釣れたのは魚か。それとも……。

「うがあああああああ! 黒白をやめて青、赤、紫とか色々試したのに、その度にどこぞの神との争いだの国との争いだの言いやがって! 色とひっくり返すことに過敏すぎるだろうが! ここの人間は闘牛と亀の合体怪人か!」


 恐怖のリバーシ文化侵略大作戦から暫く。シエンは未練がましく作戦に固執していたが、なにをどうやっても上手くいかないため地団駄を踏んでいた。


「こういう時は釣りだ釣り! バブル期のジジババ共も同じこと言ってたしな!」


 だが馬鹿はやはり切り替えが早く、お気に入りの釣り竿数本を引っ掴むと飛び出し、エルフの集落の近くに流れる川へ向かって爆走を開始した。


 一方、その川に繋がる小さな湖には先客がいた。


「いいお天気ですね姉様」


「ええそうね」


 エルフの習慣に従い、薄い布を身に纏って水浴びをしていたイネスが空を眩しそうに見上げ、エステルはそんな妹に微笑む。


 これ自体はいつもの光景だったが、ここ最近は明らかに違うことがある。


「でもシエン様は明後日が雨だと言ってました」


「そ、そう」


 イネスの二言目がほぼシエンか、彼に関わる事柄なのだ。


 尤もそれが何故なのかエステルはよく理解している。


 エステルもイネスも手を引っ張られたことなどない。村の業務以外のことで他のエルフから話しかけられ、気安く無駄話をしたこともない。ましてや遊んだことなどない。


 だがシエンは全く関係なく、集落のエルフにとって神聖なハイエルフの姉妹のパーソナルスペースにずかずかと土足で踏み入る。そして手を引っ張って仕事に駆り出そうとするわ、口も舌も回りすぎて話が止まらないわ、気分転換と称してリバーシに付き合わすわで、かつての姉妹では考えられないような人間なのだ。


 孤独を抱えていた彼女達の心などお構いなしな……。


「そろそろ戻りましょうか」


「はい姉様」


思考を打ち切ったエステルはイネスを促し、体を拭いていつものドレスを身に纏うと集落へ帰ることにした。


「ぐええええ!?」


 その道中でバシャーンという音と共に、最近覚えのありすぎる声が聞こえてきた。


 なにがどうなっているかなど、イネスもエステルも直接見ていないのにすぐ察せてしまう。


「変身! 思ったより深い!」


 慌てて駆け付けたイネスとエステルが見たのは、想定より川底が深かったせいで溺れかけたシエンが、青年形態となって川から這い出ていた光景だった。


「あー……ん? イネスとエステルじゃねえか。釣り竿がねえけど、お前らも釣り? ガチンコ漁は別世界じゃ違法だけど、こっちはまだ合法な感じか?」


「きゃっ!?」


「っ!?」


 唸りながら濡れた上の服を脱ぎ捨てたシエンが、悪ガキ状態とは若干違う口調で見当違いなことを口にする。だがイネスは可愛らしい悲鳴を上げながら真っ赤になって両手で顔を隠し、エステルは慌てて顔だけ背けた。


 しかしそれでもイネスは指の隙間から、エステルはちらりと目だけで見てしまう。


 細身なのに盛り上がった各所の筋肉、これでもかと割れている腹筋。そして左胸には、ギザギザが付いた渦のような新生暗黒深淵団のシンボルマークがあった。その戦うため、殺すために練り上げられた肉体に、思わずイネスとエステルはごくりと喉を動かす。


 この体に宿った戦闘力とそこから匂い立つような獣性はつい最近証明されており、もし押し倒されてしまえば全く抵抗できないことも彼女達は自覚していた。


「あ、あの。シエン様は魚釣りを?」


「おう。こっち来る予定のジジババが腰やったから、竿と椅子が丁度二つ余ってるんだけど釣ってくか? あ、エルフは魚釣って食っちゃ駄目とかそういう感じ?」


 イネスはおずおずと尋ねながら、まだ指の隙間からシエンの体を見ていた。だがシエンはそれを知ってか知らずか、体を拭かず上半身を露わにしたまま小さな椅子にどっかりと座って釣り竿を揺らす。


