。

 謝りの一言もなしか。まあ期待してないけど。


「……痛くなかったですか」


 まあまあの衝撃があった。

 むしろ痛いのは俺のほうだがすぐ骨が折れそうな体しているからなこの人。


「しずかに」


 黙れということかと思ったが、次の瞬間ガチャガチャと音がした。

 南京錠を外す音だ。

 間もなく扉が開く。

 男が何人か入ってきた。

 判を押したように全員少し笑みを浮かべた顔をしていてなんだか気持ちが悪い。


「お前、名前はなんというたか」


 俺の前に立つと一人の男が言った。


「……日暮ひぐれですが」


 男たちが顔を見合わせて頷く。

 なんだ?


「ここだけの話なんだがな。ヨブメ様を信じるならお前だけは出してやってもいい。ちょうど男手がほしいと思っていたところだ」


 突然の提案に俺は戸惑い、西園寺のほうを見る。

 言葉が引っかかった。

 お前だけ?

 視線に気づいてか西園寺を見て口々に男たちが言う。


「ヨブメ様を侮辱したやつだな」

「その男はなんなんだ?やけに白い髪だな。年寄りか?」


 何も答えず西園寺は無表情で動かない。

 顔を見ると気味悪そうに男たちは言った。


「白髪の癖にやけに若いな」

「物の怪みたいだ」


 フンと西園寺は鼻を鳴らす。


「好き勝手言ってくれるね」


 人間でないということなら確かに間違ってはないんだが。


「あの、俺だけってなんですか?西園寺さんは……」

「白髪の男は駄目だ」


 俺は連中を睨む。


「なぜですか?」

「駄目なものは駄目だ」


 意味がわからない。


「ヨブメ様のことを信じて、集会にも参加するならお前の命だけは助けてやろう。仲間に入れ。光栄なことだぞ」


 目の曇った連中には随分魅力的な提案なんだろう。

 しるか、と俺は思う。


「ヨブメ様のことを信じます。祈りの集会にも参加します」


 信じるなんて思ってもないことを口にしてから断固として言う。


「でも、西園寺さんが一緒でないなら出ません」


 パチリと西園寺が瞬きした。


「……本当にお前ってやつは」


 仕様がないということだろうか。

 けれど、西園寺がどういうつもりでもこんな所に一人で置いていきたくない。

 あと、こんな怪しい連中の中で一人にしないでほしい。


「……いいだろう。ただそいつは自由にはしないからな。得体の知れないやつだ」

「ありがたくて涙が出るね」


 俺の縄はほどかれたが、西園寺はそのまま引っ張られるように立ち上がらされる。

 蔵から出て、屋敷のほうに向かった。

 随分立派な和風の屋敷だ。

 その離れのほうに連れて行かれた。

 廊下で繋がった別棟の建物に入り、二階へ上がる。

 座敷牢があった。

 西園寺が中に放り込まれて鍵を閉められる。


「お前はここにいろ」

「俺も同室にしてください」


 そう言うと男たちは顔を見合わせる。


「共同部屋はほとんど隙間がなかったよな」

「だからと言ってこんな所に二人で置いておくのか」

「仕方ないだろう」


 男たちは了承することにしたようだ。


「どうしてもというならここで寝ろ。そこに布団がある」


 面倒くさくなったのかそう言う。

 壁の端に薄汚い布団が置いてあった。

 清潔とは言い難そうだが文句が言える筋合いでもない。


「朝に起床の鐘が鳴る」

「遅れずに出てくるように」


 そうとだけ言って男たちは出て行った。

 俺は西園寺の様子を伺う。


「大丈夫ですか?」

「……問題ないよ」


 毛羽だった畳の上で腕を枕にして横になると目を閉じている。

 油気のない髪に白い肌、細い手足。

 静かにしていると死体が横たわっているようだ。

 縁起でもないな、と首を振る。

 ガタンと音がしたので下に行ってみると、女がお盆を置いていった。

 おそらく夕飯だろう。

 質素な食事がならんでいる。

 ……毒とか入ってないよな。

 何もないよりはマシかとそれを運ぶ。


「西園寺さん、夕飯みたいです。一応食べておいたほうがいいんじゃないですか」


 体力温存のためにも。

 そう言うが、西園寺はそっけない。


「僕はいらない」


 横目で俺を見て。


