美南先輩はぐうたらキャリアウーマン!?

飴詩家

美南先輩のぐうたら記録 file.1

東京にあるオフィスビルの七階。

法人向けにソフトウェアを提供しているうちの会社。そこの開発二課、通称『トラブル対応課』で俺、藤堂弘隆とうどうひろたかは働いている。


定時の十分前――――――。

 サラリーマンにとって、この時間ほど大事なことはない。


「なあ、藤堂」


 そんな時間に係長に声をかけられた。

 この時点で嫌な予感しかしない……。


「なんですか? 長居ながい係長」

「お得意様のビー・ラビットさんから電話があって、システムに不具合があるそうだ。詳細は君へメールしておいたからすぐ対応してくれ」


 俺は心のなかで最悪だと思った。あと少しで何事もなく退勤できるって思っていたのに……!


「……わかりました。すぐ対応します」


 取引先の不具合に対して、回答はひとつ。「ハイ分かりました」の一択だ。


(あぁ……せめてタイムセールに間に合うといいな……。薄給だからセールは逃せないのに……)


 俺は仕方なく係長から送られてきたメールを開いて確認してみる。添付ファイルに不具合が発生した詳細が記載されているようなのでダウンロードして確認する。


【不具合の詳細】

発生時刻:午後三時三十分

不具合詳細:なにもしてないのに動かない


……俺は頭を抱えた……。


「なんっも分かんねえなコレ……」


 せめて「こういう操作をしたらフリーズした」とか「このボタンが押せない」とかなら分かるけど、なんのヒントもない。

 仕方なくしらみ潰しで原因を調べていく。とりあえずコード表を開いて、エラーログが出ていないかを確認する。

 しかしログは出ない。

次は、ソフトを起動して一通り操作を試してみる。が、すんなり動作する。


(ということは、単純なシステムエラーじゃないってことか……)


 色々と調べてみるが、一向に分からない。三十分くらい色々試してみたがなんの情報も得られなかった。


(仕方ないな……。これは『ホットライン』使った方がいいな)


 時刻を確認すると、退勤時間は過ぎている。俺はスマホを取り出し、先輩に連絡してみる。


(頼む、出てくれ……! せめてまだ社内にいてくれ……!)


『あ、もしもし? どうしたの?』

「先輩、お疲れ様です。ちょっと開発二課まで来てくれませんか?」

『えー……。この時間の藤堂くんの呼び出しって確実に面倒なことじゃん。なにがあったの?』


 電話口にめんどくさいって気持ちが伝わってくる。


「実はビー・ラビットさんから連絡があって、システムが動かないそうなんです。一応色々確認してみたんですけど、別段異常はなくて……。システムの設計作った先輩なら分かるかなって……なんとか来てもらえないですかね?」

『なるほどね。分かった。すぐ行くね』

「! ありがとうございます!」


 そう言うと俺は通話終了ボタンを押した。システムを作ったプログラマーが来てくれるなら安心だ。きっとタイムセールには間に合うと信じて、俺は先輩を待つことにした。


「すまん藤堂。俺は先帰るから、不具合の原因が判明したらすぐに連絡してほしいって。はいこれ。ビー・ラビットさんの電話番号。じゃ、お疲れさん」


 長居係長は一枚のメモ書きをデスクに置くと、そのまま帰っていった。


(あの野郎……! 部下が仕事してるんだから帰るなよ! せめて不具合の原因分かるまで残ってろよ! 上司だろ!)


