第2話 家の話

 美玲が部屋を出て戻るまでは15分ほどであった。美玲が15分だけ部屋を出るのは、庭園の草花を鑑賞するのがだいたいである。

 楓の樹設立当初から部屋に引きこもる美玲の楽しみは、花を見たり、部屋にある人形で遊んでみたり。

 それだけを楽しみに生きて行く美玲を身近にする正樹は、まだ自分は人生を楽しめている、母親に愛されないことは些細なことと思うことができるのであった。


「何が良くて父さんは母さんと結婚したんだろうね」


 相当な美人なのか。

 または娼婦だったこともあり床上手だったのか。


 そんなことを考えながら正樹は疑問を投げるが、スティーブンはなんとも言えない様子でどうでしょうねと返すだけであった。

 スティーブンからすれば正義の嫁をどうこう言える立場ではなかったのだろう。

 どっぷり楓の樹の信者なんだなと思いながら正樹はスティーブンと再び食堂に向かった。



 食堂に着くや、正樹は信者達に囲まれた。


「正樹様。お待ちしておりました」

「お勉強お疲れ様です。美音様はお清めが終わり次第こちらに来ると言っておられました」

「今日も1日楽しく過ごすことが出来ました。これも楓の樹あってのことです」

「皆、正樹様のお言葉を楽しみにしております。ささ、こちらへ」


 正樹は信者達に背中を押され、食堂中央の壇上に上げられる。


「お清めとか言うなよ。ただ風呂入ってるだけだろ」


 このようなやり取りはほぼ毎日のように行われるが、正樹は心の中でつっこみを入れる。

 教団の大雑把理念でよくここまで信者達は楓の樹の信仰をするものだとつくづく思う。



 正樹はマイクを取り、食前の音頭をとる。


「えー、今日も1日春に向けての畑仕事、ミシン仕事お疲れ様。新しく作ってくれた寝巻き用の着物はかなり気に入ったよ。腕のとこの通気性のあみあみ。あれオシャレだし涼しくて最高だよ。」


 正樹はガラにもなく明るく振る舞う。信者を労うのは今の自分ができる最低限の役割だと考えているからだ。

 正義の設立した団体のことを考えなくてはならないのは正直めんどくさいが、信者達のおかげで不自由なく生活出来ているのも事実。家族だけの円満な生活ができないのであれば、今の生活を崩してはならないと思っている。


「今日はスティーブン達が作ってくれた....何これ?」


 机に並ぶ赤いスープ。切り刻まれたトマトが浮かんでいることからトマトスープなのだろうとは思うが、問題は具材。エビ、セロリ....オクラ?なんだこれ?


「ガンボですよ正樹様」


 何言ってるんですかみたいな顔をしたスティーブンに少しイラッとする。

 アメリカの料理かなとは思っていたがガンボって何?

 スマートフォンのアプリゲームで聞いた事あるような名前。

 てかオクラって日本の食べ物じゃないの?

 分かりやすくステーキとかハンバーグでいいだろうと思う正樹であった。




 食前の音頭を取り終えた正樹は、天井から吊るされたテレビのニュースを見ながら食事を始める。

 今日は姉の美音と2人で話すことがあるため、信者達を周りには置かず、1人でテレビを眺めて待っていた。




 ニュースの内容は3月にアメリカで行われるロサンゼルス会談の話。


 アメリカ、イギリス、日本、東ロシア、そして傲慢国と嫉妬国による首脳対談と合同軍事演習が行われるらしい。

 世界政府加盟国であるアメリカ、イギリス、日本、東ロシアの対談はよく行われているが、今回は傲慢国と嫉妬国が会談に参加するというのが世間を騒がせている。


 そもそも欲望5国と世界政府が直接コンタクトしたのは、欲望国建国間もない頃に1回のみである。ただその時は神機の存在や欲望国入国の条件についての話だけされ、それ以上は関わるなということで対談は終わったのだ。


 欲望に特化した人間を欲望国に送り込み、各国がスパイ活動を試みたが、何故か全て失敗している。虎の尾を踏む可能性が高いと判断し、世界政府は早々にスパイ活動を禁止する運びとなった。


