愛のための試練と男の道理。剥がれ落ちなくなった女達
「あっつい!」
砂漠の日に照らされている青年形態のシエンは、水筒の水を飲みながら目的地の洞窟を視界に収める。
「なんかデカい蠍がうようよしてるしよお。砂漠ってのはヤベエとこだな」
そして彼の背後には、ぴくぴくと痙攣している一軒家よりも大きな蠍がいた。
「なんでもエミリア神が試練の一環としてばら撒いたとか」
「拗らせた女神とか古今東西、碌でもねえよな」
「男も女も変わりないかと」
「言えてらあ」
戦闘員はシエンが撲殺した蠍を気にすることなく伝承を思い出し、彼と雑談を交わす。
「まあ俺に愛とか関係ないんだけどな。はっはっ」
(あるんじゃよなあ……はよ子供作れ)
シエンはエミリア神が残した愛を証明するための試練など、自分には関係ないと軽く笑うが、実はそこそこな歳なんだから、とっとと子供を作れとジジババ戦闘員達から心の中で突っ込まれていた。
「それではシエン探検隊隊長が直々に、ダークエルフとナイトエルフをスカウトしてくる! ジジババ戦闘員達は入り口の確保を維持せよ!」
「オー!」
ぽんっと悪ガキ形態になったシエンは、戦闘員達に命令を伝えると、単身で洞窟の中へ踏み込んでいった。
「ダークエルフとナイトエルフ、出てこーい! ってご丁寧に階段があるじゃねえか。親切にどうも!」
奇妙な洞窟だ。砂漠のど真ん中にあるのに、明らかな人工物である階段が地下に続き、しかも中は通常の人間でも見通せる明るさがあった。
「げ。思ったより面倒かも」
階段を降り続けるシエンはなにかを感じ取ったのか、顔を思いっきり顰めて頬を掻く。
「ふーむ。ステージ台と……趣味がわりい」
階段を降りた先にあったのは、少し広いホールとステージだ。
そこには看板を提げた石像が四つあった。
看板に書かれている文字はそれぞれ、マルグリット、ギオマー、イーザック、ヴァラ。
「ようこそ戦士よ。女達を求めに来たのですね」
「そうだ! 我が新生深淵暗黒団の傘下に加え、世界征服を成し遂げるのだ!」
(本人、本神? じゃねえな。組み込まれてる自動のコールセンターみたいなもんか)
そこへ現れたのは金髪碧眼の女、エミリア神だが、シエンは彼女が本体ではなく、ここに縛られているシステムの一種だと見抜いた。
「ではこちらへ」
実際、幻影は事件から数百年も経っていることを疑問に思わず、シエンをステージの近くに誘った。
「まずは景品に自己紹介してもらいましょう」
幻影が軽く腕を振ると、四つの石像に異変が起こる。
無機物の筈なのに血色が宿り、あっという間に有機物。即ち人間に戻ると、首から提げているネームプレートを持ち上げる。
「景品のマルグリットです。本日は試練の挑戦、ありがとうございます」
「景品のギオマーです。本日は試練の挑戦、ありがとうございます」
「景品のイーザックです。本日は試練の挑戦、ありがとうございます」
「景品のヴァラです。本日は試練の挑戦、ありがとうございます」
無表情で異口同音に自己紹介と礼を述べる女達。
「自我を封じて勝手に動くようにしてるくせに、意識だけは保ってるだろ」
「そうですね」
シエンは彼女達が自我を封じられた人形と化しながら、意識と思考ができる状態であることも見抜き、ぎろりと幻影に視線を向ける。
「ですが石化中は全てが停止していたので、鮮度は保たれていますよ。自分が石に変わる恐怖をつい先ほどのように感じている筈です」
「ああそうかい」
(くっそめんどくせえ。この拗らせ婆の本体、力だけはやたらと強かったんだな。リーヌとクラウディアと違って、単に呪いを吸い込むだけじゃ足りねえ上に、どうもルールが違うぞここ)
一見すると異変のないマルグリット達の瞳に、恐怖の色を感じ取ったシエンだが、エミリア神の力が強く思った以上に複雑な事態で、どうも一筋縄ではいかないと察した。
(しゃあねえ。婆の悪趣味に付き合ってやるか。俺ってなんていい子。じゃないじゃない。悪の組織のドンがいい子でどうする)
だが世界征服の道も一歩から。
内心で肩を竦めたシエンは、エミリア神の試練とやらに付き合うことにした。
「では試練を始めましょう」
「はいよ」
試練の開始に応え、シエンの体がバキバキと音を立てながら大きくなり、青年形態へと移行する。
