トワイライトエルフの事情

 新生暗黒深淵団が活動を開始する数百年前、死霊術と腐敗を司るトワイライトエルフは絶頂期を迎えていた。


 広大な地下世界を統べたトワイライトエルフは、青く艶めかしい肌と銀を溶かしこんだかのような髪が特徴的で、エルフ四貴種の中で最も悍ましい美と評される存在だ。


 そして絶頂期を迎えるのも、悍ましい美と評されるのも当たり前だ。


 なにせ死者を操り操作できるということは、休みも飲食も不要な永久の労働力を手にしていると同義で、彼らが地下にも関わらず多くの建造物や城を建築できたのはこれが理由だ。しかし死者を操る力は多くの場所で禁忌とみなされており、神聖なる地では存在すら許されない種だった。


 ただ、トワイライトエルフと関わりがある者達は、彼ら、彼女らが非常に愛情深いことを知っていた。


「……」


 無言で女のトワイライトエルフが、使用人である吸血鬼などの闇に潜みし者達に頭を下げられながら、城の通路を突き進む。


 女性にしては長身なエステルよりも更に背が高く目つきも鋭いので、まるで女戦士のような印象を人に与えるだろう。


 実際、垂れた布が体を前後から挟み込み紐で繋いでいるだけの、服と呼ぶには側面が露出し過ぎている衣装から覗く青い手足はすらりと引き締まっており、体全体も少々起伏に乏しかった。


「“はは様”。“娘”です」


 そんなトワイライトエルフ、名をクラウディアがひと際重厚な扉をノックする。


 しかし、一人称が妙だ。


「いらっしゃいクラウディア。“母”は来てくれて嬉しいわ」


 扉の向こうから聞こえてくる柔らかい声の一人称もまた妙である。


「失礼します」


 背中まで伸びる銀の髪を後ろで束ね、生真面目な声と鋭いアメジストのような瞳、そしてすらりとした体のクラウディアが【硬】なら、出迎えた存在は【柔】だった。


 クラウディアより僅かに背が低く、緩やかなウェーブのある腰まで伸ばした銀の髪。口元と紫の目は柔和に微笑み、側面がよく見える服では抑えきれない起伏に富んだ体は、男が望んだ欲望をそのままどころか過剰に詰め込んだかのようだ。


 二人の共通点と言えば髪と瞳の色。そして艶やかな青い肌を這うように描かれた白い紋様程度だ。


「おはようございます母様」


「ええおはよう」


 生真面目な顔のままのクラウディアに母様と呼ばれ、まさしく慈母のような笑みを浮かべる女の名はリーヌ。クラウディアの実母、ではない。


 彼女達もまたエステルとイネスの関係と同じく、自然発生したことによる関係性だ。


 尤もエステルとイネスの関係と少々違うところは、儀式的な意味合いでも母と娘の関係があることだろう。


「神殿へ向かいましょうか」


「はい」


 神殿へ向かう二人は、トワイライトエルフの儀式的階級に従っており、リーヌは“薄明りの母”。クラウディアは“薄明りの娘”と呼ばれていた。


 この自然発生したトワイライトエルフに送られる薄明りの称号だが、現在はリーヌとクラウディアのみが該当しており、彼女達の一人称が母、もしくは娘となっているのは、古くからの伝統に従っているからだ。