 俺は心のなかでそんな事を考えながら、「あ、ハイ。お疲れ様です」と返す。

 部下に仕事押し付けて帰るってマジで最低な上司だな……。そんなことを思いながら俺は先輩の救援を待つ。



             ◇  ◇  ◇  ◇   



 数分後、開発二課の扉が開く。

 男性社員は一斉にその来訪者の方に目線が行っただろう。

 なんせ社内で一位二位を争う美人が入ってきたのだから。


「藤堂君、お疲れ様。不具合の報告書読ませてくれる?」


 黒いロングヘアをなびかせ、小さく手を振りながら笑顔で俺のデスクの側に立つ。


「お疲れ様です、美南みなみ先輩。これが長居係長が受けた不具合の詳細です」


 画面に係長から送られてきた不具合の報告書を表示する。すると美南先輩は周囲をキョロキョロと見渡す。


「その電話受けた長居係長は?」

「あーその……帰りました」

「なるほど。さすが恐妻家の係長だね。家に早く帰らないと怒られちゃうもんね」


 美南先輩はクスクスと笑いながら画面を見る。


「え、なにこれ?」

「一応、不具合の報告書です……」


 俺は恐る恐る答える。


「いやいや情報少なすぎるでしょコレ……。とりあえず色々確認するから、イス借りていい?」


 俺は「勿論です。どうぞ」と言って立ち上がった。先輩はイスに座るとデータチェックを始めた。

 このままここに立っていても手持ち無沙汰だし、呼び出した側だし、俺は先輩に「飲み物買ってきます」と言ってその場を離れた。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 休憩スペースに行き、俺は自分用の緑茶と先輩のホットココアを購入した。

 すると同じ開発二課の後輩である広崎が入ってきた。


「あ、藤堂先輩、お疲れ様です」

「おお、おつかれ。広崎ひろさきも残業?」

「いや俺は帰る前に炭酸でも買おうかなって思って。……あのー先輩、今先輩の席に座ってるのって開発一課の美南姫みなみひめさんですか?」

「え、ああ。そうだけど?」

 俺は取り出し口から二本の飲み物を取り、広崎に譲る。広崎は小銭を入れ、コーラを押した。ガタンッという音とともにドリンクが出てきて、広崎はそれを手に取る。

「いや初めて見たけどめちゃくちゃ美人ですね! ぱっちりした目に、ちっちゃい体に見合わない巨乳! それにスーツに黒タイツってめちゃくちゃエロいじゃないですか!」


 広崎はコーラを開け、一口飲んで俺に同意を求めてくる。


「まあ社内の一番人気らしいからな」

「いや男性社員の間で超人気ですよ! かわいくて、スタイルよくて、バリバリのキャリアウーマンで、人当たりも良くて最高の人だって! まさに完全無欠の美人ですね!」


 広崎は一人テンションを上げてそう話す。しかし俺はあまりテンションが上がらなかった。


「……完全無欠、ではないんだよなあ美南先輩って」

「え、なんスか? 美南先輩ってなにか弱点とか苦手あるんスか?」


 広崎は聞きたそうに目を輝かせる。


「完璧に見える人はいても、実際完璧な人なんていないってだけ。美南先輩も社内ではすごいけど、私生活はどうかなって思うだけ」

「え? 先輩、美南先輩の私生活知ってるんですか!?」

「想像だよ、想像」


 俺はそう話を切り上げると美南先輩の元へ戻った。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



「解決したよ藤堂君」


 席に戻ると、先輩は笑顔で迎えてくれた。


「えっ。もう原因分かったんですか?」

「うん。全部チェックしたけど、向こうの言うような不具合はやっぱり出なかった。だから原点に戻って、『なにもしていない』を本気で信じてみた。そしたら……ほら。これ見て」


 そう言って先輩は俺のデスクのパソコンの画面を指差した。俺は画面を覗いてみる。


「えっ…これって…」


画面に映っていたのは動かなくなったと言っていたパソコンのスペック情報。

そこには現在では使ってる人はいないであろうとされる数十年前のPCからのアクセスログが表示されていた。


「多分、古くなったパソコンに再導入しようとしたんだろうね。だけどOS自体のサポートも終わっているし、これはうちでも保障しきれないね…。相手先にそのパソコン自体使い物にならないから交換を要検討してくださいって伝えた方がいいね」