「毒が入っていても知らないよ。まあ、その可能性は低いだろうけど」


 やっぱり同じことを考えていたか。


「……わざわざ生かしたってことは何か目的があるんだろう」


 西園寺と盆を見比べる。

 今日は何も食べてないので結局空腹感に屈する。

 大丈夫でありますように。


「……いただきます」


 口に運ぶ。意外とおいしい。

 どれも味は薄いが。

 その時、また物音がして俺は飛び上がった。

 なんだ。

 もう盆を下げにきてのか?

 するとひょっこりと子どもが顔を出した。

 静かに階段を駆け上がってくる。

 しっかりした洋服を着た短い髪の男の子だ。

 どことなくお坊ちゃんのような雰囲気がある。

 じっとこちらを見ると言ってきた。


「お兄さんたち、どこから来たの?」


 誰だこの子? 


「ええっと、なんでここに来たの?」

「物音がしたからお客さんが来たのかと思って。屋敷のほうには誰も入ってこないから」

「名前は?」

葦原あしはら時彦ときひこ


 名前を聞いてもわからないぞ。

 ゆっくりと西園寺が起き上がって牢の柵越しにこちらを見た。


「当てようか」


 静かに言う。


「お前の母親はヨブメ様だろ?」

「えっ……」


 俺はその言葉に固まり、時彦は素直に頷く。


「うん」


 牢に近寄って時彦は言う。


「お兄さんはなんでそんな所に入っているの?何か悪いことをしたの?」

「さあて、自分じゃ悪いことをしたつもりはないんだけどね」


 西園寺さんが普通に子どもに応対している。

 珍しい光景だなと思った。


「僕は西園寺さいおんじ君明きみあき。探偵だ」

「探偵さん?」

「そう。お前の話を聞かせてくれるかい」


 時彦は頷いた。


「いいよ」

「家族は屋敷で一緒に住んでいるのかい?」

「母様と父様がいる。でも二人ともほとんど会えない。母様は忙しくて、父様は病気なんだ」

「今年で歳はいくつ?」

「六歳」


 小さいのに大変だなと思う。


「兄弟は?」

「姉様がいたらしいけど、会ったことない」

「らしい?」

「僕が生まれた時に死んじゃったんだ。顔も覚えてない」


 膝を抱えて言う。


「……僕は呪われた子どもだから」


 呪い?

 不穏な言葉に俺は顔をしかめる。


「呪い、ね」


 ぼそりと西園寺は呟いた。


「誰かにそう言われたのかい?」

「家のお手伝いさんたちがそう言ってた」


 無感情な声で言う。


「僕が産まれた日に死んだって。……ヨブメ様になりたくなかったってのも言ってた」


 とすると、ヨブメの後継者だったのか。

 あの様子を見ていると俺だってなりたくないが、普通の感覚の持ち主だったということか。


「……そうか」


 顎に手を置く。

 何かを考えているのか、西園寺はしばらくその姿勢のまま口を閉じる。


「時彦様?どこに行かれたのですか」


 外で足音がした。


「もう行かなくちゃ。いないとうるさいんだ」


 少し慌てた様子で時彦は立ち上がる。


「……また来てもいい?」


 来ないほうがいいと思うが、俺は頷く。


「来たいなら来てもいいよ」


 時彦は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、またね」


 俺は降りていく時彦に手を振る。


「……出来ない約束はしないほうがいい」


 振り返ると冷めた目で西園寺は俺を見ていた。


「どうせ僕らはよそ者なんだからね」

「……すみません」


 俺は考えの浅さに気づいてそう言った。


「あの、西園寺さん。本当に夕飯食べなくていいんですか?」


 西園寺は再び横になり、反対側の壁を向いてしまった。

 話したくないということか。

 なんとなく気まずい思いをしながら俺は布団に入る。

 埃っぽくて黴臭かった。

 でも、近頃寒くなってきたのでないよりマシだなと思った。

 ふと気がついて西園寺からもらったサングラスをはずす。

 人がいないと視界は普通だ。

 安心する。

 そのまま俺は眠りについた。




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