ダークエルフとナイトエルフの事情

 今から数百年前。まだリーヌとクラウディアが地下王国で神官をしていたころとほぼ同時期。


 砂漠のオアシスを中心として栄えた都市ラグアは、ダークエルフの女王が治める地だった。


 そしてこの都市は、周辺が砂漠であるが故に独自の文化を形成しており、男も女もかなり開放的な性格をしており薄着で扇情的だった。


 それは王城も例外ではない。いや、王城の最重要区画はもっととんでもないことになっていた。


 王城の頂上にある女王の私室。


 赤や青など、様々な色合いの柔らかいクッションの上で横になっているダークエルフを例えるなら、退廃的。もしくは腐りかけた果物だろうか。


 母性的で包容力のあるリーヌと違い、熟し過ぎて男が貪ることしか考えられなくなる女の名はマルグリット。


 なのだが……。


 もしこの時代にシエンがいれば、今から水泳大会でもあるのかと真顔で尋ねたであろう姿だ。


 自然発生したものではない通常のダークエルフの女官が、暑さを和らげるため高貴な鳥の羽で作られた団扇でマルグリットに風を送り、彼女の腰まで流れる赤い髪が僅かに揺れるのはいい。


 緩慢に動く、これ以上なく蜜をため込んでいるかのような艶やかな褐色の肌もいい。


 果物を口に含む、ゾっとするような妖しさに満ちた唇もいい。


 男の背筋を震わせる鋭い切れ長の目と、どこまでも吸い込まれそうな黒い瞳もいいだろう。


 だが幾ら暑いと言っても、なぜ白いビキニ水着のようなものを着て、胴体の肌の殆どを露わにしているのだろうか。


「暑いな」


 気だるげな低い声を漏らしたマルグリットは果物を咀嚼すると、薄い紫の布で編まれたフェイスベールを着用する。


 再び述べるが砂漠の都市ラグアは独特な文化を形成した。


 その中で王宮にいるダークエルフは、地球文化で言うところの水着。もしくは踊り子のようなものとなり、胴体の肌を露わにしていた。


 だがなぜかフェイスベールで口元を隠し、四肢も薄い布を身に纏うので、胴体の肌だけが露わになっているのはより奇妙に見えるだろう。


「陛下、ギオマーです。失礼いたします」


「うむ」


 そんなマルグリットの私室に、彼女のしもべで姉妹で、妻である立場の、女でありながら男の名を持つナイトエルフが入室してきた。


 なにもかもマルグリットと正反対だ。身長も、服装も、在り方も。


 マルグリットは長身で凄まじいスタイルを誇っているのに、ギオマーと名乗ったナイトエルフは少女のように小柄で体の起伏も全くない。


 服装もまた正反対で、胴体から鼠径部にかけてを隠すような、地球世界でレオタードと呼ばれる類の黒い服だ。そして代わりに四肢が大きく露わになっており、灰色の肌が熱気で輝いているかのようだ。


 目つきも違い、ぱっちりと大きな金色の瞳は、もし闇に紛れてもはっきりと認識できるだろう。


 しかしその瞳は、マルグリットとは逆に口元以外を隠している薄い紫の布で隠されており、繊維の隙間から覗くだけだ。


 最後に髪も違い、黒いボブカットが僅かに揺れていた。


「ご報告します」


 はきはきとしたギオマーの口調だが、灰色の肌と違って血色のある真っ赤な舌には、透明な宝石をカットしたようなピアスが輝いている。


 更にマルグリットの臍にも同じピアスが輝いているが、これもまた奇妙な習慣で、主従はお揃いのピアスをダークエルフは臍。ナイトエルフは舌に填め込むのだ。


「また半神共が我に求婚してきた件であろう?」


「はい」


「はあ……」


 ギオマーが報告する前に、マルグリットは内容を言い当てて心底面倒臭そうに溜息を吐いた。


「ハエ共が知らせた」


 マルグリットが可視化してしまいそうなほど甘い息を吐くと同時に、近くに置かれていた果物から数匹のハエが飛び立つ。


 生物全てを誘惑して情報を抜き出せる力を持っているダークエルフは、自分の周囲で知らないことは存在しないと謳われている。だがそれにしたって、ハエのような矮小な生物から情報を抜き出せるなど、権能と言ってもいい力だろう。


