蓋※5

「まず、僕をここに呼んだのはお前だね」


 そう言って西園寺は振り返る。

 地下牢の、少女に。

 少女はわずかに頷いたように見えた。


小夜さよ


 短く叫ぶように朝日の母親が言う。

 俺も驚いた。

 意思の疎通ができるのか。


「小夜というのか」


 少し微笑んで、朝日の母親を見る。

 ハッとしたように母親は目を見張った。


「まあ、言うまでもないことだろうけど。井頭朝日。彼女は双子の姉妹だろう?」


 彼女、で小夜を目線で示す。


「……はい」


 無表情で朝日は言った。


「……そう。あなたは知っていたのね。いつかは気づくかと思っていたけれど」


 思ったより落ち着いた声で朝日の母親は言った。


「つまり、監禁していたってことですか?自分の子どもを」

「仕方ないことだったのよ。その子は外に出してはいけない子なの」

「……犬神いぬがみ使つかいだからかい」


 西園寺の言葉に驚愕したように、母親は固まる。


「あなたは、何をどこまで知っているの?」

「さてね」


 教える気はない、という態度ときたものだ。


「あの犬神使いって……?」


 俺が聞くと西園寺は答えた。


「犬を地中に埋めて、首だけを出しておく。しばらく放置して死ぬ直前まで衰弱させたところを首をねる。怨念をもった首は、使役者の使い魔になる」

「それって……」

「まあ、それも一種の蠱毒だ」


 小夜を見て、言う。


「そこにいる小夜が犬神使いなんだろうね。あの庭に埋めてあった首のない骨の主人だ」


 目をスッと細めて西園寺は言う。


「ここまでで何か間違っていることはあるかな」


 場が静まり返る。

 だめだ、ついていけない。

 俺はただ、西園寺の独白とも言える謎解きを聞くしかなかった。


「この家はおそらく昔から双子が生まれやすい家系だったのだろうね。だとすると厄介なことが出てくる。家督争いだ。まあ、双子は不完全な存在と言われたり忌み子と呼ばれていたりその存在自体を消す目的があったのかもしれないけど」


 チラリと母親を見て、西園寺は言う。


「双子の片方だけが犬神使いになって兄弟を殺す。家の慣習に基づいて犬神使いであるお前は朝霞を殺したんだね」

「……その通りです」


 朝日の母親は頷いた。 


「正確に言うとあの子は自殺だった。殺される前に私を殺すこともできたのに朝霞は情が深すぎて、私を殺すことも家から逃げることもできなかった。私が殺したようなものです」


 暗い炎が朝日の母親の目にともる。

 それは、憎悪の色。 


「そして、犬神の力を使い私は自分の母親を殺した。私たちに殺し合いをさせて力を使わせるのを強要した狂った家を壊すために」


 そして自嘲ぎみに口の端を緩める。


「それから、何の因果か私も双子を身籠った。それが朝日と小夜。……私に対する罰だったのかもしれないわね」


 朝日と、小夜を見る。

 分かたれてしまった朝と夜を哀れむように。

 小夜がうなり声をあげた。


「オ、マエノセイ」


 たしかにそれは言葉になっていた。


「いつの間に、二人が会っていたのかわからないけど。小夜は言葉も教えてもらったのね」


 この場としては不釣り合いに、目尻を下げて母親ーー、双子を産み落とした女は言う。


「やりなさい」


 子を抱きしめようとするかのように、我が身を投げ出すように母親は両手を広げる。

 その時、地下牢の中の容器が動いた。

 いや、あれは箱だ。

 箱の蓋が、中から開く。

 ずるり、と犬の頭が落ちた。

 それは床で這いずり、やがて小夜の足元にやってくる。


「イケ」


 彼女の命令に首は起き上がった。

 咆哮を上げながら、犬が迫ってくる。


「やめろ!」


 叫んで手を伸ばすが手遅れだった。

 犬の鋭い牙が、母親の喉笛を喰いちぎる。

 肉が落ちて、血が滴った。

 血を噴き出しながら母親が倒れる。

 悲しい目で朝日がそれを見ていた。

 俺は駆け寄ろうとしたが、一目見ただけでなにもかもがすでに手遅れだということがわかる。

 犬が唸ってこちらをギロリと睨んだ。

 もしかして、まだ……!

