お世話日記02 : お世話係の仕事
私、草野美由紀は――第三王子のお世話係になりました。
身体は元のソフィア・ミユキなので、この世界で私はソフィア・ミユキとして過ごしています。
お世話係と言っても本業はメイドでありますから、一日のお仕事がたくさんあるのです。朝起きて身なりを整え、私が初めに向かうのは王子の寝室です。
普段はもう少し遅い時間に起こしに行きますが、今日は少し早く起こしてくれとの要望がありましたので。
「失礼します。起きていらっしゃいますか、レイド様」
「遅かったなミユキ。悪いけど、今日も父上の誤魔化しを頼んだ。この時間にしか現れない特殊な魔物を……」
「今日は剣術の訓練の予定が入っています」
「うっ、……帰ってきたらやる」
「分かりました。指南役様にはそのようにお伝えしておきます」
言い訳のようにも聞こえますが、引き留めることは致しません。
「では行ってくる」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ」
私が引き留めようと、一度決めたこの方の意思は変わりませんから。
窓から飛び立つレイド様を見送って、私は無造作に放り捨てられた王子の寝間着を回収し、ベットメイクを行い、窓が
この後は他のメイドさんと共にお掃除と洗濯です。
国を治める王様の済んでいる王城ですから、ここに仕えるメイドさんはとても多いです。コックさんや庭師の方々を含めれば、百人以上はいるでしょう。
皆がそれぞれの役割を全うしています。当然、私もその中の1人ですので、急ぎ中庭に移動するのです。メイド長は時間に厳しい人ですから、1秒の遅れもしてはなりません。
初めの頃は広い城内に、慌ただしい仕事で何度も叱られてしまいましたが…………あっ、いけません。
これは――
私に関わる記憶ではありますけれど、本人の了承なしに無闇に話すのはよろしくないですよね。ここはひとつ、私の今の生活の助けになっている……とだけ記しておきましょう。
「おはようございます!」
「ソフィ、今朝は時間通りで素晴らしいですね。レイド様は起きていらっしゃいましたか?」
「えっと……、
「そうですか。本日も国王陛下のため息が聞こえてそうです。ところで、そちらの服は?」
「あ、レイド様の寝巻きです。朝のうちに洗濯をしておこうと思いまして」
「良い心がけですが、私共の服と一緒に洗ってはなりませんよ」
「あ……、そうでした。ごめんなさい」
どれだけ親しい相手であったとしても、王族と侍女である以上、そこにはルールやマナーが存在します。
日本でも、こんな言葉がありました。
確か、"親しき仲にも礼儀あり"。
この場合、少し意味合いは異なりますけど、この世界においては身分の違いは捨ておくことはできない問題なのです。
私が原因でレイド様に迷惑をかけるのは嫌ですから。
「では、洗濯を始めましょう。今朝は少し気温が低いので、干す際の間隔は広めに取っておきなさい」
「はい!」
水の入った大きな桶に、私たち侍女の洗濯物が浸かっています。そこに手を入れると、水のひんやりとした冷たさが伝わってきます。
掃除は好きですが、洗濯はあまり好きにはなれませんね。……何か良い方法があればいいのですが。
私の力では、洗濯機など作れるはずがありませんし。
「んーー!今朝は少し冷えるっスねぇ。あれ、セイランメイド長じゃないっスか!おはようございまーす。……っと、他の方々も御一緒っすか!」
「おはようございますカイン。水やり御苦労さまです」
「この時期は植物の管理が面倒で嫌っすねー。まぁ、僕は好きなんで大丈夫っすけど」
半袖シャツに濃いめのオーバーオールを身につけた、庭師のカインさん。小さな身体で大きなハシゴとハサミを持って、朝早くから中庭の手入れのようです。
メイド長が水やりと言ったのは、私たちの洗濯と比較した遠回しの皮肉ですね。
彼女は何故か毎回カインさんに厳しい態度を取ります。
対する彼は、いつもあんな感じでにこやかな笑顔で気にしていない様子です。
これは想像ですが、彼のそういったどこか適当な性格が、厳格なメイド長には許せないのかと。
どちらも仕事には熱心で、その道のプロなのは同じです。なんだかかっこいいですよね。
「あ、そうだ。ソフィアさん」
メイド長との激しい言い争いに一歩下がって眺めていた私。すると、一瞬目が合ったカインさんが顔を近づけて小声で尋ねてきました。
「さっき、第三王子さんが飛び出して行くのを見たッスよ。……って言っても、既に知っているとは思うっすけど、あの人のお世話係、大変っすね!」
「いえ、それがレイド様の良いところですから。元気いっぱいで嬉しいです」
「おぉ、さすが、あの自由で有名な第三王子さんのお世話係に抜擢される侍女っすね!僕は毎回下から見ていて、落ちないかヒヤヒヤしているっすよ」