「ありがとうございます! ホント、助かりました!」


 先輩はそう言うと俺の手からホットココアを手に取り、「あとはよろしくね」と言って二課を出ていった。


 その後、俺はビー・ラビットさんに電話を入れてお使いの端末が提供しているシステムの対象外であり、旧型過ぎてサポートができないことを説明した。

 そして時計を確認。先輩が解決してくれたおかげで時間は対して経っていない。


 走ればタイムセールに充分間に合う。俺は大急ぎで荷物をまとめて、退勤ボタンを押した。エレベーターで一階に降り会社を背に大急ぎでスーパーへダッシュする。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 スーパーに着いた瞬間、スマホがブブッと鳴った。誰かが俺にメッセージを送ってきたみたいだ。スマホを確認してみると、


『今日はお刺身がいい。あとスパークリングワインがほしー!』

と書かれていた。

俺は走りながら『飲むんですか!?』と返信する。


するとすぐに返信が来た。

『当然! 今日は記念日だからね!』


 記念日……? 全く思い当たる節がない。だがとりあえず指示通りにするしかない。

 俺はカゴを取り海鮮売り場へ真っ先に向かった。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 スーパーでの買い物を終え、俺はエコバッグ片手に帰り道につく。

とりあえず指示通りマグロやホタテ、イカと少し高めのスパークリングワイン、他にもお肉や野菜、調味料とお菓子を購入した。

スマホを再び確認すると、何件かメッセージが届いていた。開いてみると『遅い!』『早く!』『おーなーかーすーいーたー!』などひたすら早く帰るように指示する連絡だった。

ため息をひとつ吐き、俺は帰りを急いだ。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 家のアパートの前まで来ると俺の部屋の電気が付いていた。

 ここでもう一度、ため息を吐く。絶対家の中にあの人がいる。しかも俺の予想だと俺の家のお菓子を食べてソファでくつろぎゲームをしているだろう。


 そんな予想を立てつつ、階段を登り、家のドアを一度引いてみる。ガチャッと音はするが、開かない。もうこの時点であの人がいることが確定した。


 俺はジャケットのポケットからカギを取り出し、ドアを開けると予想通りの光景が目に入ってきた。


「あ、遅いよ藤堂ー! お腹へった! ご飯ー! 早く!」


 ウチのソファに横たわりながら、真剣にスマブラをしている、黒髪のすごく体つきのいい女性がいた。彼女はTシャツにスパッツを履いてくつろいでいた。


「あの……勝手に部屋に入ってくるのやめてくださいって何度目ですか!? 美南先輩! それと、勝手に人の家のビール飲まないでください!」


 美南先輩はこっちを見ず一言答える。


「えーいいじゃんいつでも来れるんだし、どうせ藤堂にご飯貰いに来るんだしー。で、買ってきた? お刺身とスパークリングワイン!」

「買ってきましたよ……。今用意するんで待ってください」


 俺はそう言うとジャケットをハンガーにかけネクタイを外し、エプロンを身に着けながらチラリと壁の穴を見た。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 最初は本当に事故だった。


 元々、アパートの大家さんから「ウチは古くてねえ。ここの壁が若干ヒビ入ってて脆いから、大きな衝撃与えちゃダメだよ。その分家賃は安いからねえ」と言われていた。なので俺はその部分に家具を置かず過ごしていた。


 しかしある日、その壁が思いっきりぶち抜かれた。


 隣の家の住人がクローゼットの移動を失敗し、壁に思いっきり激突させたらしい。俺がシチューを作っていると、壁をぶち破り俺の部屋にまでクローゼットが倒れてきたのだ。


「うへぁっ!? なに!? なに!?」


 俺が驚いていると壁の穴から女性が頭を下げているのが見える。


「す、す、す、すみません! 本当にごめんなさい……! あの、クローゼット設置しようと思ったら失敗しちゃって! 弁償しますから……! その、お金ないので分割になると思いますけど……!」


