感情を弄ぶ悪の首領の鑑
男女の営みで生まれない自然発生したハイエルフは、どういう理由かある程度の常識を持って生まれてくる。
だが実際に経験したものではないため、愛や恋、異性との関わりについての認識が乏しい場合が殆どだ。
しかもエルフの世界において高貴な者であるため、通常のエルフはそう簡単に声を掛けることなどできない、まさに頂で咲く高嶺の花である。
そんな高嶺の花が二輪咲く場所で、エルフ達が経験したことがない極限の暴力を振るい、あろうことか花を無遠慮に摘み取って駆け回っている馬鹿こそがシエンだ。しかもこの男、悪ガキ形態と青年形態で体格、口調、性格も若干違うため、エステルとイネスの感情はぐちゃぐちゃに引っ掻き回されていると言っていい。
そして最も問題だったのが、エステルとイネスの姉妹関係のように、自然発生した四貴種と呼ばれる上位エルフは、気になった相手を家族として取り込む敷居が低かった。
「んみゅ……」
ベッドで眠り寝息が可愛らしいイネスもそうだ。
エステルとイネスの家は、他のエルフより多少立派な木造の家だがそれでも慎ましいものであり、部屋に小物も殆どなかった。
それが今や、勝手にシエンがこの家を秘密基地認定したことで、新生暗黒深淵団のシンボルである外周がギザギザな渦のマークがついたタンスやソファ。時計やコップなどの小物が運び込まれてしまった。
寝ているイネスが身に着けている物もそうだ。
「すう……」
イネスの小柄な体を包んでいるのは、デビルに襲われた日に彼女とエステルの体を隠したシエンのマントだ。
彼女達が事件後に返却しようとしたこのマントは、悪ガキ形態のシエンが家に飾ってろと言ったことで今もイネスの部屋にあったのだが、その用途は彼が思っていた物とは違った。
確かにシエンが訪れる際は飾られているマントは、イネスにとって自分と姉を救ってくれた象徴のような意味合いを持っている。
そして事件直後に恐怖で眠れなかったイネスは、精神を安定させるためにその象徴を身に着けて横になった。すると眠れなかったのが嘘のように熟睡し、それ以降彼女は常にマントを抱くか纏って寝ていた。
吊り橋効果と言ってしまえばそれまでだが、イネスにとってシエンはやんちゃな遊び友達であり、庇護者にも成り得る兄貴分というぐちゃぐちゃな相手だった。
それは夜の集落を目立たないように移動しているエステルにとってもそうだ。
彼女から見ればシエンは目を離してはならない少年であり、やたら自分に対して強引な青年にして、自分の尊厳を守ってくれた男でもある。
「……」
そんなエステルが、新生暗黒深淵団エルフの森集落支部のプレハブ小屋に近づくと、視線を彷徨わせてから意を決する。
ここ最近の会話で、夜に灯りが漏れていない場合はシエンが悪ガキ形態となり、寝る子は育つと言わんばかりに寝ているか、集落にいないことが分かっている。逆に明るい場合は青年形態となって、書類を見ているかなにかしらの作業をしているらしいことが分かっていた。
「……シエン様。エステルです」
「あん? こんな時間になんだ?」
エステルが粗末で薄いドアを叩くと、中から少々粗暴な口調が返ってきた。
「中に入って構いませんか?」
「おーう」
低い声のシエンが青年形態となっているのは明らかで、エステルにとっての条件が満たされていたため、彼女はプレハブ小屋のドアを開いて中に足を踏み入れた。
プレハブ小屋の中は殺風景で、複数のパイプ椅子と大きな机、大型ながら粗末なソファの上に掛け布団があるだけだ。
どこをどう見ても豪奢な調度品などはなく、パイプ椅子に座って靴を脱ぎ机に足を乗せている育ちの悪い青年が、隠れ家で怠惰な生活をしている空間にしか見えない。
「あの、護衛の方達は?」
「ジジババ共は早寝早起きだから寝てる。そんで朝の四時、夜明け前に起きるんだぜ? 信じられねえよな。鶏でももう少し鳴くのが遅いんじゃねえか?」
