スーパーグチャグチャ家族関係

 イネスにはこれが夢だと分かっている。


 見たこともない調度品で溢れた部屋。その豪奢なベッドの上で横たわる自分。


 瞳に意思の光はなく口元には僅かに唾液の跡が残り、なにもかもを諦めて受け入れる生きた人形と化していた。


 その隣には……。


「すぴぴぴぴ……すぴぴぴ」


 鼻提灯を膨らませて熟睡している悪ガキ形態のシエンが、腹を出して寝っ転がっていた。


 その姿はどう見たって遊び疲れたクソガキであり、悪の首領の威厳なんてものは全く存在しない。


「シエンくうぅん……」


 意思を宿していなかったイネスの瞳が隣にいる悪ガキを認識すると、彼女の真っ白な顔がなにかを思い出して劇的な反応を示し真っ赤になる。そしてゆっくり距離を詰めると舌足らずな小声でシエンのことをシエン君と呼称した。


「んみゅ……シエンお兄ちゃぁん……」


 そんな夢の中の自分を見ていたイネスが瞬きすると、真っ赤になっていた自身は甘えた小動物のような声を漏らしながら、いつの間にか青年形態となっていたシエンを兄と呼びながら胸板に抱き着いていた。


「えへへ……あれ?」


 そしてシエンのぶっきらぼうな手で頭をわしゃわしゃと撫でられ、とろんとしていたイネスだが、妙なことに気が付く。


 彼女は青年形態のシエンの体が鋼のようだと知っていたが、身を寄せて抱き着いている彼の体は、ふにょん。とか、ぷにん。といった柔らかさで、固さなど微塵もない。


 それどころかどこまでも柔らかく、精神すらも蕩けてしまいそうな甘い甘い底なし沼のような感覚さえ覚えてしまう。


 夢の中のイネスはなにかがおかしいと疑問を覚え、急速に意識が覚醒していった。


「んん……んっ!?」


 夢から目覚めたイネスが周囲を確認するまでもない。


「ごごごめんなさい!」


 彼女は最近やって来たダークエルフ、マルグリットの体の一部に顔を埋めているどころか、その艶やかな褐色の肌に僅かな唾液さえ垂らしていたのだ。


「よいよい。孫娘が我に甘えているのだ。愛らしいことこの上ないわ」


「わっぷっ!?」


 暑い地域で生活していたため、寝間着も水着のようなマルグリットは、慌てて体を離そうとしたイネスの頭を捕まえ、自分の体に押し付けて微笑む。


「そうであろうイネス?」


「は、はい……マルグリットお、お婆様」


「ふっふっ。本当に可愛らしい」


 同意を求めるマルグリットにイネスはたどたどしく応じると、その新たな祖母は同性で遥かに年下のイネスですらぞくりとするような、人間の情欲に訴えかける笑みを強めた。


「イネス……?」


 そんな妹の声に反応したのか、マルグリットの隣で寝ていたエステルが瞼を持ち上げた。


「エステルも起きたか。さあ傍へ」


「あ、あの」


「いいではないか。寝起きの子は甘えるものだ」


 マルグリットはエステルも絡み取ると、清楚な孫娘の顔を堕落そのものな自分の体に引き寄せる。


 それは夜の母に堕落させられそうになっている聖女達の宗教画のような光景で、輝く白い肌が艶やかな褐色の肌に呑まれようとしているところだった。


 それだけではない。


 クラウディアは元々の母であるリーヌだけではなく、灰色の肌が朝日に照らされているイーザックにも包まれている。


 そして外見年齢ではイネスと変わらないヴァラと、その祖母である小柄なギオマーが並んで寝ていた。


 つまり白肌、青肌、褐色肌、灰肌。四つの肌が同じベッドで絡み合い、全ての男が混ざりたいと懇願する肉の園が完成しているではないか。


 このダークエルフとナイトエルフの女達は、シエンがイネスとエステルの家を増改築するとともに放り込んだせいで、クラウディア、リーヌを巻き込んだ大家族を形成するに至った。


 そしてリーヌの母性溢れる提案は変わらず実行され、最も広い部屋でくっ付けられたベッドの上で、女達は共に寝て朝を迎えたのだ。


「お、お婆様……その」


「気にせず甘えるといい」


「は、はい……」


 気恥ずかしさから離れようとしたエステルだが、誰かを頼った経験が極端に少ない彼女は、同性の年上に甘える誘惑に抗えないようで、マルグリットに言われるがまま身を任せてしまう。


「はふ……」


 一方で妹のイネスは、底のない甘い沼に浸かりきって安心したような吐息を漏らす。


 溶かされているハイエルフと受け入れるダークエルフだが……両者には決定的な違いがある。


 男に堕ちきっているか堕ちきっていないかだ。


 ◆


「ねえヴァラちゃん」


「どしたの?」


 巨大ベッドから自室に戻ったイネスは、無駄話をするつもりで来ていたヴァラに意を決して尋ねようとしていた。


 この二人だが、ヴァラが石化していた期間を除けばほぼ同い年であり、どちらが姉ということなく、同い年の姉妹として振舞うことを決めていた。


 そんなイネスから妙な発言が飛び出す。


「シ、シエン様ってピアスが好きなのかな?」


「なるほどねえー。イネスはピアスに興味あるお年頃なんだ」


「いや、その……!」


 イネスは単に新しくできたダークエルフの臍にピアス。ナイトエルフの舌にピアスがあることが気になった……つもりだった。


「分かってる分かってる。好きでやるんじゃなくて、シエン様が自分の女にピアスさせる趣味あったら、合わせたいなーって思ってるんでしょ」


「……っ!?」


(かわいー! ちょーかわいー!)


