第二章③
「ま、待って下さい。そんな……狐面のあやかしの犯人探しなんて、私には荷が重すぎます……っ」
時房理事長のまさかの提案に、朱音は必死に抗議した。
ただでさえ妖力を一切持ち合わせていない上に、あの購買近くで襲われた際は死を覚悟したぐらいなのだ。
もしもあの時クロが助けてくれていなかったらどうなっていたか……考えただけで恐ろしい。
「妖力を持たない私が、『狐』クラスのあやかしを相手にできるわけありません」
「しかし君には忌神がついておる」
落ち着き払った時房理事長の声音に、ビクリと朱音は体が震えた。
よく見ると、時房理事長の顔は穏やかであるのに、その眼光だけは鋭くクロを射抜いている。
そこで初めて朱音は、時房理事長がクロを強く警戒しているのだと気が付いた。
「朱音くん。その忌神は君に対して好意的なようだから、先に教えておこう。忌神はその名の通り、ありとあらゆる『忌むべき現象』を司った神様じゃ。過去、忌神によって滅んだ村もあれば、おぞましいほどの人間同士の争いが起こったこともある」
「そんな……」
「彼がやろうとすれば、この学園を血みどろの修羅場へ変えることもそう難しいことではない」
確かにクロは少し前に、朱音の邪魔となる者を消してあげようとしていた。
本当に、彼にとっては何てことなどないのだ。人を一人消すことなんて。
「忌神は、存在そのものが忌むべき者なのじゃ。つまり朱音くん……君は特大の爆弾を抱えているということになる」
ハッキリとそう告げられたことで、朱音は隣に立つクロのことが改めて恐ろしくなった。
見上げたそこにあるクロの顔は、この話に相応しくないほどニコニコしていて、それがまたいっそう不気味でしかない。
「私も賢神も、君たちが入室してから一度たりとも警戒を解いていない。いつ、忌神が不審な動きをしても対処できるように、じゃ」
「正直言って、僕と時房の二人がかりで完全に防ぎきれるか微妙なところだけどね」
賢神アクルもまた、ゆるやかな口調のままあっさりとそんなことを言う。
まさかここまでクロという存在が恐ろしいものだったのだと知らず、朱音は自身が、とんでもないモノに好かれてしまったのだとわからされた。
「今回の件の犯人探しについても、朱音くんに責任を負わせたいわけではない。本当に忌神どのに協力する気があるのかを知りたくての提案じゃ」
「今回の件を通して、本当に忌神がこの学園に害は無い……むしろ協力態勢であると判断できたら、国のあやかし機関にも危険ではないと申請しよう」
時房理事長と賢神アクルの申し出に、朱音は何も言えなくなった。
というより、この提案を飲めないとなると、クロの対処のために国が動くことになるということだ。
「クロ……」
恐る恐る、朱音はクロの方を見る。
目が合うと、クロは口端を持ち上げてなんてことはないように笑った。
「朱音はどうしたい?」
「え……」
「もし朱音が、今この場にいる全員が邪魔だと言うならオレが消してあげる。きっと一分もかからずにできるよ」
子供が自慢するような口調で、とんでもなく恐ろしいことを言ってくる。
見た目は人間の青年であるが、その実態は、忌むべき怨念によって形成された闇そのものなのだとよくわかる。
クロの発言により、いっそう室内の緊張感が増した。
朱音は一度深呼吸し、言葉を間違えないように気を付けて口を開く。
「私……は、クロが犯人探しのお手伝いをしてくれたら嬉しいよ」
「朱音は何にも悪くないのに、犯人探しの仕事を押し付けられたんだよ?」
「それは……」
確かにそれはその通りだ。
だけど朱音は首を横に振る。
「そうかもしれないけど。でも理事長先生たちの言う事はもっともだと思う。クロのことを恐がる人たちに、安全だ、って行動で示していかなきゃ」
「べつに、オレを恐れる人間なんて端から消していけばいいよ」
「でもそうやってしてきたから……クロのために祈ってくれる人がいなくなっちゃったんじゃないの?」
そこで初めて、クロが目を見開いたまま固まった。
時代の変化によって必要とされなくなっていったあの日々。
忌むべき者として恐れの方が勝り、誰もが関わらなくなっていったあの日々。
だからこそ祈りや思いを向けてくれる人々がいなくなり、存在そのものが朽ち果てようとしていた十年前。
朱音の言う通り、度が過ぎた恐怖の塊は、全ての者から否定されていったのだ。
「花嫁とか、まだそんな気はないけど。でもクロは狐面から助けてくれたし、私のために色々してくれようとする。そんなクロが、国から目を付けられてしまうのはさすがに悲しいって思うよ」
「朱音……」
「クロには助けてもらったし、その恩を返すと思って私も協力す……うわぁ!」
話していた途中で朱音は悲鳴に近い声を上げた。
というのも、突然クロが朱音を軽々と抱き上げたからだ。
身長差のせいか、もはやそれは子供にする高い高いに近い。
「朱音はいつも嬉しいことを言ってくれるね。十年前も今も、オレがこの世界に存在することを考えてくれている。やっぱり朱音を好きにならずにはいられない。ああ、愛してる……大好きだよ朱音。早く犯人を見付けるからさ、朱音も早くお嫁にきてね」
「わ、わー! ちょっと、あんま揺らさないでっ! ひえぇええ! 降ろして降ろしてぇ!」
感極まったクロからの熱い抱擁からようやく解放された朱音は、ここが理事長室であり、理事長先生二人と斎藤先生に一部始終を見られていたことに気付く。
すぐに朱音は顔を真っ赤にして俯いた。
「はっはっは。忌神どのは本当に朱音くんが好きなようじゃな」
「その点においては心配無さそうですね」
「逆に言うと、学園の平穏は朱音くんの一存にかかっているとも言えるがのぉ」
呑気な会話をしつつも、やはりまだ、クロに対する警戒心は一切解いていない理事長二人。
残された斎藤先生だけが、呆気に取られた様子で事の成り行きを必死に追うしかないのだった。
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