 謝る女性を見て、俺は「あれ? この人どっかで見たことあるような……」と思い、記憶を辿る。


「え……もしかして美南先輩!?」


 この時、初めて隣の家の住人が美南先輩だと知った。そしてとりあえずシチューの火を切り、先輩とクローゼットを起こして穴の隣に移動させた。


「本当にごめんね……! それにしても隣の家の人が藤堂君だったなんて」

「とりあえず大家さんに連絡ですかね……?」


 そういった時、ぐぅーと大きな音が鳴った。先輩の顔を見ると真赤にしている。


「……あの、うち今晩シチューなんですけど、食べます?」

「……いただきます……」


 とりあえず俺と先輩は穴が空いたときの壁の破片や粉を掃除し、テーブルにシチューやご飯、サラダを二人分並べ食べ始めた。


「……んっまーい! これすごく美味しいよ藤堂君!」

「ははは、ありがとうございます」


 当時から、課は違うが何度か一緒に仕事をした程度の面識だった。でも「美人な人だな」と思っていたので、これを機にお近づきになれるかなと少しやましいことを考えていた。


「いやーまともな夕飯なんて二週間ぶりに食べたよ」

「……え?」


 今、さらっとすごいこと言わなかったか?


「あの、先輩って普段夕飯なに食べてるんですか……?」


 聞くのが怖かったが、恐る恐る聞いてみた。


「カップラーメンか、お酒とカルパスの二択。たまに定食屋さんに食べに行くかなー」

「自炊しないんですか?」

「うん。ほらマンガであるじゃん。真っ黒な焦げっ焦げ料理。私が料理すると十回に九回あれになるから」


 先輩は美味しそうにシチューを食べながら答えてくれる。


「残りの一回は?」

「見た目普通だけど食べると病院送り」


 そこでなんとなく穴の方向を見る。お互いの部屋に電気が付いているので先輩の部屋も見えた。

 床に積まれた衣類や雑誌、本の類。飲みきった空のペットボトルに空き缶の数々。この時点で察した。


「美南先輩って生活能力ゼロなんですね」

「うん。全くできないしやろうとも思わない! できなくても生きていけるしね。ゴミ袋にテキトーに放り込んでゴミに出したり、服はまとめてクリーニング出せばいいし」

「いや、ゴミはちゃんと分別してください! それに洗濯くらいしましょうよ! 洗濯機ないんですか!?」

「ないよ。だって使い方も洗剤の分量もわかんないし」


 俺はため息を吐いた。まさか社内で美人かつ優秀と噂の美南先輩がこんなにダメ人間だったとは……。


「分かりました。とりあえずご飯食べ終わったら、洗濯する衣類全部持ってきてください。僕が洗濯機回します」

「え、ホントに!?」

「ただ干すのは自分でやってください! その……下着とか、扱いに困るので……」

「えーヤダ。干すのも藤堂君やってよ」

「いや下着とか男の僕には扱いに困りますって!」

「私が気にしないから大丈夫!」

「こっちが気にするんです!」


 先輩は相変わらず美味しそうにご飯を食べている。俺もこの後、穴のことどうしようかと考えつつ、洗濯のことも考えつつご飯を食べた。


「ねえついでの頼み事していい?」

「なんですか?」

「部屋の掃除もしてくれない……? 足の踏み場がなくて困ってるんだよねー」


 確かにあの部屋の惨状では足の踏み場などないだろう。そして先輩に掃除をさせると分別などせずにゴミ袋に入れていくだろう。


