第9話 新しい友2

 正樹は美音が風呂場に行くのを確認すると、紫苑のカバンを持ち、こっそりと玄関を出ていく。


 紫苑が住んでいるのは代々木公園付近に唯一あるピンク色のマンションの402号室。

 1階のインターホンで呼び出せば大丈夫だと女信者から言われたが、1つだけ問題になりそうなことがあるのを行く道の最中で気づいた。


「....あれ?住所知ってるのってストーカー扱いされない?」


 正樹は田んぼ道のど真ん中で気づき、立ち止まる。

 今日初めてあった少女の家を知っているのはおかしいことだろう。

 不審者扱いされて警察とか呼ばれたらどうしよう?近所に住んでいた信者に住所を聞いたことを言えば大丈夫か?そもそも信者がいるってのが怪しいか?

 正樹は頭をフル回転させてある1つの答えに辿り着いた。


「うーん、カバン返すって良い行いやから大丈夫か。美音が殴り込みに行くのに比べたら大して問題じゃないかも」


 呑気を通り越してアホになる正樹は、引き続き紫苑の家に向かうことにした。





 北大路家のあるマンションに到着し、正樹は1階のインターホンに402と打ち込み、呼び出しベルを鳴らす。

 しばらくしてガチャと受話器の取る音がスピーカーから流れ、紫苑の母親が出た。


「どちら様でしょうか?」


「夜分にすいません、楓と言いうものですが。紫苑さんと同じ高校に通う者で、紫苑さんが忘れたカバンを届けに来ました」


「わざわざありがとうございます。紫苑ー、楓さんって人がカバン持ってきてくれたわよー....わかりました、今すぐ下に行きます」


 DVをする母親と聞いていたから、誰?とか夜遅くに何?みたいな悪態をつかれると思っていた正樹だが、最初の声色を聞く感じでは優しい印象しか持てなかった。

 だが少し引っかかる点もあった。紫苑を呼ぶ声の後の母親の声は少し重い空気を感じるのだった。


 しばらくインターホンの前に立っているとチーンとエレベーターが1階に到着した音がなる。


 エレベーターを降りてきたのは紫苑の母親であろう人物と1本の黒光りした包丁であった。....え、包丁?


 1階のガラス扉から出てき、正樹と対面する紫苑の母親は距離を取って包丁を正樹に向けながら口を開く。


「うちの紫苑が本当に申し訳ございません。ですがうちの紫苑には近づかないでください。お願いです。帰ってください」


 紫苑の母親は小刻みに揺れながら正樹に包丁を向けたままでお願いする。


 姉さんを連れてこなくてよかったと心の底から思う正樹。

 美音がこの場にいたら発狂して、包丁持ってる相手でも飛びかかる可能性があったからだ。


 やはりストーカーと間違われていると思う正樹は


「わかりました。わかりましたから包丁向けるのはやめてください。カバンはここに置いて僕は帰りますんで。本当にストーカーとかでは無いんです。紫苑さんの家の近所に住んでる方がたまたま知り合いで、紫苑さんの家聞いてカバン届けに来ただけなんです。勘違いさせたならすいませんでした」


 自分が出来る精一杯の誠意を見せ、正樹はその場を立ち去ることにした。

 するとどうだろう、キョトンとする紫苑の母親はまた口を開く。


「え?帰るの?紫苑のこと好きじゃないの?」


「....はい?」


 やっぱりストーカーと思われていると思い、正樹は今日あった出来事について紫苑の母に嘘偽りなく話す。

 公園でカバンを犬に取られていたこと、カバンを取り返したのに逃げられたこと、住所を聞いてカバンを持ってきたこと、そして用が済んだから帰るということ。


「....耐性があるのかしら?」


「はい?」


 紫苑の母親は訳の分からないことを言うと、少し待ってて欲しいといいエレベーターに戻って行った。


 母親の言う通りにしばらく待つことにした正樹はエレベーターを見つめる。

 4階に上がり、止まる...また動き出して1階に着く。


 エレベーターの扉が開き母親が戻ってきたと思ったが、今度は夕方に出会ったセミロングの紫髪の少女、北大路紫苑本人が降りてきた。


 紫苑は正樹の目の前まで歩み寄り、正樹の手を触る。

 そして紫苑は問いかける。


「....あの....私の事…好きですか?」


 頭がわいている。正樹は紫苑が痛い女の子なのだと認識する。

 母親といい紫苑といい、好きかどうかなど聞かれても好きと答えるわけないだろうと思う正樹。ちゃんと思っていることを伝えようと思い正樹は


「いや、今日会ったばっかりで好きとかないよ。可愛くないとは言わないけど、そんな恋愛しに来たみたいに言われてもこっちが困る。ただカバン返しに来ただけだ。用は済んだからなんもないなら俺帰るけど」