 そんな二人の職務もまた少々特殊だ。


「やめろおおおおおおおおおお!」


 彼女達が向かった真っ白な石材で建設された美しき神殿から、厳粛な雰囲気にはそぐわない怒声が中から聞こえてくる。


 その声を聞いたリーヌとクラウディアに従う者達は、どこか呆れたような表情を浮かべていた。


「やめろって言ってんだろうが!」


「大人しくしろ!」


 リーヌとクラウディアが神殿の中へ足を踏み入れると、長い髪が乱れ無精髭を生やした中年の男が暴れ、吸血鬼達に抑え込まれていた。


「ここは死と労働の神、カファルアン様の神殿です。どうか静粛にお願いします」


 そう告げるリーヌの顔には先ほどまであった慈母の微笑みはなく、厳格な神に仕える神官としての表情になる。


 神殿の最奥に安置されているツルハシを持つ骸骨は、死と労働の神であるカファルアンを象徴するものであり、ここはまさしく神の祀る場所だった。


 だが男が黙ったのは神に対する畏敬ではなく、艶やかな青いリーヌの欲を刺激しすぎる体と、クラウディアの機能美に溢れた美しい四肢を見たからだ。


「彼の罪状は?」


「はい。マオクルム地区のケビン。幼児十五人を殺害したのちに遺体を食し、重罪人としてマオクルム地区から送られてきました」


 そしてこの男、身も毛もよだつ重罪人としてこの地に送られており、今まさに罪に対する報いを言い渡される寸前だった。


「真実を口にせよ」


「ああそうだ。柔らかそうだったから食った。楽しかったし美味かった」


 クラウディアがケビンに問うと、なんと素直にそれを認めたではないか。尤も彼の目玉は零れ落ちそうで、まるで自分が口にしたことが信じられないかのように驚愕していたが。


「母様。情状酌量の余地はないかと」


「そうですね」


 クラウディアはそんなケビンに構わずリーヌを見ると、彼女は厳しい表情で頷いた。


 カファルアンは死と労働を司っている神だが、他にも幾つかの役職がある。そのうちの一つが裁判官であり、カファルアンからの命令で薄明りの称号を持つ者は現世での裁判を任されていた。


 この裁判官としての役目にトワイライトエルフの力は適しており、そのうちの一つが魂を操作しての真実の強制で、彼女達の前に連れてこられた罪人は全ての罪を告白してしまう。


 そして……。


「カファルアン様の法に従い死後労働刑を言い渡します。刑の執行は明後日です」


「い、いやだあああああああああ!」


 リーヌの宣告を聞いたケビンは絶叫を上げる。


 死後労働刑とは言葉通りだ。死刑を受けた後に死霊術で使役され、永遠に終わらない労働に従事する世界で最も重い刑である。


 この地下都市が生まれたのはトワイライトエルフが死霊術を使って好き勝手した結果ではなく、死の神が定めた刑罰の副産物なのだ。


「それでは次の者を連れてきます」


「ええ。お願いしますね」


 吸血鬼に頷くリーヌだが、まだ次がいる時点で尋常ではない。


 大概の者は殺されることも、死後も働かされることも嫌うが、こんな刑罰が存在するのに悪さをする時点で、人の愚かさを象徴しているだろう。


 ◆


「ふう……」


「お疲れ様です母様」


「貴女もお疲れ様」


 仕事を終えて自室でほっと息を吐くリーヌに、クラウディアが声を掛ける。


 彼女達の仕事自体は自白を強制させて刑を言い渡すだけだが、どいつもこいつも碌でもないことをしでかしたからこそここに連れてこられている。そのため理由を聞くのは精神的疲労を招き、決して楽なものではなかった。


