第19話
◇
公衆電話から僕は記憶している携帯電話の番号を引き出しダイヤルを押した。僕が携帯電話の番号を記憶している中で真っ先に頼るべきなのは後見人というか母親代わりというか親友であり半身であり相棒の忠宗なのだけれども、現在僕が行動を共にしているのは僕を自殺に追い込んだ一派の、それも主犯である武田ちゃんであるので忠宗に連絡する訳にはいかない。
アイツなら僕の声色を聞いただけで傍に武田ちゃんがいるぐらいは看破するだろうし、そうなった場合は間違いなく伝統工芸科の連中を率いて虎心館・龍心館にカチコミをかけるぐらいはする。
なので、相棒の出番は無し。
携帯電話ではなくテレパスを使えと言われればその通りなのだが、この学校施設は霊力の反応を殊にキャッチしやすい。僕がテレパスを起動した際に発する微弱な霊力反応でさえ謀叛の証だとしてまたあの檻の中に入れられて素敵な拷問を受ける事になるのだろう。別にあの程度の拷問であるならば既に母親の虐待で経験していたのであれを拷問だと僕は認識していなかったのだが。それでも武田ちゃんが拷問だというのに対して「いいや、これは単なる嫌がらせだね」なとと嘯いたところで本当に嫌がらせレベルでしかない責め苦が拷問レベルに跳ね上がる危険性もあったので黙って受け入れていただけなのだけれど。
本当に拷問したいのであるならば金槌で指先を潰す程度の事は拷問だとは言わない。
僕ならば捕縛した女子を半裸に剥いて椅子にでも縛り付け、ムカデや毛虫、バッタやクモというような毒を持つ虫を身体中に這わせるぐらいはしただろう。
他にも捕縛した女子生徒を半裸に剥いて食塩水を頭から被せた後に電極を当てるぐらいは普通にしたかもしれない。それが出来ない時点で武田ちゃん勢力は女の腐った感情を吐露するだけの集団であると僕をガッカリさせたし、それは自分達から徳川康平は嫌われているんだよという身勝手な実情を教え込むだけの嫌がらせに過ぎないのだから苦笑も出ないというものだ。
しかしながら苦笑も失笑も出ないけれど付き合わなくては上杉さんが危険に晒されるとあってはどんなにつまらないお遊びでも付き合わなくてはならない。
ママゴトに飽きれば上杉さんは晴れて平坂信条館女学院に編入出来るのだから平坂信条館の生徒会長である僕がそれを放棄する事は出来なかった。出来なかったからこそ、忠宗に電話をかけるという行為は忌避しなくてはならない。
そして忠宗の携帯電話を手にする相手が忠宗本人でない場合はもっと深刻な事になるであろう。姉の稲穂さんであれば虎心館・龍心館は地図上から消える事になるだろうし、おばさんであれば全国各地から僧兵が押し寄せる事態に発展しかねないし、たまたま紛争地から帰還していたおじさんであるならば僕さえ無事では済むまい。
なので、重ね重ね相棒の出番は無し。
僕はもう一つの記憶している方の携帯電話にかける事とした。
コイツならば声色で僕がどういう状況下にあるのかを看破するぐらいはするだろうが忠宗とは違って加害者に積極的に関わらない人間であるのでそうした意味では安心する事が出来る。
潰れた指先でダイヤルを押したので公衆電話にはべったりと血糊が付着してしまったけれども、このご時世に公衆電話を利用する者など殆ど居ないだろうしアルコールを含ませた布巾か何かで拭ってくれれば綺麗になる筈だ。
何度かのコール音の後、ガチャリと電話に出たその人物は「はいはーいもしもーし?こちら新遠野市旧市街一区北・徳川剣術道場ですよぉ?こち亀みてえに言ってみたんですけど、どうでしたかぁ?」などと嘯いて応対してくれた。
平坂の癒しボイスがこの殺伐とした状況下においては本当に心休まる。
