◆シロとクロと旅の終わり

電磁幽体

 【二人】

 魔法使いの少女は死体だらけの村を通り過ぎようとしていた、が、一人の飢え死に寸前の少年と出会った。

 少女は魔法で食べ物を作って、少年はそのごちそうをぺろりと平らげたあと、「ありがとうございます。このご恩は忘れません」と少女に跪き頭を地面に擦り付けて、涙を流して感謝した。

 少女はこの世のしがらみが嫌で一人旅をしていた。そしてその一人に、もの寂しさを覚えていた。

 生まれてからずっと一人だったから、だから、つい、少年にこう言った。

「少年よ、どうせ今から行く当てもないでしょ? だからさ、一緒に旅しない?」




 【樹海】

 ジジジジと虫のさざめき、クワークワーと鳥の鳴き声、ギャオンギャオンと獣の叫び声、それらは重なり合いエキゾチックな不協和音を成して辺りを反響する。

 生い茂る木々の隙間から零れる無数の光は、明るすぎず、暗すぎず、優しく二人を照らす。

 継ぎ目無き真っ白な絹のドレスを纏った銀髪少女シロと、安くて黒い布生地の半袖半ズボン姿の黒髪少年クロ。

 シロは陽気で明るい笑顔を浮かべながらこの世界を楽しむように意気揚々と右手を振り回して、クロは臆病で弱気な表情を浮かべながらこの世界に怯えるようにシロの左手を握り締めて。

 シロとクロは草木に覆われた地面をガサガサと踏みしめながら歩いてゆく。

 シロは赤色に煌く宝石のような瞳で、樹海から何が出てくるか分からず怖がるクロ見て、「大丈夫」と笑顔で囁いて。

「クロは可愛い顔してるんだからさー、そんな表情は勿体無いぞー? 笑いなよ。ハハハッー! ってさ」

「シロ様のほうが——」

 おどおどとしたクロの唇を、シロは柔らかい親指と人指し指で優しく摘んで、「メッ」と嗜めた。

「——様付けはダメって言ったじゃない。私たち、友達でしょ? 友達は友達のことを様付けで呼ばない」

「……シロ。シロ、シロのほうが、可愛いよ」

「……当たり前じゃない! わたしは生まれつき可愛いよ!」

 シロは変に意地を張ってクロにまくし立てる。

「それより、ほら、笑って、笑って! にぱーってさ」

 言うが早いや、シロがクロの両頬を引っ張って無理やり笑顔を作った。不器用なクロの笑顔を見て、シロはそれが可笑しくて「あはははー」と快活に笑う。それに釣られて、クロも自然に屈託無く「あはははー」と笑う。

 二人の「「あはははー」」は樹海に響き渡り、その「「あはははー」」は余計なモノにまで届いてしまった。

 ドサリドサリと轟く足音。メキメキと折られゆく草木。グオオオ! とあからさまにヤバイ叫び声を響かせる。

 そして立ち止まるシロとクロの目の前に現れた、高さ五メートルの、ゴツゴツの、紺色の獣。この樹海の、主。

 その鋭い牙の羅列から長い舌が覗いて、そこからぽとぽとと透明な唾液が滴る。唾液は草木に染み込んでゆく。

 クロは怖気づいて尻餅を着く。しかしシロは、そんなクロとは対照的に、獣に劣らず凶暴な笑顔を浮かべていた。

「King of Swords Wands Cups Coins」

 突如シロのいる空間から、シロ以外の音が消える。シロが纏う純白のドレスがふわりと重力を無視して翻る。

「我、カパラーのアツィルトにより力を借りし者。四大元素(リゾマータ)たる炎よ。獅子宮よりその姿を現せ!」

 無限もの極小の灯火がシロの周りに出現し、灯火は連なりながら、あっという間に大きな五芒星を地面に描く。

「焼き尽くせ、炎を示す者(サラマンダー)」

 ……次の瞬間には、紺色の獣は焼け焦げて地面に這いつくばっていた。




 【洞窟】

「クロ、今夜は焼肉よっ」

 シロは気分良さげに鼻歌を小さな洞穴に響かせながら、何も無いはずの空間から調理道具を取り出してゆく。

 クロは岩壁にもたれながら、そんなシロをなんだか朗らかな表情で眺めていた。

 二人は樹海を抜けて、暗くなってきたので、ちょうど良い感じの洞窟を見つけたこともあるので、一夜をここで過ごそうと。シロが魔法を使って灯火を作ったお陰で、洞窟であることを感じさせない明るさだった。