 そんな鎖国状態が30年近く続いていたところに傲慢国と嫉妬国の対談要請があったのだ。


 傲慢国の王 アーサー・ルシリエッタ

 嫉妬国の王 チェン・チーリン


 この2人が神機を持ってアメリカに入国することが決まったのだ。


 神機を持ち出すことで自国の警備が手薄になるのは、他の欲望国に攻め入る隙を与えることとなる。

 それで世界政府は神機を持ち出してる間だけ、傲慢国と嫉妬国の防衛を担うこととなっている、というのが今放送されてるニュースの内容である。




「物騒よね。軍艦やら戦闘機やらで国の周り囲ってさ。守るって言ってた世界政府が攻撃してきたらどうするんだろうね」


「姉さん....家でジャージは辞めろって父さんに言われてたよね」


 水に濡れた、長くて綺麗な白髪をタオルでゴシゴシしながら、白ストライプの赤ジャージ美音が食堂に登場した。


 正樹の姉、楓美音カエデミオンは16歳とは思えないほどスタイルがよく、血が繋がってなければ付き合いたい程の美人なのだが、いかんせん性格は雑の一言。


 敷地内では着物を着るべきと父正義から教えられ、正樹は敷地内では着物を着るようにしているが美音は違う。ジャージ姿は当たり前であり、今ある問題はそれだけでは無い。


「ちゃんと体拭いてないだろ」


 美音の歩いて来た道には水滴がポタポタと落ちている。髪から垂れてきた水滴で無いことは美音のズボンがびちょびちょなのを見てすぐ分かった。


「だってー、早く正樹とご飯食べたいもん。体なんて自然に乾くでしょ」


「....それを言うのはずるいよ」


 ああ、かわいい。好きになっちゃう。

 感情をあまり出さない正樹であるが姉美音の前では感情が爆発しそうになる。

 そう、正樹は



 美音がとてつもなく大好きなのである。



 母の愛情を知らず、恋愛もした事の無い正樹にとって美音こそが異性の全てなのだ。


 美音がいるからこの家で頑張れる。正樹が度々家出を度々決意するも踏みとどまるのは、美音と楽しく暮らすことがとてつもない幸せであるからだ。


「何?顔赤くして?もうかわいいんだから正樹は」


 美音は豊満な胸を正樹に押し付けながらハグをする。

 15歳の正樹には刺激が強く、姉さんいるならなんでもいいか、と大事な話があることを一瞬だけ忘れられた。



「あ、やべ。姉さんに話があるんだった。とりあえず座ってよ」


 正樹は美音をはがし、席に座らせる。


「なーにー、話って。真剣な顔しちゃって。告白?」


「うん、それもあり、あ、いや、違う違う。楓の樹を今後どうするかの話だよ」


 美音が好きだと言うのはまた別の機会にするとして、今は楓の樹の未来を考えなくてはならないのだ。


 楓の樹は設立されて以来、不思議と問題が起きたことがなかった。しかし今、楓の樹は未曾有の窮地に立たされている。




 楓正義の消息不明。




 2029年の12月25日を境に正義との連絡が取れなくなってしまった。

 信者数を増やす活動で外に出ることが多い正義であったが、連絡はマメに入れる方で、最低月1では家に帰ってくる。

 そんな正義が2ヶ月近くも連絡はなく、消息も不明なのである。正義が行方不明なのを知っているのは正樹と美音、それに会計担当の長田(オサダ)と人事担当の柊(ヒイラギ)の4人だけである。

 正義がいなくなったことは信者達、そして母美玲にも伏せている。信者達は正義が顔を出さないのは忙しいからと思ってくれているらしいが、美玲は少し情緒不安定になってきていると美音伝いに正樹は知る。


 美玲は正義を愛してやまない。その正義がいなくなったと聞けばどうなるのか。想像するのは怖いことばかり、引きこもり女性の乱心などどうなってしまうのか、正樹にわかるわけもないのだ。

 美玲にとって正義は心の支え、そして楓の樹の信者にとっても同じである。その支えである正義が消えたとなると楓の樹は崩壊する未来しか見えてこない。


「てなわけで俺は高校行かずに楓の樹の運営に力を入れないとまずいんじゃないかと思ってるんだ。なんなら自分が楓の樹の代表代理ってことで先頭に立つことも考えてる」


 不安を隠せない正樹は、美音に楓の樹の現状と自分がやるべきことを告げる。だが美音は


「宗教団体のことなんてどうでもいいわよ。大人たちが好きでやってるんでしょ?考えすぎー、可愛くない!」


 正樹が悩んでることを可愛くないの一言で終わらせにかかった。


「正樹と一緒に高校通えるなら楓の樹とかどうでもいいと思ってるよ。父さんが勝手にやってたことだし。ね、勉強見てあげるから一緒の高校行こ。私は正樹と一緒ならなんでもいいもん」


 愛してる。正樹の心の中はその言葉で埋め尽くされてしまった。


 確かに美音といれるならなんでもいい。楓の樹が潰れても2人で幸せに暮らせるならそれでいいか。


「うん、勉強頑張る。楓の樹のことは暇な時に考えることにするよ」


 頭がお花畑になった正樹は、美音に手を引かれ、間に合うかも分からない受験勉強という戦いに赴くのであった。





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