第四章③
◆◇◆
「それで、おまえらはあそこで何をしていたんだ?」
指導室へと連れてこられた朱音と真衣、そして他四人の女生徒たちは、生活指導の斎藤にそう詰問された。
答えは返ってこない。
上の階から現場を見ていた朱音からすれば、真衣は女生徒たちに突き飛ばされていた。しかも女生徒たちは皆、エリート科の生徒だ。
エリート科と普通科の校舎は別なため、わざわざ普通科の校舎まで足を運び、真衣を取り囲みながら突き飛ばすなど……どう考えてもただのお喋りをしていたとは思えない。
だからなのか、真衣は下を向いているし、エリート科の女生徒たちもツンとして斎藤の前に立っている。
果たして見ていた光景をそのまま話すべきか朱音は迷った。
だが、先に口を開いたのは女生徒の一人だった。
「三条さんがあやかしについて訊きたいことがあるって言ってたんで、教えてあげてましたー」
なんとも嘘くさい棒読みの台詞。
斎藤はちらりと真衣の方を見て確認する。
「あ……はい。あやかしのことを訊きたくて、エリート科のみなさんに、その……質問をしていました」
包帯の巻かれた右腕を擦りながら、真衣は弱々しく答える。
どう考えても話を合わせているとしか思えなかった。
そもそも真衣は普通科でも成績が優秀だし、妖力はほとんど無い分、たくさんのあやかしについて勉強し、知識を身につけている。
それにあんな場所でエリート科の生徒に質問をするぐらいなら、先生に直接質問をしに行くようなタイプだ。
かといって、全くの第三者である朱音が、真衣が突き飛ばされていたことを口にすれば、ますます話がこじれ、結果的にまた真衣が嫌な思いをするかもしれない。
何とも歯がゆい状態に朱音が奥歯を噛み締めていると、斎藤の目がこちらへと向いた。
「それで鬼ヶ華。おまえが二階から飛び降りて、狐面のあやかしを追っ払ったと」
「えぇっと、その……」
「この学園で二階から飛び降りた生徒はたぶんおまえが初めてじゃないか鬼ヶ華?」
「ひえっ。ち、違いますあの、クロが私を抱えて無理矢理……」
腕組みをして怒り顔の斎藤を前に、朱音の声はどんどん弱々しくなっていった。
斎藤は、ふんっと鼻息荒く口を開く。
「今回は被害が無かったからこの場での説教でゆるしてやる。もう二限目も始まるしな。あと三条、あやかしについて知りたいなら俺に質問しに来い」
「は、はい」
真衣と女生徒の関係をわかっているのか、斎藤は最後にそう付け足して解散となった。
エリート科の四人の女生徒は、こそこそと何かを喋り合いながら、一度真衣を睨み付けて自分たちの校舎へと戻っていく。
そして指導室を出て教室へと向かう朱音と真衣は、ゆっくりと顔を見合わせた。
「朱音、ありがとう。助けてくれて」
「何言ってんのよ。っていうか私、真衣が突き飛ばされてるのを見ちゃったんだけど」
「うん」
「うん、じゃないよ。そりゃ、言いたくないこともあるだろうけど……。ねえ真衣。私に何かできること……」
「朱音はさ」
強い語気で言葉を被せられ、朱音はドキリと口をつぐむ。
「朱音は『神様』に好かれて守られてるから、もう何も恐くないと思うの。でも、私は……」
「真衣……」
そこで、二人を分断するように授業開始のチャイムが鳴った。
お互いにそれ以上は何も言わないまま、教室に入り、自分の席に着く。
朱音は真衣の言葉を何度もリフレインさせながら、その小さな背中を見守ることしかできなかった。
「姉さん」
ようやく午前の授業が終わり、お昼休みとなった。
あれから真衣と言葉を交わすことができず、どうしたものかと考えていた矢先、扉の方からそんな声が聞こえた。
振り返ると、そこには蒼亥の姿があった。
近くの女子が黄色い悲鳴を上げ、顔を赤くしているのが見える。
「良ければ一緒にお昼しない?」
ニコリ、と蒼亥が微笑むと、更に女子たちが嬉しそうに騒ぐ。
そんな女子たちの反応は置いといて、朱音は教室に真衣の姿が無いことに気が付いた。いつもだったらお昼を一緒にする相手は真衣だ。
彼女の方から席を立ってしまっているのなら、今は顔を合わせたくないということなのだろう。
朱音は小さくため息をつきつつ、蒼亥へと向き直った。
「いいよ。何処で食べる?」
「屋上とかは?」
「はーい」
そうして一緒に屋上へ向かうことで、改めて蒼亥が普通科でも有名な人なのだと、周囲の反応でわかった。