 と紫苑達の言動に少しイラつきを隠せないでいた。

 だがあろうことか紫苑は


「そんな人いるんだ。....そっか。私のこと好きじゃないんだ!」


 好きでないと言われたにも関わらず喜んでいたのだ。


 おかしな状況にあることは分かる。紫苑の言葉は字ズラで見ると振られた彼女のような会話のはず。だが紫苑は好きでないと言われることが喜ばしいと思っていることは正樹にもわかった。


「あのう、場所変えて....お話しませんか?その....楓くんの話聞いてみたい」


 紫苑は正樹に公園で話すという提案を持ちかける。

 それを聞いた正樹はあろうことか盛大に勘違いをする。



「こいつはたぶん俺のことが好き。だから恥ずかしくて逃げたんだ。美音いるのにダルいって。でも女から好かれるのは初めて。ついに、モテ期来たか」



 正樹は悪い気はしないと思いながら、すぐに勘違いだと気付かされる夜の代々木公園に紫苑と行くのであった。






 代々木公園のベンチ。

 街の灯りがきらびやかに並ぶのを展望出来る絶景スポットで、正樹と紫苑は缶ジュース片手に話をする。


 まだ春先だからなのか、紫苑の話を聞いたからなのか、正樹は手に持つホット缶コーヒーを飲んでも体が温まる感じがしなかった。


 一緒に話しみてわかったことだが、紫苑は正樹が認識した頭のわいた痛い女の子ではなく、ただグリッドに悩みを抱えている、ただのか弱い女の子だったのだ。




 北大路紫苑


 彼女がホーグリップ学園特別措置待遇学科に入学したのは自身の持つ特異体質のせいであった。


 紫苑のグリッドは紫苑に直接触れた異性が自分のことを好きになってくれるというもの。能力名は『一瞬の愛情モーメントラバー』。

 色欲に属するグリッドを持つものによく見られる、異性を誘惑する能力を紫苑も持っているのだ。


 紫苑の能力を聞いたところで正樹はそんなに驚きはなかった。

 ホーグリップ学園に在籍して一般職専門学科以外に属するということは、グリッドの所有者であろうという目算が最初からたっていたのだ。

 それに能力自体は男を魅力するだけのもの。強いか弱いかはあるだろうが悩むほどの能力ではないと思った。むしろ異性からモテるとは羨ましいと、正樹は紫苑に悩む程かとさとしてしまった。


 だが問題はグリッドの能力のことではなかった。


『エバーグリッド症候群』


 紫苑が悩みに悩んでいるものの正体は病気だったのだ。

 エバーグリッド症候群とはグリッドのオンオフが出来ない、つまりはずっと能力が発動したまま生活をしなくてはならないものらしい。

 紫苑の場合、能力が発動したままということで間違えて男性に触れた場合でも、男はたちまち紫苑を好きになり、家にまで押しかけてくることが度々起こったというのだ。


 正樹は特別らしく、何故か触れても紫苑を好きになったりしないのだ。

 そのことは大好きな美音がいるから好きになれないのだろうと自分だけ納得する正樹であった。


 DVを受けていたという情報も実際は誤り。

 部屋まで押しかけてきた男に怖がり、泣きじゃくる紫苑を守るため、母親が男を撃退していたというのが本当の話なのである。


「だから私、楓くんの手を触って逃げたのも嫌いだからとかじゃなくて、襲われるかもと思ったら、怖くて逃げちゃったの。助けてくれたのにお礼も言わないで本当にごめんなさい」


