大丈夫!私のことは気にせず、婚約破棄して先に行って
たまに考える。
あの時、婚約破棄されて本当によかったな。
そうでなければ、今こうやってぼんやりすることも出来なかったと思うから。
前世の記憶がよみがえったのは、私が14歳の時だった。
ここが、前世で流行っていた少女小説の世界で、私が主人公をめちゃくちゃに虐めて、婚約破棄を言い渡された挙句に国外追放を言い渡される、いわゆるバッドエンドな人生を送る悪役令嬢だということも、この時に知った。
そして、主人公を虐める原因になったのが、婚約者の男だということにも。
婚約者の拘束があまりにも厳しく、ストレスになっていた悪役令嬢は、そのはけ口に主人公を選んだ。理由は、平民出身で虐めようと何をしようと、誰にも咎められないし、怒られることも、相手の親から仕返しを恐れる必要もなかったから。
前世の記憶がよみがえった今では、いくらなんでもそれで、虐めるのは主人公がかわいそうすぎる。と思っていた。今でもそうだが。
そんなわけで、無事に悪役令嬢は悪役令嬢らしく読者のヘイトを集めて、バッドエンドを迎える悪役令嬢に同情することもなく、ざまぁ展開を楽しめたというわけだ。
それはともかく。
悪役令嬢のストレスの原因である婚約者の男についてだが。
よくある国の中でも上級階級である伯爵子息である。
しかし、この男、とにかく執着がやばいのである。
というか、この時期に流行っていたのが「ヤンデレ」だったためか、この小説のコンセプトもおそらく「ヤンデレ」を意識しているものだった。
いわずもがな。
性格も重ければ、行動も重い。
なにせ主人公を監禁までしてしまうんだから。
当時この小説を読んでいた私は、「こんな風に執着されるなんて良いなぁ」とか「監禁もの好きだなあ」なんて、軽く楽しみながら読んでいたのだが、これ実際にやられるとかなりキツいのである。
フィクションだから楽しめるのであって、ノンフィクションでやられたいかというと、…イエスと答える人間は稀だろう。
例えば、私が学校の廊下を歩いていると、婚約者の男が友人と会話をしていた。
私には関心のない話で盛り上がっていた上に私とは、あまり面識のない人たちだったので、私は挨拶だけしてその場から立ち去ろうとした。
「ラルダ。どこに行くんだ」
「少し図書室に」
「では、僕も行こう」
「……でも、ご友人との会話が途中でしょう。私のことはお気になさらず」
「しかし、僕は君の婚約者なのだから。一緒にいるべきだ」
「婚約者だからといっても四六時中一緒にいる必要はございませんでしょう」
「君は、僕のことが嫌いなのか」
「え?」
「だから、そんなことを言うんだ。君も父と一緒で僕のことが嫌いなんだろう!そうさ!僕はどうせ妾の子なんだから!僕の血は汚れている!君のような優秀な純血の貴族ではないのだからな!」
「いえ。そんなことは…」
「ラルダ。そんなことをしては彼が可哀そうよ。いくらあなたがクラーク家の人間だとしても、生まれのことを批判する権利はないと思うわ」
「誰も生まれのことなんて言ってないじゃない…もういいわ。一緒に行きましょう。トム」
「ああ!」
とまあこんな感じである。
なんか、自分は悲劇のヒロインとでもいうかのように、言ってもいないことを言葉に盛り込んで、勝手に盛り上がっている男っていうのが、私から見た感想。
小説を読んでいるときは、そんなこと思わなかったのにな。
悪役令嬢の婚約者の男。名前はトム・ハリス。
この男は、伯爵家の育ちではあるが、伯爵夫人と妾の間にできた子供という設定である。
しかし、伯爵夫人は伯爵家に嫁いできた身であるため、伯爵家の血が混じっていないという。優しい伯爵家の当主は、夫人のことも子供であるトムのことも責めたりはしなかった。しかし、それは当主だけの話。ほかの人間たちにトムのことは受け入れてもらえず、家の中で虐めがあった。
そのことに心を痛めた当主が、ならばと考えた結果が私との婚約の話だったというわけだ。
私の家もまた同じ伯爵の身分。一応は名家と呼ばれているので、そんな家と結婚出来ればトムも虐められずにすむと考えたのだろう。
しかし、このトム。私に見捨てられれば、また虐められると思っているのか、もしくは依存気質なのか、私をとにかく束縛してくるというか、行動を共にしているというか、監視している。
逐一、何をしていたか、どこに行っていたか、誰に会っていたのかを確認してくる。
うっとおしいやつなのである。
ちなみにこの男の攻略方法は、
・優しくすること。
・拒絶しないこと。
・とにかく一緒にいること。
・成績をあまり上げないこと。
である。
この成績をあまり上げないことっていうのが、そこそこ難しい。
私の家は成績を報告することを義務付けられている。
おまけに一応は伯爵家なので、幼少期から様々な教育を受けているため、普通に成績優秀である。
トムは、幼少期から苛めを受けていたために教育を受けていないため、優秀な人間にコンプレックスを抱いているらしい。
運動も苦手なトムは、成績優秀、運動神経も悪くない、顔立ちも整っている私が、コンプレックスを刺激してならないらしい。
とにかく私が授業の復習やら予習やらをしているとすぐに「勉強なんて出来なくていいんだよ」「女の子なんだから、頭がよくなくても生きていけるじゃないか」なんて言ってくる。
―お前の言葉こそハラスメントだよ!
