エピソード番外.エゼルの釣り日記
これは、初めてあの兄妹が港町サンシークに訪れてから数年が過ぎた頃の、とある釣り人のお話。
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「よっこらせ」
白い街並みが特徴の港町サンシーク。
船での大陸間の移動や貿易が盛んで、冒険者や商人などの行き来が後を絶たない。
その町の一角、これまた白く、外見からは古さを感じない家にその男は住んでいた。
「また釣りに行くんかね」
「そこに海がある限り、釣りに行くのが釣り人の指名ってやつだ婆さん」
「夜までには帰ってきなさいよ」
「分かっておる」
重そうな釣り道具をまとめて持ち、歳を感じさせない動作で立ち上がる。戸をくぐれば未だ昇りかけの太陽が、白い街並みを照らしている。
――男の名はエゼル。
若い頃は冒険者として活躍していた……わけではなく、ただのんびりと毎日を楽しく過ごすため、冒険者として気楽に仕事をしていた。
しかし家庭を持ち、歳をとり、これ以上危険なことは出来ないと冒険者を辞め、それまでに貯めたお金を使ってのんびりと毎日を過ごす日々を送っている。
朝日の光に包まれた港には、到着したばかりの貿易船やその荷物の積み下ろしをする船員がたくさん動いている。
「今日も良い天気だ」
そのまま港を抜け、海辺の堤防に腰掛けて釣り糸を垂らす。いつもと変わらない日々に、どこか満足そうな笑みを浮かべていた。
「お、エゼルの爺さん。今日も釣りですかい」
「あぁ。釣れぬと分かっていても、何十年と続けてきた習慣は変えられない」
「そうかい。その想い、いつか報われる日が来るといいな。そういえば、最近アルゴートの姿を見ていないが……何か知っているか」
「アルゴート……最近は見かけていないな」
「数年前に町から出ていったと言う情報はあったものの、帰ってきたという報告は受けていないんだ」
「あいつのことだ。また魔法の研究に没頭しているに違いない」
「ははは!!それもそうだ!」
エゼルがこの町にやってきて最初の知り合いであるアルゴートは、ただ魔法馬鹿で、変わり者。
それでも共に釣りをした仲である。
少しは気にかけるのが、友というやつだ。
その後、再び一人となったエゼルは、水平線を眺めて釣り糸を垂らし続けていた。
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「なぁエゼル。この釣りに意味はあるのか」
「……どういう意味じゃ」
「見たところ、魚がほとんど存在しない。綺麗な海に見えても、目には見えない魔力に魚は反応する。この辺りの水中には、もう魚なんざ」
「分かっている。しかし、ワシはこの海が美しかった頃を知っている。習慣というのは……変えられないものだ」
「そうか……んじゃま、俺も仲間に入れてもらおうかな」
アルゴートが時々姿を見せるようになったのはあの時からじゃった。
釣り以外に楽しみのない老いぼれに、ただ気まぐれに付き合う。今考えても、つかみどころのない奴だったように思う。
そんな気まぐれが続き、一年ほどが過ぎた。
「はぁー、今日も釣れねーな。天気はこんなにも素晴らしいってのに」
いつものごとく、人のいない防波堤に腰掛けて、釣り糸を垂らすのんびりとした時間。
この一年で水中の有害な魔力の量は増加する一方だった。言葉にはしないし、無駄な話もしない。だが、アルゴートはこっそりとこの海の現状をどうにかしようと研究しているようじゃった。無論、それが難しいことは既に分かりきっておった。
「……何か用があるんじゃないのか」
「まぁな。ちょいとした未来予知、ってやつ」
普段とは少し違う雰囲気を感じ取ったワシは、水面に顔を向けたまま問うた。
アルゴートもまた、それが当然のように話を続けた。
「エルフの魔法の一つに、特定の未来を見ることが出来る、使いどころのよく分からん魔法があるんだ。習得難易度のわりに、本当に限られたどうでもいい未来しか見れない魔法ってことで、誰も覚えようとしないマイナー魔法だ」
爽やかな風が、海の匂いを運んでくる。
ワシは魔法のことになると止まらなくなるアルゴートの話を、ただ黙って聞いていた。
「俺はそれで、この海の未来を見た」
「……ほう」
「近いうち、とは言っても人間の時間で言ったら何年後か分からんが……この釣りに意味があると証明出来る日が来る。残念ながら、それは俺の力では無いが」
「はっはっはっ!それは楽しみじゃな」
「あ、今絶対嘘だと思っただろ。マイナー魔法なめんなよ!」
「いやいや。信じているぞ。……違うか。信じてみたいと思った」
「そこは任せとけ。俺の魔法に間違いはねぇ」
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「………ふぅ。こんな時間に居眠りしてしまうとは、ワシももう歳じゃな」
エゼルは一人、風が運んできた潮の香りによって目が覚めた。太陽が目線と同じ高さにある。
もうすぐ夕方だ。
いつの間にか、半日も眠ってしまっていたらしい。
「あんな話……慣れたと思っていたが、ワシも少しは寂しいと感じておるようだ」
長いこと一人で釣りをしていた。
アルゴートとの時間は、彼にとって貴重な思い出となっていた。
「少し早いが、たまには家で婆さんとゆっくりするのもいいか」
思い出に浸り、懐かしき寂しさを思い出したエゼルは、日が沈む前に撤収するため立ち上がった。
そしていつものごとく、釣竿を引いて糸を回収する。
「…………?」
その時の事だ。
いつもなら容易く手元に上がってくる糸に、感じたことの無い……、いや、――あまりに懐かしい手応えを感じた。
「流木にでも引っかかっ……」
その事実を飲み込めず、自身に言い聞かせるように糸を引く。その言い訳も、最後まで言葉になることは無かった。
水面に、黒く生き生きとした生き物。
エゼルは一言も発さず、昔の感覚を取り戻したかのように糸を引く手に力を込める。
時折水面に顔を出しては、反発するように水中に消えていく。そんな魚影を相手に、ただ無我夢中で押し引きの戦いを繰り広げる。
「――ふんっ」
糸が切れることなく、その水面に上がっていた生き物が空中を舞う。
太陽の光に照らされて、まるで天からの贈り物のよう。
その生き物をしっかりと受け止めたエゼルは、しばらく空中を見つめて固まっていた。
「ふふ」
そして――
「はははっ!!釣れた……釣れたぞアルゴート!!」
誰もいない堤防で。
水平線に……ここにはいない友に向かって。
「海が戻ってきたぞ!!!あの海が!」
彼が見た未来、その正体である兄妹の姿を思い浮かべて。
「はっはっはっはっ!!!」
――豪快に笑ったのだった。
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