晨星はほろほろと落ち落ちて 第二十二幕

「……ふぅ」


 喧騒けんそう喧囂けんごう喧々囂々けんけんごうごう


 昨日とは違い過ぎるほどに浮かれていた町並みが、ようやく静まり始めたという黄昏時。

 もうお眠という状態のエルに付き添って歩くナーセルたちの後ろで1人黄昏れていたのはポムカであった。


「……どうかしましたか? ポムカ」


 そんな彼女の歩幅に合わせて、隣にやって来たのはネンニル。

 そのポムカの姿は気にかかると「何か悩み事でも?」と尋ねている。


「いえ、何かあるという訳では無いのですが……ただ、こんな風にこの町をまた歩くことになるなんて思ってもみなかったものですから、その……」


 どこか郷愁を感じてしまうとポムカ。


 確かにここは、彼女の中にあった思い出とは大きく食い違っている。

 なにせこの町は再開発がなされた場所だ。

 再利用された物もあるにはあるが、ほとんどと言っていい程、この町を形作る物、そして者は過去と違うのだから。


 そもそも、彼女自身も子供とあってか、それが確かな形で残っている訳でも無い。


 それでも……

 たった一つの出来事、化け物の襲来で一転してしまった人生ではあるものの……


 それでもここは、確かに彼女の故郷ふるさとであったのだ。

 彼女が生まれ、育まれ、そして家族が居た場所なのだ。


 ならば、その場所の空気をこうして久々に味わったとなれば、確かに何かに思い煩うことだってあるだろう。


「……そうですね。確かにあの時は本当に幸せでしたね。あなたが居て、アリエスカが居て、アフェルバス、イーリル、ミニファル、そしてツェルスカが居て。多くの人に囲まれて、多くの人に愛されて……」

「父様たちは本当に愛されていたのですか?」

「ええ、勿論。アフェルバスは魔術師として一流でしたから、時に周りの心配を押しのけて魔獣討伐に顔を出していたぐらいです。おかげで、領民からは大いに信頼されておりましたよ」

「そうですか……」


 子供であったが故によく知らない父親像。

 そんな自身の父の活躍を聞き、ポムカはどこか嬉しそうだ。


「そういえば、そんなアフェルバスの才能を最も色濃く受け継いでいると、あなたのことをアリエスカがよく褒めていましたね。アフェルバスの炎の魔術をすぐさま覚えてしまった天才だと。もうそれは何度も聞いたと言ってるのに、何度も聞かされて……」

「母様がそんなことを……」

「……ですからきっと。アリエスカたちは喜んでいることでしょうね。記憶を失っても尚、この町に思いを馳せてくれていること。そして、魔術のことだけは忘れていなかったことを。なにせ、よくアフェルバスたちにも言っていましたものね? 魔術を学んで世界中の人を幸せにする領主になると……その幼少の頃のあなたを今も追いかけてくれていることを。きっと、誇らしく思っていることでしょう」