ってどれほど叫びたかったことか…。
そんなわけで、小説内のラムダこと私は、八つ当たりで主人公のことを虐めていたが、ふと私は思った。
虐める必要なくね?って。
だって、出会いさえお膳立てしてしまえば、勝手に主人公と私の婚約者は惹かれあうのだから。優しくて、可愛くて、運動は苦手なちょっぴりドジな女の子。
生まれも平民で、態度や言葉を相手の顔色伺いながら、聞く必要はない子。
そんなトムにとって誂えたような女の子。
トムのいうことは何でも聞いちゃう女の子。
そんなのトムにとっては劇薬すぎるんだから。
「ラルダ!今日は、君に話がある」
この世界の主人公がこの学園に転校してきた。
それから半年。
私とトムは、まったく話をしていない。
顔だって見ていなかった。
それがいきなり現れての、このセリフ。
ついに小説でも屈指の名シーンが来たのだと。
悪役令嬢を断罪する、あのシーンが。
「お久しぶりね。トム。あれだけ私に付きまとっていたあなたが、最近見なくなったものだから、てっきりこの学園からいなくなったのかと思っていたわ」
「馬鹿にするなっ!僕の成績が悪いから追い出されたとでも言っているつもりか」
「そこまでは言ってないわ」
「今日は、君に話があるんだ…今日こそ、アンナに謝ってもらう」
「あら。そちらのお嬢さんは…」
「っ!」
私がこの世界の主人公…アンナ・リデルに目をやると、分かりやすくおびえた様子を見せた。
アンナは震えながら、私の視線を避けるようにトムの背中に隠れた。
そんな分かりやすい怯えた様子は、トムの庇護欲をくすぐったらしい。
そうね。まるで小動物が巣穴に隠れるようで愛らしいもの。
トムは威勢よく彼女を守るように抱きしめ、私を見つめた。
「彼女を虐めるのはよせ」
「虐めてなんかいないわ…そうよね…えーっと」
「……アンナです」
「そう。アンナさん。私があなたをいつ、虐めたというのかしら」
「君がアンナを虐めているのは知っているんだ!しらじらしい真似はよせ」
「私がアンナさんを虐める?そんなことする必要こそあるのかしら。それに私とアンナさんが一緒にいるところを見たの?見てないでしょう」
このセリフは、そのまんま小説のセリフだが、今回は少しばかり状況が違う。
そう。私は主人公を虐めていないのである!
