巨悪

(とりあえず雑用でもなんでもいいから、俺のやることはあるみたいだな……)


 兵士としての意識が高いギオマーは、シエンの説明を聞いた後に貧相だと思っている自分の体を見下ろしてそう考えた。


(俺は女としてはあれだからな。そっちで使ってもらえることはないだろ。その分、兵士として働きゃいい)


 ギオマーの体は下手をすれば関係性的には孫にあたるイネスやヴァラとそう変わらない程、起伏に乏しく女らしさがない。しかもマルグリットと同じく最年長であるため、末っ子達と違い成長する見込みもまたない。


 そのため、女としての役割は他の面々に任せ、自分は兵士としての役割を全うすればいいと考えていた。


 しかし、女としての情念は劣るところではない。


(シエンの敵を殺す。あとは誰かが生んだシエンの子供を守る。ざっとそんなとこか)


 兵士としての仮面を被り、内面は妙に男らしいギオマーの内面もまた、女が渦巻いていた。


(我が妻ながら仕方ない奴だ。試練の場で宣言して、望んでいるくせに女として諦めてどうする)


 そんなギオマーの内面が、付き合いの長い堕落の化身マルグリットは手に取るようにわかる。


(まあそのうち我慢ができなくなるだろう)


 尤もギオマーが我慢できなくなるのも見抜いているようで、心の中で肩を竦めた。


(しかし貴種の女を八人も骨抜きにするとは罪作りな男だ。断言するが望まぬ男はいないだろうよ)


 マルグリットは狂愛を抱いているリーヌとクラウディアだけではなく、処理し切れていないエステルとイネスの情念が噴き出す寸前であること。チャンスを虎視眈々と狙っているヴァラにも気が付いている。


 歴史上、自然発生した四貴種エルフ全種からこうも感情を向けられた男は存在しないだろう。


(どのみち最終的には後継者やそれを親身に支える補佐が必要なのだ。エステルもイネスも、ギオマーもゆっくりやっていけばいいし、我慢できなくてもいいだろうさ)


 勿論マルグリットもその感情を向けている一人だ。


 彼女達を絶望から拾い上げた男が、世界征服後の長期的な世界平和を実現するなら、どうしてもその意思を受け継ぐ後継者が必要となる。


 自分達がそれに対する手っ取り早い解決策の一部であると自覚しているマルグリットは、新たな孫娘達や親友にそう心の中で言葉を送った。


「えー。では、これから新生暗黒深淵団の本部に向かい施設の確認……はついでで、親父がお前ら全員を一目見たいと煩くて仕方がありません。はああああ……やっぱ今度にしてえなあ。千年後くらいとかどうよ?」


「エルフとは言え流石に死んでおる。それに世話になっている男の親に会いたいと言われたなら、会いに行くのが筋だ」


「はああああ……」


 嫌で嫌でたまらない感情が溢れ出ているシエンが、先代首領が関わっていることを渋々告げると、マルグリットの正論に悪ガキは爺臭い溜息を吐き続けた。


「しゃあない行くかー……ぐすんぐすん……うえーん……」


 諦めきってテンションがどん底な上に、泣きべそをかく真似をするシエンという、ある意味珍しい光景を見てしまった女達は、どこかイケナイ回路を刺激されてキュンとしてしまった。どうやら色々と手遅れのようだ。


「ではこの渦へ入ってください。八名様、暗黒深淵団本部へご案ないしまーす……」


 身長が高い女はシエンを抱き抱えて甘やかし、逆に低い者はぎゅっと抱き着いて慰める妄想を瞬間的にしてしまった女達は、あー嫌だ。と表情に出ているシエンの隣に湧き出た黒い渦を見て正気に返った。


「あー……」


 そして呻き続けるシエンがなんの躊躇もなく渦へ足を踏み入れると、女達も続いて渦の中へ入っていく。


(これは……金属……なのか?)


(こんなに金属を使った通路だなんて)


 そこは長く続く白い金属の通路で、大人が四人並んで歩いても窮屈さを感じない広さを誇っている。そして幾つかの扉があり、内部では恐ろしい実験が行われていることだろう。


 なにせここは悪の組織、暗黒深淵団の本部なのだから。


 地下生活が長かったトワイライトエルフのクラウディアは、地下鉱物と精錬された金属にある程度慣れ親しんでいた。そのクラウディアと母親であるリーヌにしても、全面が金属で構成された通路というものは初めての体験だ。


「あ、座標間違っちまった。親父のいるところに直通する予定だったのに。これは仕方ないなー。ゆっくり行かないとなー。それはそうと、ようこそ暗黒深淵団本部へ。ぶっちゃけ言うけどどこに本部があるか、俺もいまいち分かってねえ。どっかの地下深くなのは間違いないけどな」


