実※9
片手には本を持ったまま、片手にある懐中電灯であたりを照らす。
誰も立っていなかった。
幽霊?
そんなことが頭をよぎる。
「こっちだよ」
声のするほうを見ると、壁際に小さな電話ボックスみたいな部屋が二つ並んでいる。
「右側の部屋に入って」
そう言うので木の扉を開けて中に入った。
一人しか入れないくらい狭い。俺の身長では少し窮屈だ。
小さな椅子と仕切りがあった。
仕切りの先は見えないようになっていて、どうやら声だけが通るようだ。
「扉を閉めて」
そう言うので扉を閉めた。
ドアノブをそっと緩めてみる。
どうやら入った途端閉じ込められるというオチではないようだ。
「こんばんは、お兄さん。ここは告解室。罪を告白する場所だよ」
どことなく愉しそうな口調でそう言う。
「お兄さんの罪はなにかな?」
「罪……」
そう言われて真っ赤な靄が頭をよぎる。
血の気が引いていく感覚に陥る。
目を閉じて頭を振る。手にジットリと汗をかく。
だめだ。考えたくない。なにも考えるな。
「まあそれは今はいいや。今度にとっておこう」
声は軽く言う。
今度?今度ってなんだ。
俺に疑問を挟ませる暇なく声は告げた。
「じゃあなにを話そうかな。私としたことがなにも考えてなかったな。あっそうだ」
声は無邪気にそう言う。
「ねえ、自分だけに目の前の人がもうすぐ死ぬってわかるのはどんな気分?」
いきなり氷水の中に突き落とされたような気持ちになった。
足下がおぼつかなく頭が真っ白になる。
なんだ。こいつはなにを言っている?
俺が言葉も出ないのをどんな意味に受け取ったのか、声は告げる。
「ごめんね、怒った?でも恥いることもないし絶望することもないよ。貴方は特別なんだから」
熱に浮かされたようにそう言う。
「他の人とは違う存在。特別って素晴らしいでしょう。最高でしょう」
「そんなわけあるか」
思わず口に出してそう言っていた。
ハッとする。
クス。
笑い声がした。
「あはっ。アハハハッ」
可笑しくてたまらないという哄笑が聞こえた。
狭い部屋に反響する。
「ごめんねえ。お兄さん繊細なんだ。生き辛そうなわけだよねえ」
困惑を通り越して怒りさえわいてきた。
「話がそれだけなら、帰ります」
相手を挑発してどうするのか。
でも今はそれさえ考えられなかった。
「お兄さんが探しているもの、あげるよ。だからね」
声はトーンを少し落として言う。
「私のこと嫌わないでほしいな。お兄さんも自分の力のこと認めてよ。そしたら、もっと幸せになれるよ」
幸せ?
その言葉になぜかひどい嫌悪感を覚える。
扉が軋んで開く音がした。
続いて軽い足音が聞こえる。
「じゃあね、お兄さん。またゆっくりお話しようね」
相手が出て行っても開ける気になれなかった。
背中にジットリと汗をかいている。
心臓の鼓動がうるさかった。
足音が遠のいていって、しばらくしてやっと部屋から出る。
足元に何かが落ちていた。
探していたもの。
それを拾おうとしている手が震えているのがわかる。
「……クソッ」
反発したのは自分がひどく怯えているからだということに気づいてしまった。
相手の煽りにまんまとのってしまったことにも。
今更あんな言葉にこんなに心がかき乱されるなんて、自分が情けない。
パタンと宿直室の戸を閉めると俺は畳に崩れ落ちるように膝をついた。
どこに行ったんだろう。学園側から尋問でも受けているんだろうか。
なんでここにいないんだろう。
だめだ、弱気になっていると思った。
「これが西園寺さんが探していたもの……」
自分が先に目を通してもいいのか、と思いながらそれを見る。
新聞の切り抜きだった。
日付は二年前。
「叶音学園高等部一年生の、
日野。
俺はリュックサックを探ると、手帳を取り出した。
第一の被害者、
これは偶然なのか。
「いや、違うだろうな……」
きっとここには関連がある。
その時、戸が音もなく開いた。
「西園寺さん……!」
「いたんだね。また寝ているのかと思ったよ」
俺は電気もつけずに部屋にいたことに気づいた。
月明かりで西園寺が白白と輝いている。
光の加減かもしれないが、いつもより青白く見えた。
「……大丈夫ですか?」
「お前こそ変な顔をしているよ。化け物にでも出会ったかい」
化け物。
先ほどの会話を思い出して自分でも顔が強張るのがわかる。
気をそらすために俺は記事を差し出した。