「ふふ。さあいらっしゃい」


「え、いや、その。母様?」


「さあさあ」


 すると椅子に座ったリーヌはなにを思ったか、大きく手を広げて戸惑うクラウディアを招いた。


「で、でも」


「いいからいいから」


「は、はい……」


 戸惑ったままのクラウディアはリーヌの横に近寄り床に膝をつくと、“母”のお腹にそっと頭を寄せ、リーヌは“娘”の体をぎゅっと抱き寄せた。


 自然発生した彼女達はお互い出会うまで誰かに甘えたことも、甘えられた経験もない。


 それに加え成熟した女性に見えるリーヌも、四貴種のエルフの基準ではかなりの若輩で、薄明りの母という称号を持っていても、その基準では娘と言っていい年頃だ。


 ましてや彼女より若いクラウディアは、厳しく自らを律しているがまだまだ甘えたい盛りで愛情に飢えていた。


「貴女が素敵な殿方を見つけるまで独占しちゃうわ」


「……その前に母様が見つける必要があるかと」


「ふふふふ。言うようになったわね。どんな殿方が好み?」


「どんな?……優しくて頼りがいがあって、真面目であれば」


「そうね。そういった殿方がいいわね」


 優しく娘の頭を撫でるリーヌと、ぽつぽつと話すクラウディア。


 確かに穏やかな時間だった。


 しかし、災害は突然やってくるものだ。


「なっ!?」


 なんの前触れも予兆もなく、突然地下都市の上部で発生した眩い光の力に、リーヌとクラウディアだけではなく全ての住人が驚愕した。


『醜きカファルアンの眷属共め! 我が聖なる力を受けるがいい!』


 言いたいことだけを一方的にまくし立てる光の塊は、光の神であるルムと呼ばれる存在だ。


 神がそこそこ頻繁に姿を現せていた時代だからこそ、力の一端とはいえ神が降臨したのだが、ここで重要なのはルムが光の力を持っている神の一柱なだけであり、決して善とか良き側の神とは言えないことだろう。


『神罰!』


 実際にこのルムはカファルアンと敵対しているが、直接対決すれば死ぬかもしれないと判断して、態々この地にいるカファルアンの眷属に狙いを定めた臆病者だ。


 もしここに異界の怪人パソコーンがいれば、気に入らない奴の箱庭が上手くいってたら足を引っ張るタイプかあ……と呆れたことだろう。


 それはともかくとして、カファルアンを含めた一部の神が別件で全く手が離せない隙を突いたルムはその力を行使した。


「ぎっ!?」


「ぎゃああ!?」


 光に対して脆弱だからこそ地下世界で暮らしていた吸血鬼などの住人の肌が焼け爛れ、多くの民が光の届かない場所へ走り去る。


 だが真にルムが狙っていたのは、カファルアンの神官であるリーヌとクラウディアだ。


『腐った力を使うのならば腐れ!」


「っ!?」


 リーヌとクラウディアは声を漏らすことすらできなかった。


 青く艶めいていた肌はブクブクと音を立てて腐り始め、柔和だったリーヌの顔も、しなやかだったクラウディアの四肢も判別できぬほどに肉体が肥大化して、申し訳程度に着ていた服などあっという間にはじけ飛んでしまった。


 そして青や紫、緑が混じった肉塊は異常なまでの腐臭を放ち、黄色い膿と腐汁を垂れ流し続ける。


 艶やかだったトワイライトエルフの母娘は、神に呪われて地に倒れ伏すしかなかった。


 これが新生暗黒深淵団が活動を始める数百年前の話だ。


 荘厳だった地下都市の中心は今や腐汁に溢れ、それを留めている外縁部の建造物は大きな光の欠片が突き刺さっている廃墟と化した。


 そして住人も変わり、ルムが配置した意思なき光の兵士達が闊歩している有様だ。


 最早誰も立ち入らず、伝承でしか語られない廃墟。その中心で僅かに意思を残している母と娘は助けを求める。


(誰か……誰か娘を、クラウディアを……)


(誰か……母様を……)


 だがそれは決して叶えられない夢。


 の筈だった。


 なんと表現していいものか。


 ぎゅいーーーーんと、甲高い奇妙な音が廃墟となった地下都市に鳴り響いた。


 そして……地下都市の上を覆っている岩盤の一部から異界の機械、ドリルの先端が突き出てきた。


「う、うん? し、しまったあああああああああああ! 地下都市なんだから真下を掘ってたらそりゃ落ちるに決まってたあああああああ! ぬあああああああああああ!?」


 つまりである。地下空間のことをすっかり失念して自分の真下を掘り進んでいた馬鹿は、目的地にたどり着くと落下するしかない。


「ぐえええ!? ト、トワイライトエルフに告ぐー! 大人しく我が新生暗黒深淵団の軍門に降れー! 呪いを解く代わりに世界征服に協力するのだー!」


 頭を昭和でやられたシエンが、黄色の安全第一ヘルメットを被りメガホンで大騒ぎしながら、光と腐敗に汚染された廃墟都市にやって来た。


 全く釣り合ってない交換条件を引っ提げて。

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