晨星はほろほろと落ち落ちて 第二十幕

「……父上。しばらくの間でいいのですが……ここの領主を辞めさせていただくことはできないでしょうか?」


 これはルーザーが吹っ飛ばされた後のこと。




「い、急いで捜索してあげませんと……後、医療班も」


 吹っ飛んでいったルーザーを心配し、慌てて色々と準備をしようとするネンニルに対し、「あ~、たぶん大丈夫だと思います」とはポムカの言葉。


「大丈夫?」

「あいつ、滅茶苦茶頑丈なので……放っておいても、そのうち帰ってくると思いますよ」

「……そ、そうなのですか?」


 ポムカの確信をもった言葉に本当にそうなのだろうかとナーセルたちを見るネンニル。

 その視線を受け『確かにそうだ』と言わんばかりに首を縦に振った3人を見て、「ま、まぁそういうことでしたら……」と、とりあえずエルの方を回収しよう動いたネンニル。




 そうして、ガイルによるルーザーへの決闘申し込みに端を発した闘技大会は終わりを迎えた……のだが、そんな中、屋敷に入るなりガイルが言った一言がこれであった。


「ガイル?! あなた、何をいきなり……「ほう? 理由を聞こう」」


 しかし、言ってきた内容が内容と、ネンニルが少し驚いた表情で嗜めようとするものの、それを遮るように手で制したクエルは、彼の言葉を聞くべきと問いただす。


「それは……今のままじゃダメだと思ったからです」


 グッと握りこぶしを握ったガイル。

 その顔にはルーザーに負けた口惜しさは勿論のこと、どこか自分自身に落胆としているといった様相が見て取れる。


「父上とルーザー君の戦いを見て、自分はきっと……お2人のレベルにはまだ到達してはいないのだと」


 それは彼らの戦いが凄いと感動してしまったことに起因する。


 確かに勝負はおかしな形で着いてしまった。

 試合時間も僅か数分にも満たないほどでもあった。


 それでも……

 彼は思ってしまったのである。



 自分が本気を出したところで、クエルには勿論、ルーザーにすら勝てないのだと。



「でも、それじゃあダメだと。今のままの僕じゃ……きっとまた、大切な人を失ってしまうと、そう思ったからです」


 ガイルの突然の申し出に驚きを隠せないといったポムカの姿を不意に見つめるガイル。


 その視線に首を傾げたポムカではあったが……そもそもの話、先の戦いはポムカをめぐる男と男の戦いであった(ガイル視点)。


 それに本気を出す訳にはいかなかったとはいえ(彼の真技解放は周りへの被害が出過ぎてしまうため)敗北したのがガイルであり、それは即ち、ポムカには自分がいるのでガイルは必要ないというルーザーからのメッセージであった……と思っているのが今のガイルである。


 ――だけど……

   それはどうしても受け入れられなかった。


   ポムちゃんの心が自分に向いていないのは仕方がない。

   それはきっと過去の、そして今の僕のせいなのだから。


   ルーザー君とポムちゃんが結ばれるというのなら祝福するさ。

   ……きっと物凄く凹むんだろうけど。


   だけど……

   それでも受け入れられなかったんだ。


   今の自分が……弱いということが。


「だから……僕はもっと強くなりたい! そのためにも、できることはやっておきたくて……だから、その……」


 自分の言っていることがどれだけ利己的なのかはわかっているとガイル。

 だからこそ、決意溢れる言葉もどこか徐々に勢いが失われてしまう。


 ……しかし。

 それでもとガイルは、キッとクエルを睨みつけるように力強く見つめなおしていた。


「あなた、それだけのために辞めるなどと……」

「……なるほどのぉ」


 勿論、そんなことのためにとネンニルは苦言を呈そうとするものの、一方のクエルはどこか嬉しいという気持ちを抱いているように見える。


 確かにクエルは恋愛――特に男女の機微には疎かった。

 なにせ、自分の想いは恥ずかしげもなく口にするのが彼であり、ただの騎士――それも、戦い以外何も知らない粗野な女と陰口を叩かれていたネンニルに一目で惚れたと臆面もなく彼女に愛を伝えたことで、最終的には周りの反対を押し切って彼女を妻としてめとるほどなのだから。


