実※8

 当然だが、夜の講堂は真っ暗だった。


「勝手に入っていいんですかね。うわっ」


 何か踏んだ気がして俺は飛び上がる。

 カチリ、と音がして細い光が灯った。

 西園寺さいおんじが懐中電灯を手に持っている。


「どうしたんですか、それ」

「宿直室に置いてあったんだよ」


 そっけなく言う。


「それで講堂に何か用事でも……」


 つかつかと歩いていくと西園寺は祭壇を通り過ぎ、奥の壁を触りはじめた。


「……ここか」


 ガン、と壁を蹴る。


「ちょっ、西園寺さん!」


 俺は小声で慌てた声を出す。

 なぜいきなり壁を破壊しはじめるのか。

 だが、よく見ると壁が動いた気がした。

 まるでそこだけ何かがめ込まれているかのように。

 なんだ……?

 西園寺が無言で手招きする。指で壁を示した。

 俺は近寄っていくと壁を押す。

 わずかに反動があったが、難なく壁が動いた。


「これは……」


 足を踏み入れる。

 向かって正面には一面の本棚。

 足元は石畳に古ぼけた赤い絨毯が敷いてある。

 部屋は石の壁一面に覆われていて閉塞感はあるが、人が何人か入りこめそうな空間だった。


「隠し部屋……?」

「司祭隠し。プリースト・ホール」


 そう言って西園寺は中に入る。


「昔に建てられた教会にある、逃亡中の禁じられた宗教の信者たちを匿う場所だ」

「禁じられた宗教……」


 つまり、ここは異端の者たちを隠す場所だったということか。

 しかし、西園寺がなぜこの場所を知ったんだ。

 俺の視線に気づいたのか西園寺は言う。


「学園の建築構造に空白があった。表向きには存在しない空間だ。何かを隠すのはもってこいの場所だろ」


 何か。含みをもった言い方だ。

 緩やかに弧を描く唇に人差し指を当てる。


だよ」


 妙に蠱惑こわくてきなポーズだ。

 その時、講堂に突然明かりがついて驚く。

 パチリとスイッチを押すような音がしたので電気が通っているらしい。建物は古いのに近代的だ。

 いや、そんなことはこの際どうでもよくて。

 まずい。壁を開けたままにしてしまった。

 西園寺がカーテンのような垂れ幕に俺を押し込む。

 しーと声を出さずに仕草だけで西園寺は音を立てるなと指示した。

 俺はコクコクと頷く。

 背に俺を隠すように西園寺は壁から一歩前に出た。


「……こんな時間に何をしているんですか?」


 硬質な声は聞き覚えがある。

 昼間会った女子、立花たちばなだ。


「夜の散歩がてらお祈りだよ」


 平静な声で西園寺は言う。


「事件がうまく解決するようにとね」

「ここは神聖な場所です。勝手に入らないでください。夜間は開放してないので入るなら事前に許可を取ってください」


 神経質に苛立っているように聞こえた。


「だいたいここは事件には関係がない場所のはずです」

「関係あるかどうか決めるのは調査する僕だよ。君じゃない」


 相手が依頼人でもこの調子だ。普段の不遜ふそんな態度を崩そうともしない。


「それとも」


 クスリと西園寺が笑った。


「見られたら困るものでもあるのかな」


 立花はしばらく無言だった。

 それが答えである気がした。


「……やましいのは貴方のほうじゃないですか?とりあえず今日のところはお引き取りを」


 やれやれと西園寺は首を振る。


「信用がないね」


 出て行こうとして急に前のめりになった。

 どうしたんだ、と駆け寄りたくなるが必死に気配を押し殺す。


「どうかしましたか?」

「靴紐がほどけてしまってね。結び直すから少し待ってもらえるかな」


 しゃがんで靴の紐を結ぶと西園寺は立花に連行されるように出て行ってしまった。

 タイミングを逃して俺は出ていき損ねる。

 垂れ幕からそっと出ると、壁が閉まっていた。

 どうやら西園寺が出て行く時に丁寧に閉めたようだ。

 カツン、と足に何かが当たった。


「ん?」


 しゃがんで拾い上げる。

 固い感触で軽い。西園寺が先ほど持っていた小型の懐中電灯だ。

 明かりをともすと、下に小さな紙が落ちていた。

 それも拾って懐中電灯で照らしながら読む。

『ここにあって不自然なものを探せ』 

 これは。

 さっきしゃがんだ時に西園寺がわざと落としていったのだろう。

 手品みたいな早技でまったく見えなかった。立花も気づいていないだろう。

 内容に俺は首を傾げる。

 ここにあって不自然なもの。

 不自然なもの……。

 そんな曖昧な言い方で何を探せというのか。


「ものって言ってもここには本棚くらいしか……」


 本棚を上から下まで懐中電灯で照らしながら見ていく。


「あれ?」


 一点で目が止まった。


「これは……」


 革表紙の洋書が並んでいるが、一冊だけ他の本とは見た目が違う。

 不自然。

 取り出してみるとカバーがツルツルとしている。この本だけ新しいなと思った。それに日本語だ。

 題名は『押絵と旅する男』。

 江戸川乱歩の本らしい。なんとなく名前は聞いたことがある。

 パラパラとページをめくってみる。

 ヒラリと何かが落ちた。


「なんだ?」


 拾い上げる。

 薄いビニールフィルム。

 栞にしてはサイズが大きい。

 本のページのサイズにも合っていない。

 なにかが挟んであったのか?

 不自然なもの、の答えはこれな気がするけど何かが足りない。

 再度本のページをめくる。

 見たところ本に変なところは見当たらない。

 書き込みもないし、他には何も挟まれていない。

 見落としか?俺はもう一度本棚に向き直る。

 カツン、と音がした。

 俺はギクリとする。

 今のはなんだ。

 足音みたいな。


「そこにいるんだよね」


 気のせいではなかったようだ。

 女の子の声のようだ。

 立花ではない。


「貴方が探しているものを持っているよ」


 声は弾むようにそう言った。


「出てきて私とお話しない?」


 なんだ?だれだ?

 いつからここにいた。

 いろいろ疑問がわいてくるが、ここにいるのは気づかれているのだ。俺は応じることにした。


「……今出ます」


 壁を動かして外に出る。


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