 ネンニルが語ったポムカの夢。

 それは慰霊碑の前でも語っていた、小さき頃に父と交わした約束のこと。


 無論、それは詭弁でしかない。

 なにせ、末妹たるポムカが領地を受け継ぐなんてことはありえないのだから。


 だけど……


 それでも両親はさぞ嬉しかったことだろう。

 自分たちの後を受け継ぐと言ったことではなく、人を幸せにすると言ったことが。 


「……そう、思ってくれていればいいのですが……」

「大丈夫。あなたは既に立派ですよ。こうして……生きているのですから」


 そっと、ポムカの頭を撫でるネンニル。


「本当に……よく頑張りましたね」


 その言葉に、優しさに、自然と目を閉じてしまうポムカ。

 ともすれば、涙が溢れそうになるのをグッと堪えつつ、「ありがとう、ございます……」と、ネンニルの優しさを受け入れたポムカであった。


「……本当、あなたはアリエスカによく似て」


 柔和な笑顔。

 幼いながらもどこか美しさを感じさせる微笑み。


 赤い髪であるということは勿論のこと、その端々から感じる彼女の面影に、懐かしさを抱かざるを得ないとネンニル。


「まぁ、性格は少々わたくしの方に似てしまっている感じが致しますが……」

「え? そう、なのですか?」

「ええ。人の叱り方などはわたくしの昔を見ているようで」


 実は先ほどエルを怒っていたポムカを諫めたのは、アリエスカの真似をしただけとネンニル。


「わたくしは戦場しか知りませんでしたから……母としてどのように振舞っていいのかもわからず、つい騎士としての振る舞いをしてしまうことも多かったものです」


 しかし、そのせいでつい息子たちにきつく当たってしまうと自省していたものの、それを改めることが出来ないでいると、たまにアリエスカがああやって仲裁してくれたのだそう。


「おかげでわたくしも、何とか母親としてやっていけていたものです」

「伯母様が母様に……」


 懐かし気に色んなことを語るネンニルの顔を見たポムカ。

 今日は初めて聞くことばかりだなと思いつつ、自分の知らない父母の話につい顔を綻ばせてしまう。


 そんな彼女を見てネンニル。

 何かを決意したかの如く、そもそもそれが本題であったかの如く、ゆっくりと目的の言葉を口にする。


「……ねぇ、ポムカ」

「はい?」

「もしも……もしも、あなたが受け入れてくれるのなら、で構わないのですが……うちの子に、なりませんか?」

「伯母様たちの、ですか?」

「ええ。今のあなたを放っておけば、それこそわたくしたちはアリエスカたちに示しがつきません。無論、わたくし自身もあなたを心配していますし、帰れる場所がないというのは大変でしょう?」

「それは……」


 確かに彼女には身寄りというものはない。

 天涯孤独――というと少し違うが、それでも今の彼女には拠り所は無いので、何かあった時には困るというもの。


「……それに、どうやらガイルと結ばれる可能性は期待できないようですし」

「……はい?」

「いえ、こちらの話です」


 こほんと咳ばらいを一つしたネンニル。


「別に家族を忘れろというつもりではありません。あなたはあくまでもアフェルバス、そしてアリエスカの子です。ただ……何か辛いことがあった時、苦しいことがあった時に、いつでも逃げていい場所が無いというのは相当辛いと思うのです。ですから、せめてその場所をあなたに、と」


 勿論、彼女が娘であればという打算的な思いがあるにはあるが、それ以上にポムカの今を本気で憂いているということに違いはない。


 きっとアフェルバスたちも理解してくれるだろうと、何かあった時には彼女をいつでも助けることができるためにも、彼女はポムカと再会してからずっとそんなことを考えており、だからこそ、自分たちが新しい家族になると……そう真剣な眼差しでネンニルは語ったのであった。