そもそも鬼ヶ華家というだけで注目の的であり、『狗』を妖力と共に使いこなし、成績も優秀。更に、身内の贔屓目を抜きにしても、蒼亥は実にモテる見た目をしている。
エリート科のことはよく知らないが、普通科の校舎を歩いているだけで何人もの女生徒が振り返って蒼亥のことを見ているのだ。きっと向こうでも同じような扱いを受けているだろう。
教室、廊下と続き、屋上に着くまで、果たしてどれだけの生徒に蒼亥が振り返られたかわからない。容姿の良さもそうだし、エリート科の生徒が普通科の校舎にいるというだけでも目立っていたのだから。
「この辺りで食べようか」
屋上の端の方に蒼亥と朱音は腰掛けた。
ちらほらと他の生徒がいる屋上で、最もひと気の無い場所だ。
「姉さん、今日からお弁当は俺と一緒のだよね?」
「うん」
実は密かに、朱音はそれを楽しみにしていた。
昨夜の一件で使用人扱いでなくなったため、学校用のお弁当も蒼亥と同じしっかりと作られたものを渡されたのだ。
小さなお重のような入れ物の蓋を開けてみると、中には色鮮やかな和食が詰められていた。
「蒼亥……毎日こんな豪勢なもの食べてたの?」
「まあね。でもこれからは姉さんもそうなるんだよ」
「そうだけど……豪華すぎ」
そうしてお昼ご飯を口にしながら、まず蒼亥から話を切り出した。
「朝、教室に着いてから先生に許可をもらって『狗』を使ってみたんだ。そしたら、一限目が終わって休み時間に入ったら、こっちの普通科の校舎で『狐』の妖気を感じたんだけど」
「そうなの、実は……」
朱音はさっき遭遇した一連の出来事を蒼亥に伝えた。
途中、二階から飛び降りたくだりの時は軽く怒られたが、蒼亥は最後まで話を聞いてくれた。
話し終えると、蒼亥は腕を組み、口を開く。
「その……姉さんの友達の真衣さんだっけ?」
「うん」
「真衣さんはいつもそんなふうなの?」
そんなふう、というのは、エリート科の生徒に囲まれ突き飛ばされていることを指している。
まだ確定的でないことを『いじめ』の三文字でまとめたくなかったのだろう。
「そういう話は正直聞かなかったけど……ただ……」
「ただ、何?」
朱音はためらいつつ、続きを口にした。
「私がほら……椿姫さんとその取り巻きさんたちに色々されてた時、真衣がいつも親身になってくれたんだよね。そういうのは絶対許せない、って」
「姉さん……椿姫さんに学校でも酷い仕打ちを受けてたの?」
「まあ……ちょっとだけ」
蒼亥はこれ以上無いほど眉根を寄せ、口角を思い切り下げて黙り込んだ。
あの柔和で優しい蒼亥にしては珍しい表情である。
「でもほら、もう使用人扱いは終わったみたいだから、そういうのともおさらばだよ」
ジト目で蒼亥はしばし朱音を見続けたが、はあ、とため息を吐き、緊迫した空気を緩和した。
「まさか家以外でもそういうことをしていたとは思わなかった。そこは俺のミスだ」
「ミスなんてそんな……」
「姉さん。俺にとって姉さんは全てなんだよ。父さんと母さんを早くに亡くして、俺っていうお荷物を抱えて色々と頑張ってくれてさ。俺が本家にも居やすいようにたくさん頑張ってくれた」
「お荷物なんかじゃないよ。私にとって蒼亥はかけがえのない家族だよ」
「姉さん……」
蒼亥はその憂いに満ちた黒い瞳をキラキラ輝かせ、愛おしそうに朱音を見つめる。
まるで恋人同士のようなその甘い雰囲気を、許さぬ者がただ一人。
「朱音はオレのモノだよ」
ゆらり、と朱音の影が揺れると共に、そこにクロは形を成した。
天気の良い午後の背景がまるで似合わないように、陰鬱で暗いオーラを身に纏い、全てをあざけるような笑みを浮かべている。
「クロ……」
「出たな、忌神」
「おお恐い恐い」
蒼亥の睨みを真正面から受け止めながら、ケラケラと笑い、朱音の後ろに隠れるクロ。
両者の睨み合いに朱音は頭を抱えつつ、このままでは話が進まないと、パンッと手を叩いた。
「話を戻すわ。それで蒼亥の『狗』の追跡はまだ続いているの?」
「うん、続けてる。今は真衣さんたちの前に現れた狐面の
「ありがとう。凄く頼りになる」
そう言いながら朱音が微笑むと、蒼亥は少し顔を赤らめる。
そんな二人の様子が面白くないのか、クロは朱音に抱き付いた。
「ねえ朱音? 弟くんじゃなくて、オレたちで事件を解決するんじゃなかったの?」
「だってクロ、全然やる気じゃないし、何かお願いするとすぐにご褒美は、って見返りばっかりなんだもん」
隙あらば何かしてもらおうと企むクロに、朱音は嫌気が差していた。