 色々とガバガバな説明をするシエンが歩き始めると、女達はこの世界とは様式が違う建造物の内部を興味深そうに眺めながら付いていく。


「うん? 若? 先代に直接会いに行かれる予定では?」


 歩き始めてすぐ、ガラスで隔てられた部屋の向こうにいる、頭が禿げ上がった翁が首を傾げていた。


「朝火の爺さん、受付業務ご苦労。座標の位置を間違えて入り口から入っちまった。そんで新たな大幹部を連れてきた。つまり爺さんの後輩だ」


「それはそれは。暗黒深淵団で大幹部をしていた朝火と申しますじゃ。どうぞよろしく」


「これはご丁寧に」


 お前さん、絶対気が乗らなくて入り口から来ただろうと、シエンに対してジト目になっている老人は、女達に向き直ると好々爺となる。


「そんじゃ行くぞー」


 そしてマルグリットからイネスまで自己紹介を終えると、シエンは我が家をずかずかと進撃していった。


「大幹部の方なのですか?」


「そう。五大陸でアジア大陸って場所担当だった。まあ旧暗黒深淵団の大幹部だから、元大幹部だな。今は暇して出入りするジジババを管理してる受付だ」


 クラウディアの問いにシエンは前を向いたまま頷く。


 皺だらけで覇気がなく、細まった目と低い身長は田舎にいる老人にしか見えなかったが、大きすぎる肩書を持っている。


 旧暗黒深淵団大幹部。という。


「あんな爺だけど、今でも本気出したら間接的に星が冷えるから、こっちで戦うことはまずない。筈。思ったより魔界がヤバくて殴り込みかける時は頑張ってもらおう。魔界なら曇ろうが燃えようが冷えようが誰も困らねえ」


「星が冷える……」


「あくまで間接的にな。だからヒーロー共は朝火の爺さんを別次元に引きずり込んで戦うしかなかった……やっぱおかしいだろヒーローとかいう連中。あの爺、等級に無理矢理当て嵌めたら八だぞ。八。戦おうとかする次元じゃねえっつうのに勝ちやがった」


 シエンは軽く語るが色々とガバガバなスケールに戸惑った女達は、ひょっとして思った以上にヤバイ組織に所属しているのではと実感してしまう。


「このまま食堂でお茶でもどう? って言いたいけど、親父が我慢できなくなったら面倒だなあ……しゃあない。一直線に行ってやるか」


 ある意味デートの誘いをしているような提案をする悪ガキだが、面倒な父親がより面倒になっては堪らないと思って、真っすぐな通路を突き進む。


「ここ。最奥の大会議室に親父の大悪王がいる。って言っても渦を介しての会話だ」


 シエンは最奥にある扉の前で一度立ち止まると、かつての極まった大悪について説明して扉を開けた。


「大悪王よ。新たな」


『よく来てくれた! シエンの父親である大悪王だ! お菓子を準備してもらってるから食べよう!』


 格好つけて先代との挨拶を済ませようとしたシエンだが、旧暗黒深淵団はフレンドリーでアットホームな職場。上司と部下が仲良しで福利厚生もしっかりしているのが謳い文句なのだ。


(威厳んんんんんんんんんん!)


 食い気味で自己紹介する黒い大渦に、シエンはちょっとは威厳くらい見せろよと文句を言う。


 そんなシエンは置いておいて、再び全員が自己紹介を済ませたエルフ達は理解ができなかった。


 そこに渦がある。声もある。感情も届く。言っていることの理解もある程度は出来る。だがどうも完璧に認識し切れない。


(これはまた……人の尺度では測れんな)


 最年長のマルグリットが知識として知っている。


 最上級も最上級の神々は存在の格が大きすぎて、定命の者では認識できないと言われていた。


 しかし直接相対している訳でもなく、声は間接的に届けられ、その上更に本体は別次元にいる。それなのに認識し切れないなど、彼我の存在の格がどれほど隔絶しているのかマルグリットには分からなかった。


(これに勝った者達がいると? 魔境だな)


 そんな人知を超えた存在に勝った者がいるなど、マルグリットにはそれこそ理解不能な事態だが、昭和ヒーロー達は正々堂々と大悪王を袋叩きにして勝利を収めていた。


『目先のことが大変な世界だから、長期的な世界平和に賛同してくれる人が少ないのではと心配していたものの杞憂だったな! よくぞ息子が率いる新生暗黒深淵団に加わってくれた! どうかシエンをよろしく頼む!』


 尤も今も元気いっぱいであり、好き放題言いながら世界征服を応援している超越者である。


『昔を思い出す。古き邪神共が生命体を根絶しようとした時、駄目元でもと思って声を掛けた者達が賛同してくれて、それを防いだ友情と勝利の思い出だ。世界征服と世界世平和の道は長く険しいものだが、命を存続するために頑張ってほしい。ああそれと、怪人パワー装置を持ち帰るのを忘れずに』


 大悪王はまさしく大いなる悪の王に相応しい思い出話を披露し、それをなんとなくだが理解できたエルフ達は大感動。


(大悪とはいったい……)


 する前に。疑問を覚えた。


 だがしかし、先代悪の組織の首領なのだから大悪王に決まっている。なぜなら悪の組織なのだから。


 ◆


 一匹のハエが森の汚れを見つけ出し、主の下へ帰還しようとしていた。


 汚れの名はオーク。邪神が生み出した太った醜い二足歩行の獣であり、知性は低く人間を弄ぶために生み出した存在である。


 しかし……邪神の気まぐれか偶然か、時たま存在するのだ。


「もっと兵士の数が必要だ。別種の女に産ませよう。大いなる魔の知識によれば、エルフが優れているようだな」


 それなりに知性があり、醜い発想ができる汚れが。


 巨悪と巨悪が激突する日も近い。

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