世界と戦うための力。それこそが怪人。
シエンに付き従っている老いた戦闘員達が、クラウチングスタートのように姿勢を低くして走る。
その速度は実年齢を考えれば信じられないものであり、地球世界における百メートル走の世界記録を容易く塗り替えられるだろう。
『オオオオオオオオオオ!』
迎え撃つは吠える山羊デビル達。
山羊の外見のくせに人間のような手を握り締め、生物をぼろ雑巾に変えられる膂力で殴りつけた。
基本的にデビルは格闘術と言ったものとは無縁であり、生まれ持った力を定命の存在に叩きつけるだけで屍の山を築き上げてきた。
だからこんなことが起こるのだ。
「しっ」
「ふんっ!」
『ギャアッ!?』
戦闘員に拳をするりと躱されるだけではなく、日本刀や剣、ナイフで急所を切り裂かれるなんてことが。
(速度あり。威力あり。技量なし)
淡々と戦闘員達はデビルの戦力を評価しながら解体していく。
彼らは相互不信どころかうっかりと勘違い、機器の故障で世界が滅びかけるような綱渡りをずっと続けていた激動の時代を駆け抜け、想像を絶するスペックの昭和ヒーローと戦った歴戦の猛者なのだ。
そして常人の数十倍の力を持つだけではなく身に秘めた戦闘術は多岐に渡り、軍人であったならワンマンアーミーと分類され、こうやって悪魔すら凌駕するれっきとした戦力でもある。
だからこそパンチやキック一発で沈む戦闘員と侮ることなかれ。ヒーローと殴り合い時として追い詰める怪人がおかしいだけで、百tのパンチとキックを受けたら大抵は死ぬ。
『オオオオオオオオオオオ!?』
圧倒的立場から暴力を押し付けてきたデビルは技量と戦闘経験で上を行かれ、木をへし折る拳は一度も当たらずひらりと躱されてしまい、個体によっては唐竹割されるデビルすらいた。
だが何より問題だったのは、ただひたすら戦闘力を追求した悪の組織にとっての主力。
怪人がいることだ。
「……」
無言で歩む青年状態のシエンにデビル達が飛び掛かって襲う。
ここで怪人の役割について考えなければならない。
答えは単純。
殺戮と恐怖の化身。絶対悪にして最強の存在だ。
そして昭和の悪の組織にとって最重要戦略目標は、世界を破壊する瀬戸際まで騒いだ二大超大国である。
ならば戦車大隊の攻撃を弾き返し、艦隊による砲撃とミサイルの豪雨をものともせず、航空機の飽和攻撃を無視して、最終的には核戦力にも耐えきり、あらゆる戦線を粉砕する力が必要だった。
平成や令和に比べ昭和ヒーローが過剰なスペックなのは、そうでもなければ本気も本気で当時の二大超大国を敵に回し、実際に陥落させた悪の怪人達に対抗できないからだ。
そんな怪人が暴力の場にいたらどうなるか。
これまた答えは単純。
血の雨が降る。
僅かな動作だ。例えるなら、道にあったゴミを軽く蹴る程度の気楽さでシエンがデビルを蹴ると、それだけで破壊に結びつく。
『ギギャッ!?』
悪夢か喜劇か……シエンに軽く蹴られただけで小石のように吹き飛んだデビルは、何十回も回転して遠くの木にぶち当たると破裂した。
次にシエンは軽く蠅でも追い払うような気の抜けた動作をすると、手の甲が触れただけに見えるデビルは頭部が爆散して赤い霧となる。
一瞬だけ戦場に相応しくない静寂が訪れ、山羊のデビルも女デビルも。拘束されているエルフやエステルとイネスさえも、目の前で起こった光景が理解できずポカンとした。
シエンが巨人ならば分かる話なのだが、彼の姿はどう見ても瘦せた目つきの鋭い青年であり、そんな力があるとは思えないため、エルフやデビルにとっての現実と常識で乖離が発生しているのだ。
だが戦いの場で我を忘れるなど笑止千万の行い。
新しき悪の星は暴力としか言いようがない、あまりにも純粋な力を山羊のデビルに押し付け続ける。
デビルは腕を引っこ抜かれる。頭を粉砕される。体を握りつぶされてしまう。
怪人の人知を超えた膂力をまともに受けて無事な生命体など限られている。その限られた例外であるヒーローがこの場にいない以上、誰も怪人を止められない。
『ギャアアアアアアアア!』
殆ど悲鳴の雄叫びを上げたデビル達が、シエンを圧殺するため彼を囲み、一斉に襲い掛かった。
それがどうした。
『ギュバっ!?』
『ゲギっ!?』
続く断末魔の悲鳴はデビルだけだ。
あまりにも単純なシエンの暴力。殴る。蹴る。たったそれだけの攻撃でデビルは血の霧と化すのに、シエンの方はどれだけデビルから殴られようとなんの痛痒も感じていない。
