忠直は慷き慨る 第五幕
「な、なんなんだよ!? なんなんだよ、あれは!? こんなの聞いてないぞ!?」
「わからねぇよ! そんなことより今は逃げ……がはっ!?」
「ヅッキ!!?」
勢いよく走っていたメゴボルの手下たち。
何かから必死に逃げていた少年の1人、ヅッキと呼ばれたメゴボルの手下を100m近く突き飛ばしたその何か。
その威容にただただ恐れるしかできないでいる他の少年の目に映るもの。
それは……
巨大な猪だった。
目算で5m近い巨体の猪がヅッキの体目掛けて突進してきており、今まさにヅッキがその猪によって吹き飛ばされてしまっていた。
「かはっ!?」
「ヅッキ!!」
巨木に叩きつけられるように衝突したヅッキは、覆っていた
「ヤベェ! あのままじゃ……」
「でも、俺たちにどうしろって……」
グォォォォォォォォ!!!
「えっ……? がっ!!」
「マセント!!!」
今にもトドメを刺されそうだったヅッキを見やりながら、どうするかと迷っていたメゴボルの手下たちだったが……。
新たなる獣の雄叫び。
不意に訪れた新たな脅威に反応できなかったその中の1人、マセントの体に体程の大きさの猪の牙が体を貫かんばかりの勢いで突き刺さる。
しかし、
「おい! 無事か!? マセント! マセント!!」
「がぁっ……あぁ……」
血は出ていない。
体中が土にまみれてしまっただけ。
これも
しかし、一撃で
「おい、マセント! しっかり……」
「う、うわぁぁっぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「マセント!! マセント!!!」
取り乱しながら他の手下たちとは違う方向へ走り出してしまうマセント。
無理もない。
これ以上のダメージを受ければそれは死に直結してしまうのだから、急いでこの場から去りたいと思うのは当然だろう……たとえ仲間を置き去りにしようとも。
「あいつ、1人で! ……って、ヤべ!!」
すると今度の標的は自分だとでも言わんばかりに、巨大猪が自分へ向けて突進してくる。
それを何とかかわす少年、イフルクー。
ダイブした形での回避であったため体を地面に打ち付けてしまうも、猪に突進されるよりはマシだと泥だらけの体を気にせずすぐさま猪に視線をやる。
グルゥゥゥ
今にも襲い掛かってきそうな猪だが、幸いなことがあった。
それは巨体であるが故に、猪たちが巨木の間をうまく動けていないことだ。
これのおかげで逃げようと思えば逃げられる隙があり、今まさにイフルクーや他のメゴボルの手下たちが逃げることに成功したのであった。
一方、ナカリーラ側の手下たちもまた猪相手に逃げ惑うことしかできておらず、その中の1人であるプルニーもまた華奢な体に鞭打って必死に逃げているところであった。
「早く……早く逃げなきゃ!!」
そうして、巨木のせいで方向感覚を失いながらも巨木のおかげで巨大猪の追撃を避けられている中、あちこちから聞こえる同様の悲鳴や雄叫びが嫌でもプルニーの耳に届いてしまう。
「……嘘っ!? もしかして、他もこんな状況なの!?」
たまたま教師が見逃した巨大な猪に出会ってしまっただけ。
最初はそう考えていたプルニーも、想像以上に状況が酷かったと自覚させられ更に焦りだす。
必死に逃げる最中、すがりたい希望が無いに等しいと理解させられたプルニーは、とにかく必死に走って猪から距離を置こうとする。
「なんで……何であたしがこんな目に……」
千切れそうな手足。
止まらない汗。
限界を超えているであろう鼓動。
普段ならしないような全力疾走をしている中で不意に湧き上がるのは、ナカリーラの父親に頭が上がらない自身の父からの「ナカリーラ様の従者として魔術学園に入れ」と聞かされたあの日のことであった。
その日が来るまでは、ただの農家の娘として歩んでいた日々だった。
家で栽培している作物を丁寧に育てるだけの毎日だった。
いつの日か自分は同じように平凡な時を過ごしていた幼馴染の男の子と結ばれて、子供を産んで、また日がな一日農作業にでも没頭するのだろうとさえ思っていた日常だった。
それがいつの間にか思ってもいないお世辞を言わされ、気遣わなくちゃいけない相手に気を遣い自分が気疲れを起こし、それでもこの日常を終わらせようものなら帰る場所が無くなると脅され逃げることすらできない現状に移り変わっていた。
理不尽だと何度思ったことだろう。
腹立たしいと何度憎んだことだろう。
だけど、それは意味のない憎悪。
叶わない……というより叶ってはいけない復讐心。
きっと一生変わらない自分の運命なのだと諦めていたら……こんなことに。
足が千切れんばかりにひた走る彼女は、ただただそんなことを思いながら走っていた。
しかし、聞こえてくるのは人間の悲鳴。
おそらく先ほどの獣と同類であろう巨大な何かの雄叫びだけ。
明るい材料は走っても走っても見当たらない。
走れば走るほど悲観する材料しか残らない。
こんなことになるのなら、居場所を失う覚悟でナカリーラから離反すれば……と思ったその時、「そうだ! あの女なら!」と頼りになりそうな相手を思い浮かべる。
「曲がりなりにも固有魔術の
魔術には2つの種類がある。
1つはこの世界に存在しているマナを変質させ、理想の形とする所謂魔術と呼ばれるもの。
これが出来るか否かは、いかにマナを知覚し自在に操るかが重要になる訳で、それが全くできないのがルーザーだったりするが今はいい。
そしてもう1つが固有魔術だ。
以前にも解説したが、固有魔術は術者が最も使いやすい形で使える魔術なので、通常の魔術よりも威力や効果範囲がワンランクもツーランクも上。
しかも、無意識の封印を解かないとその力が出せないが、そう簡単に自分のリミッターというものは外せるものではなく、魔術学校の新入生の中でも
それ故、固有魔術が使えるというだけで特別扱いされるに等しく、それを使えるナカリーラや一緒に居たメゴボルであれば、確かにこの状況を打破することが可能かも知れない。
普段は威張り散らしている彼らだが、それをするにふさわしいだけの実力はある訳だ……面倒なことだが。
ちなみに作中で登場している人物の中では、教師を除けばメゴボルとナカリーラ以外には使用者はいない。
……が、実はルーザーはその上、リミッターの全開放を意味する
「ナカリーラなら……いや、あのお方ならきっと!」
散々、心の中で蔑んでいた相手であり、掌返しの勢いがスゴイものの、それでも自分を救ってくれる可能性があるのならと藁にも縋る気持ちで急に態度を変えるプルニー。
そうして、先ほどナカリーラたちと別れた地点まで到達した彼女。
正直、森の中は鬱蒼とし過ぎていてここが本当に別れた地点かは定かではなかったが、それでもそれほど遠くにも行っていないはずなのでこの辺に居るはずだと彼女は「ナカリーラ様! ナカリーラ様、お助けください! ナカリーラさm……」と大きな声で頼りの相手の名を叫ぶ。
しかし、そこで彼女が目にしたものは……。
「「ママァァァァァァァァ!!!」」
今まさに巨大な猪に追われながら泣き叫び、必死に逃げ回っているメゴボルとナカリーラの姿だった。
こういう時まで一緒のリアクションとか……仲いいのな、お前ら。
と心の中で思っていたであろうプルニー。
「………………ハァ」
無事に帰ることが出来たなら、今度こそはあの女のもとを去ろう。
その光景はそう彼女が決意をした瞬間でもあった。
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