さすらいの勇者

星の国のマジシャン

第1話

 事件が起こったのは、ドリームズの日本一祝勝会の直後のことだった。

 午後23時。日本一の歓喜の余韻がスタジアム全体を包む中、誰もいないはずの会見の席に1人、記者を自力で集めた男の姿があった。それはシーズンMVPに輝き、日本一の立役者の1人でもある、主砲の金串巌だった。

 理由も聞かされないまま集められた記者やカメラマンは、少しざわめいていた。


「おい、カメラ回せ」


 プロデューサーらしき男の声がする。


「でも、放送時間はもう」


「延長してでも回せ! 今から金串が何か言うらしい、メジャー挑戦か?」



「ま、まさか」



 それぞれの会社の人間達の怒号が飛び交う。慌しい雰囲気の中、カメラマンの西谷は背後に気配を感じた。


「この会話で金串が何を言うか、3秒以内に答えてみろ」


 咄嗟に西谷は後ろを振り返った。するとそこには、どこかで見覚えのある男が立っていた。



「5秒経過。ゲームセット。お前の負けだ」



「い、いきなりなんなんですか!」



 戸惑う西谷を嘲るように男は西谷に顔を近づけ、続けた。



「金串はこういう男だ。常に相手の想定の一歩先をいく。いや、斜め上を行くと言うべきか」



 そう言って、男はがっはっはと笑い声をあげた。奥歯には銀歯がきらりと覗く。西谷は息を呑んだ。金串は一体、なんのつもりなのだろうか。


 やがて記者が全て着席し、金串のゲリラ会見が始まった。本当に誰にも相談していないらしい。騒ぎを聞いて駆けつけた球団スタッフとしばらく揉めているようだったが、金串は聞く耳を持たず、やがて球団スタッフの方が折れた。



「えー、みなさんに集まってもらったのは他でもない。本日、俺から発表があるから、それを聞いてもらうために残ってもらった」


 金串の一言一言に、いちいちざわめきが起こる。西谷はカメラレンズ越しに、金串の口の動きを注視していた。


「単刀直入に言うが、俺は今日を持って、引退する。以上」


 ぶっきらぼうに言うとすぐさま立ち上がり、その場を去ろうとした。球団スタッフが慌てて制止するが、それを振り切って立ち去ろうとした、その時だった。



「待て!」



 記者席の前方から、怒鳴り声が聞こえた。西谷は思わずカメラレンズから目を外し、声の主を探した。さきほど話しかけてきた男だった。



「我々を急に集めといてそれじゃあ不親切過ぎますな。引退の理由をお聞きかせ願いたい」



 その通りだ。金串は現在、25歳。今年は.330 47本と、3冠王及びMVPに輝いている。おまけに今年はゴールデングラブ賞とベストナインも獲得した。言ってみればドリームズの柱のような存在である。もっというと、日本の子ども達の憧れの存在でもある。怪我などの特別な理由のない限り、引退するような要素はない。


 ここで西谷はこの記者の男のことを思い出した。有名なスポーツ記者、湯浅だ。見覚えがあったのは、スポーツニュースにもよく出演しているためだろう。現役選手だけでなくOB解説者に対しても物怖じせずに厳しい意見をぶつける湯浅は、歯に衣着せぬ物言いが、世間に人気を博していた。湯浅は、テレビで見る姿そのものだった。

 金串は足を止め、確かにと頷き、再び席に着いた。案外、素直な男だ。ある意味では、掴みどころがないといった方が適切か。



「アンタ、誰だ」



「帝国新聞社の湯浅です」



「ああ、そうかい。まあ、聞いたところでよくわかんねえけどよ」



 そして俺馬鹿だからさ、と付け加えにやついた後、湯浅の方に身を乗り出して続けた。



「で、質問はなんだっけ?」



「引退の理由をお聞かせ願いたい。怪我ですか?」



「いや、サッカーやりたいんだ」



 会場がしんと静まり返った。質問者である湯浅は、目を丸くしている。西谷も我が耳を疑った。聞き間違いに決まっている。会場の誰もが、同じ気持ちだったはずだ。



「あれ、マイク入ってねえんかな、いいや」



 金串は雑にマイクを放り投げると、声を張り上げ、次のように言った。



「俺は、今日、野球はやめる。そして明日から、いや、今日から、この後サッカーを始める! 以上」



 それだけ言い残すと金串は、再び腰を上げ、スタッフの制止を振り切り、会場を後にした。


「金串選手がいなかったら、誰がドリームズを勝たせられるんだよ!」


 湯浅が叫ぶ。ドアの向こうから、金串の返答が聞こえてくる。



「牙田!」



 その後はもう誰が声をかけても、金串は戻ってこなかった。ちなみに牙田は、ドリームズの選手ではない。同リーグで優勝争いをしていたスパローズの主砲の名前だ。

 金串が去った後の会見会場は、日本一決定の瞬間に引けを取らぬほど、騒然としていたのだった。


 西谷は、先ほどの湯浅の言葉を思い出した。なるほど確かに、金串は想定の斜め上をいく男だ。

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