エピローグ
早朝。
五時半。
まだ太陽が少しだけ顔を出す。
吸い込む空気がとても美味しい。
早朝特有の新鮮な空気だ。
「ふぁぁぁぁぁ、ねむぅ……」
良い大人になり、桜のように美しかった髪色は大人しい茶色に変わってしまったけど、可愛さには磨きがかかっている愛姫は目を擦りながら、がらがらとキャリーバックを引く。目的の搭乗口近くの保安検査場を目指す。
見るからに眠そうである。
半分寝てるんじゃないかと思うくらいには眠そうだ。
「朝早いのわかってたんだからさっさと寝ればよかったのに」
「あれだけワクワクしておいて眠るだなんて無理よ。すぐに寝る彩風がおかしいのよ」
「私がおかしいの?」
「そうよ」
小さく欠伸をしながらそう答える。
もう私の前で欠伸を隠そうとすらしない。恥じらいというものが欠如してしまったらしい。
意識してないだけで私もそうなのかもなぁとか思う。
「結局何時間寝たわけ?」
「うーん、二時間とかかしら。もしかしたら一時間かも」
「えぇ……もう学生じゃないんだから……」
「三年前まで大学生だったわけだし、良いじゃない」
愛姫はくすくす笑う。
「二十五歳の良い大人が……」
「私はまだ二十四歳よ」
むっと頬を膨らませる。
私の方が誕生日を迎えるのが早かったから間違えてしまった。
「ごめん。てか、一か月くらいで愛姫も二十五歳じゃん。実質二十五歳だよ。流石に学生は無理があるんじゃない」
「心はぴちぴちの大学生だもの」
「それで良いなら良いけど」
苦笑する。
まぁ本人がそれで良いなら良いだろう。うん、良いってことにしておこう。
「ここかな? 搭乗口に近い保安検査場」
足を止め、スマホに目線を落とす。すらすらと手慣れた手付きでスマホの画面を触り、ちらちらと保安検査場のアルファベットを確認してる。
「じゃない? 多分そうだと思うよ」
「なんか適当ね」
「私は元々こんなもんでしょ」
「それもそうね」
「否定して欲しかったけど、まぁ良いや」
近くの椅子に腰かける。
「それじゃあ、荷物預けてくるわね。ついでにチケットも発券してくるわ」
「はいはい行ってらっしゃい」
飛行機に乗った経験は片手で数えるくらいしかない。それも自発的に搭乗したことはないかもしれない。親に連れられたのが一回とあとは修学旅行とかかな。
だから搭乗前になにをすれば良いとかイマイチわからない。
要するに私は戦力外なのだ。
でも愛姫は高校でも、大学でも、社会人になってもずっと陽キャだから、海外旅行も時折行ったりしてる。私よりは詳しい。高所も知らないうちに克服していたし。
あ、決して面倒くさくて人任せにしてるわけじゃない。
効率的かつ合理的であると判断したまでなのだ。
と、正当化してみる。
でも座りながらあれこれしてる愛姫の背中を眺めるのはなんとなく申し訳なさが湧いてくる。
チケット発券機を操作してる愛姫の元へ歩み寄る。そして後ろから「愛姫~」と声をかける。愛姫はビクッと肩を震わせ、物凄いスピードで振る向く。
「彩風かぁ。ビックリしたのだけれど」
「ごめん、ごめん。驚かすつもりはなかった」
「で、どうしたのかしら」
「いや、なにか手伝えることないかなと思って」
「うーん」
愛姫は口元に手を当て、少し考え込む。
「ないわね」
しっかりと戦力外を突き付けられる。これはもう引退するしかないのかもしれない。
「ないんだ」
「ないわ」
ピシッとさっき座ってた椅子を指差す。
「あそこで座って待っててちょうだい」
うろちょろする子供を注意するみたいな口調だ。
ある意味私は身体の大きな子供だから間違ってないのかな。
「はい」
しおらしく返事をする。
「彩風はあっち着いてから嫌ってほど運転することになるのだから、今のうちに身体休ませておきなさい」
運転させる気だったんだ。
知らなかった。
衝撃の事実である。二人とも国際免許の申請をしたので、交代交代かなと思ってたのだが、そうじゃないらしい。
まぁ、愛姫はペーパードライバーだし、ぶっちゃけ愛姫がハンドルを握る車にはあまり乗りたくない。オーストラリアで死ぬことになりそう。