「いえ、そういった掟はありませんが……」


「ならやってけやってけ。集落のジジババに連絡して、お前さん達がちょっと遅れることを伝えとくわ。釣りしたことある?」


「いえ……」

(ご、強引というかなんというか……)


 エステルは強引に話を進めるシエンに抗し切れない。


 柔和な者が多いエルフの集落しか知らないエステルにとって、目つきが鋭く人相もガラも悪いチンピラのようなシエンの青年形態は全く未知のものであり、地球世界なら不良に流される世間知らずのお嬢様と例えられただろう。


「リールの使い方とか説明するな」


 そんな不良はお嬢様姉妹に無理矢理釣り竿を押し付けると、三人が並んで魚釣りすることを強制した。


「偶には釣り糸を揺らすような時間も必要だよな。あれこれやってたら行き詰まる」


 シエンは説明を終えると、真ん中は当然俺様だよなと言わんばかりに、美人姉妹を左右で侍らせて特に考えず口を開く。


「あの、シエン様はよく姿を変えられるんですか?」


「おう。特に戦う時なんて、ガキンチョ形態だと手足が短くて話にならねえからな」


(ガキンチョ形態……)


 シエンが口を開いたことで話しかけやすいタイミングと見たイネスが、彼に姿はよく変わるのかと質問し、それを聞いていたエステルは内心でもう少し飾った言い方はないのかと思ってしまう。


「まあ多少口調とか違うけど、偉大なるシエン様ってことに変わりはねえから安心しな」


 確かにシエンの言う通り、悪ガキだった時の口調とは多少違うのだが、態々自分に様を付けているあたり本質は全く変わっていない。


 その時である。


「え!? え!?」


「お。食いついたな」


 エステルの持っている竿がしなり、彼女は慌てて立ち上がるも魚を釣った経験がないためパニックに陥る。


「どうすれば!?」


 しかも中々大物が食いついたようで、パニックと合わさりエステルは体を大きく揺らしてしまう。


「いったん落ち着け。ほら、押さえてやるから」


「ひゃうっ!?」


 呑気なシエンの声に反して、エステルの口から奇妙な声が漏れる。


 それもその筈で、シエンは足元が覚束ないエステルを固定するために、彼女の胸部と腹部の間に腕を通し、まるで抱き寄せるかのような形をとったのだ。


「ほれ。教えた通りにリールを巻け」


「は、はい!」


 更に耳元で命令されたエステルはただ従うしかなく、腰が砕けた状態で腕だけ言われた通りに動かす。


「お! 来たぞ来たぞ! よし!」


 そんな状態のエステルだが、きちんとリールは巻かれて大きな川魚が姿を現し、シエンは彼女を開放してたも網で魚を掬い上げた。


「これで晩飯を確保したな。味は知らねえけど」


 喜んでいるシエンが魚を掲げても、エステルはそれどころではない。


 男が至近距離にいること自体が珍しいのに、半裸の男にがっしりと抱き寄せられた経験などある筈もなく、うるさい心音に気が付かずにぺたんと椅子に座ってしまった。


「あ!? シエン様、私の釣り竿も! あの、私も押さえて欲しいです!」


「よっしゃあ任せとけ!」


 すると次はイネスの持っていた釣り竿がしなり、固定を頼まれたシエンは彼女の腰を掴みやすくするためガキンチョ形態となる。


「頑張れー! ファイトー! 負けるなー!」


「はい!」


 小柄になったシエンがイネスの腰を掴んで支えながら応援している光景は微笑ましいものだった。


 イネスの釣り竿に食いついた魚はそれほど大きくなく、特に助けも必要なかったことを考えなければ。

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