夏休み【夜】

 夕方に差し掛かり、夜になる。

 浴衣を着たカップルや家族連れ、ワイワイ騒ぐ友人グループたちは揃いも揃って同じ方向へと歩き出す。


 なにかあったのかな。


 と、考える。


 きょろきょろと様子を伺っていると「花火」という単語がひっきりなしに聞こえてきた。


 あぁそういうことか。

 花火を見るために歩き始めたのか。

 なるほどね。


 祭りのフィナーレは打ち上げ花火が上がるのだ。

 いつもは家からドンドンという音だけ耳にしてたなぁと思い出す。


 ここから徒歩十分ほどの山奥にある広場で花火の打ち上げは行われる。

 概ね、特等席を狙うべく、皆大移動を始めたという感じか。

 有料席なんていう都会っぽい概念は存在しないから。

 早い者勝ちである。


 現在の時刻は午後五時を回ったくらい。

 良い子はお家へ帰る時間だ。

 もっとも今日は特別だ! という雰囲気を纏ったキッズたちが沢山いて若干の煩わさしさがあるんだけどね。


 「花火見る?」


 りんご飴をかじる愛姫に問いかける。


 「見たいけれど……」


 ごくんとりんご飴を唇から離してから答える。

 けど歯切れが悪い。


 「見たいけれど?」


 完全に止まってしまった口をまた動かすために、私は促す。

 潤滑油のような言葉であり、この言葉に深い意味はない。

 ただの問いだ。


 「人混み激しそうね。満足に見れなさそう」

 「それは……そうだと思う」


 現に身動きが取りにくい状況。

 この人たちが一斉に集まったらどうなるか。

 くるみレベルに小さな私の脳みそでさえ容易に想像ができてしまう。


 「どうせ歩きながらでも花火は見えるのだし、隣駅まで歩きながら楽しむことにしましょう? 疲れてなければだけれど」

 「大丈夫、大丈夫。元気だけはあるから」

 「そう、珍しいわね」

 「昨日の地獄から一転して今日は天国だもん。楽しいし、嬉しいから。元気なんて無限に出てくるよ」


 底なし沼である。

 二十分ほど歩いただろうか。

 愛姫のスピードは緩まった。

 さっきまではつかつかと私よりも早く歩いてたのに、今は私が先頭に立ち、愛姫は追いかけるというような構図になってる。

 しかも油断すればその差はさらに広まるような感じだ。

 流石に私でも違和感くらいは覚える。


 「どうしたの?」


 首を傾げつつ、愛姫の方に目を向けた。

 歩きにくそうにしていた。

 顔を顰め、足を引き摺るように歩いてる。


 「鼻緒が……」

 「ん?」


 そう言われて目線を落とす。

 下駄の鼻緒が千切れていた。

 ぱかぱかと歩くたびに浮かんでいる。

 若干赤く染まっており、靴擦れも同時に起こしているのがわかった。


 「え、どうしよ……」


 私が男ならおんぶすれば良いんだろうけど、私じゃあ愛姫を背負ったりできない。

 背負おうとすれば私は物理的に潰れてしまうだろう。

 キョロキョロと見渡す。

 昨日の神社へと繋がる細い道が見える。


 「とりあえずあっちに行こう」

 「あっち?」

 「そう。避難」


 私は無理矢理愛姫を抱きかかえる。

 やっぱり背負うのは無理だったなぁ。

 冷静に判断できた自分を褒めたい。

 脇道に入り、力尽きる。

 腕が悲鳴を上げ、がくがくと震える。


 「大丈夫?」


 息を切らす私を覗き込む。


 「大丈夫……」

 「本当に?」


 「そっちの方が辛いだろうから。私は疲れただけ。少し休憩すれば大丈夫だよ」


 どちらにせよ一旦休憩することにはなるはずだし。

 私の心配をするよりも自分の心配をして欲しい。


 「あっちで休憩しよっか」


 私は神社の石段を指差す。

 座るにはちょうど良い。

 もっとも嫌な思い出が蘇るのを除けばなんだけどね。

 石段に腰掛ける。


 「度胸だけはあるわよね」


 愛姫はくすくすと笑う。


 「度胸? 私が?」


 私に一番足りていないものだろう。少なくとも自分ではそう思ってる。これは謙遜でもなんでもない。


 本当に足りてないと思ってるのだ。


 臆病で弱気な私に度胸があるわけがない。


 「そんなものないよ」


 だからしっかりと否定した。

 でも愛姫は表情を綻ばせながら首を横に振る。


 「あるよ」


 と断言した。

 言い切られてしまうとこちらとしても否定しにくくなる。


 「昨日の今日でここに連れて来るのは度胸の塊よ」


 顔に出ていたのか理由を教えてくれた。


 「それは……詮無きことと言いますか、最善策がこれだっただけで」

 「私だったらここには入らないわね。怒らせるかもとか考えてしまうもの。だから彩風は度胸があるの」

 「なにも考えてないだけなような気もするけど」

 「褒めてるのだから素直に受け取りなさいよ」


 愛姫はむくっと頬を膨らます。

 手提げからポーチを取り出し、絆創膏を擦れた部分に貼る。

 女子力高いなぁなんて思いながらその様子を眺める。

 私はそんなもの持ち歩いてない。


 「あ……」


 ドンっという激しい音と共に愛姫は立ち上がる。

 そして灰色がかった黒色の空を指差す。

 眩しい笑みを浮かべながら。

 私は指先から指差す方へ視線を追いかけるために振り返る。

 黒を背景にし、赤が輝く。纏まり、凝縮して、晴れるように花咲かす。

 満開に咲いた火の花は燃え尽きるように儚く薄れていく。


 「花火だ」


 愛姫の蕩けそうな声を掻き消すように花火は打ち上がる。


 「たーまやー」


 大きく叫ぶ。ピンク色の髪の毛を揺らして、えへへと笑う。


 「たーまやー」


 私も真似するように叫ぶ。愛姫は私の方を向く。

 ニッコリと微笑むその表情に釣られて自然と口角が上がる。

 止まることはない。花火は次々に打ち上げられる。圧巻だ。


 「来年もまた見たいわね」


 花火に手を伸ばしながら愛姫はそう口にする。


 「そうだね。絶対に見よう。来年も。この花火を」


 私はそう答えて、伸ばしていた手を掴む。

 愛姫の温もりを全身に伝わせた。

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