「では最初の試練です。景品達と一緒にここをまっすぐ歩いてください」
「それだけか?」
幻影が再び腕を振るうと、ステージの壁が消失してどこまでも伸びる一本道が現れた。
ここを歩けと言う幻影だが、勿論そう簡単なものではない。
「ここ歩くと、とってもとっても痛いです」
「で?」
「景品達にも試してもらいましたが、体中から色々と噴き出してしまう程度には痛いです。穴という穴から出てました。まあそれは、石化と風化のおかげで綺麗になりましたが、とってもとっても痛いんです。泣き叫んで、這い蹲って、ぴくぴくしてました」
「で?」
「ですがここに、痛くならないアイテムがあります」
この道を通るとどうなるかを懇切丁寧に説明する幻影が取り出したのは、白い宝石が四つだけだ。幻影は痛みを感じないので必要ないが、マルグリット達と道を通るには一つ足りない。
「置いていく景品を選ぶか、道中で頑張って使いまわせば」
「ならそいつらに渡せ。いてえ。俺の痛覚耐性を無視して痛みを押し付けるとか、マジでめんどくせえクソ婆だなオイ」
幻影が話している言葉を遮って言いたいことだけを告げたシエンは、道に一歩踏み出して倒れ込んだ。
例えるならば無理矢理溶岩を口に流し込まれ、眼球が蒸発し、毛穴という毛穴に針が突き刺さり、舌を引き千切られ、数ミリごとに体を切断される痛みを纏めたものが、細胞の一つ一つに与えられている状態だ。
それをシエンは、怪人特有の痛覚耐性を無視して叩き込まれ、一部の筋肉の制御を失ってしまう。
「しかもゴールドどこだよ。日が暮れるぞ」
だが僅かながら動く体を動員して、のそり。のそりと這って移動し始めた。
「おかしいですね。確かに痛い筈ですけど」
「おう。人生で一番痛い目をみせてくれてありがとよ。小便漏れる寸前だわ」
幻影は言われた通りマルグリット達に痛みを回避するアイテムを渡した後、僅かながらでも進んでいるシエンを不思議そうに見つめた。
「景品を一つ置いていけばいいではないですか」
「なら置いてかれた奴はどうなる?」
「勿論、不用品は処分します」
「言うと思ったよ」
続けられる幻影の言葉に、シエンは面倒そうに返答しながらやはり進んでいく。
「それだけ景品が全て欲しい。いえ、愛を証明しているのですね」
「ぷっ。かは。ははははははははははははははははははは!」
幻影は幻影なりの解釈をして納得したようだが、シエンのどんな琴線に触れたのか彼は爆笑し始める。
「俺もこいつらを組織に加えてこき使う気満々だけど、お馴染みのそれはそれ理論を用いるとだな」
そして這う。
「男の道理と順序も分かんねえから拗らせるんだよ婆」
這い続ける。
マルグリット達が一瞬で泣き叫んで止めてくれと懇願した痛みをそのまま抱えて這い続ける。
そしてどれほど時間がたっただろうか。一時間、二時間。いや、ひょっとすると一日中かもしれない。
シエンはついに行き止まりに到達した。
「ここからは次の試練です」
「おう」
「薬が一つあります」
幻影が次なる試練を宣告して、手に持っていた瓶を見せる。
「人型のハエに変身する薬ですが、これを飲まなければ先には進めません。景品達も試し、私の本体の力で元に戻りましたが、定命の者が自力で戻ることは不可能でしょう」
「あははははははははははははははははは! ははははははははははははははは! 俺に!? まさか悪の組織の首領の俺に、異形になりたくないなら薬を飲むやつを選べなんて言うんじゃないだろうな! ははははははははは!」
面白くて面白くて仕方がないとばかりにシエンは哄笑する。
「はははははははははははは!」
世界を平和に導くため。罪なき誰かが理不尽な死を迎えないため、人体改造と人体変異に立候補して、異形となり果てた者達が集う場所こそが悪の組織だ。
その首領に向かって、異形になりたくなければ誰かに押し付けろなどと、これ以上馬鹿にした話はあるまい。
「舐め腐りやがって。よこせ」
「どうぞ」
笑いを引っ込めたシエンは仰向けになって薬を受け取ると、小瓶の中の薬を飲みほした。
効果はすぐに表れる。
マルグリット達の体感ではつい先ほど自分達に起こった悲劇と同じ。
ボコリと目が膨らみ顔の大部分を覆い、全身は体毛に覆われ、手足はか細く長いものとなる。