「あ、あはは……」
それについては、私も笑うしかありません。
初めてその場面に遭遇した際には、心臓が飛び出てしまうほど驚いたものです。
ですが、あのレイド様ですから。
魔法の練習がしたいと申し出て、たった一度の魔法で中庭の木々を薙ぎ倒してしまったレイド様です。
空を飛んでも不思議ではありません。
「そこ!手が止まっていますよ。カイン、ソフィアの仕事の邪魔です」
「あーあ、怒られちゃった。っと、僕もそろそろ移動するッスね。また今度、お話しましょー!」
「カインさんも、お仕事頑張ってください」
大きく手を振って立ち去る姿は、少しですが私に元気をくれます。メイド長は額に手を当て呆れていますね。
「ソフィア、洗濯が終わり次第、城内の掃除を頼みました」
「はい!」
「あなたは掃除の方が向いています。他の侍女と比較しても、手際の良さが素晴らしいです」
「あ、ありがとうございます」
褒められてしまいました。
メイド長が誰かを褒めるのは、
「ですが、洗濯は苦手のようですね」
「あうぅっ」
「誰しも、得手不得手と言うものは存在します。ですが、我々は王に仕える侍女です。苦手だからできませんは許されないのですよ」
「が、頑張ります!!」
「ほら、手に力を入れすぎです。それから、手が冷たいのでしたら……」
厳しい言葉もありますが、進みの遅い私に手を貸してくれる、そんなメイド長を私はとても尊敬しています。
冷たい水に一緒に手を入れて、私の手を取って丁寧に教えてくれます。とてもありがたいです。
「残りは一人でできますね」
「はい!」
「では、私たちは先に移動します。掃除を終えたら、元の業務に戻ってください」
私は大きく頷くと、目の前の仕事を終わらせるべく視線を落とします。私以外の侍女たちは、メイド長の後に続き移動してしまいました。
ここに残ったのは私一人。
もっと勉強して、皆さんに追いつけるよう努力しなければなりません。
「……あ、また同じ間違いを」
メイド長のようになるには……まだまだ先は長そうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
洗濯物を干して、城内に移動した私を待っているのは、とてつもなく広いお城の中のお掃除です。
もちろん城内全て……ではありませんが、私の担当箇所は少し多いのです。
「今日はこの廊下を綺麗にしましょう!」
重ねて、一日で全ての部屋をお掃除する必要もありません。レイド様の寝室や王様がよく行き来する場所は毎日、その他は週に一度くらいの頻度です。
私は袖を少しだけ捲り、無意味に力拳を作って見せます。窓ガラスに映る私の姿になんとなく恥ずかしくなって、笑いながら腕を下ろすまでがセットです。
そうして始まるのは、奥行300メートルくらいはありそうな長い長い廊下のお掃除。
柱や窓の縁に溜まった埃を落とし、ガラスや花瓶に汚れがあれば拭き取り、最後に床の掃き掃除をしてお掃除終了です。
王様の住まうお城なだけあって床はほとんどが柔らかい絨毯が敷き詰められていますから、本来埃を床に落とすのはあまりやりたくないのですが……
「ってっててー!今の私にはこれがあります!」
得意気に持ち上げて見せたのは、先端に細い筒状のものが付いた小型の箱です。箱の方は丸みを帯びた立方体で、蓋を開ければ中から別の箱を取り出すことが出来ます。
両手で抱えられる程度の重さの箱。
そして、取っ手のような窪みの横にはボタンがあり、それを押すと――
――キュイイイイイイイィンッッ
そこまで響く音ではありませんが、目の前に入ればそこそこ大きな音を立て、その箱が動き始めました。
音の原因は、筒の先端に空いた穴から勢いよく空気が吸われているからです。吸われた空気は、箱の反対側に空いた小さい網目の穴から出ていきます。
そうです。
収納部屋から持ってきました。
「もう手作業で落とした埃を拾う時代は終わったのです!」
ふふん、と、ドヤ顔した私は、その筒状の先を床に押し当て、埃を見事に吸い取ります。
なぜ、掃除機などというものがこの異世界にあるのか。
レイド様のおかげです。
それと、私の貧弱メンタルの賜物です。
何を隠そう、機械文明の発達した日本という異世界で育ち、生活してきた私は、床に手を着いて誇りを拾うという途方もない作業に、精神が耐えられなかったのです。
この身体が元はミユキのもので、慣れた記憶があったとしても、私の貧弱
入れ替わり初日の作業でメンタルを破壊された私は、魔道具作りに興味を持ったレイド様に全力で
仕組みは至って簡単。
箱の中から吸引作用のある魔法を使い、外の空気を吸い上げ、吸った空気は箱の後ろに空いた細かな隙間から逃げていきます。しかし、その隙間を通ることの出来ない埃やゴミは、箱に入ったもうひとつの箱の中で止まります。
はい、簡易的な掃除機の完成です!
