第4話 

「脳科学と信仰というものは意図せずにリンクする事がある。私は此れを今研究していてね」

「良いんですか?幾ら素人とはいえ、研究内容を僕に話してしまって」

 理事長がこうして毎晩お酒を飲みに僕の家に来てくれるのは喜ばしい事だった。父親を早くに亡くした僕にとって父親との語らいみたいなのは経験出来なかったしその体験という意味でもそうなのだが、何より研究者から理論的に世界を説明されるという個人授業が好ましかった。

 打算的な意味で。

 世界理解は神降ろしの強化に繋がるのだ。

 お客様が理事長なので。勿論、提供するのは土佐の栗焼酎。

 理事長は此れのお湯割りを好んで嗜む。

 南部鉄器を利用した琉球アグー豚は皮付きのままジックリと焼いて塩と柚子胡椒で。

「デジャヴについて康平君は何処まで知っている?」

「似た記憶の混同であると記憶しています。初めて来た場所なのに何度か来た事があるような感覚であったり、初めて遊んだ友人なのに何度も遊んでいたような感覚がそれに当たる既視感。逆に何度も経験している事なのに初めてやったかのように感じる事をジャメヴと呼び、医学的にジャメヴは危険であると」

 既視感とはまた別に記憶の欠損に繋がるから、だったか。ジャメヴは一種の健忘症であると言われているが、神話や民話では妖精が経験や記憶を奪うからであるなんて伝承も数多く残っている。

 猿も木から落ちる、弘法も筆の誤り。

 この言葉が示すもの。

 それこそがジャメヴであると。

 確か、娘の方の平坂さんに習った。

「確かにそう脳医学的な見解でデジャブについては研究されているね。似たような経験が初めての体験と混じりあうことで脳味噌が認識の誤作動を起こす。他にもオカルト的な分野では並行世界での記憶を引き継ぐとか、前世の自分からのメッセージであるなんて学説もある。脳認知の誤作動。これが信仰とリンクする部分だ。例えば存在しない者を視るなんて力は脳が誤作動をしている訳だろう?ガシャドクロや猫車を視たという伝承はこの国にも多いが、それは伝承という記憶であり、正式な記録じゃない。けれども日本には沢山のオバケや妖怪が存在している。そして時代を調べてみるとね?そうした存在を視やすい人間が一定の時代に集まっていたという事が解かったんだ。これは研究者としてテンション上がってねえ!」

「研究対象の発見、おめでとうございます」

 テンションが上がっているのはきっとお酒が廻って来たからだ。

 しかし、そんな事を言うと泣き上戸の理事長は泣いてしまう。

 言わずが花。

 相槌を打たずとも喋るならば、此方は黙るが正解だ。

「その時代が何時なのかは流石に康平君であっても話せないんだが。こうは仮説立てられるとは思わないか?“その限定的な期間、人々は脳が誤認知をしやすい環境で生きていた”とね。この研究が進めば、妖怪がいつから概念体として存在している民間伝承の存在なのかが判明する。明確な記録の残る怨霊は元が人間だ。しかし、妖怪と呼ばれる存在にはその生まれた日日が解からないだろう?無論、それはその時代のクリエイターが集まって創作を皆で遣った結果であるという可能性もあるんだが…。大昔にそんな美大みたいな事をやってたとは考えにくいしね」

「良いですね、その切り口は」

 そうだろう?、と理事長。

 確かに本気で面白そうな研究であった。少なくとも妖怪が創作された年月が解かればそれは貯め込んだ疑念の古さを測定出来るという事に繋がるのだから、妖怪モードの不安定で不明瞭な出力の新たな計測方法として定着する可能性はあるかも知れない。

 勿論、正史に記録が残るような存在はその測定方法は不要であろうが_。

 誰もが日本三大悪妖怪を宿しているワケじゃない。

 伝統工芸科の友人達が宿す妖怪の出力値が判明すれば強大な祟りが現れた場合でも、己に与えられたロールがハッキリと視えて来るというものだ。自分がアタッカーなのかジャマーなのか、それを自ら理解する。本来、戦術ドクトリンとはそうやって形作っていくものだ。

「しかし、研究を進めれば進める程に不思議でね。まずは何故一定期間だけにそうした脳の誤作動を起こしやすい環境が産まれたか、なんだけど」

「宜しければ、推理しましょうか?」

 眼が点になる理事長。

 別に推理というほどのものじゃない。

 僕の勝手な想像が基軸だし、それを歴史の事実と符合させ照合させるだけだ。

「……出来るのかい?いや、確かに康平君は警察の申し子と呼ばれているけれど」

「理事長の研究に障りが出ないように僕も自説を仮定立てますけど。僕が宿した〈日本最強の怨霊〉は京の都の三分の二を焼くような大火を天皇家への激しい憎しみを理由に起こしています。そして百年も経たないうちにもう一度、京の都の三分の二を焼く大火を起こしてる」

