蓋※4

「み、見失った……」


 たいして体力のない俺はへたりこむ。

 学校を卒業してからここまで走ったことはなかった気がする。

 家を一周もしていないのに我ながら情けない。


愚図ぐず


 無表情ながらそう言われた。

 西園寺からの視線が痛い。


「まあ期待していなかったけど。あの少女の行き先に心当たりはあるかい?」


 朝日に向けて西園寺は聞いた。


「わ、わかりません。あれは誰なんでしょう……。私、怖いです」


 怯えている朝日が可哀想になる。


「そう遠くには逃げていないだろう。足跡を追ってみるとしようか」


 そういえば、少女は見た感じ靴も履いていないようだった。

 地面には足の形の跡がついている。


「で、でも危ないかもしれないですよ」


 少女は野獣のようだった。

 また襲われでもしたらたまらない。


「ここで非生産的な会話をしているよりずっといいだろう。それとも何かいい案があるのかな」


 西園寺はまったく気にしていないようだ。

 この人こそ何か身を守る術を持っているのだろうか。

 見ていてこっちが気になる。


「……行きましょうか」


 抵抗しても無駄なんだろうな、と思い俺は先に歩き出した西園寺についていくことにした。

 なんだろう。

 この人はときどき危うい。

 まるで、危険に自分から飛び込んでいくような感じがするのは俺の気のせいだろうか。

 俺は刺さったとげが痛むようなもどかしい気持ちになった。

 泥がついた足跡は少し開いた窓から家の中に続いている。


「……お母さん……!」


 そうだ。

 中には朝日の母親がいるはずだ。

 朝日が慌てて中に入っていく。


「朝日さん!ちょっと待って」


 俺も中に急いで飛び込んだ。

 部屋に入ると、そこは先程の居間でリビングマットで泥を落としたのか足跡は途切れていた。


「どこに行ったんだ……?」


 俺は焦る。

 人の気配がない。

 朝日の母親は出かけたのだろうか。

 だったらいいが。

 俺はため息をつく。

 西園寺は窓から入ってきて部屋を一瞥すると、棚の上で目を止めた。


「これは誰だい?」


 写真が額に入れて立てかけてあり、一目で見て双子とわかる姉妹が写っていた。

 朝日と先ほどの少女とは違う。

 だけど、どことなく似ている気がする。


「母と朝霞あさかおばさん……。母の、双子の姉です」

「おばさんは今どうしているんだい」

「ずっと前に亡くなったと聞いています。母がまだ若い時に」


 西園寺は顎に手をあてて、下に視線を向けた。

 そのまましばらく微動だにしない。


「あの……。西園寺さん?」

「今は、あの少女を見つけるのが先か」


 俺の一言で思考を中断したように、ぼそりと西園寺が呟いた。


「この家に隠れられそうな場所は?」

「特に……ないですね。押入れやクローゼットも基本的に開いてますし」

「見てもいいかい?」

「はい」


 西園寺の提案で俺たちは家を一周するように見て回る。

 家は平屋建てで二階はない。

 奥から、朝日の母の部屋、朝日の部屋、浴室、仏壇の間、客間、と見ていく。

 たしかにどの部屋も整頓されていて、隠れられそうな余計な置物もないので潜むのはまず無理だろう。

 年頃の娘さんの部屋を覗くのは気が引けたが、物が少なく片付いてすっきりしていてやはり収穫はなかった。


「この家、屋根裏は入れるかい?」

「あるにはあると思うんですが、人が通れるスペースがあるかどうかは……。私も母も入ったことないですし」

「上でも中でもないとするとしたら下か」


 カツカツと西園寺が歩き回る。

 気にしていなかったが、俺も朝日も西園寺を含めて土足で上がり込んでいた。

 そこまで気が回らなかった。


「す、すみません。後で掃除します」

「いえ、そんなお気づかいなく。私も汚してしまったのでお互い様です」


 朝日さんは大人だなと思う。

 構わず西園寺はさっさと歩いていく。


「家の奥まで行く時間はなかった。とするならこの部屋の周りか」


 まさか、それなりに(少なくとも一般の住宅よりは)広いこの家の奥までわざわざ行ったのは家の端まで行くのにどれぐらいかかるか確認するためだったのか。

 とすると、探すべき場所は窓から入ってきた居間の周辺になる。


「でもこんな見通しのいい場所で人が消えるわけ……」


 うろうろと歩き回っていた西園寺が何かを発見したように立ち止まった。


「なぜこの部屋には冷蔵庫が二台あるんだ?」


 台所には冷蔵庫が二台並べて置かれていた。

 それは一般的にみればおかしいことだが、たしかに一回見ただけでは疑問を持たなかった。