「……分かりました。乗りかかった船なのでやりますよ」

「ホントに!? 助かるなあ」

「じゃあ家事分なにかお返ししないとね。なにがいい?」

「なにって言われても……」

「あ、体以外で」


 俺は思いっきりシチューを吹き出した。


「考えてませんから!」

「冗談だってば。んーなんだろ? なんかないかなあ……」


 先輩は部屋をぐるっと見渡した。そこで俺のソファ前のテーブルの上に置いてある本に目をとめた。


「藤堂君、プログラミング初心者なの?」

「え? ええ。一応システムの運用がメインですけどソースコードの修正とかデバッグとかするので勉強してます」

「じゃあ教えてあげるよ! 開発一課の主任が教えてあげる!」

「いいんですか? それは助かります。参考書読んでも分かんないこと多いので」

「お礼だし気にしない気にしない! あ、そうだ。LINE教えてくれる?」

「? いいですけど……」

「もし仕事中分かんない事とか、私を頼りたくなったら連絡して。出来る限り対応するよ。急ぎなら電話してね」

「そんなことまで……。ありがとうございます!」


 正直、ありがたい申し出だった。元々、プログラマーではなく、基礎的なパソコン知識しかなかったからプロが教えてくれるなら願ってもない申し出だった。


「じゃあ壁の穴、このままでいい?」

「……え? なんでですか?」

「だって毎日洗濯物持って玄関出てチャイム鳴らすの面倒でしょ? この穴なら私達通れるし」

「毎日来るんですか!?」

「え? そういう話だったでしょ? 私がプログラミング教える代わりに、藤堂君は私のご飯と洗濯と定期的な部屋の掃除してくれるんだよね?」

「いや、そういうつもりじゃなかったんですけど……」

「プログラミングを一回で教え切るのなんて無理だし。君は、私が仕事の役に立ってラッキー。私は生活がまともになってラッキー。ほら両者ウィンウィンじゃない?」


 俺が驚きの顔をしているのに気付いているのか気付かないのか、美南先輩は話を終わりへと導いた。


「っていうことで明日からもよろしくね、弘隆くん! あ、明日はコロッケが食べたいです」


           ◇  ◇  ◇  ◇   



 そうして美南先輩は自分でブチ開けた壁の穴を通って勝手に俺の部屋に来るようになった。最初は声をかけたらご飯を食べに来る間柄だった。しかし段々と先輩の行動はエスカレートしていき、今では俺の部屋で勝手に俺のビールとかを飲んだり、自分のゲーム機を持ち込んだりしている。結論言うともはや自分の家(しかもキレイな方)だと思っている。


 多分俺のことなんて家事してくれて何も言わないオカンくらいにしか思ってないんだろうな……。


 そんなことを考えつつ、俺はまず大葉を三枚敷いてからマグロを切り分け、ホタテを並べた。買ったイカは細切りにし、梅肉を載せた。そして昨日炊いておいたご飯をチンした後、作り置きの味噌汁も二人分温めた。


 その間、先輩は家事を手伝うわけもなく、ひたすらテレビと向かい合ってスマブラをしていた。

 一度、先輩とスマブラ対戦したことがあったが、先輩を一回も落とすことはできなかった。ハンデとして片手で操作するというルールをつけてもらったが、それですら美南先輩は残機を減らすことなく勝利していた。先輩曰く、