「指示を受けたものです」
西園寺はそれを黙って受け取る。
目を通して呟いた。
「……成程ね」
読んだだけで西園寺は何かがわかったらしい。
ニイと唇があがる。
「今日はもう遅い」
たしかに日付が変わろうとしている時間のようだ。時計塔の針が部屋の窓からも見えた。
「明日すべてを終わらせるよ」
「今すぐ行かなくていいんですか?」
どうやら西園寺はこの学園で何が起きたのかがわかったようだ。
俺にだってそれくらいは伝わる。
「大丈夫だよ。相手も逃げない。それは己の罪を告白するようなものだからね」
罪の、告白。
俺は再度先ほどの嫌な会話を思い出した。
そのことを考えまいとして他に考えることはないかと考えていると、不意に昼間会った男のことが思い浮かんだ。
「あの西園寺さん。昼間に男が西園寺さんのことを探していたんですが……」
「男?」
俺はかくかくしかじかと男の外見と話した内容を手短かに話す。
「ああ」
訳知り顔であっさりと西園寺は頷いた。
「それは別に放っておいていいよ」
口ぶりからすると知り合いのようだ。
警察官というと事件関係のことだろうか。
気になったが詳しくは聞かないことにした。
西園寺が自分から語らないということは聞かれたくない事情か事件には関係ないことなんだろう。
「そういえば、西園寺さん。これ」
俺はずっと持っていた本を渡す。
「『押絵と旅する男』か」
「その本に新聞記事が挟まっていました」
俺は記事を渡してきた人物のことは黙っていた。あまり蒸し返したい話ではなかった。
受け取って西園寺は本を読みはじめた。
月明かりだけでよく文字を追えるものだと思うのだが、とにかく寝る気はないようだ。
「西園寺さん」
「……なんだい」
読書をしている間の集中力は凄まじいので無視されるものかと思ったら、返事があった。
「眠れなさそうなので、その本の話をしてくれませんか」
チラリと西園寺が俺を見る。
「ええっと読んだことがないので。無理にとは言いませんけど……」
「構わないよ」
最初耳を疑ったが、西園寺は
それから本の書かれた背景や作者の経歴、はては作者が書いた他の作品のことまで語り続けた。
小一時間とはいわず、講義は明け方まで続いた。
やっぱり寝ておけばよかったかと思った。
「しまらない顔をしているね。いつものことだけど」
「……すみません」
もともとこんな顔だ。そして半分は西園寺のせいだ。
結局、昨晩は一睡もできなかった。
西園寺からの講義の途中意識が飛んでいた気がするがあれは寝たといえるのか。
「推理の披露、ぜひ聞きたかったんですけどね。同席することができなくて本当残念です。でも
ぶつぶつ呟きながら
「ここが会議室です」
指定された部屋は会議室だった。
関係者を呼んでここで報告することになっていた。
報告とはすなわち、事件に対する西園寺の答えだ。
「どうぞ」
恭しく益子が扉を開ける。
「ご武運を」
もっと意気消沈するか不機嫌になると思っていたが、いつもの笑顔で俺たちを送り出した。
西園寺と俺は中に入る。
長机が置かれていて、パイプ椅子を並べて女生徒が二人扉を背にして座っていた。
こちらからは顔が見えない角度な上に二人とも俯いている。
その奥で窓ガラスに背を向けて立花が真っ直ぐこちらを見て立っている。
立花の横には教師が二人立っている。
恰幅のいい男がおそらく校長で、もう一人は誰だろう。神経質そうな女性の教師だった。
「校長先生と生徒指導の
この場を仕切っているのは立花のようだ。
あれ?と俺は思った。ぎくりとする。
壁際に控えるように黒いスーツの男が立っている。
西園寺を探していた
目があった気がしたが我関せずという態度をして口を開かない。
どうやら挨拶する気さえないようだ。事件の関係者だったのか?こんなところで何をしているんだろう。
隣に並んで入ってきた俺が本当は西園寺の知り合いで嘘をついていたことは既にバレてしまっただろうがこの際仕方ない。腹を括ろうと思った。
部屋を見渡した途端視界にノイズが走った。
見間違いかと思った。
そうであってくれと思って。
でも赤い靄は消えてくれなかった。
なんでそうなるんだ。
視線を感じる。ハッとして横を向くと俺の表情と視線の先を読んで西園寺は目を細めた。
やはり、という確信を得た顔をした。
一歩前に出るときに俺の耳元で囁く。
