第四章④

 いくつかの授業を終え、ついに放課後がやって来た。

 いつもならば椿姫よりも早く帰り、使用人としてのアレコレをこなさなければならなかったが、それはもう無くなった。

 しかしその代わりに、今は真衣を引き留め、話をしなければならない。

 一体、蒼亥は真衣に何を言うつもりなのか。

 それを考えるだけで気が重かった。けれどもこれ以上の被害を考えたら逃げるわけにもいかない。

 だから朱音は、意を決して真衣に声をかけた。

「ね、ねえ真衣」

「………」

 午前のやり取りもあってか、朱音も真衣も気まずそうに顔を合わせる。

 真衣はどう思っているかわからないが、朱音自身は午前のやり取りのことを深く反省していた。

『そりゃ、言いたくないこともあるだろうけど……。ねえ真衣。私に何かできること……』

 思い返せば、まるで問い詰めるような言い方をしてしまった。その少し前まで、エリート科の女生徒たちに囲まれて恐い思いをしていたというのに。

 朱音は、その反省を胸に、真衣へと向き直る。

「さっきは、ごめん。真衣の気持ちを考えてなかったし、私に何かできることはないかなんて偉そうなこと言っちゃって」

 先に朱音が謝罪を口にしたからか、緊張で硬くなっていた真衣の表情が柔らかくなった。

「……ううん。私こそ気が立ってて、酷いこと、言っちゃって……」

 真衣が泣きそうになるのを見て、朱音は被せるように声を上げる。

「言い方は間違っちゃったかもしれないけど、私にできることがあるなら何でも言ってほしい。全力で力になるから」

「……っ」

「ね?」

「朱音、私……」

 真衣は何かを言いかけ、包帯の巻かれた右腕を左手で擦り、言い淀む。

 教室からはどんどん人がいなくなり、ついには二人きりになった。

 校庭では陸上部とサッカー部の練習風景が見える。

 夕焼けが二人の頬を照らす中、朱音はただ、真衣の言葉の続きを待った。

 何か、大切なことを言ってくれるのだと思い、ただ待った。

 しかし。

「わああああ!」

 何処からか聞こえてきたのは男の悲鳴。

 朱音と真衣は、顔を見合わせた。

「い、今の……」

「たぶん中庭の方だよ!」

 言って、二人は一緒に中庭へと急いだ。

 教室の位置的に、中庭はそう遠くない。

 一分もかからずに中庭に辿り着いた二人は、その光景を見て息を呑む。

 そこにいるのは数人の男子生徒。

 一人は木を背にして半泣きで、他二人の生徒は地面に倒れている。

 そしてその中心にいるのはあの狐面。

「あっ!」

 狐面は朱音と真衣が現れるのと同時に、入れ替わるように立ち去ってしまった。

 仕方なく朱音は、意識のある半泣きの男子生徒に声をかけた。

「大丈夫?」

「あ、は、はい」

「何があったの?」

「いや、えっと、その」

 制服についたバッジを見るに、目の前の生徒は普通科の生徒で、地面に倒れているのはエリート科の生徒だということがわかる。

「あの、あの……僕、呼び出し……ここに来るように言われて、その……色々話してたらさっきのあやかしがいきなり……!」

 半ばパニックになっている彼は、言いにくそうにしながらもそう話した。

 気を使ってはいるものの、この状況からしていわゆる『呼び出し』を喰らったのだろう。

 つまりまた『いじめ』のような現場に狐面は現れたということになる。

「姉さん!」

 まだ学校に残っていた生徒や部活中の生徒が少しずつ集まって来た中、聞き慣れた声が中庭に響く。

 蒼亥が急いでこちらへやって来ていた。

「平気? また狐面が出たんでしょ?」

「私は平気。襲われたのは彼らみたいで……」

「隣のクラスの奴らだ」

 地面に倒れているエリート科の生徒たちを見て、蒼亥は見覚えがあったのかそう呟く。

 また、察しの良い蒼亥は、普通科の生徒のことも含め、どういう状況だったか理解したようだった。

「やっぱり、特定の状況下で発動する『呪い』なのか……」

「私もそう思ってたところ。ねえ真衣、真衣はあの時……あれ?」

 そこで朱音は、一緒に来ていたはずの真衣の姿が無いことに気が付いた。

 だんだんと生徒たちが集まって来ているが、どこにも真衣の姿は無い。