「フレームの読みが甘いゾ。全くこれくらい出来ないと私と張り合えないよ」

とか言っていたな……。

 そんなことを思い出しながら、冷蔵庫からほうれん草のお浸しをだし、夕飯の準備を終える。


「先輩、ご飯できましたよ」

「あ、わかったー。じゃあ秒殺するね」


 先輩は返事をするとものすごい速度でコントローラーを動かし始めた。画面を見ると、空中で敵を翻弄し続け、着地点でスマッシュ技を撃ち込み、宣言通り瞬殺していた。


「あーおなかへったー! お、マグロにホタテに、イカの梅肉和えもあるじゃん! いいねえおいしそう」

「ワインどうします? もう開けますか?」

「いやいや。それは後のお楽しみだよ弘隆くん」


 先輩は職場では「藤堂」と呼ぶが、なぜか家では下の名前の「弘隆」と呼ぶ。

 そう言うと先輩はおいしそうにご飯を食べ始めた。先輩は満面の笑顔でご飯を食べてくれる。こうも笑顔で食べてくれると作りがいがあってちょっとだけ嬉しい。


「にしても長居係長、部下を置いて帰るなんてひどいよねえ」

「本当ですよ……。電話取ったなら自分で対応してほしかったです」


 こうして誰かと会話しながら食事ができるのは俺としても結構楽しい。一人で黙って食べるより、誰かと一緒に会話しながら食べた方が食事もおいしく感じる。


「昔から誰よりも先に帰る人だからね。係長は。名前は長居なのに絶対長居しないって女子社員で笑ってたよ」

「はは、確かに。絶対残業しませんもんね」

「係長が残業するとき、食堂か会議室行ってみて。面白いモノが見れるよ」

「え、なんですか?」

「長居係長が電話越しに頭下げて平謝りする姿。よっぽど奥さんが怖いんだろうね、そのまま土下座する勢いで頭下げながら謝ってたよ」

「なんですかそれ」


 俺と先輩は笑いながら食事をした。そして俺たち二人ともお腹が減っていたのか、三十分とかからず食べ終えてしまった。


 先輩は夕飯を食べ終えると、必ず穴を通って自分の部屋へと帰ってゆく。この行動はちゃんと意味がある。理由はお風呂に入るからだ。


 最初の頃、風呂も俺の家のやつを使おうとしていたがさすがに止めた。シャンプーとか化粧水とか俺の家に置こうとしてきたが、さすがにそれだけは阻止した。

 一応壁に穴が開いてるから半分は同棲してるようなもんだけど、別に恋人関係ではないわけで。過ちを犯さないボーダーは引いておくに越したことはない。


 美南先輩がお風呂に入ってる間、俺もお風呂に入る。と言っても俺は湯船に浸かりはするが、さっと出るタイプなので風呂は早い。

 先輩は女性らしくお風呂がだいぶ長いので、その間に夕飯の食器などを食洗機にかける。


 そして先輩の部屋へ行き、お風呂前のカゴに入った衣類を抱える。


「先輩、衣類持っていきますね」

「はーい。よろしくー」


 女性の部屋に入るうえ、服に触るので一応一声かけるのが暗黙の了解となっている。


……ていうか洗濯くらいホント自分でやってほしい……。

一応俺、男なんだけど。

下着類の取り扱いに気を遣うから自分でしてほしい……。


 ということで俺は洗濯機に自分の服と先輩の服を入れ洗濯機を回す。

 その間はヒマなので勉強の時間に費やす。先輩には応用的なことを訊くだけにして、基礎的なことは自分で勉強している。先輩のサポートもあり割とそつなく仕事ができるようになって来た。


 先輩は手がかかるけど、自分にとってプラスになるから先輩の言う通り、割とウィンウィンなのかもしれない。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 先輩がお風呂からあがって、また俺の部屋に来る。

 さっきとは異なり、Tシャツには『Everyday is Anniversary』と書かれている。


 なにそのニート専用みたいなTシャツは……。


 風呂上がりの先輩は俺の家のソファでくつろぎ、ゲームを始める。


 もうこの人にここは他人の家って認識はないんだろうな……。


「ところで先輩、ワインいつ飲むんですか?」

「今って何時?」


 時計を見ると、現在八時半を少し過ぎたところだ。


「九時からテレビで『劇場版シブヤ・トラブルシューター~堕天使の涙~』が地上波で初放送されるの! それにあわせて飲む!」

「あーなるほど。結構話題になってましたもんね。本格的なガンアクションに、ヒロインが超カワイイし感動的な結末だって。でも先輩、シブトラの放映期間中に観にいかなかったんですか?」


 先輩は起き上がると真剣な声で、


「観に行ったに決まってるじゃん。十五回観たし、特装版のブルーレイ持ってるし、アニメもブルーレイで持ってる。マンガも全巻持ってる」


 と言った。


「別にそれなら見る必要ないのでは……?」

「分かってないなあ弘隆君くんは! 今晩のはディレクターズカット版だよ!? どこがカットされてるのかチェックしないと」


 ……大した違いはないのでは……?