アンナの名前すら私は知らない体だ。
「虐めている場面を見られるわけにはいかないもんな」
「だから、虐めてなどいません。それにアンナさんとは初対面ですわ。名前だって知りませんわ」
「嘘だ。君が僕に教えたんじゃないか。半年前。僕に平民の子が転校してきたと。君が彼女を見て、僕にそういった」
「そうだったかしら…」
「アンナを虐めている証拠だってあるんだ!」
確かに私は、アンナが転校してきたとき、トムに教えた。
平民の人間が転校してきたと。
しかし、貴族の人間がたくさんいるこの学園で、彼女は大丈夫かしらと。虐められるんじゃないかって。言葉をトムに言った。
その言葉を聞いて、トムは「自分と同じ境遇の子がいる」と認識した。
そして、見事、トムとアンナは仲良くなった。
しかし、私はアンナの存在をトムに教えただけだ。
決してアンナを虐めてなどいない。
だから、苛めの証拠なんてあるはずもないのだけど。
「これだ!」
「まぁひどい。誰がこんなことを」
「君だろう!君しかいないんだ!アンナだってそういっている」
破られたノート。
ぐしゃぐしゃに汚れた靴。
折られた万年筆。
古典的な虐められていると表す物品たち。
小説でも登場していた。
しかし、今回は本当にやっていない。
「私…見たんです。クラーク様がアンナちゃんのノートを破いているところ」
「あなた…」
意気揚々とやってきた一人の女子生徒。
見覚えがある。
私の父が買収した会社の一人娘だったかしら。
「私も見ました。クラークお嬢さまがアンナの靴を汚しているところ」
「あら」
またもや見覚えが。
確か彼女の一族が所有している博物館を私の祖父が買い取ったと聞かされた。
……本当にあるのね。
やってもいない苛めの主犯格にしたてられることが。
おじい様に言われたことは本当だったわ。
「ご安心なさって。私はやってないわ。証人がいるわ」
「「「えっ!?」」」
驚いた顔をするご令嬢たち、それにトムの顔。
「私、この顔でしょう?」
私の顔は、悪役令嬢らしく意地悪そうな顔立ちをしている。
性格は顔に出るというが、中身が変わってもこの顔は生まれつきのものらしい。
強いというか、美人なのだけど、強気な感じが顔に出てしまっている。
それが人によっては、意地悪そうな顔に見えるらしい。
おまけに日本人は、あまり表情を顔に出さないのが、今もしみついているみたいで、表情筋があまり動かないのだ。もちろん、全く動かないわけではない。笑うし、泣くし、怒ることだってある。しかし、どうも周囲にはあまり表情が動かないように見えるらしい。
トムにも、「今、どんな気持ち?」ってよく言われていた。
「よく勘違いされるようで、私も困っていたの。だから、常にお友達と一緒にいることにしたのよ」
「そ、そんなの苛めの証拠になりませんわ!」
「あら、そうかしら」
「ずっと一緒っていっても、そんなの人目を避ければできます!」
「でも、ノートに万年筆だなんて常にアンナさんが持ち歩いているものでしょう?私がどうやって彼女から奪えるというのかしら」
「それは、ご友人の方々と一緒に虐めれば…」
「あら。それはそうかもしれませんわね。…ねぇアンナさん。あなたいつ、ノートと万年筆を取られましたの?」
ずっと黙っているアンナに声をかけると、彼女はビクッとした。
まさか、アンナの話をしているというのに、当の本人に話を振らないわけないじゃない。
「あ、あなたに無理やり…」
「私に無理やり?そのとき周りに人はいまして?」
「え…えーっと…」
アンナはあからさまに動揺した。
だって、私は取っていないんだもの。
嘘は言えないわよねぇ。
「い、いませんでした」
「いつ取られましたの?時間は覚えていて?」
「そ、それは…」
「そんな詳しいこと覚えているわけないじゃないか!」
「あら?覚えていませんの?日付をメモしておくことも証拠になりますのに」
「ラルダがアンナの持ち物を奪った。あまつさえ、その持ち物を壊したんだ!アンナの心を傷つけるために、わざと!」
「じゃあ、それはいつ壊れましたの?どこで、その壊れたものを見つけましたの?」
「……」
この問いにも答えられないなんて。
いささか詰めが甘いんじゃありませんの?