この世界では、電気という資源や技術の代わりに、魔力というものを利用するみたいです。
仕組みはよく分かりませんが、機械を動かすために電気が必要なように、魔法を使うために魔力が必要で、
魔力とは、この世界の生命は多少なりとも有している、ありふれた奇跡……だと、レイド様は仰っていました。
これはミユキの記憶ですね。
そして、魔法が便利であるが故に、誰もが扱える生活を便利にする道具の進化が遅い。
私の発想は、この世界では大変珍しいモノだと、レイド様は目を輝かせていらっしゃいました。
そうであるならば、私はこの
「この廊下を綺麗してみせましょう!!」
世界征服や激しい冒険……なんて、物語の主人公のようなお話は、私には荷が重いですから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふーっ!お掃除終わりです!」
一通り今日のお掃除が終わった私は、足早に廊下を移動します。目指すはレイド様の寝室、そろそろレイド様が
長い廊下を駆け抜け、辿り着いた部屋の扉をノックしました。中からの反応はありません。
「失礼します」と一声かけてから、私はレイド様の寝室に踏み入れました。
「………………」
すると、冷たい風がすぐ横を吹き抜けて、正面の白いカーテンが強く揺れ、窓際に座るその方の存在を淡く映し出しています。
「レイド様、帰っていらしたのですか」
「………………」
その藍色の瞳はキラキラと輝き、視線は分厚い魔導書へと注がれています。
太陽に照らされて、いっそう美しく輝きを放つ銀色の髪は、風に吹かれ気持ちよさげに揺れているようです。
私が部屋に入ってきたことも気が付かず……いえ、本当は私がこの
無意識下で敵意のある者とそうでない者を判断し、
私はいつも通りレイド様の傍らに立ち、数秒の沈黙の後でおもむろに低い声を出すのです。
「レイド様、剣術の訓練はどうされましたか」
「わっ、ちょっ……」
びっくりとは別の意味で驚いたレイド様は、魔道書を跳ねさせ器用に掴み直し、冷や汗混じりにこちらへと振り返りました。
「あ、み、ミユキ……、その、これは……なんというか」
「今日の収穫は好調だったようで何よりです。ですが、剣術の訓練のお約束は守って頂きます」
言い訳無用!
私はレイド様の手を掴み、指南役の待つ訓練所に引っ張っていきます。
レイド様は魔法が大好きですが、一方で剣術はあまり好きでは無いのです。こうして連れ出さなければ、忘れていたと申してサボろうとするのですから。
私はレイド様にお仕えする侍女ですが、同時にお世話係でもあります。立派な王子様になるために、苦手な分野は減らしておくのが正しいと聞いています。
多少無理やりでもやらせるようにと、父君(国王)直々に申しつかっておりますからね。そんなに口を尖らせてもダメなものはダメなのです。
訓練所に到着すると、何故か一人で素振りをしている指南役様のお姿を発見します。
上半身裸で汗を流す逞しい筋肉に、レイド様は若干引いておられます。
「ではレイド様。私はお部屋のお掃除をしておきますから、頑張ってください」
「もう帰りたい……」
私はレイド様にお仕えする身。
礼儀と敬いの気持ちは忘れずに。しかし、時に厳しさというのも、忘れてはならぬ大切な事です。
渋い表情のレイド様を何とか押し付け……コホン、連れ出して、私は再びレイド様のお部屋へと戻るのでした。
その日の指南は、普段よりも2時間ほど長かったようです。……ごめんなさいレイド様。明日の朝食は、大好きなエッグトーストを頼んでおきます。
天才王子のお世話係をしております 深夜翔 @SinyaSho
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