実※10

 誰も何も言わなかった。

 時が凍りついて、溶け出すまでゆっくりと時間がかかるように。


「坂上さんが、殺したと……?」


 立花たちばなまでもが驚いたように呟いた。

 坂上は部屋に入った時から俯いていた。

 顔をゆっくりと上げると西園寺を見上げた。

 誰とも顔を合わせたくないからだと思っていたそのポーズは、解釈が違ったようだ。

 表情が抜け落ちた能面のような横顔をしていた。

 清楚系、という言葉を絵に描いたような少女だ。

 背中に届く長い黒髪に飾り気のない顔。

 化粧をしていなくても綺麗だ。いや、化粧をしていないほうが映える顔と言うべきだろう。

 上品な仕草で髪を耳にかけると小首を傾げた。


「なぜ、そんなことを言うんですか」


 悲しそうに眉を下げてみせる。

 でも俺にはわかっていた。タイムラグがあった。

 これは嘘の表情だ。


「疑われないようにするためだろう」


 西園寺も無表情でそれを見返す。


「連続首吊り事件に仕立てて自分を被害者とする。そうすればまさかその反対で自分こそが加害者だと疑われることはないだろうと思ったんだろう。考えたものだね」 


 西園寺が唇を吊り上げた。

 嗤っている。面白いものを見るように。


「どういうことですか」

坂上さかがみ樹里じゅりが自殺未遂をしたのは狂言。後付けの理由だということだよ。おそらく二人は以前からの知り合いで日野ひの糸依いよりに相談を受けて、自分が解決するとでも言ったんだろうね。解決がこんな形になることは日野糸依もわかっていなかったから口をつぐんでいた」

「でも坂上さんに木梨きなし耕作こうさくを殺す理由なんてないんじゃ……」

「それに対する答えがこれだよ」


 西園寺が懐から何かを取り出す。

 二年前の新聞だった。


「過去に同類の事件が起こってないかを知るために図書室にある新聞を読んでいるとちょうど空欄があった。そこから切り取られたのがこの記事だ。二年前に高等部一年生の日野ひの麻紀まきが首吊りによって亡くなったという事件。この日野麻紀はお前の姉だね、日野糸依」


 日野糸依は喉を詰まらせながら頷く。


「そして二年前といえば、坂上樹里も当時一年生だったことに符号する。そこから予想するにお前たちは友人だったんだろう。それもかなり親密なね。友人の妹を助けるために手を汚すほどの」


 何か間違っているか、という目つきで西園寺は坂上樹里を見る。


「……お見事です」


 そう言って坂上樹里は微笑んだ。


「そこまでわかってしまったんですね」


 静かな声でそう言って西園寺を見る。


「仰る通り麻紀さんは無二の親友で、私の半身のような人でした。糸依さんはかわいい、麻紀さんの妹。だからこそ、汚らわしいあの男が許せなかった」


 口元は上がっているがその目は笑っていない。


「だから、首を吊らせたんです。あの男の行いを世間に暴露すると言って脅すと許しを乞うてきました。多くの職場を解雇されてまさに首が回らなくなっていたんですね。指示するとあっさりと首に縄をかけたので私が脚立を倒しました」


 聞くだに壮絶な話だ。

 平坦な声で話す彼女はまさに人間ではないように見えた。

 人の皮を被った、鬼女のような。


「見える場所で首を吊らせたのは公開処刑という意味合いだね。最初は復讐かと思ったよ。だけど、二年前に木梨耕作は学園にいなかった。……首吊りを選んだのは連続事件とみせるためだね」

