第2話

「いや、だから何度も申し上げたように、あれは酔っ払って羽目を外して口にしてしまっただけです。本人も記憶にないと言っております」



 翌日、屋内練習場に押し寄せた報道陣を前に、ドリームズの若き指揮官である辰己は苛立ちを隠せずにいた。いくら丁寧な言葉遣いを心掛けても、内心の動揺は明らかだった。


「金串選手より以前より話を聞いていたのですか?」



「ですから、一切そういったやり取りはありません」



「金串選手はサッカーをやると話していましたが」




「だから」



 ユニフォーム姿の若き指揮官は、目を閉じて天を仰いだ。それでも記者達は力を緩めることはせず、矢継ぎ早に質問をぶつける。



「本日、金串選手の姿が見当たりませんが」



「奴は二日酔いで休みです。連絡ももらってます。ビール掛けで羽目を外したんでしょう。あいつは馬鹿だから」



 しかしそんな説明を信じる者は、誰もいなかった。それは、報道陣が真実を見極める百戦錬磨のプロだからではない。もし仮に一般人がこの場に居合わせていたとしても、昨日の金串の会見の一部始終を見ていた者ならば、また金串という男がどんな選手か知っている者ならば、皆同じ感想を持ったことだろう。昨日の金串の力強い発言の数々は、決してアルコールの力を借りて放った言葉ではなかった。


「もう、いいっすか」



 そう言うと辰己はその場の誰の返事をも待たず、スタスタと練習場に消えていった。



「厄介なことになったな」


 取り残された報道陣の中で、誰かがそう呟いた。残りの者たちも誰もが、心の中で同意した。


 主役不在の練習場は、心なしかいつもより熱気が足りなかった。それは日本シリーズの直後だということによる気の緩みなどではない。必勝を義務づけられた球界の盟主を構成する者としての自覚は、決して生半可なものではない。


「おい! 松平! ちょっとこい」



 選手としてはチームの最年長であり主将である御木本は、自分よりひと回りもふた回りも若い、チームの年少者を呼び寄せた。狭い練習場に、どことなく緊張感が漂い始める。

 1世代前の柱と、次世代の柱であろう2人の会話に、他のチームメイト達はどことなく聞き耳を立てていた。現役の大黒柱の不在の中では、他のチームメイト達にとっても、チームの問題についてこれまでのように他人事と見てみぬふりはしていられない。それを理解するからこそ、日本シリーズを終えたばかりにも関わらず、屋内練習場にはいつになく緊張感が漂っていた。


「松平、お前の今年の成績は、えっと」


「.284 17本です」


「それじゃあ物足りない」


 御木本は食い気味に断言した。2人の会話を1番近い位置で聞いていた柳沢は、思わずはっと息を呑んだ。


「今季は新人王を取りましたが」


 松平は言い返した。負けん気の強い若武者の眉間には、皺が寄っていた。松平の主張も頷ける。大卒とはいえ、1年目の新人としては一流の成績であることは間違いない。



「御木本さんこそ、金串さんがいなくなってしまったことについて、少し他人事なんじゃないんですか」



 金串という言葉に、御木本はぴくっと反応した。敢えて昨晩の話題は誰も口にしないようにしていた。そんなことは誰からも指示されていないが、なんとなく憚られていた。日本一の祝勝ムードを台無しにしたくない気持ちも、多少はあったのかもしれない。



「何言ってんだ」



 御木本は自分の感情を抑えるように、敢えて落ち着いた様子で聞いた。



「御木本さん、もう40ですよね。どっちにしろもう現役は長くない。だから、責任から解放された気になられてるんじゃないですか?」



「なんだと」



 御木本は松平の方に歩み寄り、あくまで落ち着いた様子で、それでいて威厳のある調子で、答えた。



「やめろ!」



 一触即発の状態に一石を投じたのは、大岩だった。



「失礼だぞ松平! 御木本さんに謝れ」



 大岩の方に目をやりもせず、御木本を睨みつけながら、すみませんと言った。抑揚のないセリフだった。言葉とは裏腹に感情を込めたら負けだと言わんばかりである。

 御木本は舌打ちだけをして、大岩に向け軽く手を挙げると、近くに置いてあったマスコットバットを拾い、軽く振り始めた。



「外様は気楽でいいよな」



 その時、そばを通りかかった品川が、大岩の方をちらっと見ながら独り言にしては少し大きな声で呟いた。

 大岩がチームメイトからこんなことを言われたのは、FAで移籍して2年目で初めてのことだった。

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