第55話

 気づけば、小さなダイニングキッチンにいた。


 狭いけれどよく手入れされて清潔なキッチンだ。


 戸棚の三段目には、手作りのイチゴジャムが入っていることを僕は知っていた。


 隣には、イカ焼きとおでんを手に持っている葵鈴がいる。一緒の時間に来れたんだ。


 ここは僕が産まれる前から母が出ていってしまうまで、家族で住んでいたマンション。


 ふと銀色の水切りカゴを見ると、アンパンマンの小さなプラスチックのお弁当箱があった。


 母が三年間、早起きしては僕が幼稚園で食べるためのおにぎりや空揚げなどを入れてくれたお弁当箱だった。


 僕は当時野菜が食べられなくて、ほうれん草のバター炒めやらピーマンの肉詰めやらを残して帰ると、母は悲しそうな顔をした。


 なぜもっと頑張って食べなかったのだろう。


 今ならいくらでも食べられるのに。


 あの時ちゃんと食べていたら、母がいなくなることはなかったのだろうか?


 キッチンには四人掛けのテーブルがあって、僕と葵鈴とパパとママがいる。


 この光景……覚えている。


 葵鈴の三歳のお誕生日だ。


 いつもは忙しいパパとママも偶然同時に休みが取れて、四人で一緒に葵鈴の大好きなハンバーグを作っている。


「葵鈴、ほらお星さまの形だよ。キラキラ光る~♪」


 僕がのんきに歌など歌っている。


「おそとのほしよ~♪」


 葵鈴もかわいらしい声で続けた。


「今度はハートの形も作ってみようか」


 星形のハンバーグを作り終えて、僕が言った。


 角が丸いちょっとヘンテコな星である。


「うん! はーと。はーとって、なに?」


「う~ん。なんだろう?」


 僕は答えに困っている。


「人間の体の中で、一番大切なものかもしれないな」


 ハートにかたどったハンバーグを手のひらに載せて、葵鈴に見せながらパパが言う。


「愛のことかもしれないわね」


 サラダのレタスをちぎりながら、母が言う。


「あい?」


「求めるのが恋。与えるのが愛。な~んて。まだ二人には難しいよね」


 母が今度は御酢とオリーブオイルを、ボールで混ぜながら言った。


「ハンバーグをみんなのために一生懸命コネコネして形を作って、焦げないようにジュージュー焼いて、みんなでおいしいねって食べるのも愛だ。とにかく作って食べてみよう」


 星やハートなどのいろんな形のハンバーグを、パパが大きなフライパンにのせていく。

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