「お話になりませんわね。私が苛めの主犯格という証拠は、いったいどこにありますの?」
「これです」
そう見せてきたのは、写真だった。
私の後ろ姿…に、よく似せた人間がうつっている。
「ほら。ここにあなたがうつっている。その手にはアンナのノート。ほら、ここ!まだあるわよ!ほらっ…」
「写真を撮る暇があれば、止めるべきでは?」
「認めるのねっ!?自分がやったと」
「いいえ。これは疑問ですわ。普通の人間であれば、友達の持ち物が壊されているというのに、悠長に写真を撮るなんて、あまり上品な趣味とは言えませんわね」
「あなたと違って、私の家は強くないの。みんながみんな、誰かに面と向かって止めることなんて出来ると思わないで。だから、証拠がいるの。直接言っても、あなたを止めることはできないもの」
「…まぁ気持ちは分かりますわ」
直接、誰かに何かを言うことが怖いというのは分かる。
それが、悪いことを止めるということでも。
「でも、これは私じゃないわ。背格好は似ているけど」
「でも、あなたじゃないという証拠は、どこにもない」
「私だという証拠もね。…どの写真にも顔がうつってない。私だと、決めつけるには決定打が足りないわね。…それにこの夕日。私は、最後の授業が終わったらすぐに友人と帰っていますの。ですから、これは私ではありません」
残念だわ。
小説の中では、確かに私こと悪役令嬢が写真に写っているはずだった。
しかし、私は小説の人間ではない。
だから、写真を撮ることができなかったのだろう。
この写真の人間は代役。
「そんなの…」
「ラルダ。君がアンナを虐めていることは、絶対なんだ」
「絶対?」
なんだか大げさすぎる言い方だ。
「僕たちはあきらめない。君がアンナを虐めている証拠をまた集めてから来るよ」
「あら。私のことはもういいの?」
「行こう。アンナ」
「あなたの婚約者は一体誰なのかしらね」
私を睨んで立ち去るトム。
アンナを守るように囲っている女子生徒たち。
そして、トムに肩を抱かれながら泣いているアンナ。
場面だけを見たら、小説の名シーンなのに。
状況だけが違っていた。
僕は、ずっとラルダのことが嫌いだった。
いつだって内心では僕のことを見下しているのだろう。
僕を見つめる視線は冷たく、表情一つ変えない鉄仮面。
僕の内に流れる血が、自分とは違うと知っているような顔だった。
父は、ラルダと結婚すれば、僕は誰にも虐められないと言っていたが、それは嘘だった。
僕は、精神的な虐めをラルダにずっと受けていたのだ。
「ラルダ嬢がお前を虐めている?」
「はい。ラルダは、僕のことが嫌いなのです」
「例えば、どんなことをされたんだい?」
「はい。先日の期末テストで、ラルダはわざわざ僕がいるときに、張り出されている順位表を見ていたのです」
「うむ?」
父の怪訝な顔に僕は頷いた。
「あの子は、僕を見下していたんです。僕は、幼少期からきちんとした勉学をしてこなかったから、テストの点数も満足にとれないと。だから、低い順位にいる僕を嘲笑っていたんです」
「ほぉ」
「彼女は、僕の顔を見ませんでした。でも、僕は知っているんです。だって、周りだってラルダのことを褒めていたから。ラルダはすごいって。でも、婚約者の僕は…って。あの子は、僕を比較の対象にして、いつだって周囲の笑いを取っているんです。嫌なやつです。どうです。これが苛めでないとしてなんだというのでしょうか」
「…トム。お前が自身の生まれにコンプレックスを抱いているのは知っている。生まれてくる命に貴賤はないというのに、幼いお前の心を傷つけてしまった事実がある。その傷はいまだ癒えていないということも私は知っている」
「?…ええ。僕は傷つけられてきました」
「だが、ラルダ嬢はとてもやさしい子だ。それにお前の生まれについてだって知らない」
「知らないわけがないでしょう!僕の生まれのことは、いつだって誰かが噂しているんだ!そりゃあ貴族にとっては笑い話だ。高名な伯爵家から、わけもわからない血筋の子供がわが物顔で伯爵の名前を語っていたら、そりゃあ面白いだろうさ!本人がどんな人間であろうとね!」
「トム。考えすぎだ」
「違う!お父さんだって、僕のことが嫌いなんだ。この家を捨てたあの女の妾の顔にそっくりなこの僕が」
「トム。落ち着きなさい」
父が僕のことを抱きしめてくる。
しかし、僕の怒りは収まらない。
僕は父の腕を振りほどいて、めちゃくちゃに暴れた。
僕は、怒っているのだ。
「僕は、一生不幸なんだ。ラルダと結婚したら、きっとずっと虐められる。僕は、ずっとラルダの尻にひかれ、顔色を窺わないといけない人生を送るんだ!」
「……トム」
僕は、泣き喚いた。
父は、その間、ずっと無言だった。