そんな朱音の態度に焦りを感じたのか、さすがのクロも協力態勢になる。
「んもう、そんなに怒らないでよ朱音。怒った朱音も可愛いけど、笑顔の朱音が一番好きだなぁ」
「誰の所為で怒ってると思ってるのよ」
「うんうん。だからさ、ちゃんと狐面の捜査に協力するってば」
「ホント?」
「うん。まずは狐面が現れた状況から整理しようよ」
深刻な話なのにニコニコと笑顔なのは置いといて、ちゃんと協力する気になったクロは朱音にそう提示した。
「それは、まあ……私は椿姫さんたちに嫌がらせされてて、真衣も……エリート科の生徒に囲まれていた、よね」
「俺も今回の狐面の登場で、前回と共通点があることには気付いてた」
「つまり……いじめられた生徒の所に現れてる、ってこと?」
「まだ二回しかケースがないから断定はできないけど……今のところそうなるね」
「だから賢神アクルであっても探りにくいのかも」
クロの言葉に、朱音は首を傾げる。
「どういう意味?」
「つまりトリガーがないと『呪い』は発生しないようになっているから、発生していない間は妖力や犯人との繋がりが無いってこと。例えば今、弟くんは『狗』を使い続けているから、第三者はその妖力を辿ってその『狗』を誰が使役しているかすぐにわかる。でも今回の『呪い』は発生するまで表に出ないから、妖力を辿る期間が限られているってこと」
「なるほど……」
口元に手を当て、蒼亥は頷く。
妖力を一切持たない朱音には感覚的にわからない部分もあったが、蒼亥の方は強い妖力を持っているためか、よく理解できたようだ。
「でもそうなると、次にまた狐面が騒動を起こさなきゃ犯人探しができないってこと?」
「いや……『狗』の索敵はそこまで弱くない」
蒼亥は、何かを嗅ぎつけたように空を見上げていた。
しばらくそうしていた蒼亥だったが、神妙な顔付きで俯き、そしてゆっくりと朱音の方を見た。
「まだ確定的ではないんだけど……」
「なに?」
「今日の放課後、真衣さんを交えて話をしてもいいかな?」
「えっ……それって……」
そこでお昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
蒼亥はすぐにお弁当箱をしまい、立ち上がる。
「もう一度言うけど、まだ確定的ではないから。だから……放課後、お願いね」
エリート科の校舎がここからだと遠いこともあり、蒼亥は颯爽と屋上から去っていってしまった。
残された朱音は、蒼亥からの言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、真衣のことを考える。
確定的ではなくとも、蒼亥の『狗』が探った結果に真衣が関わっていたことは事実だ。
それがどんな結果であろうと、友達として真衣のことを受け止めなければならない。
「あーかーね」
暗い気持ちで落ち込んでいた朱音の背中から、クロが飛び付くように抱きしめてくる。
クロは、朱音の今の感情を知った上で、目を細めて笑っていた。
「大丈夫だよ。朱音にはオレがいるでしょ?」
「クロ……」
「友達と家族が居なくなっても、オレだけはずーっと朱音の傍にいるからね」
誘惑するような、甘ったるい声音。
それが耳元で囁かれるものだから、朱音は慌ててクロを引き剥がした。
「……っ」
離れたからこそ見えた、クロの表情。
それはこの状況を楽しみ、そして落ち込む朱音に対しチャンスだと感じている笑顔だった。
忘れてはならない。彼は忌神だ。
少しでも気を抜いたら、すぐに彼の忌むべき心に飲み込まれてしまう。
だから朱音は、自分の頬を両手で叩いた。
突然のことにクロは目を丸くする。
「……よし。クロ、悪いけど私、そんな口説き文句なんか全然刺さらないから。真衣のことが気になるのは本当だけど、でも、友達としてどんな結果であろうと受け止めたいって思ってる」
ビシッとクロを指差し、朱音はハッキリと宣誓する。
しばしの沈黙。
そして先に動いたのはクロの方だった。
「はあ……オレの朱音はどこまでも素敵だなぁ」
暗い目を輝かせ、うっとりと恍惚の笑みを悩ましげに浮かべるクロ。
文字通り人間離れした美男子のその姿はあまりにも魅力的だったが……朱音はそれでも強い心のまま、クロが自分の影へ帰っていくのを見届けるのだった。
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