そして口は吻となり、背中からは羽が生えた。
それはまさしく人型のハエであり、シエンの原型はどこにもなかった。
「うん? なんだ。喋れんのか。便利な機能をありがとよ」
「これであなたは誰にも愛されないのに満足ですか?」
「愛、愛うるせえぞ婆。悪の組織の首領が愛されキャラな訳ねえだろうが」
「ああ、なるほど。異形になって景品を組み伏せる趣味ですか。きっと楽しいでしょうね」
「なあ。この婆、頭が悪いよな。マジで」
どういう訳か、口が吻になっているのに話せるシエンは、幻影に付き合ってられないとばかりに、思わず直立不動のままのマルグリット達に同意を求めてしまう。
「違うのですか? それなら尚更ハエとなった理由が分かりません」
「悪の組織って素晴らしい組織のことを理解できねえか。なら数百年石にされてた女が、急にハエになるかの瀬戸際なら男が引き受けるもんだろ。これなら分かりやすい」
「理解ができませんね」
「だから男の道理が分かってねえっつってんだ。ほら、とっとと次の道を出せ」
「分かりました」
どこまでも話が嚙み合わないシエンは、幻影が腕を振った後に現れた広場に向けて這いながら進む。
「では準備を」
そこはなんの変哲もない空間で少しだけ小物があり、幻影の命令でマルグリット達がそれを持った。
「ここまで私、景品であるマルグリットをお選びいただき誠にありがとうございます。見ての通りの女でございますが、末永く可愛がってください」
「ここまで私、景品であるギオマーをお選びいただき誠にありがとうございます。見ての通りの女でございますが、末永く可愛がってください」
「ここまで私、景品であるイーザックをお選びいただき誠にありがとうございます。見ての通りの女でございますが、末永く可愛がってください」
「ここまで私、景品であるヴァラをお選びいただき誠にありがとうございます。見ての通りの女でございますが、末永く可愛がってください」
マルグリット達が新たに持った木の板は、体の各所の詳細なサイズだけではなく、強制的に書かされたあらゆる経験の回数が記載されていた。
「全員が清らかな乙女でよかったですね。男性はその方が愛せるものなのでしょう?」
「興味がねえ。これで終わりじゃねえんだろ?」
微笑む幻影をシエンは一蹴し、次なる試練をさっさと言えと催促する。
「木の板のついでに四枚書かせていて都合がよかったです。ここに契約用の羊皮紙があります」
幻影が取り出したのは、言葉通り丸められた羊皮紙だ。
「読みなさい」
「景品である私、マルグリットは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「景品である私、ギオマーは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「景品である私、イーザックは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「景品である私、ヴァラは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
名前の部分以外、マルグリットと全く同じことをギオマー達も宣言する。
「羊皮紙に貴方の名前を書けば契約は完了し、ハエとなった貴方でも永遠の恋人を手に入れることができます。ですが、貴方の名前を書いていい羊皮紙は一枚だけです」
「なるほどな。全員分を見たいから寄越せ」
「どうぞ」
優しく微笑む幻影は、シエンに契約が記載された羊皮紙を手渡した。
「ふむ。強制的な呪い。超強力な催眠や人格改編の類の同意書か」
「そんなことはありません。永遠の愛です」
「これだけ強力なのを作るのはかなり大変だっただろ」
「ええ。本体も四苦八苦していました」
「そうそう。大抵は作るのが大変で、壊すのって簡単だよな。別に命と紐付いてねえなら尚更簡単だ」
「え?」
「給与形態と休暇、昇進と注意事項。その他諸々もねえ曖昧な契約書とか舐めてんのかコラ。それに脳改造は悪の組織でご法度だ」
シエンと軽口を交わしていた幻影だが、目の前で起こった事態が理解できず困惑した。
パラパラと床に散る紙。契約の羊皮紙だったものがシエンのハエの手で器用に引き千切られ、効力を失った。