 その明かりが映すシロとクロの服には、シロによる魔法のコーティングによって汚れ一つ着いていなかった。

「今更だけど、シロはさ、何で旅をしようと思ったの?」  

 クロは寒そうに両手を擦りながら言う。それを見たシロが「ken」と呟くと、たちまち洞窟の中が暖かくなった。

「旅がしたいから、……というのもあるけど……わたしさ、自分で言うのも何だけど、あっちじゃ結構名の馳せた魔法使いなんだ。もう、出会い頭に一般市民が跪くレベルの。生まれた時から貴族としてチヤホヤされて、魔法使いになって、またチヤホヤされて。なんだか、それが嫌になっちゃって」

「……そ、そんな人に、ぼくが気安く話しかけても、いいのかな……。ぼくみたいな、浅黒い肌を持った卑しい血族の人間が、白い肌を持った貴族、更には魔法使いのシロ様に。ぼくなんかが」

「だから様付けで呼ばないで、って言ってるでしょ。わたしの、……唯一の友達なんだから、ね」

 シロは、時折悲しげな表情を見せる。

 クロは、自分が卑しい血族の人間、シロの傍に居てはならない人間だと言う事を自覚している。

 けれども、悲しげなシロの姿を見るのは嫌なので、シロの傍に居たい、とクロは思う。

 そして、実はそんなことなど一切関係無しに、シロの傍に居たい、とクロは思う。

「それに、卑しい血族だとか貴族だとか、そんなの関係無いじゃない! わたしもクロも、同じ人間よ……」

 シロとクロは、眼を合わせずに、二人して地面で燃えゆく明るい灯火を眺めながら、しばらくの間……

「ああ! いや! わたし、湿っぽいの大嫌い! ほら、肉食べましょ肉!」

 シロはぶっきらぼうにドレスの袖で湿った目元を拭って、何も無い空間から鉄串で突き刺した血の滴る生肉を取り出して、即座にがぶつく。

 その瞬間に生肉であることに気づいたシロは、顔をしかめながら、何かをブツブツと唱えて、——その生肉を眼も眩むような炎がボォッと覆った。一瞬のちに炎から現れた肉は、もう生肉では無く、こんがりと綺麗に焼けた肉。

「ワイルド感溢れるこんがり肉の出来上がりねっ」

「調理器具、用意した意味なかったね」

 二人はまた笑い合い、「「あはははー」」という声は洞窟の中を往復していった。

 シロとクロはびちょびちょと愉快に油を飛び散らせながら、こんがり肉を豪快にがつがつと食べていった。

 やっぱりシロはこうでなくちゃ、とクロは思った。

 



 【草原】

 二人が歩く場所は、四方を見渡す限り果てが無いような、一面が風に揺れゆく緑色で染められた場所。

 空を見渡せば、雲一つ無い、一面が晴れた青色で染められた場所。

 草原と青空、緑色と青色だけの世界に、白色と黒色は、二人は居る。

 シロとクロは、まるで二人だけがこの世界にぽつんと存在しているような感慨を覚える。

 ふと風が吹いた。

 風は生き物のように草原を揺らして、その風の軌跡を自由気ままに描きながら駆け抜けていった。

 風たちが草原を揺らして、その緑色の濃さを変えてゆき、色とりどりな緑色に。

「なんだか、自分の悩みが、すごいちっぽけに感じるわ」

「そうだね、シロ」

 風は草原だけではなく、遥か地平線を憂うように眺めるシロの銀色の長髪を揺らす。

 ばさりばさりと銀髪がたなびくその優雅な姿に、クロは眼を奪われた。

「ティータイムにしましょ」

 シロは自身の銀髪を魔法で風に揺られないようにし、そして何も無い空間から高級そうな木製テーブルと椅子を取り出した。それらを地面にどさりと置いて、二人は椅子に座る。

 静かだった。びゅうびゅうと鳴く風の音、ざあああと風に揺られる草の音、二人が作り出す音以外、何も無かった。

 シロがティーセットを空間から取り出して、優しく微笑みながら紅茶を作るその姿は、見事にサマになっていた。

「どう? 美味しい?」

「……美味しい」

「そう、良かった」

 二人は、ゆっくりと紅茶を味わいながら、無限もの草原と青空を堪能していた。

 シロとクロは、まるでこの世界が二人だけの世界であるような感慨を覚えていた。




 【黄昏】

 廃棄された古城のなか、シロの作り出す灯火を頼りにして、真っ暗な城の中を、コツンコツンと寂しげな音を立てながら二人は歩いてく。辿り着いた最上階の扉を開けると、まず眩い朱色が二人の眼に飛び込んできた。