 その殺気のこもった眼光に、俺は惨劇がまだ終わってないことを感じとった。

 あの犬はおそらく朝日も殺そうとしている。

 主人以外の血を絶やすまで、喰い殺すまで終わらない。


「そういうことか」


 ククッと喉を鳴らす。

 西園寺は嗤っていた。

 この状況がいかにも可笑しいように。

 唇の端を上げたまま、小夜と犬神に向き合う。


「西園寺さん……!」


 西園寺が両手を広げた。



 闇が蠢き出した。

 それはひしめき、唸り、荒い息を吐きながら西園寺を包囲する。

 闇でできたたくさんの獣の群れが、空間からいきなり沸き出た。


「こんなところかな」


 金色に光る目で小夜と犬神を見る。


「蠱毒の威力を増すために犬神の体を獣に喰らわせたろう。これはその獣たちの怨嗟えんさだよ」


 人差し指を犬神に向ける。


「さあ、狩りの時間だ」


 かけ声をかける。


「よし、いけ」


 闇が襲いかかる。

 勝負は一瞬だった。

 いくら犬神の力が強いとはいえ、多勢に無勢だ。

 噛みつかれ、引きちぎられ、肉を削がれて犬は散り散りになり断末魔の鳴き声を上げた。

 それに合わせて小夜も絶叫する。

 ガクン、と膝をつくと地に倒れ伏した。


「あっ……!」

「寄らなくていい。おそらく気絶しているだけだよ」


 パチン、と西園寺が指を鳴らす。

 その瞬間、獣の気配や生臭さが霧散して消えていった。


「それじゃあ依頼は遂行したよ。僕は帰る」


 この人は……。

 一体何なのだ。

 俺は西園寺の胸ぐらを掴みそうになって、あと一歩のところでそれを踏みとどまった。

 俺の怒気に勘づいたのか、西園寺の蹴りが胸にくいこみ思わずぐうと呻く。


「飼い主に咬みつく犬は躾が必要だね」


 やれやれと首を振る。


「よく見ておくといいよ。これが私刑の結末だ」


 チラリと見るとすぐにどうでもいいというふうに背中を向ける。


「どうして……」


 俺の問いに心底理解し難いという顔をして西園寺は言う。


「今回は助けてくれと言ったから、身を守るという依頼を遂行したまでだよ。謎を解くのは探偵の役目だけれど、それ以上は業務外だ。家庭の事情まで配慮する必要はない。それに裁きが必要だというならもう終わっただろう」


 ニヤリと笑って。


「母親も小夜も人殺しなんだからね」


 カツカツと、西園寺は歩いていく。


「後始末が面倒だから、一応警察に通報しておいたほうがいいよ。井頭朝日」


 そう言い置いて、西園寺は母親が出てきた方向に歩いて行った。



「畜生……!」


 ダン、と俺は地面を殴りつけた。

 拳が痛いだけだった。



 俺は西園寺さんがこわい。

 その理由が少しわかった。

 深い闇に怯えているのだ。

 しんしんと底冷えのする。

 あの瞳の奥にある虚無が。


 屋敷に戻ることは俺だけでは不可能なので、複雑な気持ちを抑えこんでなんとか西園寺に追いついた。

 おそらく母親が入ってきたであろう出入り口は排水溝のようになっていた。

 庭に埋まっているような形になる。

 普通に歩いているだけでは落ち葉に紛れて気づかないだろう。


「さしずめここは蓋を閉められた箱のような空間といったところか」


 ここは女性でも簡単に開け閉めできる蓋のようだ。

 西園寺は取り外すとさっさと出て行く。

 俺も釈然としない気持ちを抱えたまま、その後ろに続いた。


「あの一つ疑問があるんですけど」

「……なんだい」

「俺たちの入ってきた台所の扉を塞いだのは誰なんですか?」


 西園寺は馬鹿を見る目つきで俺を見た。


「朝日と小夜の母親に決まっているだろ」

「え……」

「もう一台冷蔵庫があっただろう。おそらく、その中に隠れていたんだ」

「なんのために……」 

「閉じ込めて殺す気だったんじゃないかな。だから、僕は朝日を呼んだんだよ」


 え、と俺は言葉を詰まらせる。


「どうやら彼女は朝日は殺すつもりはなかったようだからね。なにかあったら、朝日を逃すために隙ができるだろう」


 そんなことを言っている間に、あたりに霧が立ち込めてきた。

 濃霧の中、幻影のように洋館がたたずんでいる。

 いつの間にか戻ってきたようだ。

 少し躊躇したが、俺は西園寺に続いて館に入った。



 中に入ると、西園寺は早速定位置のソファに寝転んだ。

 そのまま、目隠しするように肘を顔に乗せて身じろぎをしない。

 眠ってはいないようだが、この人でも疲れることがあるんだろうか。

 ポツリとその声から無機質な、本を読み上げているかのような言葉が漏れた。


「その箱の中には疫病や犯罪、怒りや悲しみ、不幸などあらゆる災厄が詰まっていた」


 西園寺がそらんじるその言葉は俺も聞いたことがあった。

 たしか、パンドラの箱という話だっけ。


「起きてしまったことは不可逆だ。一度開いた蓋を閉じても、中のものは戻らない」


 ひとりごとのように西園寺はそう言う。


「ねえ、件。お前は」


 ふと、西園寺が言った。


恫喝どうかつか無視かどちらがいい?」


 今後の対応の話だろうか。

 すでにどちらもされている気がするんだが。

 俺は少し考えて、沈黙することにした。

 うん、どっちも嫌だ。


「はい、時間切れ」


 バッサリと西園寺は言う。


「姉妹の反応は正反対だったが方向性は同じだった。朝日は母の怒り、小夜は母の無関心に怯えた」


 クッと口の端を上げる。


「まったく、人間とはどうしようもない弱い生き物だよ」


 でも、そういう弱者にだって虐げられていい理由はないんですよ。


「あなたにはわからないでしょうけど」

 聞こえないような声で俺はそう言った。



 ーー


 町のはずれにある林の中で、一人の少女が呟いた。


「怯え隠れ、見てほしいと吠えた。これはそういう物語なんだよねえ」


 無邪気ないっそ幼ささえある高い声だった。

 口の端を曲げて、笑う。


夢路ゆめじさん」


 そこに朝日が現れた。


「思ったより早かったねえ。首尾はどう?万事うまくいった?」


 朝日はぎゅっと緊張しているように手を握る。


「……考えうる中では、最悪ではない結果でした」


 それは神父に告解する信者のようで。

 満足そうに少女ーー、夢路は微笑む。


「よかったねえ」

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