「どうしたの?」

「真衣と一緒に来たはずなのに、姿が無いの……」

「……姉さん。真衣さんのことなんだけど」

 蒼亥が深刻な表情のまま口を開いた。

「俺が使役している『狗』に狐面の痕跡を調べてもらったところ、とある人物の気配に辿り着いたんだ」

「それが真衣ってこと……?」

 一つ、蒼亥は静かに頷く。

「つまり一連の狐面の呪いは、真衣がやったってこと?」

「さすがにそこまでは断定できない。ただ、何らかに真衣さんが関わっていることは確かだってことになるよ」

「………」

 朱音は愕然とした表情で立ち尽くした。

 まだ犯人だと決まったわけではなくとも、この事件に関わっているというだけで胸が痛くなる。

 何より今、この状況でその姿が無いことが歯がゆくして仕方が無かった。

「真衣……真衣は今どこに?」

 無駄だとはわかっていても、朱音は真衣へと電話をかける。

 もちろん向こうからの応答は無い。

「真衣……っ」

 どんな結果であっても真衣とは友達だ。受け止めたい。

 それなのに今、真衣の姿が無い。

 話を聞くことも、話し合うこともこのままではできない。

 だから朱音は、一度深呼吸をし、冷静さを取り戻した上でその名を呼んだ。

「クロ」

 途端に、朱音の影が揺れ、人のカタチを成していく。

「どうしたの朱音?」

 優しい声音で訊ねてくるクロのその笑顔は、全てを見透かしている。

「真衣の居場所を知りたいの。クロならわかる?」

「もちろんわかるよ。だって、『呪い』の気配が付着してるもん」

「なっ……」

 思いもよらない返答に、朱音も、後ろにいた蒼亥も絶句する。

「それ、どういう意味……?」

「そのままだよ。彼女の右手の包帯……あれ、呪い返しを受けた所為だね」

「呪い返し……」

 クロの言葉に、朱音は言葉を失った。

 呪い返しという、呪いを行使した人間に返って来る呪いの存在を忘れていたこと。

 そして、クロは早々に真衣が今回の騒動に関わっているとわかっていたこと。

 その二つに対し、朱音は驚きを隠せずにいた。

「クロ……どうして言ってくれなかったの……」

「うん? だって朱音は、オレじゃなくてそっちの弟くんを頼ったでしょ?」

 ニンマリと笑うクロを前に、朱音はまたも絶句する。

 つまりクロは、朱音が自分以外を頼ったから、知っていることについて訊かれるまで何も言わなかった、ということになる。

 いうなればそれは嫉妬だ。

 嫉妬の感情だけで、クロはそんなにも大切な情報を隠したままにした。

 目を細め、口端を持ち上げて笑うクロの姿に改めてゾッとする。

 始めは『神』が味方になってくれて嬉しいとすら朱音は思っていた。

 だけど違う。

 扱い方……というより頼り方を間違えてはならない相手なのだと、改めてわからされた。

 理事長先生たちがあんなにも警戒していたのがよくわかる。

「ねえ、朱音。怒った?」

 クロは、朱音の考えを見抜いている上でそんなことを訊いてくる。

 朱音は色々な感情をグッとこらえ、クロへと向き直った。

「怒ってないよ。私がクロを頼らなかった結果なんだから」

「うんうん。朱音が頼るべきはオレでなくちゃ」

 クロは、その白くて長細い人差し指を朱音の顎下に添え、クイッと自分の方へ朱音の顔を向かせた。

「朱音が頼ってくれるなら何でもしてあげる。本当に、何でも。だけど朱音が頼ってくれないなら何もしない。朱音にはオレしかいないんだ、ってわかるまで、何にも、ね」

「わかった。肝に銘じておく」

「それなら良かった」

 クロの人差し指が朱音の唇をなぞる。

 だいぶ機嫌が戻ったようである。朱音はすぐに気持ちを切り替えた。

「じゃあクロ、真衣の居場所を教えて」

 するとクロは、ゆっくりと指先を上に向ける。

「屋上に居るよ」

「屋上……」

 場所が場所なだけに嫌な予感がし、朱音は考えるより先に走り出していた。

 クロはもちろん、蒼亥もそれに続く。

 後ろの方では斎藤先生が駆け付けて何か言っていたが、今回は見つかる前にその場を去ることができたのだった。

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