魔女と春のアヒージョ #2
「春のアヒージョです。中にはアスパラとコゴミ、マッシュルームにニンニクとホタテが入っております」
給仕のダニエルが現れ、いつも通り簡単に説明をしながらサーブをしてくれる。
「へぇ、随分と豪勢だね」
「そうなんですか?」
ルイーズが首を傾げていると、パウリーネはため息をついた。
「お前さん、随分と毒されてるね? こんなに具だくさんの一品は外じゃなかなかないよ」
「あ……」
「それに、ここじゃ採れない山菜にホタテとかいう貝。とんでもなく贅沢な一品じゃあないか。……あの値段で本当に良いのかい?」
「はい、もちろん」
ルイーズも言われてみて気づくが。
これだけのものを出しててこの値段というのはまぁ、異常ではある。
場所柄、高級路線に走ってもおかしくはないのだ。
この一品自体は他に比べれば若干割高という設定であったが、納得できる値段設定だった。
「それと、こちらがトウガラシ入り、こちらが入っていないものとなります」
「そうそう、それにこっちでこれが食べられるとも思ってなかったよ」
「師匠は辛味、大丈夫なんですね」
「歳をとると感覚が鈍くなるからねえ。後はまぁ、慣れかね」
パウリーネが苦笑するが、歳だけではないだろうと思う。
そも、このお人は年齢に見合わぬ外見であるし、こうして食事を摂るのにも不自由をしていない。
元気なお人だなぁ、と思うと同時にルイーズとしてはいつまでも元気で居て欲しいとも思う。
彼女に言わせれば余計なお世話というやつであろうが。
「それより、なんだい。あんたはトウガラシ無しって、ダメだったのかい?」
「いえ、何となく挑戦する踏ん切りが……」
「挑戦する姿勢や好奇心も魔法使いには大事なものだよ。一度は挑戦してみなさい。それでダメなら無理する必要はないがね」
う、と痛いところを突かれた反応をしてしまう。
実際、この「辛いもの」というものについて、常連の間でも反応はだいぶ分かれている。
すなわち、挑戦して好きになった人間と、挑戦してやはりダメだった人間と、そもそも挑戦していない人間。
ルイーズは3番目だった。
ダニエルが会釈して離れていくのを横目で見つつ、目の前の料理に改めて向き合う。
鉄製の器の中で、油が入れられており、その中に具材が浸っている。
先程まで熱された状態だったのだろう、まだぐつぐつと油が泡立ち、音を立てているようだった。
熱そうには見えるが、同時にその油は上等なものなようで少し色味がかっていながらも透き通っており、先程説明された具材の数々が見て取れる。
そして脇には一緒に食べるためのパンも置かれている。これで拭って食べることを想像すると、中々美味しそうに思えた。
「ふうむ、なるほど」
「師匠?」
「いやね、オイル煮――ないしはオイル漬けというのはあたしも見たことがある。だが、これはそれとは似ても似つかないね」
「というと」
「あたしの知るそれは食べ物を腐らせないための知恵みたいなものでね、油もそれほど良い状態のものじゃなかった。だからまぁ、独特な味わいが面白くはあったが――」
これほど香り高く、また美味しそうな代物ではなかったねえ。
師匠は目を細めて、少しばかり喜色を浮かべてそう言った。
「ともあれ食べてみましょうか」
「そうさね」
早速匙を入れてみる。こうして油ごと食材を食べるという経験をしたことがないので不思議な気分だ。
少し粘度のある感触とともに白いアスパラが裂けて匙の上に掬われる。
その柔らかな感触に思わず笑みを零しながら、ルイーズは口に含んだ。
「んー!」
最初に感じたのは油の味。油とはこのような味だったのか、という驚き。
遅れて程よい塩味と植物の香り、そして遅れてホワイトアスパラの柔らかな感触と豊かな甘みが追いかけてきた。
油のお陰だろうか、熱を保った中でそれらが調和して口の中に広がっていくというのは得も知れぬ心地よい感覚で。
「美味っしい……」
思わず言葉が溢れる。
二口目を間髪入れずに口に含めば、今度は程よい弾力のマッシュルームが歯に当たり、これまた味わい深かった。
更に、一口目で食べた時は僅かに感じたニンニクの風味が食べれば食べるほど強く感じられて、思わず身震いするような感覚を覚える。
この刺激的な味は、癖になりそうだった。