 これが所謂、安元大火・太郎焼亡と治承大火・次郎焼亡だ。

 だから都に住んでいた天皇は武士に国を任せた。

 貴族の時代が終わったのは、大火という未曽有の大災害が続いたから。

 日本の中心である都をピンポイントで滅ぼすようなとんでもない災害が立て続けに続いたのだ。

 結果、貴族は公家として天皇を支える立場に入り、平民である武士が政治を司るようになった。

 鎌倉時代の幕開けである。

「ふむ、だからこその最強の怨霊だ」

「そんなのが立て続けに起きたら人々には畏れを抱く文化が根付きます。そして日本という国の場合、歴史が変わる節目には必ず大きな災害や戦が起こってる。畏れを抱かなくては祟り殺されると本能的に感じてしまうような時代の節目に成ってしまったわけです。僕はそんな時代と時代の継ぎ目こそが妖怪の産まれた原因であると推理しました。近代日本でも女性の顔を持ち牛の身体をしている妖怪が大戦中に現れたという伝承があるじゃないですか。あれもまた、人々が恐怖に支配され畏れを持ちやすくなった為だとすれば、強引ですが矛盾しません」

 眼が点になる理事長。

 そして点の眼のまま顔を近付け。

 驚きの言葉を発した。


「それ、パクって良い?」

「はあ?」


 やっぱり、あの娘の父親だった。

 世界的なバイオテクノロジーと民間伝承研究の権威が。

 眼を点にしたまま、僕ににじり寄って来る。


「康平君さぁ?それ黙っててくんない?私が研究したって事にしてさぁ?」

「いや、でもこんな穴だらけの推理を学会で発表する気ですか?最悪、物飛んできますよ?」


 きっと既に誰かが同じような事を解り易く発表している。

 田舎の高校生でも思いつくのだから。

 しかし、その田舎の高校生にすがりつく理事長。

「時代の継ぎ目ってフレーズだけでも使わせて!確かにそうなんだよ!件という予言の妖怪は歴史が変わるような戦の時にしか現れていない!脳が誤作動を起こし易いのが災害や戦による恐怖によるものだとすれば、脳内物質の何かが畏れに、そして恐れとデジャブに関係があるとも説明出来ちゃうんだよ!」

「件。人々を憂う表情をした美しい女性の頭部を持ち、肥えた牛の身体を持つ不死身の化け物ですよね。化け物というより聖獣に近いんでしたか。未来視が出来る為、凶事の前触れとして不吉な存在と呼ばれる事もあるようですけど…」

 しかしどう考えても聖獣に分類されるべきだろう。

 人々に悪さをするような存在ではないし、逆に人々を救おうとしている節さえ見受けられる。

 1930年代には牛舎で育てていた牛の顔が美しい女性に一瞬視えたと話している酪農家も少なくなく、そしてあの年代に軍事クーデターや戦争が起きているのも事実だ。


 一瞬、女性の顔に視えた。

 それは、デジャブの症状と合致する。


 ま、だからなんなんだという話でもあるのだが。

 何でも教訓めいた話にするのは僕の悪い癖であった。

「しかし、流石の康平君だね。決して多くない情報から矛盾の無い論理展開を行う、かい。君はお父上の跡を継いで白バイ隊に配属される予定だったと聞き及ぶが、捜査課の方が適しているんじゃないか?」

「デカの皆さんからは嫌われてまして。そりゃ祟りが係わった可能性があるというだけで事件を横から奪うんですから仕方がない事ではあるんですけど」

 警察というのは兎に角、プライドを重んじる。

 前時代的な組織といえばその通りになってしまうのだが、菊の御紋という掲げた代紋に傷が付くような事を何よりも忌み嫌う。この辺り、極道組織によく似ていた。

 仕事に誇りを持つ。

 それは素晴らしい事だ。

 しかしそれが閉鎖的で排他的に繋がっているのが捜査課。

 社会悪に対する。

 必要悪として。

 敢えて、そういう閉じた組織としているのは頭では理解しちゃいるが。

 聞き込みに行くだけでゴミ箱を蹴って物に八つ当たりするみたいなのは慣れない。

 恐らく、子供が事件を捜査している事に対してのポーズとして。

 そういう、嫌われ者を演じているのだろうけれど。

 それぐらい解かる。

 ま、中には本気で僕を嫌い、本気で僕を排除しようとするデカも存在する。

 その理由は僕じゃなく兄貴だ。

 交通課のアイドルであり、超絶お金持ちのスミレさんと結婚したから。

 その嫉妬というかなんというか。

 僕の品行、全くの無関係。

 いい迷惑だった。

 ブガッティ・ヴェイロンを日常の足にしているような交通課の婦警である。

 僕なら恐くて近付けもしないが。

「他にも重度の統合失調症患者が視ている世界こそが百鬼夜行であるとする文献も存在するね。百鬼夜行とは世界で言うところのクリフォトだ。ただ異界ではなく現実世界に存在しない者を認知しているだけで、百鬼夜行を視た者は自分が魔界にいると勘違いするのは仕方がない」