 暗闇に慣れた眼が、徐々に明るさに慣れてゆく。

 太陽が、連なる山々に隠れようとしていた。太陽が、沈む寸前に放つ、最後の輝き。

 薄命の黄昏は、世界を包み込んで、そして二人を魅了した。

「……誰そ彼」

「どうしたの? シロ、」

「夕暮れになるとね、薄暗くなって、顔の見分けがつかなくなっちゃうんだって。だから、誰だ彼は。誰そ彼」

「面白いね」

「クロ、わたしが、誰だか分かる?」

 シロがクロを振り向く。シロは黄昏を反射してなお輝く。純白のドレス、銀髪を煌かせて。

 ……確かに、シロの顔に黄昏が差して、それがシロの顔なのかどうか分別が付かない。

 それでも、

「君は、シロだよ」

 今この場所には、二人しかいないのだから。




 【砂浜】

「クロ! 早く来てよほら!」

「うん分かった! ちょっとまって!」

 クロは戸惑いを隠せなかった。

 シロはあの優雅な純白のドレスを脱ぎ払い、長い布で胸を隠すように縛って、白い絹のパンツ一枚なのだ。

 海水が行ったり来たりを繰り返す砂浜をばしゃばしゃと無邪気に駆けるシロ。

 まるでそんなことなど一切気にしていないかのような、純真無垢な姿。

「おうい! はやく!」

 シロは右手を必要以上にぶんぶんと大きく振る。

 クロは戸惑った挙句、自分のそれに「反応するなよ?」ときつく戒めてから、黒い半袖だけを脱いでシロの元に駆けて行った。

 するとシロは、追いかけるクロから逃げるように、どこまでも続く砂浜を駆けていった。

 シロに来いと言われたからシロの元に行こうとしているのに、そのシロはクロから遠ざかろうとする。

 なんだかクロはいつになく意地になっていた。

 シロ目掛けて浅い海水をばしゃばしゃと踏みしめながら、全速力でクロは疾走する。

 全速力のクロから全速力で逃げようとするシロ。

「シロ待てー!」

「あははー、クロさんこっちだよー?」

 傍目から見れば、じゃれ合っているようにしか見えなかった。

 しかし、少年少女の生身の体力となれば、当然、少年に分があった。

 逃げゆくシロの右手をクロはがっちりと掴んだ。

 その拍子にシロは躓いてこけて、それに釣られるようにクロもこけた。二人は絡み合うようにこけて、海水をばしゃんと散らしながら、砂浜に、まるでシロにクロが覆い被さるように。

「……」

「……」

 二人はしばらくの間、無言のままフリーズしていた。




 【星空】 

 夜空に浮かぶ無数の星々を眺めながら、二人は語らっていた。

「シロ。僕の左頬、いまでもヒリヒリするよ」

「ク、クロが悪いんじゃない! そ、その気でもあるのかと思ったわ!」

「その気?」

「な、なんでもない! なんでもないったらなんでもない! はい終わり!」

 真っ白な頬を真っ赤に染めながら、シロはふんっとそっぽを向く。

 二人は後ろ手を支えにして星空を眺めている。

「……その気がどうかは知らないけど、ぼくは、シロのことが好きだよ」

「はい!?」

 シロは突然のことでたじろいで、赤くなった頬を更に紅く染めて。

「当たり前だよ。初めて会って、どうしようもない何の価値も無いぼくの命を救ってくれて、行く当てのない取り得の無いぼくを、旅に、色んなところに連れていってくれて」

 クロは回想するかのように、真上を見上げる。ちょうど、あとほんの少しで満ちる月を眺めて、クロは語る。

「ぼくは、あのとき、もう何も思ってなかった。

村の人間も、家族も、全員飢えて死んで、ぼくだけが、何故かまだ死ななくて。自殺する気力も無くて、本当に、どうしようもなかった。生きようとも、死のうとも思わなかった。