「分かった。トム。私が何とかしよう」
「お父さん?」
「大丈夫だ。トム。私はお前を愛しているよ」
「じゃあ、お願いね。あとは頼むよ。それと、クラークの教育はどうなってるんだって抗議もしておいてくれないか。ラルダの態度はあまりにもなってなさすぎる。あんな子が伯爵令嬢だなんて、笑ってしまうと思わないかい」
「……トム。お前は私のことを愛しているか?父と思ってくれているか?」
「お父さんが、僕のことをどう思っているかなんて、分かり切ってるだろう」
僕はそう言って、父の部屋を出ていった。
ああ。胸が痛い。
心が張り裂けてしまう。
早く彼女の顔を見たい。
彼女の声を聞きたい。
僕をいやせるのは、アンナだけなんだ。
アンナを見た瞬間、僕の運命の人だということが分かった。
「あの子、噂の転校生の子ね」
その日の学園は少しだけざわついた雰囲気があった。
季節外れの時期、新入生たちもすっかり学園に慣れ切っていたころ。
アンナはこの学園にやってきた。
貴族や金持ちの子息ばかりが通うこの学園で、彼女は少しばかり浮いていた。
「あの子、ほかの子と毛色が違うね」
「平民の出らしいわ」
「どおりで」
「でも、お父様が確か……」
平民の出。
周囲から浮いている存在。
僕と同じだ。
彼女は、僕の番なんだ。
~完結~
なーんて、思っていたんだろうな。トム。
何が僕の番だ、だ。
番って言葉に昔の私は、ときめいていたな。
今も少しだけ憧れがあるけど。
よく考えてみると、トムって性格悪いのよねぇ。
自分は見下しているくせして、他人に見下されるのは大嫌いだっていうプライドの高さ。
主人公が平民だっていうだけで、好意を向けてくる厄介さ。面倒さ。
今はもう関係ないのだけど。
トムは、自分が周囲となじめないなんて泣き言をよく洩らしていたけど、彼、少しヒステリックなところがあるからだろう。変なところでスイッチが入って、いきなり叫びだすのだから、上品なご友人は面喰ってしまうのだ。
確かにいきなり話していて、話が吹っ飛んだかと思えば、叫びだすのだもの。怖いわよね。
しかも、彼かなり被害妄想が激しいというか、今の話で、そんな風にとらえるか?ってたまに思えるくらいにネガティブなんだもの。
疲れるわ。
おまけに私のことを虐めの主犯格にしようとしていたし。
何かあるとすぐに私を悪者扱いするんだもの。
小説の世界では悪役令嬢だから、それに引っ張られているのかしら?
でも、もうそれもおしまいね。
「ラルダ。君とは婚約破棄をさせてもらう」
小説の名シーンその2。
学園の卒業パーティで、悪役令嬢ラルダは、婚約者の男に婚約破棄を言い渡されるシーンだ。
「あら。ずいぶんと急なお話ですわね」
「君には、もううんざりなんだ。僕はついに運命の人と出会い、恋を知り、愛を知った」
「トム……」
うっとりとアンナがトムを見つめている。
二人は、会場の空気も私の視線も気にせずに、長いこと見つめあっていた。
「こほん。それで?話を進めていただいても?」
あんまりにも長い時間見つめあっているので、私の存在を忘れてしまったらしい。
ハッとして、こちらを見たかと思えば、照れながら二人で笑いあっている姿に、少々イラっとした。ええ。いくらでも仲良くしてくださってかまいませんよ。
場所と時間を考えていただければね。
このシーン終わったら、いつまでも二人でいちゃいちゃしてもらって構わないんで、早く話進めてもらってもいいですか?
内心、そう思っていることはおくびにも出さずに、私は二人に笑いかける。
こちとらお前らに構っている暇なんてないんだよ。
「そうですよ。兄さん。早く話を進めてもらってもいいですか?」
そういって私の肩を抱くのは、トムの弟、アルトである。
「アルトっ!?お前なぜそこに」
「そんなのどうでもいいんで。それで?話を続きをしてもらってもいいですか?」
「……ああ。ラルダ、君とは婚約破棄を」
「その話はもう聞きました。それで?そのあとは?」
「うるさい!僕に指図するな!」
「なるほど。話の続きはないんですね。じゃあ僕のほうはあるんでいいですか?」
「お前が僕に話をすることなんてないだろ」
「いいえ。皆さん聞いてください。ラルダ・クラーク嬢とトム・ハリスは本日をもって婚約破棄をしました。そして、このたびラルダ嬢の新しい婚約者は、この僕。アルト・ハリスになりましたんで!ラルダ嬢を狙っている殿方は、諦めてくださーい!」
「「は??」」
見事にトムとアンナの声が重なった。
そりゃそうだろう。
アンナの本当の相手は、アルトなんだから。
「ど、どうして?アルトは私の相手なんじゃないの?」
アンナの戸惑った声が聞こえた。
その言葉にトムが「それはどういうことだ!?」と怒り狂っている。
