第54話

 仮にあの事件の前の時間に行けたとしても、父にも母にも自分にさえも注意を喚起することはできない。


 ただ、静かにみつめることしかできない。


 でも。


 もしも妹が死ぬ前、みんなが幸せだったころに行けたなら。


 妹が死んだ後の辛い数年間に、タイムトラベルすることになるかもしれないけど、それでも幸せだった時を、目に焼き付けたかった。


 おぼろげにしかない温かな記憶を、呼び覚ましてみたかった。


 賭けをしてみたかった。


『自分に本当に大切なもの』は思い出かもしれないし。


 ずっと僕をいじめてきた航志に、葵鈴が鮮やかに勝ったことも、僕の気持ちを後押しをしてくれていたのかもしれない。


「じゃあ行くよ! せーの‼」


 やる気満々の葵鈴が言った。


「ちょ、ちょっと待って。まだ心の準備が……。そもそも葵鈴と一緒の時間や場所に行けるのかな?」


「それも不明。ではお先!」


 左手に持ったおでんを嗅いだかと思うと、一瞬で葵鈴の姿が消えた……と思ったらすぐ戻ってきた。


「間違えておでん嗅いじゃったよ! じゃあせー」


「待って! 僕も行く‼」


 僕も慌ててイカ焼きを鼻の前に持ってきて、思い切り吸った。


 どうか、どうか、あの幸せだった日々に行けますように。


 強く強く願った。

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