でも、奇跡が起きたんだ。シロが、あの場所に来て。シロがぼくに食べ物を与えてくれた。

ぼくは無我夢中で食べて、食べきったあとから、また、生への執着が芽生えた。生きたい、生きたいってね」

「わたしは、そんなつもりは無かった。目的もなくこの世界を歩いて、ずっと歩いて、ただ歩き続けて。

そうしたら、たまたまクロが生きていただけ。だからわたしは、クロを救った。

もっと早くあの場所に来ていれば、もっと多くの人を救えた。

でもわたしは、自分から救おうとしない、たまたま目の前にいる人間しか救えない、救わない、ちっぽけな魔法使いだよ」

「だったら、もっと、救おうよ」

「……え?」

「ぼくは本当に何も出来ないけど、シロは、立派な魔法使いじゃないか」

 クロはふぅと一息いれて、今度はシロの顔を見る。シロも、クロの顔を見る。

「シロは、チヤホヤされるのが嫌で、街を去って、この世界を彷徨っていたんだよね。でも、チヤホヤされるってことは、貴族だとかそんなの関係無しでシロのことをありがたいと感謝しているからで、何故感謝されるかと言うと、シロは魔法使いとしてその人たちを救っているからじゃないのかな?」

「……そうだね」

「だから、ぼくを救ってくれたみたいに、もっと、人々を救ってくれたら……ぼくは嬉しいな」

「……うん。分かった」

 シロは、瞳に涙を浮かべながら、クロに抱きついた。

「そうする。わたしは、もっと人々を救う。でも、これだけは聞いて、クロ。わたしも、クロのことが、好きだよ」

 シロの差し出す唇に、クロは唇を重ね合わせた。

 星空の下、二人の少年少女は短いキスをした。

 けれどもクロは、それ以上のことをしようとはしなかった。

 決して、幼くて淡い感情に浸っていたからというわけではない。

 クロは夜空を見上げる。

 あとほんの少しで満ちる月を眺めて、クロはそれを羨ましく思った。




 【白黒】

 二人は、共に、シロのいるべき街に帰ってきた。

 シロは高貴にして偉大なる魔法使い。

 当然、人々は手放しで喜んでシロを祝福した。

 一方、クロは違う。

 クロの浅黒い肌の色を見るだけで、人々は、「卑しい血族」とクロを罵り、軽蔑し、侮蔑し、迫害した。

「奴隷ごときの存在が何故シロ様の手を握っている!?」

「ふざけるな! お前が居ていい場所じゃないんだよここは!」

 人々の理不尽な怒りは連鎖し、街中を巻き込んで叫びを、「出ていけ!」と、共鳴させた。

「止めて! みんな! お願いだから止めて! クロは、わたしの大切な友達なんだよ!」

 悲痛な表情で訴えるシロの声に人々はどよめくが、すぐにそれは納まり、理由の無い差別が始まる。

「友達だなんて滅相もない! こやつはただの奴隷ですよ!? 人でなしですよ!?」

「そうです! 卑しい血族の畜生です! こいつがシロ様と一緒にいるだけで、シロ様が穢れてしまいます!」

「——こんなやつ、さっさと殺してしまおうか!」

 誰かが最後にそう叫んだとき、シロは「King of Swords Wands Cups Coins」と呟いた。

 突如シロのいる空間から、シロ以外の音が消えた。シロが纏う純白のドレスがふわりと重力を無視して翻った。

「我、カパラーのアツィルトにより力を借りし者。四大元素(リゾマータ)たる炎よ。獅子宮よりその姿を現せ!」

 魔法を、使おうとしているのだ。魔法を使って、人々を焼き尽くそうと。

 そんなシロの右手を、クロは強く握った。

 音は戻り、ドレスは元通り重力に従って垂れ下がる。

「シロは、この人々を救うべきなんだ。そんなことを、してはいけない」

 シロの両目からとめどなく零れ落ちる涙を、クロは指で拭って、最初から全てを悟っていたような口調で言う。

「シロとは、ここでお別れだね。ぼくは、今まで楽しかったよ」

 嗚咽を漏らし続けて喋ることすらままらないシロの銀髪を撫でて、最後にクロは言う。

「奇跡をくれて、ありがとう。ぼくの大切な、シロ」

 クロはシロの元を去っていった。

 人々がざわざわと道を開けてゆきながら、クロは街の外まで出て、そうして、クロは世界のどこかに去っていった。




 【一人】

 魔法使いのシロは人々を救う。

 けれどもそこに、意思は無く、ただ使命感だけに動かされ。

 楽しきモノクロの日々は過ぎ去って。

 今ではもう、何も無い、真っ白な日々だった。




 【END】

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