「なぜですか?」
「男の趣味じゃねえ」
そして幻影の疑問も端的に切り捨てる。
「それとアレ、あいつらの魂だろ?」
「ええ。そうですね」
「よっこいしょ」
床に伏せたまま羊皮紙を受け取り、それを破り捨て去ったシエンは、部屋の隅にあった小さな四つの壺を指差すと、ゆっくり立ち上がった。
「肉体の情報と連結したまま魂を抜くとか、暇人のやることだろ」
ゆっくり。ゆっくりと歩く速度は早くなる。
「いや、本当に疲れたけどよ。お前がずっと近くで話して、あちこち色々と見せてくれたおかげで適応と解析が終わったわ」
「どうい?」
「死ね」
コキリとハエの首の骨の音が鳴り、幻影が言葉を言いきる前に。
漆黒に輝くシエンが、幻影には攻撃できないという隠されたルールを乗り越え、細長い腕がエミリア神を模した体を突き破った。
「そんな馬鹿な」
「成長こそが人間型怪人の神髄なのだよ。そして暗黒の深淵に塗り替えられないものはない」
幻影は数百年前とは言え、神が敷いたルールを超越したシエンに驚愕しながら、核となる部分を粉砕されてあっけなく消滅した。
「妙な呪いで解析を後回しにしてたが、幻影と紐付いてたか。別にそのままでもよかったが」
それと同時に、人型のハエだったシエンの体が人のものに戻り始める。
だがそこにいたのは目つきの悪い不良のような青年ではない。
青年形態より更に背が伸びて鋭い鷹のような目となり、髪を全て後ろに流している、対概念、対非物質存在を意識した成人形態のシエンだった。
「これで終わりだ」
匂い立つような危険な雰囲気を醸し出しているシエンが、四つの壺の封を解くと、中から光の塊が飛び出してマルグリット達の体に吸い込まれた。
「ちっ」
だがそこで舌打ちしたシエンの体は限界を迎える。
幾らやせ我慢しようと、人間が数秒で廃人となる痛みに耐えながら這いまわっていたのだから、怪人だろうとそもそも生きているのがおかしい状態だ。
力が抜けて倒れる程度なら御の字も御の字だろう。
「ん? 一応言っておくが、少し休んだらいいだけだ。なにもしなくていい。と言うかするな」
しかし、疑問を覚えたシエンが倒れた先は固い地面ではなく、どこまでも柔らかな肉の塊だった。
「私、マルグリットは貴方だけに跪き、貴方だけに傅き、貴方だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「私、ギオマーは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「私、イーザックは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
「私、ヴァラは貴方様だけに跪き、貴方様だけに傅き、貴方様だけを永遠に愛し、全てを捧げることをここに誓います」
マルグリット、ギオマー、イーザック、ヴァラがシエンを受け止め、彼を仰向けにすると、先ほどの口上を述べる。
「呪いは解けただろう」
「女の道理も分からんか」
「ああ。趣味が悪いな」
「趣味が悪い女がいてもよかろう」
柔らかな肉に包まれたシエンは、自分に膝枕をしながら涙を流すマルグリットからの水滴が顔に当たろうがを気にしない。
「こっちも人妻とその娘だろう。同じ男にそんなこと言ってどうする」
「人妻なのは書類上の話です」
「お慕いしております。お慕いしております……」
ギオマーもイーザックも、シエンの言葉を気にすることなく彼の両側に侍り、力なく投げ出されている彼の腕を全身で包み、指の一つ一つを絡めている。
「それで……」
「ひっく……ひっく……」
最後のヴァラに至っては、シエンの腹部に顔を埋めて泣きじゃくっており、とてもではないが話せる状況ではなかった。
「はあ……少し休む。適当に何かしてろ。言っておくが起きてるから妙なことはするなよ」
色々と投げやりになった成人形態のシエンはそう言い捨てると目を閉じた。
その間、女達は言われた通り適当に何かをするため、シエンの体を己の肌で包み続けた。
図らずとも悪趣味で、愛の試練とは名ばかりの罠を、言葉通りの意味で突破した男を。
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