第15話 助けた件

 陽の光がほとんど遮られた森の中、一人の女性が走る。体のあちこちからは赤い液体が滴り、暗い森の中にハイライトを残す。


「───はあ、はあっ…………っ!ま、まだ追って来て……っ」


 女は年齢は実に14歳ほど、おそらく冒険者になりたてなのだろう。

 必死に走る彼女はただ運が悪かった。


 彼女の後ろ、数十メートル先、そこに魔物が忍び寄っていた。忍び寄っていたというのは違うか。

 ──追走していた、というのが正しいかも知れない。

 彼女を追いかけている魔物は実に奇妙な見た目をした魔物だった。


 見た目は鹿、しかし二頭の鹿がまるでホッチキスで留められたかのように首の辺りでくっついているそれは、はっきりいって化け物に他ならない。


 彼女は知らなかったのだが、その魔物は『死禍守怒気しかもどき』と言い、鹿だと油断した哀れな狩人を獲物にしている知能の高い魔物だ。

 ちなみに叛逆律レベルIV4。普通に腕の経つ冒険者でさえ、束になってやっとの強敵。


 それに今一人で追いかけられていた。必死に逃げる彼女、しかし徐々に魔物との距離が狭まってきた。もちろんただ疲れてしまっただけだ。

 だがその状態に焦ったことで余計に体力を消耗してしまっているのは、まあ彼女が戦闘に慣れていない事の証明だったりする。


「─────っ!……そ、そんなっ!……が、崖……?!」


 いつの間にか開けた場所にたどり着いていた彼女。そして彼女を狙っていた魔物はゆっくりとその数を増やして彼女のそばににじりよっていた。

 死禍守怒気しかもどきは群れで狩りをする魔物だ。特定の位置まで誘い込み、それをじっくりとなぶり殺す。

 特に狩るのは弱い獲物。魔物は知っている、の感情を持ったまま死んだ獲物は実に、実に美味しいということを。


 死禍守怒気しかもどきはじわじわと近くににじり寄る。その黄色の目が愉しそうに笑い、それにより縦長の……いわゆる悪魔のような目に変わった時……彼女は自分が死ぬことを悟った。


 必死に剣を抜き、追い払おうとするも……魔物は軽く避ける。そして避けざまに腹に蹴りを叩き込む。


「───っ?!あ、あぐっ…………っ……」


 皮で作られただけの簡素な鎧など、その蹴りから身を守ってなどくれない。

 彼女、『ミーサ』は自分の骨が折れる音を聞いた。そしてその痛みに呻く間すら与えずに次の蹴りが彼女の顔面を襲う。


「───────ぅ…………」


 辛うじてスキル『回避』が発動したが、それでもしっかりとは避けきれず、そのまま崖端まで飛ばされるミーサ。そしてそこにもう一頭が蹴りを打ち込み、ミーサの肉体が宙を舞う。

 軽い一撃、されどそれは彼女を崖から突き落とすにはちょうど良かった。

 だが彼女は必死に生きようとした。その結果……


「───っ、た、助かっ……」


 何とか崖の近くに生えていた木を掴むことが出来た。上を見あげると悔しそうな顔をしている魔物の姿が見えた。


「───良かった……、助かっ…………?!」


 ──悔しそうに見えた。だけである。

 死禍守怒気しかもどきは狡猾な魔物だ。その知能指数は実に120に匹敵するほど。

 そしてこの魔物はを使える個体も存在している。

 ミーサを見下ろす魔物はゆっくりと口を開け、


 ミーサの顔面に唾液と、水魔法で作りだした水が混ざったそれがどばどばとかけられてゆく。

 普段ならば、水が心地よい。

 ──「まあ魔物のそれはちょっと嫌だけど」。


 で済むはずのそれは、今この状況において、最悪の結末を作り上げようとしていた。


「が、ご、ぐ……ぎ、ごぼっ……ごぼぼ……」


 ミーサはそれを避けようとするが、どんどんと呼吸が出来なくなってきた。

 どんなに必死に顔を動かしてそれを避けようと、崖から落ちそうになりながらそれにより必死に耐えている彼女では思うようにかわせる訳もなく。


 鼻から水が入る。息がどんどん出来なくなって行く。

 それだけじゃなく……どんどんと身体から力が抜けていく。もう限界が近い……。


 彼女の心拍はどんどんと跳ね上がっていく、そしてどんどん腕が滑り落ち始める。


「─────あ」


 手がすり抜けた。そのまま彼女は数十メートル下まで落下していく。


 それは死は免れないことぐらいすぐわかった。

 下では魔物達が今から今かと私を待っていたのだし、こんな辺鄙な場所に助けに来てくれる人などいないことぐらい分かる。


 ミーサは諦めて、そのからだを重力に委ねた。


 ◇◇





「……………?え……?」


 その時、不思議なことが起こった。彼女の肉体が重力に逆らい、逆に崖の上に登り始めたのだ。

 引っ張る力はとても優しく、だけどとても力強さを感じさせてくれる。


 不思議なことが起きたことに唖然としながら崖の上に登った彼女は、さらに驚くこととなる。


 そこには先程まで自分を追いかけていたはずの魔物達が、積み重なっていたのだ。


 そしてそこに居たのは、一人の本を読む少年の姿だった。


 ◇◇


「ふむ、間に合ったか。全く一人で森になど入るものでは無いぞ?……おや、腹部を含めてかなり怪我をしているな」


「え、あ、……あの……な、何が起きたんですか……?私はたし、確か魔物に追われて……」


 少年は全くどうでもいいという風体で


「──ああそうだ、君は魔物に追いかけられ、そして崖から落ちて死ぬ直前だった」


 そういうと、さも同然のように。


「───だから君を俺が助けた。それだけだ」


 そういうと少年は紺碧な瞳で私を見据える。それはまるで深い海のような、樹海の奥深くの空気のような不思議な威圧感。


「では君をギルドに送り届けてから、日課の続きをするとしよう」


 あっけに取られる私の腕に手を合わせると……


 ◇◇◇





「……………………え」


 ──そこは街だった。確か冒険者ギルド『ウロボロス』がある街だっけ?


 僅か一瞬で起きた神のごとき御業にただただあっけに取られるばかりの私であった。










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