小説のあらすじとしては、アンナはトムの愛情に疲れ果てていた。
度重なる執着。挙句の果ての監禁。
アンナは涙した。
あの優しかったトムはどこに行ってしまったのか。
私は、ただ一緒にいたいだけなのに。
笑って泣いて、一緒にいたかっただけなのに。
そこを颯爽と助けてくれるのが、弟のアルトだった。
アルトは正真正銘の伯爵の子供。
伯爵は、あんな優しい顔をしていながら、自分の妾を持っていた。
だから、自身の元妻のことも責めなかったし、その息子のトムも責めなかった。
妻に逃げられた後は、その妾が本妻の座につき、アルトもまた伯爵の息子としてトムと生活を共にすることになった。
それが、トムの血筋コンプレックスに火をつける羽目になり、…とまぁ、いろいろあった。
その色々には小説の主人公アンナとの出会いやらなんやらも含まれていたが、この世界線では、アンナとアルトの出会いはなかった。
私と一緒にいた友人というのは、アルトのことだった。
だから、私がアンナと正式に顔を合わせたことも挨拶もしたことがなければ、アルトもまたアンナと出会うことはおろか、挨拶さえまともにしたことがなかったのだ。
「あ。それと兄さん。よかったですね。兄さんは、もうコンプレックスに悩まされることはありませんよ」
「ど、どういうことだ」
「父さんから、もういいってさ」
「もういい…?」
「伯爵の身分がそこまで負担になるのであれば、親元に帰すといっていました」
「親元?…まさか…」
「はい。あなたの母親…と言いたいところですが、あなたの本当にお母さまは残念ながら行方不明だそうで、本当のお父様があなたを引き取ってくださると。よかったですね。この町は雑音が多いといつも言っていましたし、田舎に住みたいともおっしゃっていたましたね。あなたのお父様が住まわれているところは、田舎…といっては言葉がよくないでしょうか。農作業をされているそうですよ。僕も行ってみましたが、ごはんがとてもおいしいところでしたよ。よかったですね。家のごはんは、口に合わないといつも癇癪を起していた兄さんには、天国かもしれません」
怒涛に流れる情報の多さにトムは、すっかりパニックになっているようで、呆然としている。
「まとめますと、あなたは平民になるということですわ。ごはんもおいしい。田舎暮らしにあこがれていたあなたには良いお話ではありませんか。新天地での再出発。素敵ですわ。上手くいきますよう、私もお祈りいたします」
「そんな……」
トムは、いつものようにヒステリックになって叫ぶかと思えば、何も言わずにただ黙って膝をついた。
「私は!?私は伯爵夫人になれるんじゃないのっ!?」
「伯爵夫人にはなれなくても、トムの妻にはなれますわよ。よかったですわね」
「良くないわよっ!アルト!助けて!」
「僕、君を助ける義理なんてないんだけど」
「そうだっ!」
トムがいきなり立ち上がり、アンナを抱きしめた。
「そうだっ!僕とアンナは結婚できるんだ!」
「え?」
アンナが状況をつかめずに、目を白黒させている。
トムの顔は、見たこともないほどに輝いている。
目なんかもうすごい。
「僕と君がいれば、どんな場所だってかまいやしない!むしろ、こんなところにいては、君を盗まれてしまうかもしれない」
「盗むって…」
「その田舎がどんなところかは知らないが、住民は少ないのだろう?アルト、どうなんだ」
「…辺鄙なところでしたので、まぁ…」
その言葉に余計にトムの顔が輝いていく。
そうだ。トムって最終的に主人公のことを鎖で繋いで、監禁するんだっけ。
田舎なら、やりやすい…とか思っているのかもしれない。
「いやっ!私はそんな田舎イヤっ!」
「アルト。お父さんは僕のことを祝福してるんだろ?じゃあ家も頼めば建ててくれるだろうか」
「え?いや…さぁ…」
「ご祝儀といえば、くださるんじゃない?あなたには甘いもの。伯爵」
「そうか!そうと決まればさっそく行こう」
「いやっ!いやぁああああ!!!」
―バッチ―ン!!!
トムの平手がアンナの頬に炸裂した。
大きな破裂音が会場に響く。
アンナは呆然として、トムの顔を見ている。
トムは笑顔で「来るだろう?君が僕を選んだんだ。そして、僕も君を選んだ。わかるだろう」というと、呆然としているアンナを引きずるようにして、トムは会場を出ていった。
会場は異様な空気に包まれながらも、二人を見送った。
さすがは小説の主人公。
最後まで、彼らのステージだった。
「なにか二人にかける言葉はないの?」
アルトの言葉に私は笑って答えた。
「大丈夫!私のことは気にせず、婚約破棄して先に行ってくださいませ!」
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