人※5

「あなたは何なんですか?」


 俺の口から、そんな言葉が漏れた。

 気がつけば小川の傍に立っている。

 道にはどこまでも桜が並んでいる。

 まるで、夢幻の景色だ。


「僕は鬼だよ」 


 凄惨せいさんわらって。


「君がくだんであるように」



 鬼。

 背筋が凍るような美しい人外。

 それに俺は対峙たいじしている。

 何故だかそんな非現実的な言葉にひどく納得してしまう自分がいた。

 矢張り、目の前にいるのは人ではない。


「恐ろしいかい」


 面白がる口ぶりで西園寺さいおんじは言う。


「人でない僕が。でも、僕から言わせると人のほうがとても醜悪に思えるけどねえ」


 唇が左右に裂ける。


「君は何というか普通だ」


 西園寺は俺をそう評価した。


「顔も平均的、運動神経は悪い、性格はまあお人好しで損をしているかな。自分で出来る以上のことをしようとするから酷い目にあう」


 蛇のような、鋭い目で俺を見て。


「死ぬよお前」

「……」

「そのうちね」


 ククッと喉を鳴らす。

 酷薄に。

 冷徹に。

 耽美に。

 俺はなんとか立ち上がる。


「どこに行くんだい?」

「……帰ります」

「帰れると思っている?」


 現実に帰れると思っているのか、ということか。

 桜が、舞う。

 非現実と現実と。

 その差はひどく曖昧で。

 足元が崩れ落ちるかのような不安定さを感じる。

 とどまるのを恐れるかのように俺は一歩を踏み出す。

 もう、一歩。



 家は、すでになかった。

 一人暮らしをしていたアパートが燃えて、文字通り焼け出された。

 住み込みのバイトはすぐにクビになった。

 思えばこれまで何の仕事をしても長続きしなかった。

 要領が悪く、愛想を振りまくのも苦手で、不器用で。

 平均を目指してただ歩いてきたのに。

 それに加えて俺はただの人ではない。

 死が、視える。

 死期が迫った人がわかるのだ。

 人から目をそらして生きてきた。

 こんな不気味な力を持っていても何の役にもたたない。

 それならいっそ、と思ったこともあった。

 だけど、踏み切ることも出来ない。

 だから、なく歩いている。

 帰る場所なんて、行く場所なんてないのに。

 俺は死んでいないけど、こんなの生きているともいえないと思う。



けん


 そう呼ばれて思わず振り向く。

 その名前を呼ばれたことは久しくなかった。

 どうしようもないことに名を呼び合うような親しい人間もいなかったからだ。


「なん、ですか……」


 細く長い指で西園寺は手招きした。

 鬼のいざない。

 俺は幻術にかかったかのようにふらふらと近寄っていく。

 あと一歩というところまで近づいて。

 膝を、思い切り蹴られた。


「……っ?」


 声を上げる間もなく、無様に俺はつまずいた。


「なにする……」


 不平を言おうとしたところで首を掴まれる。

 顎を無理やり反らして、西園寺は言った。


「忠犬ぶりだけがなかなか好ましい」


 目を細めて西園寺は俺を見る。


「君は僕が刺されるのを止めようとしたね。あの程度では僕は死なないけれど」

「……放してください」


 その言葉を聞かないふりして西園寺はニヤニヤと笑うと俺に囁いた。


「その能力持て余しているんだろう。よかったら僕のところで助手をしないかい」


 懐から名刺を取り出して俺の手に握らせた。

 顎がやっと解放される。


『探偵 西園寺君明』


 そっけない書体でそうとだけ書いてあった。


「探偵……?」

「そうだよ。主に警察だけで解決できない事件を請け負っている」


 警察だけで解決できない事件。

 凄惨な結末を迎えた男のことを思う。


「さっきの男は暴力事件で目をつけられていてね。あと、事故による殺人を犯していたことは最近知ったんだけど」


 西園寺は手を振ってみせる。


「僕は人間の罪を明かす。罪があればそれがいつか追いかけてくる。そうして返ってくるんだ。どこにいようと関係なく、ね」


 白い肉を思い出した。

 あれは、事故で死んだ子供の霊だったのだろうか。

 霊、といえるのだろうか。

 そう言うにはあまりに醜悪な人間の執念を感じた。


「僕はあの男を追いかけていたんだが、正直どう追い詰めるか考えるのが面倒臭いと思っていたらそこにお前がいた」


 残念なものを見る目で俺を見る。


「見事に絡まれていたね。あそこで死んでいたほうがマシだったかな?」

「そ、そんなことは……」


 ない、と言おうとして。

 今度は西園寺が膝をついて僕を真正面から見た。


「死んでいたほうがマシだったというような、茨の道を歩くことになるかもしれないよ」


 それは俺の覚悟を試しているかのようで。


「この手をとるかい」


 さあ、どうする。

 そう言われた気がした。

 俺に残された選択肢はこのまま生温い死んだような日々をどうにかやり過ごすか。

 地獄への道行きだとしても、生きるために戻ることのできない道を進んでいくか。

 俺に、どうせ行き場はない。

 それならいっそ。

 灰色の日々より鮮明な地獄を。


「ようこそ」


 鬼の目が妖しく光る。

 俺はどんどん現実から離れていき。

 花吹雪の舞う、暗闇へと堕ちていった。

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