ヒーローが百t以上もの力で殴り蹴り、それを更に上回る必殺技で決着をつけなければならないのが怪人だ。単に人間を惨殺するだけの力を誇示するデビルなど、両者の足元にも及ばなかった。
言葉通り世界と戦うための力の一端は、無言で大地を踏みしめ歩み続ける。
「燃え尽きちゃえ!」
これはまずいと判断した女デビルの手から赤黒い煉獄の炎が迸る。
もし人間に当たれば騎士の板金鎧は熔け落ち、骨すら残らない程に燃え尽きる地獄の炎だ。
「やった!」
そんなものがシエンに直撃したのだからが、女デビルが喜ぶのは無理もない。ただ想定が甘かっただけの話である。
じゃり。と土を踏む音がやけに響いた。
コキリと首の骨を鳴らす音もだ。
シエンは健在。それどころか驚異の科学力で作られた彼の黒い服とマントすらも燃えていない。
主力戦車の正面装甲すら熔解するヒーローの火炎攻撃を想定している昭和怪人にとって、板金鎧程度を威力の例えにする炎などぬるま湯同然。
「しゃっ!」
ならばと女デビルは、鉄の盾すら容易く細切れにする鋭い爪を伸ばしてシエンを殺害しようとする。
「え?」
だが結果は無常で非情だ。
シエンは爪を払いのけることも、防御の構えすらしていないのに、彼に当たった爪はぱっきりと折れてしまった。
怪人が全くフルスペックを活用していないのにこの有様では話にならない。
こんなものと相対すれば普通の存在ならば逃走するだろうが、エルフを捕まえるという契約に縛られている女デビルは、その手段が取れない。
「あーもー! 高位どころか貴族級デビルに匹敵する奴が介入してくるとか聞いてないんですけど! 次こっちへ来たら契約者をとっちめてやるんだから!」
それにもう一点逃げない理由がある。デビルはこの物質世界で死ぬことはなく、もし限界を超えるダメージを受けたとしても魔界に帰還するだけだ。そのため女デビルは面倒に巻き込まれたと文句を言うだけで、余裕の態度を崩さなかった。
「一応デビルとか邪神のこと調べたんだけどよ。お前らってこっちで死んでも魔界とか別次元に帰るだけなんだってな」
「そうそうー。でも安心して。次はあんたと関わらないって契約結んどくからさ」
至近距離でそのことを尋ねたシエンに女デビルは受け答えする始末だ。
だが昭和ヒーローがここにいれば顔を顰めただろう。そして悪の組織の面倒さを女デビルに教えてくれるかもしれない。
「戦闘員、怪人問わず基本的に悪の組織に殺された奴は魂ごと消滅するから復活しないぞ。超特殊なヒーローでひょっとしたら復活できるかも? ってレベルなんだからな。勇者はゾンビアタックできるかもしれんが、ヒーローがゾンビアタックできねえのは俺らが原因だ」
「は?」
「魂の再生とか破壊は悪の組織の専売特許なんだわ」
シエンの言葉に女デビルはポカンとするが事実である。
再生怪人が実によくある存在なのに、再生ヒーローが殆どいないのは、悪の組織が魂の操作において他の追随を許さず、ヒーローは怪人に殺された場合は復活困難なダメージを魂に受けるためである。
「そんでまあ俺が見たところ、お前は超特殊なタイプじゃねえから死ぬな。最低一万年以上前から生きてる魔女婆から教えを受けてる俺が言うんだから間違いない。周りで転がってる山羊だってそうだろ?」
それを丁寧に説明するシエンの顔は実に平坦で、血の気の引いた女デビルは、今更部下のデビルが魔界に戻らず、単なる死体として転がっている異常に気が付いた。
「ま、待って! 何でもするから殺さないで!」
女デビルはエステルやイネスへ言ったように踊ったり褒め称えたりはせず、直球で命乞いをした。死なないと高を括っていた存在ほど死を恐れるものであり、ましてや魂すらも消失することを恐れぬ者はいないだろう。
だが命乞いが通用するのは正義のヒーローであり。
「あばよ」
悪の組織には通じない。
「待っ!?」
頭で発生したごしゃりという音を女デビルは認識できたのか、それを確認する術は誰も持っていなかった。
「さて」
作業が終わったとばかりに再び首の骨を鳴らしたシエンが、ショーの景品となっていたエステルとイネスに視線を向ける。
「どうか!」
「あっち向いてるからよ。着替えてくれや」
そしてエステルとイネスが命乞いを言い終える前に、シエンのマントが空を舞いながら二つに裂け、露出の多い衣装を無理矢理着せられている彼女達に巻き付いた。
「その後にバナナ園の雇用契約な」
なお彼がどこまで行ってもガバガバな悪の組織の一員であることを忘れてはいけない。
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