エステルの問いにシエンは肩を竦めながら、机の書類を手に取って眺める。悪の首領のくせに警備がガバガバなのは、彼らが昭和の組織だからなのか。はたまた誰かが襲ってきても返り討ちにできるという自信の表れか。
だがエステルにとっては都合がよかった。
ぱさりと身に纏っていたローブを脱ぎ捨て、水浴びの際に着用している薄い布に包まれた身を晒した彼女にとって、他に誰もいないのは非常に都合がよかったのだ。
「あれか。私はどうなってもいいですから、村の皆を守ってくださいとかそんな感じだろ。悪の組織テストで出たところだ」
「きゃ!?」
だがエステルが床に伏して願いを口にする前に、願いを言い当てたシエンが一瞬で彼女の隣に移動すると、その体を持ち上げてソファに放り投げた。
「前にも言ったが、目に見えてないだけでバナナ園の警備は契約通り普通にされてるぞ。それでも来たってことは、書面だけじゃ足りねえから自分を使おうって発想になったな? 自己犠牲の精神が強すぎだろお前さん」
「……っ」
シエンはソファに座る形で投げたエステルの隣にどっかりと腰を落とし、足を組んで偉そうに座るが、考えを言い当てられたエステルはそれを気にすることなく俯いた。
だがシエンが大きく腕を広げて、ソファの背もたれに手を乗せたことで、彼の間合いの内に自信の身があることに気が付き、なぜかちらちらと自分とシエンの距離を確認してしまう。
「デビルの言ってたことを考えるとその気持ちは分からんでもないが、真面目も真面目だな」
女デビルの言動を思い出したエステルは小さく震えた。
彼女とイネスに際どい衣装を着せ笑っていた女デビルのことを考えると、地獄や魔界に連れ去れていかれるよりはマシだが、人間の方に連れていかれても、碌な目に会わなかったのは間違いない。
少なくとも長い寿命を全て、男のおもちゃとして嬲られながら生きていくことになっただろう。
魔界では自分が壊れるまで遊ばれ、人間の世界ではイネスがそんな悲惨な目に会うことを想像してしまったエステルは、無意識に唯一頼れるシエンに身を寄せようとした。
「まあ俺らも真面目に世界征服しようとしてるんだけどな! わははははは!」
するとシエンの背丈が縮んで悪ガキ形態となり、能天気な笑い声がプレハブ小屋に満ちる。尤も肉体面で昭和バフはあっても、知能面で昭和デバフがある悪の組織の真面目は、一般の真面目とは少々違うが。
「どうしても守るための力が欲しいってんなら、怪人パワーをレンタルすることもできるぞ。しかも昔と違って改造手術は必要なし! 地球で流行ってるらしい変身アイテム方式を採用した最新パワーだ! お試しで世界樹パワー・ユグドラシールか邪龍パワー・ニーズヘッグエッグ、どっちか使ってみるか? 対価は世界征服への協力だけどな」
「……はい?」
シエンの口から情報の濁流が発生するものの、最後以外なにを言っているかさっぱり分からないエステルは沈んだ顔から戸惑った表情に変わった。
「あ、そうだ。俺ちょっと出かけるから、もし怪人パワーをレンタルしたんなら、残ってるジジババの誰かに言ってくれ」
そしてシエンは好き勝手言い続けるが、その内容は世界にとって少々問題を含んでいた。
「なんか数百年前に呪われたトワイライト……? エルフ……の王族? いや神官? まあいいか。なんかそんなのがいて、今も生きてるとか聞いたから、そいつらを助けて世界征服に協力させる! 俺って頭いい!」
机に置かれた書類。そこにはエルフ四貴種の内、青き肌を持ち死と腐敗を司るトワイライトエルフの頂点が数百年前に神に呪われ、死にたくても死ねない腐った肉塊と化し、今も地下都市で彷徨っている伝承について記されていた。
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