お姫様は律儀に僕の家で留守番をしている事が眼に浮かぶようであった。
「あれあれー?どちらさまでござんしょー?」
「マンボウより壮絶な人生を送る男だ」
「おおっ!これはこれは会長さん!ちゅーっす!」
平坂はいつもと変わらず挨拶してくれた。「公衆電話からの着信だったから誰かと思いました。そもそも考えるまでも無かったですね。私の携帯電話番号を記録ではなく記憶しているのは会長さん独りだけだという事実を失念していましたぁ♪」などというお姫様にはコッチの状況がまるで伝わっていないのであろう事が容易に想像出来る。つまりそれは、この学校のこの惨劇が世間に知られていない事を意味した。「学校というのは組織そのものが密室なんだよ?」そんな、とある臨床心理学者の言葉を思い出してしまう。
「どしたでげす?確か今は県内の生徒会長が一堂に集まる会議だったかリーダー研修会だったかで新市街の合併高校にいるんでしょ?会長さんのオウチは無事ですよ?温泉を引いているお風呂に入りたいってんで大奥のお友達もいーっぱい来てますから寂しくありませんし!」
「いや、そういう自分の家がどうとか確認の電話じゃないんだ平坂。ただ、そうだな、お前の声が聞いておきたかったってだけの電話なんだ」
「これはこれは!仲が良いのになかなかロマンスに発展しない系カップルである私達ではありすが、漸くその第一歩を踏み出したと言う訳ですね会長さん!」
「うん、まあ、そうじゃないんだけど。そんなモンなのかもな…」
声を聴いておきたかったのは事実だ。
そして何も伝えるべき事が無いのも事実。
拷問を受けて両手両足の指先が潰れてますとか、此処じゃ霊力が機能しないから神降ろしが使えませんとか、今僕を自殺に追い込んだ主犯核の一人と行動を共にしてますとか、何でそんな事をやってるんだってメインヒロインよりメインヒロイン然としたお姉さんみたいな女子を大奥に迎え入れる為だとか。
そういう彼是は、コイツには聴かせる必要が無い。
理事長から頼まれたというだけで、僕はこのリーダー研修会になんの価値も見出していない。
ただ、素敵な友達が増えるだけ。
ただ、太ももがエロい素敵な友達が増えるだけ。
日本男子、エロい太ももの為なら命懸けにもなろう。
「なんだか会長さん、消耗しているみたいな感じですね?大丈夫ですか?何やら両手両足の指先を潰されて、霊力が全く作用しないような空間に閉じ込められて、食事は腐った物を与えられて、片目を潰されて、それでこれから戦闘に向かうかのような感じがしますけど?」
「そんな事は無いよ。実に有意義なリーダー研修会だ。お前にも教えたいような事ばかりでな。人間として深みを増す事は間違いない。でも次の世代からはリーダー研修会に参加する必要はないだろうと記録しなくちゃならないな」
拷問されて、片目を潰されて、利き手の骨を折られて、そしてこれから断罪用の人工祟りと一戦行えとするリーダー研修会。
うん。
人間として深みを増す事ばかりだ。
このリーダー研修会を終えてそれでも人間が好きですと言える人間は余程のバカか感情が死んでいる人間であると断言出来る程には間違いなく僕という器は容量を深くしたのだろう。
「新市街の空気は如何ですか?会長さん、空気悪いとすぐに具合が悪くなるような程に抵抗力が無い青ビョウタンじゃないですか。扁桃腺は腫れてませんか?食中り、水中りは起こしてませんか?お水はキチンと沸騰させてから飲むようにしてくださいね?」
「いや新市街の水は其処まで不衛生じゃないんだけど。了解した。次に水を飲む時が来たら、沸騰させた物を飲むようにしよう」
飲まず食わずだとは言わない。
武田ちゃん達には前科がある。中学の時、僕の飲み物に農薬を入れたのがこの子達だ。