「ええ。麻紀さんは関係ありません。彼女は自殺だったんですから」 


 遠くを見る目で坂上は言う。


「彼女は綺麗なまま死にました。最初に発見したのは私です。首を吊っている姿は真っ白な実が木からぶら下がっているようで美しかった」


 まるでその光景が目の前にあるかのように坂上は微笑む。

 狂っている。

 俺はそう思った。


「殺人を美しく感じた。お前はその時、人をやめたんだよ。人をやめたものは人の世界にいてはいけない」


 西園寺が美鳥みどりにアイコンタクトをとった。

 なぜか不本意そうながら美鳥は坂上に近寄る。


「来るんだ。君ならまだやり直せる」


 誰も口を出さない。

 学園側も警察の人間だということは承知済みのようだ。西園寺の後に来たということだろうか。

 坂上樹里が俯く。

 泣き出すのかと思った。

 肩が震えている。

 いや、あれは。

 俺は気づいてしまった。

 嗤っている。

 ふふ、と声が漏れた。

 それから可笑しくて可笑しくてたまらないというように坂上樹里は爆笑した。


「やり直すって」


 笑い顔のまま坂上樹里は言った。


「なにをですか?あなたはなにもわかってないです。西園寺さんのほうが私の理解者ですね」


 胸に手を置いて芝居がかった口調で言った。


「なんせ、私は人をくびり殺す鬼なんですから」


 胸ポケットから何かを引き出す。

 カッターが、美鳥の腕を切り裂いた。


「クッ……!」


 不意を突かれる形でよろめいた美鳥の横を獣のようにすり抜けて、窓ガラスを開けると坂上樹里はそこから飛び降りた。

 ここは二階だ。死ぬ高さではないだろうが無事に降りたのかと思ったが、草むらを通り抜ける音からするとどうやらそのようだ。


「追わないと」


 俺は負傷しながらも真っ先に会議室を飛び出した美鳥の後を追おうとする。


「どうして?」


 西園寺が冷めた声でそう言った。


「結末はお前にもわかっているだろうに」


 聞く耳を持たず俺は駆け出す。

 まだ間に合う。

 彼女はやり直せるんだ。

 それでもひたひたと胸に暗いものが迫ってくる。



 息を切らせて、なんとか美鳥に追いついた。


「どこに行ったんですか」


 そう言うと美鳥は驚いた顔をした後、苦い顔で言った。


「上にのぼっていった。見失った」

「手伝います」


 いつの間にか裏山まで来ていた。

 薄暗い木々の間を出来る限り早く走る。

 先が見えにくい暗い道をどこまでも走る。果てがないように思えた。

 まるであの世への道行きだ、と不吉なことを考えてしまった。

 美鳥のほうがわずかに早い。

 俺はあたりを見渡しながらのぼっていく。

 坂上の姿はない。

 とうとう山頂に着いてしまった。

 美鳥が足を止めて、上を見る。

 無言で首を振った。


日暮ひぐれさん、といったか」


 低い声で告げる。


「見ないほうがいい」


 聞かなかった。

 俺は美鳥の前に出て、目の前を見上げる。

 坂上が首を吊って、木の幹からぶら下がっていた。

 笑ったような引き攣ったような顔で小さな口からはだらんと舌が突き出ている。

 そうだ。人の死が美しいはずがない。

 最初から彼女は罪の告白と同時に死ぬつもりで。

 膝を拳で殴りつける。

 またわかっていたのに止められなかった。

 気づいていたのに。

 あの部屋に入った瞬間、彼女の全身が赤い靄に包まれていたことを。

 彼女が死ぬということがわかっていたのに。




「無駄足だっただろう」


 俺と美鳥が戻ってくるなり、西園寺はそう言った。

 表情を見て何が起きたかを察したらしい。 


「お仲間を呼んで死体を回収するといい」


 美鳥にむかってそう言う。

 流れるような仕草で美鳥が西園寺の胸ぐらを掴み上げた。


「……お前はちっとも変わってないんだな」

「さてね。お互い様だろ」


 そう言って睨む美鳥を薄ら笑いで西園寺は見返す。


「やめてください」


 俺は止めに入った。

 この二人にどんな因縁があるかは知らないが、そんなことをしている場合ではないだろう。

 西園寺を下ろすと美鳥は背を向けた。

 俺のほうに振り返り、気づかうような視線で見てくる。


「悪い事は言わない。関わるのはやめて早くこいつと離れたほうがいい」


 吐き捨てるように言う。


「こいつは人でなしだから、つきまとっていると死ぬぞ」

「……お気づかいありがとうございます」


 とりあえずそうとだけ言っておいた。

 西園寺のほうを見る。

 冷めた無表情で虚空を眺めていた。

 西園寺についていくのを決めたのは俺だ。

 だから、今はただ隣にいるだけ。

 それに、なんだか目を離せないと思っている自分がいる。

 たとえ地獄へ一直線だとしても。



 わからないことがある。

 なぜ、新聞の切り抜きがあの場所に隠されていたか。どうして西園寺がその検討をつけたのか。

 聞いてみると西園寺は言った。


「言っただろ。あそこは異端の者たちが隠れる場所だったと」


 ため息をつく。


「ここからは完全に蛇足だけどね。見たほうが早いだろう」


 そうして、俺たちはバスを待つ合間に図書館へ赴いた。



「ヒントはここにあったんだよ」


 西園寺が持ち出してきたのは『叶音かなん学園がくえん』だった。


「学園史ですか?」

「そうだ。今の貸出はほぼ電子化されているが、これは古い書籍なので手続きをする気がないのかまだ手書きの貸出カードを使っている。名前の欄を見てみろ」


 二年前の日付に、坂上樹里と日野麻紀の名前が書いてある。

 そもそも読む人間がいない本なのか、貸出はそこで止まっていた。


「この本は随分と奥まったところに隠されるように置いてあってね。これが挟まっていた」

『毎週水曜の放課後 講堂の裏 J.S』

「最後のは言うまでもないだろうが、坂上樹里のイニシャルだろうね。妙に思ったのは指定された講堂の裏という場所だよ。講堂の裏には何もない。そんな場所で何をしていたんだろうとね」