 だから彼にはガイルがひた隠す心の内を悟ることはできなかったが……それでもこうしてガイルが自主的に強くなりたいと願っていたことには喜ばしく思っていたのだ。

 ――正しくは自分の想いを口にすることを。


 なにせ10年前、カロン山の噴火に端を発した事件――ペシュフーロンの大火によってランペルトン家がいなくなり、特に一番仲の良かったポムカが死んだ(と思っていた)のを機に、ガイルはずっと部屋で塞ぎ込んでおり、おかげで叱咤しったしようとも激励げきれいしようとも甲斐は無く、流石に困ったとクエルがガイルをここの領主へと推挙することで否が応でも前へ進ませようとしたものの、それでもどこか心がここに無い時がある末の息子に、自分は何をしてやれるのかといつも悩んでいたのだから。


 無論、アフェルバスの死は自分も悲しかったものだが、それでも立ち止まるなどという選択肢は自分には存在しなかった……が、それ故にガイルの気持ちが理解できないと慚愧の念に駆られていたクエル。


 いつかは立ち直ってくれると信じてはいた。

 だけど、その方法が思い浮かぶことはなかった。


 そうして、何もしてやれない自分を恥じる中、突如として現れたアフェルバスの遺児ポムカ。

 そして、そんな彼女との再会を機に強くなりたいと……自らの意志で前へと歩み出そうとしたガイルの姿は、クエルにとってどれだけ喜ばしかったことか。


 無論、顔には出さないものの、それでも歓喜に打ち震えるように、きっとポムカとの再会がガイルを変えてくれたのだろうとポムカが生きていてくれたことに感謝をしつつ、クエルは満面の笑みで返事をすることに。


「……相分かった! そういうことならば、代わりの者を都合してやるとしよう。貴様が存分に己を鍛えあげられるようにな!」


 やっと自らの足で進もうと決意した息子の背中を押すために。


「父上……ありがとうございます!」

「よろしいのですか?」

「無論だとも。男に二言はない。それに、いざとなれば儂が出張ればよいというものよ」


 首都の方の公務はもっぱら長男に任せられていられているが故に、ともクエル。


「……全く。あなたはガイルに甘いのですから」


 このネンニルの言葉は、あの手この手でガイルを立ち直らせようとしていたクエルのことを差す。

 確かにクエルはガイルを立ち直らせるためだけに一つの領地まで与えてしまったのだから、そう言われるのも当然ではあるが。


 そうして、満面の笑みで言うクエルには、もはや何を言っても無駄だろうとネンニル。


「まぁ、あなたがいいと仰るのなら、わたくしも構いませんが……ですが、中途半端は許しませんからね? ヴィーラヴェブス家の者としては勿論、人として、そして男としても」


 一応、母として背中を押しつつ、決して甘えは許さないとばかりに釘をさす。


「承知しております。……それじゃあ、僕、頑張るから」


 そうして、決意新たにしたガイルは、笑顔でポムカに向き直る。


「え、あ、うん……頑張っ、て?」


 一方、その話についていけなかったとポムカは曖昧な返事をしてしまうものの、今はそれでも構わないと言った風にそれに満足したとガイルは、足早に屋敷を出て行ってしまうのであった。