それぐらい攻撃性が強いのだ、この子等は。
他の人にやったらダメだけど、僕にだったらやっても良い。
そんな風に考えているのがよく解る。
何度打ちつけても膝を屈するだけで心が折れない僕を見て笑うような、女性特有の連帯感が直結する歪んでお門違いな正義感。案外、イジメ自殺事件においてそうした女子の集団での犯行というのは少なくないどころか多いものだ。そして警察に終わった事件を調べられて困ると騒ぐのは決まって犯人だけである。
誰もが知っている。そんな事は。
いつまで昔の事を言っているんだと騒ぐ者こそ、犯人であると。
私達は静かに暮らしていたいんですと声高に叫ぶ者こそ、犯人であると。
本当に清廉潔白ならば調べられても困る事は無い筈ではないのかと。
そう、世間は知ったうえで黙っている。
だからこの学校が行うリーダー研修会の事など、既に外部に漏れていると考えて良い。
漏れていたからこその僕の参加を理事長が決めたのだと思えば腑にすとんと落ちる。
「帰ったら、また一緒にラーメン食べに行こうな?」
「早く帰って来てくださいね?会長さんが居ないと面白くないんで!」
ピピーと、公衆電話がンベッと飲み込んだテレホンカードを吐き出す。その言葉はどれだけ僕には相応しくない言葉だったかを反芻しそして思い知る。
死にたがりで終わりたがりの僕を待つ者がいるなんて。
なんて滑稽で、なんて出来過ぎなんだ。
終った事にばかり気持ちが行ってて、これからを想う者の事を考える事が出来なかった。
変わらず其処で待つ者の、なんと大切な事か。家に帰って温かいご飯が出来ているを望むじゃないけど、「ただいま」の声に「おかえり」と返ってくる声があるならば。
それだけで戦う意味なんてのは充分じゃないんだろうか?
確かに今回のリーダー研修会は武田ちゃん達、虎心館の連中が言う通りに「徳川康平の強さはその絆で繋がった仲間がいる場合のみ。徳川康平単体ならば大した脅威にはならない」という主張はあながちハズレだとは言えないだろう。
確かに僕はそれほど優秀な人材ではないし飛び抜けた能力があるのだとするならば脚が少しだけ速くて剣道をチョロっと学んでいるだけに過ぎない。
そもそもこの学校では上杉さんの力が働いて神人は人間としてしか機能しなくなる。
けれど。
けれどだ。
確かに忠宗もキヨミンもカズホッチも虎の子の平坂も居ない。
更に伝統工芸科のすぐ死ぬ不良の顔役であるジョーも、底抜けに明るい運動部と底無しに根暗な文化部コンビであるオックーとイケイケダも、何より皆が大好き超絶変態イケメンのブタ君も居ないけれど。
狂犬とまで呼ばれた僕を相手に、随分と舐めた口を利いてくれたもんだ。
「なあ武田ちゃん。確認するけど、断罪用の祟りと一騎打ちってのが儀式だったな?」
「あぁん?何質問してんの?徳川くぅん?」
否定の言葉が無いという事はそういう事なのだろう。
一騎打ちなら、まだやり様はある。
多勢に無勢の嬲り殺しだった場合はどうしようもなかったが、まだ太古の時代に流行った決闘という様式ならば何とかなる。
神人じゃなくて。
独りの人間として、断罪用の祟りと仕合う事が罰?
おもしれえじゃねえか。
笑いたくて仕方が無くなる。
笑い飛ばしたくて仕方が無くなる。
だってそうだろ?
考えてみりゃ、僕を殺した加害者の最重要人物の一人がこうして僕の傍にいるんだから。
牙が届く範囲に、居るんだから。
気付かず、僕は武田ちゃんに言い放っていた。
それは自分でも驚く程に低く、そしてよく通る声だった。
「なら、その祟りを斬ったら。次はお前だ、武田心美」
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