「これは見事だね」
パウリーネもまた、同様に口の中に匙を入れて暫し、目を閉じてその味わいに感嘆しているようだった。
「油や素材が良いのも勿論だが、これほどまでに舌を喜ばせる調理が出来るとは。町中で食べられて良い料理ではないよ、これは」
「そう思いますか?」
「あぁ。あたしは貴族というものをあまり好かないが、彼らでも食べたことはないんじゃないかねえ」
この新奇性と美味しさはやはり唯一無二だ。
誰よりも人生経験がある師匠がここまで言うのだから、やはりとルイーズは得心する。
いつだったか、オレンジシャーベットという氷菓を生み出した時にも思ったものだが、セリーヌの作る料理というのはやはり特異で異端だ。
願わくば、権力などでこの料理屋が失われることがないようにと一冒険者が考えることでないことまで、少し思ってしまう。
「油が良いから、この老人が食べても気分が悪くならない。寧ろ少しばかり油を舐めるのは健康のためにも悪くないものだがね。その上で、油だけの味じゃなく、それでいてしょっぱすぎない程度に塩味が加えられて、素材それぞれの味が引き立てられている」
もぐ、と口にする度にパウリーネが小さく頷く。
「仕上げにトウガラシだ。あたしが知るトウガラシは、辛ければ良いとばかりにふんだんに入れられるものだが、ここでは違うようだね。アクセントとして少し辛い、という程度に抑えられている」
食べやすくて何よりだ。
そう彼女は言って、また匙をルイーズに差し出した。
「一口ぐらいは挑戦してみたらどうだい? これなら多分食べられると思うよ」
「では失礼して……」
あむ、と差し出された匙を口にくわえる。
少し行儀が悪いかもしれないが、師弟の交流と思えばこそばゆい。
どうやら中に入っていたのは輪切りにされたトウガラシだけでなく、コゴミという山菜のようで、柔らかな感触の後に粘り気が少し感じられた。
そういえば村に居た時に似たようなものを食べたことがあったような気がするな……とルイーズはふと思い出した。
それが同じものであったかはわからないが、だがこの山の幸独特の風味と土っ気ともいうべき素朴さはかつての記憶を想起させるには十分なものだった。
そして追いかけてくる刺激が、舌先を刺してくる。
初めての感覚。未知だったそれは、だが存外悪くないようにも思えた。
少し痛い。だが、たしかに師匠が言うようにアクセントとしてみれば苦手というほどでもない。
ただただ、不慣れから来る困惑と面白さが感じられる。ルイーズが初めて体験した辛味というのはそんなものだった。
「ん……悪くは、ないですね」
「そうだろう? まぁ、偶には試してみることだね。そのうち慣れて美味しく感じるかもしれない」
確かにそうかもしれない。
慣れてしまえば、こういう刺激も楽しめるようになるのだろう。
無理をするほどでもないが、時々頼んでアクセントを味わうのも良いかもしれない。
「パンに載せても美味しい。この塩味とニンニクの香りがたまらなく相性が良いですね」
「そのまま食べてもこうして食べても美味しいというのは工夫を感じるねえ」
ニコラならなんて言うだろうか。
パンでも楽しめると思うが、お酒のつまみになるとでも言いそうだ。
「このホタテという貝も面白いね。甘みを強く感じる上に、海の香りを思い出すよ。しかし、どれも柔らかい具材だ。あたしに配慮してくれたのかねえ」
「流石にそれはないと思いますよ。師匠、その姿だとどう見積もっても私と同年代か少し上ぐらいですし」
「おや、お世辞かい?」
「いや、昔からずっとその若い姿じゃないですか……」
呆れたように言う他ない。
どうしてその姿で老人として配慮してもらえると思うのか。
すると、パウリーネはおかしそうに笑った。
「あっはっは、違いない。だがまぁ、面白い店だね。あんたが気に入るのもわかる」
「ニコラとも一緒に良く来ますよ」
「へえ。あの子のお気に入りのメニューはなんなんだい?」
「それが意外なことに、肉だけじゃなくて野菜も食べるようになりましてね――」
まだまだ陽は高い。師弟の語らいは、美味しい料理が文字通りに潤滑油となって軽やかに進んでいく――
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