「今『別に大した違いはない』って思ったでしょ!?」


 心を読まれた。読まれたのか、そう思われるのを前提で言ったのか。


「変なところをカットしてたらテレビ局に文句のメール送るんだよ」

「それ超絶厄介ファンですよ!?」

「とりあえずそれまではゲームするー」


 そう言って先輩は再びソファに横になりゲームを始めた。

 俺は仕方なし本を読み進めることにした。


 時折、わからない部分ができると先輩に質問を投げかける。先輩は起き上がることもせずゲーム片手に「あーそこはね……」とそつなく、しかも分かりやすく解説してくれる。つくづく天才エンジニアだなあと実感しつつ、九時が来るまで各々時間を過ごした。


 そして放送の五分前に先輩はバッと起き上がるとテレビをつけた。


「よし観よう! ワインを開けろ! 祝杯だー!」

「はいはい分かりました。ちょっと待ってくださいね」


 俺は本をダイニングテーブルの上に置き、冷蔵庫からスパークリングワインを取り出して開け、ワイングラスを二つ、先輩の座るソファの前に置いた。その後、お菓子入れからクラッカーの封を開け買っておいたチーズ盛り合わせを皿に移し、再びテーブルの前に置いた。


「お、準備いいね! 私も持ってきたよ!」


 そう言うとテーブルの前にドンと業務用カルパスを置いた。

 俺は業務用カルパスを取り上げ、


「塩分過多なのでダメです」


 と言ってお菓子入れの中に放り込んだ。


「ちょ、私の主食!」

「ダメなものはダメです。チーズとクラッカーで我慢してください」


 先輩は不服そうにするが、健康上よくないので取り上げる。

 先輩はスパークリングワインを一気に飲み干すと、


「いいや! ほら観よう! 始まるよ!」


 と言って催促する。

 俺はカルパスをしまいソファの前に座って一口ワインを飲んだ。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 映画の間はお互い無言だった。しかし先輩はCMの間に「今のところカットされたんだけど実際は……」とか「あのシーン映画館で観た時ホンットに感動して……」とか解説や当時のことを話してくれた。