 だがヴァラは、イネスが無意識に抱いていた考えを暴いてしまう。そして一瞬で顔を真っ赤にして俯いたイネスの反応に、心の中で身悶えた。


「でもお前は俺の女だから染めてやるって押し倒されて、ピアッシングされそうになった訳でもないんでしょ?」


「そ、それはないよ! シエン様はそんな人じゃないもん!」


「そうだよねー。でもシエン様がもし私の耳にピアッシングするときはどんな感じかな。お子様形態はあーでもないこーでもないって悩みながらされて。お兄ちゃん形態のときはぶっきらぼうに、ほら来いって言われて。パパ形態はむすっとした顔でー」


「パ、パパ形態?」


 男を堕落させるダークエルフだからか、それともイネスと同じく外見は若かろうが長命なエルフ種の一員としてとっくに成人を迎えているからか。ヴァラは見た目だけは少女のくせにぺらぺらと艶のある言葉を吐き出し続けるが、その中でイネスは聞きなれず意味も分からない単語に首を傾げた。


「あれ? イネスって、大人になってるシエン様見たことないの? すっごい男の色気ムンムンで、ちょー危ない雰囲気のアダルトなシエン様」


「う、ううん。見てないかも……でもパパ?」


「大人形態でもいいかな」


 力説するヴァラにイネスは若干引いてしまう。


 だが、ヴァラは心の中では少々別のことを考えていた。


(エステルお姉ちゃんもそうだけど、私達程追い詰められなかったから、本能的に媚び媚びで好き好き大好きしてる上に、食べちゃってくださいサイン出してる割には、意識が伴ってないんだよねー)


 イネスとエステルは、数百年も肉塊となっていたリーヌとクラウディア。穴という穴から様々なものが噴出する程の痛みを与えられ、試しにハエに変えられ、魂を封じられたうえで石化させられたヴァラ達と違い、ギリギリのところでシエンに助けられている。


 そのためイネスとエステルは線を踏み越えていないのだ。


(シエン様……シエンパパ……シエンお兄ちゃん……シエン君……)


 一瞬だけ。イネスが気が付かない程の一瞬、ヴァラの瞳が危険な程にどろりと蕩ける。


 いったい誰が、容易く廃人になる痛みに耐え、ハエとなることを良しとして、都合のいい女が準備されているのにそれを拒絶するのだろう。


 それをヴァラ、マルグリット、ギオマー、イーザックは間近で見せつけられ、男の道理で片付けられたのだから、彼女達にできることは女として尽くすことだけではないか。少なくともヴァラはそう思った。


 そして何度も述べたことだが、形態で外見年齢が変化するシエンと特殊なエルフの生まれのせいで、ヴァラは異性関係が彼一人で完結してしまい、尋常ではない感情を抱いていた。


 一端ヴァラの感情は置いておこう。


 少女に見えようがダークエルフであるヴァラは、二人が無意識かつふとした時にシエンへ見せる、女として媚びたサインを見逃さなかった。


 騒ぎまくる悪ガキ形態のシエンに主導権を握られている時。ぶっきらぼうな青年形態が傍にいる時。


 そしてシエンが稀に漂わせる、雄としてこれ以上ない暴力の香りを嗅いだ時。


 イネスもエステルも、自分が食べていい女だと主張するかのようにすり寄り、僅かに頬を染めているもののこれが無意識な行動だから恐ろしい。


(崖っぷちにはいるけど飛び降りる勇気がないというかなんと言うか。シエン様から、俺の女になれって言われたらすぐ飛び降りるのに、自分からは恥ずかしくて無理なんだろうなー。でも見守るしかできないよねー)


 そんな姉妹を僅かな間で把握したヴァラだが、妙な気を利かせると拗れてしまいかねないと判断して、リーヌと同じく影から見守ることにしていた。


(っていうかエステルお姉ちゃん、悩んでると色っぽすぎ。なんか未亡人の憂い? みたいなのを感じちゃうし。シエン様にどう接したらいいかで悩んでるのがバレバレな時は、私でもゾクッとしちゃう)


 次にヴァラはエステル個人のことを考える。


 チラチラとシエンを見ている時のエステルは、自分でもどうしたらいいか分からない感情を抱え込み、愁いに似たものを帯びた表情となる。


 そのしっとりとした雰囲気を纏っているエステルは、ヴァラも見惚れてしまうことがあるほどで、清純や純白と称えられるハイエルフとは真逆の艶やかさだった。


(まあとにかく、私は陰ながら見守ってるからね!)


 表では無垢。身内だけの場は小悪魔のようなヴァラだが、自然発生したエルフらしく家族として認定した者には誠実で、新しくできた姉妹にこっそりと応援を送るのであった。

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