第11話:もう1人いた跡

一方その頃椿はと言うと。

「ん〜〜!」

ダメだった。

リビングのソファで寝転び、水色のクッションに顔をうずめて、声にならない声を発していた。

無論、その顔はまるで茹蛸のように赤く染まっていた。

「…どうしよう、はしたないって思われてたら」

椿は少し怖かった、もし青嵐に引かれてしまったら、もし嫌に思われていたら、その先を考えるのも恐ろしくて仕方ない。

ついいつもの癖でリラックスして下を履かなかったものだから、おどけて見せたが青嵐にはしたない女だと思われていたらと考えると、恥ずかしくてたまらなかった。

その不安が杞憂に終わることを椿は知らない。

青嵐が思うよりも椿はずっと乙女な性格の持ち主だった。

恥を心の奥底に押し込めて、椿はクッションを抱き抱えたまま顔を上げて、生活感のあるリビングをぐるっと見回した。

リビングから見えるキッチンにも、水切りカゴに置いてある食器に冷蔵庫にマグネットで貼り付けたプリント、そこら中から生活感が溢れていて、青嵐の生活力の高さが窺える。

だがそこには明らかな違和感がある、食器棚を初めに、玄関に常備されたタオルやリビングの椅子の数、至る所から違和感が感じられるのだ。

「青嵐って一人暮らしじゃないの?」

そう、何もかもが2人分なのだ。

一人暮らしのはずなのにまるでもう1人暮らしているかのような生活感、この違和感の原因が誰にあるのかは言わずともわかった。

立ち上がった椿は食器棚からマグカップをひとつ取り出した、色違いの同じ柄のものがあるマグカップを。

縁を指の腹でなぞっても埃がつくことはない、つい最近使用した証拠だ。

魔女の痕跡の残る家、青嵐が覚えのない記憶に振り回されていることは一目瞭然だった。

いるはずのない同居人の影を見て世話をしている、もはや狂気の類いだ。

はあ、と椿は悲しげにため息を吐いた。

魔女の残り香に、青嵐は完全にがんじがらめに縛り上げられていた、椿の想像以上に酷かった。

「何してるんだ?」

「思ってたより大変そうだなって…うわぁ!?」

突如背後から声をかけられた、驚きのあまり大事なマグカップを落としそうになってしまった。

「大丈夫か?」

「心配するぐらいなら急に声かけないでよね」

振り向いた椿は少し咎めるような声色で青嵐に言った、「すまん」と言うものの謝意はあまり感じられなかった。

「あったかいの、飲むか?」

椿が大事そうにマグカップを握っているのを見て青嵐は笑いながら聞いた。

椿はこくりと頷いた。

「ココアでいいか?」

再び頷く。

電子ケトルに水を注いでお湯を沸かす。

食器棚からもうひとつのマグカップを取り出し、ココアの粉を少しだけ多めに入れる。

カチッとお湯の沸いた音がした。

お湯を注げば甘くほろ苦い香りが漂う。

「熱いからな」

「ありがと」

椿が受け取りやすいように、取っ手の方を向けて差し出した、しっかりと取っ手に指を絡ませたのを見て、マグカップを離した。

椅子に座る前にふーふーと息を吹きかけて一口だけ啜った。

ほっこりと頬を緩ませて「おいしい」と、椿は一言だけ漏らした。

釣られて青嵐も一口だけ熱いココアを啜る、いつもより少しだけ甘い気がした。

「落ち着いて話そうぜ」

「うん」

先程まで椿が寝転がっていたとは露知らず、青嵐はソファに腰掛けた、椿も悟られぬように隣に腰掛け、膝の上に先程まで顔をうずくめていたクッションを抱き抱えた。

クッションにはまだほんのりと温かさが残っている、真っ先に抱き抱えて正解だったかもしれない。

その様子を青嵐はじっと見ている。

「え、なに?」

「そのクッション気に入ったんだなって、俺も好きだったからそれ」

「過去形なの?」

「ずっと使ってたけど、最近あんまり使ってないからな」

幼い頃からずっと使っていたのかもしれない糸のほつれたクッションは、使用者の匂いが染み付いていた。

「落ち着くんだよ、それ抱いてると」

「わかる、すっごいリラックスできるよね」