「連中は諦めることを知りません」


「そうよな」


 兵士のように直立不動なギオマーの言葉にマルグリットが同意する。


 甘美な誘惑と底のない蜜のような堕落へ誘うダークエルフは、際限がない名誉欲と女に眼がない半神半人達にとって垂涎の的だ。ましてやその頂点に位置する人型の蠱惑と言っていいマルグリットに、半神半人達は言葉通り涎を垂らしていると言っていい。


 そしてこの半神半人達は強欲で幼稚な神々の子であるが故に、トロフィーであるマルグリットを手に入れようと様々な手段で画策していた。


「我を手に入れて自慢した後に鎖で繋ぐだろうさ」


 尤もそのトロフィー認定されたマルグリットにしてみれば面倒の一言であり、可能であれば排除したかった。


「ご安心を。賊は排除いたします」


「うむ」


 淡々と言葉を紡ぐギオマーにマルグリットは微笑む。


 ギオマーのようなナイトエルフだが他の四貴種と比べて、種族名の定義が少々曖昧だ。


 と言うのも夜を意味するナイトではなく、騎士を意味するナイトエルフと考えられていた時期があり、事実としてダークエルフを主兼家族として主従関係を結ぶ文化がある。


 そして騎士の言葉通り、四貴種のエルフの中で戦闘力を誇って男の名を名乗る文化もあり、ギオマーもその例に漏れない。


 ただこの二人、単なる主従ではなく同時期に自然発生したため姉妹の関係性も築いていたが、それだけではなく四貴種エルフの中で、歴史上最もややこしい関係の一員だった。


「契りを結んだはいいが、寧ろ半神共を滾らせてしまったな」


「まあ……そうですな」


 肩を竦めたマルグリットに対し、ここで初めてギオマーは苦笑と言う感情を発露する。


 先程ギオマーがマルグリットの妻と説明したが、半神半人のアプローチにうんざりしていたマルグリットは、彼女を妻に迎えてしつこい男達に用はないと宣言した。


 だがなぜか半神半人達は更に興奮してしまい、結果的に残ったのは主従で姉妹。そして互いに妻として契りを結んだという、とんでもなくややこしい関係性だけだ。


「少し外せ」


「はっ」


 マルグリットは風を送っていたの女官達に目配せすると、部屋から退出するよう命じてギオマーと二人っきりになった。


「最近はお前も欲しがられているようだぞ」


「俺が? 冗談だろ?」


 揶揄うようにマルグリットが話しかけると、先ほどまで兵士の様だったギオマーが急に男らしい口調となり、無表情を崩して顔を顰めた。


「キャンキャン吠える子犬を組み伏せたいらしい」


「うんざりだ。言い寄られたらぶん殴ってやる」


「流石は我が妻。勇ましいことだ」


「言ってろ。お前も俺の妻だろ。口車に乗ったら面倒なことになった。おかげで俺ら全員の関係が余計に面倒になったじゃねえか」


 軽口を叩き合うマルグリットとギオマーに恋愛感情はない。だが煩わしい男避けの企みが、面倒な関係を更に複雑にしている自覚はあるらしい。


 そして普段は兵士のように振る舞っているギオマーは、身内だけがいる時は砕けた男勝りの口調になるようだ。


「そう言うな。一部の処女神に仕える半神は、我に契りを結んでいる相手がいるのだからと見なくなったではないか。効果が全くない訳ではなかろう」


「まあ……ちょっとだけだ」


 そしてマルグリットの児戯のような企みだが、若干の効果があったようで、ギオマーも妙な関係がほんの少しは役に立ったと認めざるを得なかった。


 だがそれだけではない。


 更に関係を複雑怪奇にしている者達がいるのだ。


「マルグリットお婆様。ヴァラです」


「うむ。入るがいい」


 扉の外から入室してきたのは、マルグリットと同じダークエルフの少女だ。


 マルグリットと同じく白い水着のようなものを着用して、剥き出しの褐色の肌の中心にある臍にも、宝石のようなピアスが揺れていた。


 ただ、熟し切ったマルグリットとは違い体の起伏に乏しく、外見年齢は後年に自然発生するイネスと同じ。もしくは若干年上に見える若々しさで、背もそれほど高くない。


「おはようございます!」


 そして赤いツインテールの髪の間には、薄い桃色のフェイスベールがあり、黒い瞳に宿した純粋無垢な輝きと同じく、天真爛漫な可愛らしい顔立ちを僅かに隠していた。


「おはようございます」


 そんなヴァラの後ろに控えていたナイトエルフの従者、イーザックが淡々と言葉を吐き出す。


 同族であるギオマーと同じく女性ながら男性名のイーザックは、同じように黒いレオタードのような服を着用し、灰色の肢体を外気に晒している。


 更に髪の色も服と同じ黒で、一つ結びで纏めていた。


 そして真っ赤な布で口元以外の顔上半分を隠しているが、金の瞳をより輝かせている眼鏡の上から薄い布を被せているので、少々奇妙な布の盛り上がりを見せている。


 だが同族であるとギオマーとの相違点は多い。


「お客様が多いようですね。結構なことです」


 まず舌にピアスこそ填めていたが、兵士のようなはきはきとした喋り方ではなく、どこか皮肉気。もしくは無気力なもので、口元にある小さいほくろには嘲笑が蓄えられている印象を受ける。


 更にジト目で人によっては目つきが悪い印象を与えてしまうだろう。


 それと少女のようなギオマーと違って、下品なまでに女として成熟しているマルグリット程ではないが、こちらは明確に女性としての体を持っていた。


 この二人がマルグリットとギオマーの関係をより複雑にしている原因だ。


 二人の後に自然発生したイーザックは娘として迎え入れられたが、ナイトエルフの習慣に従いギオマーは母であると同時に上官。マルグリットは母であると同時に主となった。


 しかもそのかなり後にヴァラが自然発生したものだから、順序的にイーザックの娘。マルグリットとギオマーの孫娘になったが、ここでもまたダークエルフに仕えるナイトエルフの習慣が働き、ギオマーは祖母でありながら孫娘に。イーザックは母でありながら娘であるヴァラに仕えている関係となった。