「……正直だね、お前は」
俺は愕然としたまま動けない。足が床に張り付いてしまったようで。
「西園寺さん。ここに集めたからには何かわかったんですよね」
立花が毅然とした態度で問う。
余裕の表情で西園寺は言葉を受け止めた。
「わかったよ。この学園で起きた事件の大まかな内容がね。勿論」
一同を見渡して、低い声で言う。
「
部屋に緊張が走った。
「それは貴方……」
「ど、どういうことだ」
磯貝と校長の二人に驚きと困惑の表情が浮かぶ。
「どういうことだとは」
「私たちは二人が自殺未遂をした理由を話すというからきたんだぞ。殺人犯がこの中にいるなんて聞いていない」
「……自殺未遂をした理由に殺人が関係あるからだよ」
冷たい目で西園寺は言う。
「もう考えた人もいるだろうけど一応言っておくと、事件を起こしたのは外部の人間ではない。防犯カメラを見てわかったけれどこの一週間学園に外からの訪問者は入ってないことがわかった。僕らを除いてね」
会議室の中を
「つまり、事件の犯人は学園の内部にいる。それもこの連続首吊り事件に近しいところにね」
「……なぜそんなことが言えるんです」
磯貝が厳しい面持ちで言った。
「さっき言ったけど、事件の起こった理由に犯行の手がかりがあるからだよ。日野糸依」
西園寺に呼ばれてビクリとパイプ椅子に座った一人の生徒が身じろぎした。
こちらが日野糸依か。
俯いていた顔を少し上げて、西園寺を見る。
気弱そうな印象の女の子だった。
髪が長く、全体的に細っそりしている。
長い前髪に遮られてあまり見えないが美人の部類に入ることが伺われた。高校一年生という歳からすると成熟している気がする。
あまりジッと見つめると失礼かと思って俺はすぐ目をそらした。
「お前は首を吊った理由を覚えていないと言ったね。はっきり言ってそれはいかにもおかしい。言いたくないから嘘をついていると考えたほうがまだ納得できる。……何か隠しているんだろう?」
日野糸依の震えが大きくなる。
ちょっとまずいんじゃないですか、と俺は静止しようか迷った。
「私……。私……。なんで、そんなこと……」
泣き出しそうに
「やめてください」
立花が厳しい口調で言った。
「あなたがここに来たのは日野さんを傷つけるためなんですか?」
「理由を突き止めろと言ったのは君たちのはずだけどね。矛盾しているよ」
西園寺はやれやれと首を振る。
「話さないのは勝手だ。でも、話してお前も楽になりたいんじゃないのかい」
それでも日野糸依は黙ったままだ。
だが、目を上げた。西園寺を見つめるその目はなぜか助けを乞うようだった。
西園寺はため息をつく。
物分かりの悪い子どもに話すようなうんざりした雰囲気で語る。
「日野糸依が首吊りをした時、第一に発見したのは誰だったか覚えているかい?」
西園寺は俺に聞いているようだ。
「ええっと、確か用務員……」
俺は言い淀む。
「そう、木梨耕作だ」
本人を目の前にしながら、いないように淡々と西園寺は言う。
「日野糸依が自殺をはかるほど追い詰められていたのはなぜか。学校生活にも家庭にも問題ない。金は学校生活に使うのみで個人的には大した額を持っていない。そうなると、あと考えられる要因は男女の関係だ」
一気に言ってさらに衝撃的なことを口にする。
「木梨に発見されたんじゃない。その時、お前は木梨といっしょにいたんだろ。その様子だと合意だとは思えないから、木梨に性的な意味で一方的に目をつけられていたんだね」
会議室がシンと静まりかえった。
磯貝がおそるおそるといった口調で聞く。
「日野さん。今言われたことは本当なの?」
涙がぼろぼろと頬を伝ったかと思うと日野糸依はワッと泣き出してしまった。
返事も同然だろう。
「耐えられなかった……。あの男が、見ていない隙に首を吊ろうとしたんです。……そうしたら楽になれるかなって」
胸が締め付けられるような告白だった。
多感な年頃だから、余計思い詰めてしまったのか。
逃げ道がないと思ったんだろう。
「なんで言ってくれなかったの……。誰にも相談しなかったの」
「したさ」
西園寺が話を両断して言った。
「それがこの結果だ」
コツコツとブーツを鳴らしながら歩いて、長机の横に立つ。
「
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