「……どうしたんだろう? ガイル君……」

「凄い気合です~」

「ま、ガイっちも男の子だったってことだね」

「大切な、人の、ために、ね?」

「……え?」


 訳知り顔のナーセルたちを他所に、全くわからなかったといったポムカ。


「どういうことなん?」


 一方のエル。

 何故か正座した状態でガイルの行く先を見つめており、ポムカ同様に首を傾げていた。


「やっぱ2人はわかんないか~」

「「?」」

「……それはそれとして~。エルちゃんは~、いつまで正座してればいいんですか~?」


 そうして2人の反応は予想の範囲内だとしつつ、ようやくこっちの問題だとフニンは、エルの処遇はどうするつもりかとポムカに尋ねている。

 どうやら正座はポムカの指示のようだ。


「それは勿論……エルが私の言葉を理解してくれるまで、よ?」

「ひゃうっ!?」


 フニンの言葉にその表情を厳しめなものにしたポムカ。

 一応、形だけでいえば笑顔ではあるものの、それでも顔に影を落としつつ鋭い眼光を光らせるポムカの顔は、末恐ろしいものを感じさせ、おかげでエルはビクッと体を震わせる。


「私、いつもいつもい~っつも言ってあげてるわよね? 周りの状況はしっかり確認しなさいって。常に冷静さを忘れずに行動しなさいって?」

「は、はい……なんよ……」

「それなのに何? さっきのはどういうことなのかしら?」

「そ、それはその……てっきり、ルーザー君たちが喧嘩しとる思って、その……」

「勝手に決めつけちゃったと? 周りの状況も確認せずに? 冷静な判断もろくにせずに?」

「うぅ……」


 蛇に睨まれた蛙――それどころか竜に睨まれたミジンコの如く、力強い眼光で睨みつけられるエルの体は、徐々に徐々に縮こまっていく。


「今回はあの馬鹿だったから良かったものの、あれが他の人やあなた自身だったらどうなってたかわかる?」

「……それは……」

「本当、あなたってばいつもいつも……」


 そうして、くどくどとエルのダメな所を語りだすポムカ。

 そんな彼女の言葉に今にも泣きだしそうなエルの姿はどこか庇護欲を駆られると、「まぁまぁ、無事だったのだからよかったではないか」とついクエルが口出ししてしまうものの……


「伯父様! エルを甘やかそうとしないください! この子は何度言っても私の話を聞いてくれないんですから!」


 と、強くポムカに叱られたことで、「う、うむ……すまぬ……」と流石にバツが悪いとクエルすら縮こまってしまうのだった。


「ポムっち、強い……」

「まぁ~、エルちゃんを~、思っていればこそ~、ですものね~」

「ポム、なんだかんだ、面倒見、いい、から」


 そうして、その状況を誰も止められないとポムカのお説教を見守る中、エルを叱っていた彼女を微笑ましく見つめていたネンニルは……


「……ポムカ。あなたの気持ちもわかりますが……反省している相手にそれ以上の苦言は逆効果ですよ」


 ポムカの肩に優しく手を乗せ、彼女を止めてみせることに。


「しかし……」

「大丈夫。……あなたも、もう今回のようなことはなさませんよね?」


 優しく、そして慈しむような視線でエルを見つめたネンニルにエル。


「は、はいなんよ! も、もう勝手に決めつけて動かないんよ!」


 涙目になりながらも至極反省したといった表情で約束することに。


「では、これでこの話はおしまいということで。ポムカもよろしいですね?」

「……まぁ、伯母様がそう仰るのなら」


 クエルの考えなしの言葉は受け入れがたいが、ネンニルのその言葉には一理あると、ポムカは渋々といった感じでネンニルの言葉を受け入れるのであった。


「それでは、話もついたことですし……これからは今後の話でもしましょうか?」

「今後の話とな?」


 慈悲ある振る舞いから一転して、喜々とした表情で新たな議題を口にしたネンニル。


「ええ。流石に我々も、これ以上この地にとどまる訳にはいきませんでしょう?」

「う、うむ……確かにな。そろそろ儂の騎士たちが迎えに来かねん」


 クエルの言うように、実際彼らは周囲に多少は説明していたものの、それでも詳しい行先などは言っておらず、流石に何があったのかとなっているであろう彼らが、クエルたちの足跡を辿ってここに到達するのは時間の問題と言える。