 俺も酒を飲みつつ先輩と楽しく話した。

 ワインは番組の開始から十五分で飲み切り、先輩がCMの間に部屋に戻り取ってきた缶ビールを何本か空けて楽しんだ。

 映画が終わると二人とも完全に酔っ払い状態。酒の勢いもあって二人で感想を言い合い笑いあった。


 番組が終わり、時計を見るとそろそろ明日に備えて寝ないといけない時間だ。


「じゃあ先輩そろそろ寝ますか」


 俺はそう言って立ち上がり、大きく伸びをした。


「え? なに言ってるの?」


 予想外の返しに俺は軽く驚く。


「えっと、もう時間もいい時間ですしそろそろ寝ないと明日遅刻しますよ?」

「はー……分かってないなあ君は。ちょっと待ってて」


 先輩はそう言うと壁の穴から自分の部屋に戻っていった。

 俺はなにを言っているのかわからなかったが、とりあえず皿と空けたビール缶を片付け始めた。

 すると先輩が戻ってきた。


「今からシブトラ全話をイッキ観するに決まってるじゃん!」


 そう言う先輩の手にはブルーレイと缶ビール六本セットが二つあった。


「今から!? 明日普通に仕事ですよ!?」

「大丈夫。睡眠時間を削ればイケるイケる!」

「いやいやいやダメですよ! 今日はもう終わりにしましょう!?」


 俺の訴えを横に、先輩はレコーダーの電源を入れ、ブルーレイをセットし、さらに缶ビールを一本開けた。


「ほら! 観るよ弘隆くん!」

「いやだから俺は寝たいんですって!」

「寝てもいいけど、私は全力で起こすし爆音で流すよ。あと業務用カルパスも勝手に食べる」


 そう言う先輩の目は完全に本気だ。どうやら勝手に寝るのは許されないらしい。


「……それ、なんかのハラスメントですよ……?」


 俺はとりあえず反論してみる。


「人事上等! 人事が怖くて社会人なんかやれないよ弘隆くん!」


 もはやちょっとした恐怖を感じる。どうやらこれはなんと言っても意見を曲げないらしい。


「こうしてる間にも弘隆くんの睡眠時間は失われるけどいいの?」

「……! 分かりましたよ! ホント、本ッ当に今回だけですからね!?」


 俺はそう言うと先輩の缶ビールを一本手に取り開けた。


「それでこそ私の後輩だよ弘隆くん。さ、観よ観よ」


 先輩はニヤリと笑い、再生ボタンを押した。

 本当にこの先輩は……! こんなことになるなら壁の穴塞ぐんだったと後悔していた。


 そんな後悔とは裏腹に、まだ一緒にいれることに喜びを感じていた。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 気が付くと俺はソファに持たれかかって寝ていた。

 周囲を見ると、先輩はいなくなっていた。そしてテーブルの周囲にビール缶が十五個以上と業務用カルパスのゴミが散乱していた。


 完全に記憶はないが、多分リミッターが外れてカルパスも開けてしまったのだろう。


(こんなに飲んだらそりゃ記憶も無くなるな……)


 そこでテーブルの上になにかメモが置いてあることに気がつく。

 手に取ってみると先輩の字で、


『おはよ! 長居係長はチコクにうるさいから気をつけてね~』


 そこで初めて時計を見る。


 時刻は午前八時。


 ちなみにうちの会社の終業時刻は午前八時半から。家から会社まで大体二十分。着替えや身支度で約五分。


 シンプルにピンチな状況。


 俺は大急ぎで着替え、食パンにジャムを塗りかじりながら家を出た。


 心の中で、

「やっぱり昨日イッキ観なんてしなきゃよかった」

と後悔しつつ、全力で走った。



           ◇  ◇  ◇  ◇   



 会社に着き、階段を全力で駆け上がり開発二課のドアを開け、自分の席にカバンを置いて時計を見ると時刻は八時二十分。


 本当にギリギリ間に合った……。


 俺は汗を拭いてからタイムカードを押してからカバンを開けると飲み物を忘れていたことに気が付いた。


(まあ急いで出てきたし仕方ない。お茶買ってくるか)


 そう思い休憩スペースに行くと自販機の前で俺が遅刻しそうになった元凶、美南先輩に会った。


「や、藤堂君おはよう」


 乱れた服装の俺と違い、先輩はキチッとした格好で爽やかな挨拶をしてきた。


「おはようございます……っていうか、先輩なんでそんな綺麗な格好してるんですか!?」

「だって普通に朝起きて出勤したから?」

「え、先輩、昨日何時に寝たんですか?」

「寝てないよ? 藤堂君は途中で寝たから私一人、ビール飲みながらシブトラ観てた」


 てことはビールの缶の大半は先輩か……。

 俺は頭を掻きむしり色々思考を巡らせていると、先輩がぐっと近づいて耳にささやいた。


「途中で寝たから、今晩は昨日の続きだからね? それと今日の夕飯はハンバーグがいいです♪ あとイッキ観用にまたワインも買ってきてね?」


 そう言うと先輩は小さく手を振って一課に戻っていった。



 我が社の一番人気の女性、美南姫先輩。

 俺は彼女の私生活を知ってる。

 別部署の後輩に養われて、さらにあらゆる無茶振りをしてくる。


 だからこそ思う。


「ホンットウにあの人はダメ人間だな!」

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