 家庭の事情は知らないが言われると妙だなと思う。


「一つは故障していて、動かしていないんです。捨てるのに手間もかかるので今は放置している状態で」

「じゃあ、電気も通っていないわけか」


 西園寺は急に冷蔵庫を押しはじめた。

 慌てて俺も手伝う。

 思っていたより軽く、すぐに場所を移動することができた。


「これは……」


 冷蔵庫の下には、小さな扉のようなものがあった。

 扉というより、開け口といったほうが正しいのかもしれないが。

 泥がついている。


「この中は?」

「食品貯蔵庫だと思います。使っているの見たことないですけど……」

「あかずの箱、か。ここにも秘密があるようだね」


 西園寺は扉の脇に立つ。


「開けてみるとしようか」


 西園寺は俺を手招いて、貯蔵庫の上をコツコツと拳で叩く。

 結局俺か。

 手をかけると、少し重かったがわりとあっさり開いた。


「これは……」


 思わず絶句する。

 人一人が通れるような通路があり、下に向かって梯子が伸びていた。

 まるで、ドラマか映画のセットのようだ。


「防空壕のようだね」


 西園寺はどこからか取り出したマッチをすると、火がついたそれを床に落とした。

 ぼんやりとしているが下から見える明かりは消えない。


「酸素はあるようだね。降りようか」


 俺のほうを黙って見ている。

 無言の圧力に屈する。


「……俺が先に行きます」


 金属製の梯子は手触りから錆びているようだが体重をかけても落ちる気配はなかったのでたぶん大丈夫だろう。

 俺に続いて、西園寺が降りてくる。

 そして、朝日も。


「朝日さんは上で待っていてもらっても。危険かもしれないですし」

「いや。ここは彼女の家なんだ。彼女にも来てもらおう」


 西園寺の声に朝日が返事をする。


「大丈夫です。私も行きます」


 よく考えたら西園寺も降りてきている今、俺と西園寺が行ったら朝日が上で一人になるのか。

 それは避けたいな、と思い俺は黙る。

 どれくらい降りたかわからないが、わりとすぐに下にたどり着いた。


「ここは……」


 天井が低い通路のようなところだった。

 どこに続いているんだろう。


「空襲があったときの隠れ場所であり逃げ道だろう。大戦中につくられたものだろうね」


 そのとき、上からガタンッと音がした。


「なんだ……」


 あたりが急に暗くなる。

 まさか。

 俺は急いで梯子をよじ登る。

 予想通りというべきか、扉が閉まっていた。

 なにか置いてあるのかいくら下から押しても、重くて開かない。


「閉じ込められたようだね」


 こんな時にも冷静に西園寺は言う。


「ど、どうするんですか」


 シュッと西園寺はマッチをもう一本点火した。

 淡い明かりがうまれる。


「とりあえず道伝いに歩いてみるしかないだろうね。外に出られるかもしれないし」


 そうして今度はさっさと歩いて行ってしまう。


「ちょっと置いていかないでくださいよ」


 俺は朝日にも急ぐように促した。

 西園寺、朝日、俺の順番で歩いていく。


「ここは……」


 西園寺は立ち止まった。


「な、なんだこれ」


 そこには鉄格子がかかった小さな空間があった。

 ボロボロの布にしか見えない布団、何かの容器がぼんやりと見える。


「地下牢か」

「地下牢って……。普通の家にこんなものが……?」

 西園寺と俺は朝日を見つめる。

 彼女は俯いていた。


「どうやら普通の家じゃなかったようだ」


 その時、もぞりと部屋の隅の影が動いた。


「あっ……」


 先ほどの少女だ。

 俺は思わず後退る。

 その時、声がした。


「朝日」


 俺たちが来た道の反対側に懐中電灯を持った朝日の母親が立っている。


「なぜあなたがここにいるの」


 表情からすると動揺しているようだ。

 次の瞬間、俺は寒気を感じる。

 朝日の母親が赤いもやに包まれているように見えた。

 赤い色が母親を覆い尽くさんばかりに、だんだんと濃くなっていく。

 脂汗が滲んだ。


「だめ、だめだ……」


 俺は歯を食いしばる。

 ああ。

 このままじゃこの人は「死んで」しまう。


「何か、見えたかい?」


 囁き声にハッとすると西園寺が冷笑している。

 その目は暗がりで金色に光って見えた。

 夜の暗がりで、猫に出会ったように。


「あ……」


 俺は言葉を喉に詰まらせる。


「役者は揃ったようだね」


 西園寺は一同を見渡した。


「説明してもらおうか。僕をここに呼んだ理由について」

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