 そこへマルグリットとギオマーの書類上の婚姻も加わることで、歴史上でもトップクラスに面倒な家族関係が構築されてしまった。


 尤も結構緩い主従で、似た者同士だった。


「見ての通り、ここに他の者はおらんぞ」


 気だるげなマルグリットの言葉で、ヴァラとイーザックの雰囲気が一変する。


「なーんだ。なんか真面目な顔して損した気分。あ、お婆ちゃん。果物貰うね」


 突然、天真爛漫だったヴァラが、男を誑かす小悪魔じみた表情になると、横になったままのマルグリットの隣に座り、置かれていた果実を手に取る。


「半神の方々も本当に困っちゃいますねー。私もこの前言い寄られちゃいましたー」


 一方、汚水でも見ていたかのようにジト目だったイーザックの目はぱっちりと開き、世の汚れなんて知らないかのような無垢な輝きを宿す。


 と言うか少々過剰な無垢さで、天然なぽわぽわとした雰囲気を醸し出しており、嘲笑を湛えていたかのような口元のほくろも柔らかくなっているかのようだ。


「半神と結婚したら玉の輿ってやつ?」


「でも乱暴な人はちょっとー」


「やれやれ。うちの者達は猫を被っておるわ。なあギオマー」


「どの口が……」


 ニヤニヤと笑うヴァラに、イーザックは困ったように首を傾ける。


 それに対して肩を竦めるマルグリットだが、ギオマーの唇の端がひくりと動いた。


 その時である。


「ぎゃああ!?」


「奴らを止めろおお!」


 扉の外から聞こえた喧騒で一瞬のうちに戦士の顔となったギオマーとイーザックが扉を固めようとする。


 だが僅かに遅かった。


「迎えにきたぞ花嫁共!」


「ここか!」


「いたいた!」


 途中まで忍び込んだはいいものの、面倒臭くなって強行突破してきた五人程の男達が、無遠慮にマルグリットの私室に踏み込んできた。


 いずれも筋骨隆々の半神半人であり、最も高貴なダークエルフであるマルグリットと、その傍にいる女達を目当てにやってきたのだ。


 のだが……。


 少々……いや、かなり知性や計画性に欠けた。


「全員俺が手に入れる!」


「いいや俺だ!」


「なにを言う!」


 全員が美男子であり、金の髪や肌が輝いているように見えるが、外見の優美さと中身は比例しないようだ。


 どうもとりあえず一緒に行こうと打ち合わせはしたものの、いざ実物であるマルグリット達を見つけると仲間割れが起こり、誰が彼女達を手に入れるかで揉め始めた。


 しかし、幾ら馬鹿とは言え五人もいて片親が神である以上、その戦闘力を侮ることはできず、ギオマーとイーザックは迂闊に戦闘を仕掛けられなかった。


 そこへ更に事態を面倒にする存在が乱入する。


「なぜなのですルーカス! なぜ私以外の女のところにいるのです!」


 突然光と共に現れたのは、金髪碧眼の女だったが、顔は嫉妬で醜く歪んで溢れ出す怒りを放出していた。


「エ、エミリア様!?」


 すると半神半人の中で最も顔が整った美男子が慌てふためき、一歩後ずさってしまう。


 この女、半神半人が様を付けるだけあり女神だった。


 特に質の悪い。


「私を愛していると言ったのは嘘なのですか!?」


 言ってない。


 ルーカスと言う名の半神半人は、女神に対し愛の言葉を言ってないのだ。


 それなのに自分が愛されていると思い込んでいるエミリア神は、ルーカスが他の女の場所にいることが我慢できず、馬鹿を晒しながら直接定命の存在の地に降り立ったという訳だ。