「ということですので、ポムカ。勿論、皆一緒で構いませんが……この後マエルバーグにいらっしゃいませんか?」

「まえるばーぐ?」


 聞いたことの無い単語に首を傾げるのは立ち上がったエル。


「確か、ヴィーラヴェブス領の、首都」

「つまり~、ネンニル様たちのお屋敷ってことですね~」

「お屋敷っていうか、お城じゃなかったでしたっけ?」

「ええ、まぁ、そんな大層なものではありませんが」


 一方のポムカたちは詳しいことを知っていると情報を口にする。


 ちなみに、曲がりなりにも十三騎族は貴族なんかと比べ物にならないほどに高貴な一族であり、その血は何よりもたっとばれなければならないために警備はどうしても大仰なものにならざるを得ず、結果的にお城とも呼ぶべき程の大きさにもなってしまうものなので、このネンニルの謙遜を真に受けてしまうと相当なショックを受けることだろう。


「お城!? ギースロントで見たことあるんよ!」

「まぁ、魔術学校もアールスヴェルデの首都であるギースロントにある訳だしね」

「あなたが来てくれれば、まだしばらくは一緒にいられますし、それにきっとガイル以外の子たちも、あなたに逢いたいと思っているはずですから」


 確かにポムカ自身、クエルの家族とは会っていたという話をしていたので、ガイルの兄たちもまたポムカのことを覚えているに違いなく、そんな彼女が生きていたと知れば、きっと喜ぶことだろう。


「如何です?」

「そ、そうですね……呼んでいただけるのは大変光栄なことですけど……」


 だからこそ、自分たちの元へ来るのはどうかとネンニルだったが、扇子で口元を隠しているとはいえ、ポムカが『はい』と言ってくれるのを待ち望んでいるのは見え見えだったりする。

 ……実はエルを助けたのも、早くこの話をしたかったためだし。


 そうして、この中で一番利己的だった彼女の問いに、今後のことは一人では決められないとポムカがチラッとエルたちの顔色を窺うと、一番最初に返事をしたのはエルだった。


「オラは別にええんよ? ここの食べ物も美味しかったんし、となればお城の料理ともなれば……ふへへ」

「だね。……って、エルっち、よだれよだれ」

「あうっ!」


 じゅるじゅると垂れそうになっていたよだれを処理するエル。


「確かに~、十三騎族様のお城に行けるなんてこと~、こんなことでもなければ~、ありえませんもんね~」

「まだ、学校、始まら、ないし、ね」

「あたしも賛成!」


 そんなエルの姿に呆れつつ、ナーセルたちもまた思い思いのことを述べてはネンニルの意見に賛同する。


「ルザっちは……まぁ、大丈夫っしょ」

「細かいことは気にしない人ですしね~」

「確かにあいつなら、そう言いそうだけど……」

「なら、決まりですわね」


 こうして全員の賛同を得られたとネンニル。

 喜びを露わにするのを必死に隠しているとでもいうように、顔を開いた扇子で隠しているが、その声音から喜んでいるのは見え見えだ。


 そんな彼女を余所にポムカ。


「……えっと、それではその……お世話になります」


 遠慮しつつも、その申し出を受け入れることにしたのであった。


「うむ! まだ復興の途上にあるこの町よりも多くの名店、多くの遊び場、多くの行楽地がある故な。是非楽しみにしておくがよい」

「美味しい、お店……」

「だから、よだれ」

「あうっ!」


 じゅるじゅると再び音を立てながらよだれを処理したエルではあったが――そんな彼女はいいとして、こうしてポムカたちはヴィーラヴェブス領の首都へと向かうことになったのであった。