 学園の地図を指差す。


「講堂の裏とはあの隠し部屋のことだったんだ。地図を見て実際に行ってみてやっと合点がいったよ。あそこは彼女たちの秘密の花園だった。……以前から日野麻紀は自殺のことを考えていたんだろうね」


 西園寺の口調は何の感情もないように平坦だった。


「死に焦がれること。自殺はカトリックにおいて重大な罪だ。その意味で彼女たちは異端だった。そして一人だけが旅立った。それから坂上樹里が彼女との思い出の品としてあの新聞を持っていった。日野麻紀を追想する品としてね」 


 先ほど宿直室から持ってきた本を西園寺は取り出した。


「『押絵と旅する男』は彼女の愛読書だったらしいよ」


 そう言ってピタリと手を止める。

 どうしたんだろうと思うと西園寺にしては珍しいことに口を半開きにしたまま驚いた顔をしている。


「どうしたんですか?」


 外を見て俺も目を見開く。

 赤いコートの人物が歩いていた。


「あれ、また……」

「またってなんだい?」


 西園寺の視線が鋭い。


「ええっと昨日も見たんです、あの人。裏山にいるとき」


 西園寺は立ち上がると外に向かって歩きはじめた。


「西園寺さん?どうかしたんですか」


 俺は西園寺の後に着いていく。

 何かわからないがただならぬ気迫で西園寺は後ろを振り返りもしなかった。

 窓から見るとコートの人物は講堂の中に入って行った。



 講堂まで歩くと勢いよく西園寺が扉を開いた。

 俺もそれに続いて入る。

 赤いコートの姿はなかった。

 代わりに、小柄な女生徒が祭壇の前に立っている。


「こんにちは。会えて嬉しいな」


 そう言って微笑む。

 亜麻あま色の長い髪に小ぶりな顔。

 無邪気な印象を受ける少女だ。

 改めて見渡すが赤いコートの姿はどこにもない。

 かき消えたように突然消えてしまった。


「……知り合いだったかな」

「いいえ。でもあなたのことはようく知ってるよ」


 微笑する女生徒に西園寺が不愉快そうに顔を歪める。


「……どうして僕たちがここに来ることがわかったのかな」

「さあどうしてでしょう?」


 クスクスと女生徒が笑う。

 なんだろう、この子は。

 嫌な感じがする。


「ずっと見られている感覚はあったんだよ」


 西園寺はそう言った。


「何が目的だ?」

「お話ししたいと思って」


 ぞわりと背筋の毛が逆立つ。

 この声は、昨日話した声だ。

 人の反応を愉しむような態度でそう気づく。


「貴方たちが不毛な謎解き遊戯ゲームをはじめたせいで人が死んだ気分はどう?」


 無邪気な声で問う。


「まるで悪い夢をみているようじゃないかな」


 一歩、こちらに近づいた。


「西園寺さんには初めまして。日暮さんには、また会えて嬉しいな」


 腕を前に、舞台のように芝居がかった仕草で深々と礼をして見せると微笑んで俺たちを見た。


「自己紹介したいと思ってここまで来たんだよ。私は人の悪夢が好物の『ばく』」


 慈しむような目で俺たちを見て名乗る。


ひいらぎ夢路ゆめじ。以後、よろしくねえ」


 用事は終わったとばかりに背を向けて。


「今日はここまで。またいずれ。今度は近いうちに会おうね」


 愉しそうに言うと去っていった。



 何も話さず俺たちはバスに乗り込み、完全に日が暮れる前に街へ帰った。

 バスが進む間、西園寺は無言で随分ぼんやりとしている。

 気にかかることはいろいろあったが、俺は今は何も考えたくなかった。


 もうすぐ夜がやってくる。

 逢魔時がはじまるーー。




 ーーー


「ねえ、前の席座っていい?」


 返事も聞かずにショートヘアの人が目の前の席に座る。一瞬だけ目を上げて読書を再開したのを了解の意思だと思ったのか。


「綺麗な髪だね」



 夏の白昼夢。

 雲のように霧散して消える。


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