 紫苑の説明を聞き、正樹は全ての話が繋がった。

 逃げ出した時の足の速さには驚いたが、グリッドを発動していたのならうなずける。グリッドは発動すると身体能力が2、3倍にもなると言われているからだ。

 DVの話も正樹が見た母親の印象で紫苑が言った情報と一致させることができた。後、紫苑が自分を好きというのも全然関係ない事だと気づく正樹であった。


「お父さんがいないって話も聞いたけど」


 正樹は聞いて良いものか迷っていたが、ここまできたら最後まで聞きたいと思い紫苑に聞いてみた。


「私のグリッドでね、色んな男の人に迷惑かけちゃったけど、1番酷いことをしたのはお父さんなの」


 紫苑は涙目になりながら答える。

 言いたくない話なら言わなくていいと止める正樹だが、紫苑は話すことを辞めず、むしろ聞いて欲しいと言い、父親のことについて話す。


 紫苑の父親、紫苑の母親はとても仲の良い家族であったらしい。

 その仲を壊してしまったのが紫苑だという。紫苑は生まれた時からエバーグリッド症候群で、父親は紫苑に異常に溺愛していたと母親から聞いたのだと。

 そしてその溺愛が5歳の紫苑を襲うことになったのだという。

 歳をとる事に能力が強くなっていったのだろう。

 荒れ狂ったように襲いかかる紫苑の父親、父親に犯されそうになる紫苑、それを止めに入り、離婚することで紫苑を守ることを決意した紫苑の母親であった。


「私のグリッドでお父さんがおかしくなったって気づいたのは、他の男の子でも同じようなことがあったからなの。私....お父さんとお母さんの子供じゃなかったら2人はずっと仲良く暮らせてたのにね。なんで…私こんな能力....」


 話し終えた紫苑はポロポロと涙をこぼす。

 ほぼ初対面の正樹には、その涙を拭うほどの勇気はなかった。


 正樹はなんとかして紫苑を慰めようとして、頭を回転させ、行き着いた答えが自分の話もしてみることであった。

 正樹は紫苑に自分の生い立ち、宗教団体のこと、そして母親との関係について話をする。




「てな感じで俺も母親とは会えない状態なんだよ。北大路さんのと理由は全然違うけど、俺も母親と会えないってのは寂しいことだから。北大路さんの気持ち、俺は理解出来てると思ってる。でもすごいね、北大路さんのお母さんは。北大路さんのことを思ってくれてるのが今の話だけでも伝わってくる」


「うん、お母さんはね....私のことめちゃくちゃ大切にしてくれてるよ。私、学校行って勉強してお母さんにいっぱい恩返ししたいの」


 正樹は紫苑が泣くのを涙目に戻すところまで成功した。

 ただ思ったのは、なぜ初対面の女の子に自分の話をここまでするのか、正樹自身も意外であった。


「ごめんね。初めて会った人にこんな話して。でも私触っても大丈夫な男の人楓くんが初めてで、嬉しくなっちゃって、ついつい今まで他の人に言えなかった話しちゃったの。能力のせいで友達もいなくて....迷惑だったよね?」


「迷惑とかないよ。むしろそこまで話してくれてありがとう。....そっか、だから俺も」


 紫苑の言葉を聞き、自分が赤の他人にここまで話すのは何故か理解する。


「俺、北大路さんと仲良くなりたいんだと思う」


 正樹は自分の本音に気づき、紫苑にぶつける。


 最初はおかしなやつと関わってしまったと思った正樹だったが、話を聞いていくうちに、正樹は紫苑に自分と近いものを感じたのだった。


 男子には近づけないので男友達はおらず、女子も男子から好かれる紫苑が嫌いで皆離れ、今まで友達がいなかった紫苑。

 地元では有名な宗教団体の教祖の息子であることを気持ち悪がられ、疎外されてきた正樹。


 境遇は違えど正樹は紫苑の気持ちが理解でき、紫苑も自分の気持ちを理解してくれるのではと思うのであった。


 15になって友達を作る、というのは恥ずかしいものだが、正樹は面と向かって紫苑に友達申請をする。


「ぜひ友達になってください。これからよろしくお願いします、楓くん」


「こちらこそよろしく、北大路さん。力になれることがあったら何でも言って。相談したいことがあればいつでものるから」


「おう、俺も何でもするぞー。いいもんだな友達って。涙出てきたわ、俺」


「!?」


 代々木公園の長いベンチ、少し距離を開けて座る正樹と紫苑は、友達申請の握手を『3人』で交わす。

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