 ちなみにクエルにはまだ言ってはいないが、きっと喜んで受け入れるだろうとも語るネンニルの真摯な言葉きもちを受けたポムカ。


「ありがとうございます、伯母様。私のこと……そこまで心配して、考えててくださって」


 最初はやや驚いた表情であったものの、その温かな思いを理解したとポムカは、柔らかな微笑みで、彼女に感謝を告げている。


「では……」

「……ですが、ごめんなさい。それをお受けする訳にはいきません」


 しかしとポムカ。

 ネンニルを傷つけないようにとでもいうように、笑顔を携えつつ彼女の申し出を断ってしまう。


「……理由を聞いても?」

「そうですね……やっぱり伯母様は伯母様で、伯父様は伯父様だから……でしょうか?」

「? どういうことです?」

「……あ、いや、ちょっと違うかも? えっと、何と言えば……」


 自分でも言語化が難しいと頭を悩ませているポムカ。

 そんな彼女の言葉に首を傾げながらネンニルが答えを待っていると……


「お~い! ポムっち!!」

「ん?」

「早く来てください~! エルちゃんが~」

「寝ぼけて、自分の腕、食べ始め、た」

「うにゃうにゃ……柔らかいんよぉ……」


 何とかしてエルの口から腕を引っ張りだそうとするナーセル、フニン、ルーレの3人が慌てた様子で声をかけてくる。


「共食いじゃなくて自食じぐいするようになるなんて……って、そうか。そういうことか」


 エルを含めたそんな彼女らを呆れた眼差しで見ていたポムカだったが、不意に何かを理解したと笑みを浮かべる。


「ポムカ……?」

「いえ……今、何となくわかったんです。どうして伯母様の言葉を受けられないと思ったのか」


 そうして少し前へと歩くポムカは、振り返りながら笑顔で語る。


「勿論、私には過ぎた栄誉だと思ったってのもあるんですけど……それ以上に、十三騎族って肩書き、面倒だなって思っちゃってるんです。私」



 それはナーセルたちとの出会いに起因するもの。



 故郷が燃やされ、家族が亡くなり、そして記憶を失った少女ポムカ。


 それは紛れもなく不幸な出来事であり、それは間違いなく幸福とは言い難い出来事だ。



 ……だけど。

 今の彼女は、今この時を辛いと思ってはいなかった。



 勿論、理不尽だと思ったことはある。

 殺してやりたいと思うほどに、貴族を憎んだことなんて何度だってある――それどころか、今だって思っている。


 ……だけど、それでも。

 今の彼女には大切の人たちがいる。


 ナーセルにフニンにルーレに、そしてエルに……あいつに……と。


 魔術学校ですら理不尽な目に遭っていながらも、それが気にならない程に今が幸福だと思えているのは間違いなく彼女らのおかげ。


 彼女が彼女であったが故に。

 立場も何も気にせずに生きてきたからこそ得ることができた大切な友達のおかげ。


 だからこそ、彼女は思ってしまったのだ。


 今のままが良いのだと。

 彼女らとこうして馬鹿なことがやりあえる、自由なままが良いのだと。


 十三騎族の方々とは、あくまでも伯父なり伯母なりといった距離感のままがいいのだと。


「まぁ、主にどこかの誰かさんのせいですけど……」

「……そう、ですか」

「ごめんなさい、伯母様。我儘なことを言ってしまって……でも、私は」

「……いいえ。謝る必要はありません。あなたが幸せだというのなら、わたくしは……いえ、アリエスカたちもまた嬉しく思っていることでしょうから」


 どこか不服というように、しかしてどこか照れたように言うポムカの言葉、そしてその表情を見てネンニルは、しょげたように肩を落とすも、いつの間にか立派になっていたポムカが誇らしいとばかりに笑顔を見せつつ、ポムカの言葉を受け入れる。


「伯母様……」

「しかし……本当に残念です。せっかくカワイイ娘ができると思っておりましたのに」


 本気で悔しそうと言わんばかりにネンニルには、「あはは……」と乾いた笑いしかできないポムカ。


 一方でそれはそれとしてとネンニル。


「……ですが、それでも身寄りがないというのはお困りでしょう? ですから、わたくしたちはこれからはあなたの後見人となることにいたします」

「後見人、ですか?」

「ええ。何かあればわたくしたちヴィーラヴェブス家が責任を持つ。それぐらいのことはさせてもらっても構わないでしょう?」

「それは……」


 ネンニルの言葉に、再び考えるポムカ。


 家族になるというお誘いは勿論のこと、十三騎族の方が後見人になってくれるのだって申し訳ないという気持ちではあったものの、ここまで言ってくれた相手に対して、これ以上の謙遜は逆に失礼だろうと考え……


「わかりました。……それでは、これからよろしくお願いします」


 ポムカは深々と頭を下げて受け入れることに。


「ええ。これからもよろしくお願いしますね。ポムカ」

「はい。こちらこそ」


 こうして新しく、ポムカは大切な居場所を手に入れたのであった。

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