「お前達がルーカスを誑かした女狐か!」


 その怒りはルーカスだけに留まらず、意味が分からず困惑しているマルグリット達にも向かう。


「女神よ。全くなんのことか……奴らは突然やって来た者達で」


「黙れ! その顔でルーカスを誘惑したな!」


「いえ」


「黙れ黙れ黙れ! その顔でええええええ!」


 マルグリットが反論するが取り付く島もないとはこのこと。その上、女神ながらあまり美しくないエミリアは、薄いフェイスベールや布から僅かに覗く、マルグリット達の美貌に嫉妬し始める。


「そうだ!」


 そして碌でもないことを思いついた。


「この女達を愛しているというのなら証明して見せなさい!」


 理解不能とはこのこと。


 なぜ突然やって来た神が、嫉妬で煮えたぎっていたのに、愛を証明して見せろと宣言するのか。


 そして……。


 その方法が悪趣味極まるのか。


「愛を証明する場は私が用意します! 必ず来るように!」


「なっ!?」


 理性など欠片もない女神は半神半人達にそう言いつつ、マルグリット、ギオマー、イーザック、ヴァラを別次元に連れ去り、残されたのは呆然とする半神半人。そして女王と側近を失った王国だ。


 尤も言葉通り女神は彼女達が景品となる会場を作り上げ、半神半人達を待った。


 半神半人達にとっても、上手くいけばマルグリット達を手に入れられるチャンスだし、なにより暴れる女神が怖くて参加せざるを得なかったのだが……。


 一つ誤算があった。


 ほぼ同時期、とある神が怒髪天を衝く勢いで激怒していたのだ。


『いい加減にせんか! 何度訴えても理解ができんかこの馬鹿共! このままでは理がひっくり返ると言っているだろうに!』


 リーヌとクラウディアが仕えていた神、死と労働の神カファルアンが、何度訴えても省みない同族のやらかしで死者が蘇生されたり、逆に生者が冥界に迷い込むことが頻発したことに怒り狂い、同じ冥界神達と共謀して神々が現世に強く介入できないようにする措置を施したのだ。


 この企みは大部分が上手くいき、非常に特殊な例を除いて神々が地上に姿を現すことができなかった。


 代わりにカファルアンはこの措置に忙殺され、自らに仕えるリーヌとクラウディアが肉塊に変えられる隙を生み出してしまい、カファルアン自身も大きく力を落として彼女達を救うことができなかったが、この措置がなければ冥界と現世がひっくり返って世界が滅ぶ可能性が高かった。


 話を戻すが、この騒動のせいでエミリア神は地上から叩き出され、半神半人達は混乱する世界の対処に追われてしまい、マルグリット達どころではなくなってしまう。


 その結果数百年後に残されたのは、まず最初の試練として用意された凶悪な魔獣のせいで誰も確認できない、ダークエルフとナイトエルフが囚われているという伝承だけが残った砂漠の遺跡だ。


「ダークエルフとナイトエルフに告ぐー! 救出してやるから大人しく我が新生暗黒深淵団の軍門に降れー! っつうかこの伝承合ってんのか!? 関係性が無茶苦茶なんだけど! 姉妹の主従でお互い妻で、母の一人と娘が主で、孫娘から見たら母と祖母の一人が従僕ぅ!?」


 とある馬鹿が、いつも通りのカーキ色の探検服で訪れるまでは。


 余談だが、歴史上トップクラスにややこしい関係が、更にとんでもないことになるのは目前だった。

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