「それ妖怪だけでなく、絵画で有名なのがゴッホになりますよね。彼は生まれた時から他の人間には視えない『光の森』という世界が視えていた。だからこそあの色彩を使えたのだろうと思いますし、だからこそ友人のゴーギャンは生まれながらの画家だとゴッホを評しています。精神の異常こそ信仰世界への扉なのだとすれば、僕等が宿した神降ろしもまた、心の傷に信仰を与えた結果になるわけですし」


 過去と未来のどちらかに行けるチケットを神様から貰えたとして。

 きっと、大半の人間は過去に戻りたがる。

 そして、あの時、あの場所で。

 やり直そうと、する筈だ。

 そんな心の傷に応じた神様を宿すのが神降ろし。

 これもトラウマという精神異常が、信仰世界と繋がったのだと言える。


「統合失調症やPTSDは胸が痛んだとしても脳の病だ。機能不全が正しいかな?あまりにも強い痛みが原因で痛みを浄化出来なくなり、心の浄化槽が壊れてしまった状態。洪水の際に断水になるのは押し寄せる濁流が浄化機能を超える為だからね。ということはだ、痛みの質ではなく痛みの量こそが問題なのかもしれないなあ…」

「だから戦争や災害、それとイジメや家庭内暴力などの『逃げる事が出来ない、耐えるしか許されない環境』が原因になるって事なんでしょう。神降ろしもそれが理由だという生徒は少なくありません。僕を含めて」

 辛口の栗焼酎にはコックリとした旨味のアテが良い。

 焼カボチャのバター仕立てを皿に盛り、ハチミツをかけて御賞味頂く。

「此方、焼き芋のようにアルミホイルに包んだカボチャにバターとグラニュー糖を入れ、シナモンとクローブと一緒に焚き火で焼いたものです。この時期、伐採したサクランボの枝を焼くのが農家の重労働になりますので忠宗と一緒に伐採した枝を貰ってきました。カボチャは旬ではないですが、これはカボチャを切って包むだけであとは火が消えるまで放置で出来ますから」

「甘いアテとは珍しい。康平君も蒸留酒には甘さがマッチすると知ったと御見受けする」

「加藤の母親が救急隊員ですので野焼きも敷地内であればと許して貰いました。それと加藤のオバちゃんから蒸留酒には甘いのが良いとも。考えてみりゃスコッチをチョコレートで飲む嗜好家が世の中には存在するんですから、当然でしたね」

「その飲み方は元々登山家が山小屋で体温を保つ為に必要に迫られたものなんだが、文化が登山家以外の人間にも浸透したという事なんだろう。ジンやウォッカをベリーパイで楽しむのも世界中に存在するのだから」

 僕の場合、御神酒じゃないので蒸留酒は飲めない。

 しかし、蒸留酒を戦闘現場に持って行く事は間々ある。

 打ち身や切り傷の消毒に使える為、頭からジンを被るなんて事はよくある話だ。

包帯に滲み込ませて患部に巻き付けるのが一番良いのだが。

 戦闘中に治療をするという行為は死に体になる。

 霊力切れの状態でも戦わなくちゃならない場合、蒸留酒が僕等の傷を癒す。

 御神酒にしろ蒸留酒にしろ。

 なんでもかんでも、御酒に支えられてる僕等なのだった。

 ま、その応急手当てをすると燃えやすくなるので。

 焔を使って来る祟り相手の時に使うと自分で物語の難易度を上げる事になるのだが。

「僕は忠宗のようにお菓子作りが得意ではないので、便利なカボチャを使いましたが。アイツは自宅で御夜食用にとブラウニーを焼いています。スコッチはその時、部屋にお持ちいたしますので。理事長はボウモアってヤツが良いんでしたか?」

「ボウモアというのはね?スコッチの本場、英国が仕込んだ珠玉の一滴さ。海が傍に在る蒸留所だからなのか、何処か海を感じる事の出来る薫りと雑味の無い素直な味わいは英国紳士に英国淑女を思わせるんだ。潮風がミネラルを運んでくるために辛口に仕上がりドライな味わいに変化するのは海沿いに醸造所を構えるシチリアのワインも同じなんだがね。キリッとした酒は一日の疲れを洗い流す。康平君が大人になったら、是非とも試して貰いたい」


「いえ、結構です。僕、御酒は霊力補給の為だと割り切ってるんで」

「ホーント、君は淡白な子だよね…」

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