ここから私は仕事がある。今はサボってるんじゃなくて、休憩してるだけだ。そう自分に言い聞かせながら、椅子でのんびりと待つことにした。
しばらくすると愛姫は戻ってくる。キャリーケースはもう手元にない。かなり身軽になったなぁという印象だ。
「もう入る?」
私は保安検査場を指差す。係員の人は暇そうに欠伸をしてる。
朝だから皆眠たいんだね。
「そうね。入りましょうか」
立ち上がり、保安検査場にて荷物検査を行い、無事通過して出発ロビーでまた腰掛ける。
さっきもそうだったけど、駅のベンチとは比べ物にならないくらいしっかりとしたベンチだ。さっき椅子って呼んじゃってたし。
「まだ時間はありそうね」
「あるねー」
余裕をもって行動してるから当然だ。あんだけ高いお金払っておいて遅刻して乗れませんでしたとか笑えないからね。
とはいえ、暇なのもまた事実。
ぼけっとなにをするわけでもなく、ただ時間が過ぎるのを待つ。
「結局法律は変わらなかったわね」
愛姫は苦笑しながら、外を眺める。
「法律?」
あまりに突拍子のない言葉に私は首を傾げた。
ちょっと、いいや、大分意味がわからない。
「ほら、高校生の時に話していたでしょう。将来、同性でも結婚できるようになってるわよって」
「あー、なんかそんなこともあったかも」
懐かしさを覚える。高校二年生なんて何年前の話か。数えるのすら億劫になるくらい前の話だ。
「覚えてないのかしら」
「そんなことはないよ……」
じろりと私のことを見る愛姫から目を逸らす。
「でも彩風の提案は流石よね。公民だけ謎に成績が良かっただけあるわ」
褒められてるのか、馬鹿にされてるのか絶妙に判断が付かない。多分両者を兼ね揃えてるんだろうけど。
「オーストラリアだったら形式上結婚できるよって話?」
「そう」
こくりと頷く。
「せっかくならしたいじゃん。した気分になりたいじゃん。結婚した気に」
「それはそうだけれど」
「愛姫はしたくないの? 結婚」
「そんなの……」
一度こちらに目線を向けて、逃げるように背ける。
「したいわよ」
「私と?」
「そう。彩風と……って、なに言わせるのよ」
俯いてぼそぼそと呟いてから、ガッと立ち上がる。
早朝の便とはいえ、人はそこそこ居る。
周囲から注目を浴びる。彼女はハッとして、顔を赤らめながらぺこぺこ頭を下げつつ座った。
ちょっと予定が狂ったけど、今がベストタイミングな気がする。本当はあっちに到着して、ゆったりとしたところで渡したかったけど。これもまぁそういう運命なのだろう。
私は手荷物をがさごそと漁った。そして手のひらサイズの正方形の箱を取り出す。
パカっと開ける。
中にはルビーが燦爛と輝く指輪が入ってる。
「え?」
愛姫は聞いたことのないような声を出す。
「結婚。形だけだけどね。あっちで婚姻届けとか書いたらそれっぽいかなぁとか思うけどどうかな」
「ふふ、面白いこと考えるわね」
「良く言われる」
むふんとドヤ顔を浮かべる。
「で、受け取ってくれるの?」
「もちろん。受け取らないわけないじゃない」
愛姫は指輪を手に取り、恍惚とした表情を浮かべる。そのまま顔が蕩けてしまうんじゃないかと心配になるほどだ。
「薬指に指輪はめることできないと思っていたから本当に嬉しいわ」
愛姫は左薬指に私が持ってきた指輪をはめる。
そして指輪を大切そうに撫でる。
「大切にするわ」
「うん。そうしてくれると嬉しい」
ニコッと微笑んでからふと思い出す。言い忘れたことがあった。
「大好きだよ」
「私もよ。大好き」
さりげなく、自然に手を繋ぐ。
愛姫の温もりに包まれる。
「あ、言い忘れてた」
「うん?」
彼女はこてんと首を傾げる。
「結婚してください」
私は愛姫を凝視する。答えはわかってるのだけど、心臓はどきどきとうるさい。
「もちろん。私と幸せになりましょうね」
期待した答えが返ってくる。もう一つの指輪を彼女は私につけてくれた。
搭乗案内のアナウンスが流れる。
人生の最絶頂期とも言えるこのタイミングで私たちは日本から飛び立つ。行く手を阻むものはなにもない。自由で、壮大な空へと。
【END】
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