「とはいえ今日いきなり行くというのもあれですし、出立は明日ということで」

「であるな。そもそも今日は、先の戦いに参加した者どもを集めての慰労パーティの予定だったしのぉ」

「本当にするつもりなんですね、それ……」

「では、それまでに伝宝珠でんぽうじゅをお渡しいたしますね」

伝宝珠でんぽうじゅとな?」


 クエルの言葉に呆れていたポムカを余所に、話がまとまったというタイミングで、話に入ってきたのはハンハだ。


「確か坊ちゃんの話では、旦那様は伝宝珠でんぽうじゅを壊されたとのこと」

「……おぉ、確かにそうであったな。突然、ポムカの名を出すからつい慌ててしもうてな」


 おかげで帰ったら長男などに叱られるだろうとも。


「まぁ、ポムカの顔を見せればそれも有耶無耶となろうというもの! 気にする必要もあるまい!」

「あはは……」


 そんなクエルを見て、やっぱりこの人は豪快だなと思うポムカであった。


「そういうことですので、現在新しい伝宝珠でんぽうじゅの製造を依頼しております。おそらく本日の夕方頃には完成すると思いますので、合わせてそちらをお持ちいただければと」

「うむ。準備が早くて助かるぞ、ハンハよ」

「勿体なきお言葉、痛み入ります」


 恭しく頭を下げたハンハを見て、話はついたとクエル。


「……それにしても、魔術学校か。ええい、ソングラの奴め。儂の可愛いポムカを奪いおって……こんなことなら、魔術学校をうちでも作っておけばよかったか……」


 苦々しいとでもいうように、ここにはいない人物の名をあげて悔しがるクエル。


 ちなみにソングラとはソングラ・アールスウェルデ――即ち十三騎族アールスウェルデ家の正当後継者のことで、当然クエルにとっては顔見知りの相手。


 そんな簡単に十三騎族の名前を出せるのは流石だとナーセルたち。

 一方でその言葉に呆れていたのはネンニル。


「魔術学校など戦いの何の役にも立たんものを作ってどうする、などと言って騎士学校を王国随一のものへと整備されたのはどこのどなたでしたかしら?」

「ぐっ……」

「そもそも、あそこを王国最大の魔術学校に整備したのはソングラ殿よりももっとずっと……それこそバンタルキア王国建国当初のお話。それをグチグチ言うなどとはみっともない」

「くぅ……」


 そうして、ネンニルに言い負かされたとクエルは、再びバツが悪そうに縮こまる。

 とはいえ先ほどもそうだが図体のデカさは随一なので、決して目立たないということはない。


「……まぁ、この人のことは置いておいて。それではポムカ。今日はせっかくですし、街に買い物に出かけましょう。勿論、あなた方も」


 一方でネンニルは今一番決めなければならないことを決め憂いは晴れたと、喜々としてそんなことを提案する。


「よ、宜しいのですか?」

「ええ、勿論。ポムカと仲良くしてくれた恩を返さねばなりませんし」

「恩だなんて~」

「助けられてきた、の、こっち」

「のようですわね。ですがこれはわたくしの気持ち、ただの自己満足ですのでお気になさらず」


 ポムカの母ではないにしろ、優しく、仲良くしてくれた相手にはお礼をしたいのが親というものだとネンニル。


「それなら、お言葉に甘えて……」


 その言葉にナーセルたちは恐る恐るといった具合に受け入れるのであった。


「でも、観光、昨日、しちゃった」

「そういえば~、そうですよね~?」

「ふっふっふっ。甘いですわね、あなた方……」


 そう言ったネンニルはニヤリとしながら懐から財布を取り出すと、「十三騎族の財力、甘く見ないことです」と怪しく笑う。


「さっすがネンニル様!」

「凄、い」

「ええ、ええ。もっと褒めてくださって構いませんことよ、ホホホッ」

「伯母様……」


 ネンニルのその振る舞いにやや呆れていたポムカだったが、一方でそんなネンニルにクエルも食いつく。


「そうかそうか! では儂もポムカと一緒に……「旦那様」ん?」


 行く気満々といった具合に前のめりでいたクエルだったが、そんな彼を嗜めるように声を出したのは再びハンハ。


「どうかしたか?」

「どうかしたかではありませんよ、旦那様。坊ちゃんのお話をお忘れで? 坊ちゃんが己を鍛え上げている今、あなた様までいなくなれば、この領主邸に領主がいないことになります。ですので、何かあった時のためにも、あなた様にはここに残っていただきませんと」