使い古して少し薄くなってしまった匂いは青嵐の匂いではない、別の誰かの匂いだ。

それこそ母親の匂いを求めて無意識に愛用していたのかもしれない。

「それで、魔女の家を見て感想はあるか?」

「青嵐と、もう1人誰か住んでるみたいだと思った」

それもこれも原因は青嵐の体に染みついた無意識の行動のせいだ。

「やっぱり霞草から見ても俺は過去に囚われているんだな」

青嵐も自覚はしていた、過去に囚われて時計の針が前に進んでいないことを。

母親の絶対に追いつけない影を追いかけ始めて何年経っただろうか、空虚な時間を過ごしてきた青嵐にとって母と過ごした消えた記憶こそが生きる意味そのものだった。

きっと母さんはそんなことは望んでいないと思いつつも、過去を求めずにはいられなかった。

「重い男だな、俺は」

「別にいいと思うよ?」

椿の素っ頓狂な返事は湿った空気を吹き飛ばした。

ココアを一口飲んでワンテンポ間を開けてからその続きを話す。

「過去に囚われてても抜け出す過程が未来になるわけだし、思い出した後に振り返ったら違う見え方がするものだと思う」

のほほんとした言い方だが、実際はかなり的を射ている発言だ。

物の見方なんて時間が経てば変わる、画期的だったガラケーが今となってはオンボロになっているように、時の流れは移ろい、進む先々に合わせて変化するものだ。

今の自分は進んでいないなんてまやかしに過ぎない。

青嵐は少し肩が軽くなった気がした。

「お前絶対俺と同い年の思考してないぞ」

そんな言葉がまだ10代後半に差し掛かったばかりの女子高生の口から飛び出すのだから驚きだ。

「伊達に長生きしてませんからね!」

「16年で長生きならそこらの爺さん婆さんは妖怪だぞ」

椿はふふん、と自慢げに胸を張った、長生きの概念があやふやになってしまいそうだ。

全く、自由気ままにこちらを振り回すくせに的確な事を言ってくるものだから、掴みどころのない、どこか魔性の魅力を秘めた少女だと青嵐は思った。

「で、今を進むために過去を探すんでしょ?どうやって探すのか考えないと」

このまま人生相談を続けるわけにもいなかい、そもそも青嵐が椿を家に招いた理由は昼休みの続きを話すためだ。

名前すらわからない1人の女性を日本中、もしかすると世界中から探し出さなければならないだなんて、これ以上の難問があるだろうか。

「近所の人に聞き込みするとかは?」

椿は考え得る中で最も現実的で簡単な方法を提示した。

実際に青嵐は悪くない案だと思った、だが青嵐が実践していない筈もなかった。

「だいぶ前にやったことあるな」

「どうだった?」

「母さんが町内会とかに顔を出してないことがわかった」

「あはは…」

椿は振るわない結果を前に苦笑いを浮かべた。

魔女はあまり他人とは関わりを持とうとしないらしい、おかげさまでたった今青嵐は大変困っているのだが。

「というか、数年探してきたんだから思いついたのは粗方やったと思う」

青嵐が母親を探し始めて早数年、ふと思いついたことは財力と時間の許す限りやってきたが、その全てがしょうもない結果に終わり、母親の痕跡は見つけられないままだった。

「じゃあもう何すればいいのよ」

「母さんを探し始めてからだいぶ経ってるからな、仕方ない」

「うーん…全然思いつかないんだけど」

頭を捻り絞っても燃えカスのようなアイデアしか浮かばない、まさに八方塞がりだった。

しばらく考え続けていると、グゥとアニメのようにわかりやすく腹の虫が鳴った。

いくら椿とはいえ女性の前でやらかしてしまったと認識したが、当の本人も顔を真っ赤にしている。

「すまない」

「ごめん」

互いの謝罪が交差した。

どうやら青嵐の腹が鳴ったのと同時に、椿の空腹も限界を迎えたようだった。



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後書き

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