 そのために、ガイルはわざわざクエルの許可を取ったのだし、とも。


「いや、しかしだな……儂だってポムカとお出かけした……「旦那様?」……はい」

「立場逆転してない?」


 曲がりなりにも十三騎族の当代であるクエルを嗜めるように声をかけたハンハに対し、結果的にハンハの言葉が通ったことにナーセルたちは驚いている。


「そりゃ、ハンハ様は伯父様の教育係でもあったそうだから」

「えっ?! そうなの?! だとしたら頭が上がらないのはわかるけど……」

「そうなると~、いったいおいくつってことに~、なるんですかね~?」

「気には、なる」


 そう言ってハンハを見つめるポムカたちに、特に答えず優しいほほ笑みを携えるだけのハンハだった。


「ふふっ。そうですよ。あなたは大人しくここで……」

「奥様もです」

「え?」


 そんなハンハをしり目に、勝ち誇った顔でクエルを退けようとしたネンニルだったが、そんな彼女に対しても決して退かないといった様相のハンハ。


「あなた様とて十三騎族に名を連ねるお方。そのような方がおいそれと、外を出歩くなど認められません」

「ぐぬぬ……」

「あはは……」


 ハンハの言葉に扇子で口元を隠してはいるものの、心底悔しいんだろうなとわかるほどに唸っているネンニルの姿を見たナーセルたちには、乾いた笑いしか出てこない。


 しかし、まだ諦めないとネンニル。


「……いえ、そうですわね。要はバレなければよろしいのでしょう?」

「はい?」

「少々お待ちなさい」


 そう言って今いるラウンジを出て行ったネンニル。


 何処へ行ったのだろうと互いに顔を見合わせていたポムカたちだったが、しばらくして彼女が戻ってくると、なんとその姿は使用人の衣装を着ていたのであった。


「……お、奥様? その恰好は……」

「ふふっ、どうです? これなら別に問題はありませんでしょう?」


 ひらひらとロングスカートをたなびかせながら、何も問題無いと自評するネンニル。


「ネンニル様、似合、う」

「お可愛いです~」


 結髪を両サイドのお団子ヘアーに変え、その衣装も着物からメイド服へと変貌させたネンニルの姿は、確かに6人の子供がいるとは思えないほどには美しく、使い古した扇子を使っていつもの調子で口元を隠してさえいなければ、実際のメイドと思われても不思議ではないだろう。


 そんな、どんな手を使ってもポムカと出掛けたいんだという意思を見せたネンニルにハンハ。


「……ハァ。わかりました。ですが、くれぐれもお気を付けくださいませ。御身はあなた様が思っている以上に大事なものなのですから」


 細心の注意を払えという条件付きで受け入れるのであった。

 ……ため息交じりではあったものの。


「ええ、もちろんですとも」


 ハンハの許可を得たと嬉しそうなネンニルを見てクエルもまた、「なるほどのぉ。では、儂にも似たような服を……」と従者たちに服を用意させようとするものの、「公務の話、忘れないでくださいませ」とそもそもの問題があるだろうとハンハに注意されたことで「がふっ!」と変な声を出してガッカリすることしかできないのであった。


「儂もポムカとお買い物、行きたい……」

「全く……首都に着けばいくらでもポムカに相手してもらえるでしょうに」

「……そうだな。うん、そうする。……ぐすん」

「伯父様……」

「この2人、どんだけポムっちとお出かけしたかったんだろう……」


 こうして、膝を抱えながら拗ねるクエルを見たポムカは、伯父のこんな姿初めて見たと言いたげにちょっと引いていたのであった。

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