第37話

 絵の中はちょうど黄昏時といった感じだった。


 三百六十度どこまでも続く地平線が黄色く染まり、空の上のほうは暗くなりかけて藍色だ。


 星がいくつか瞬いている。美しくも不思議な光景だった。


 そしてチーズのように溶けた三つの時計。


 一つは木の枝にシーツを干すかのように引っかかっている。


 一つは茶色の台の上に乗っているが、台の淵から今にも落ちそうで、落ちないように踏ん張っているようにも見える。


 台の上の部分は固そうで、台の側面に張り付いている部分はでろんと柔らかく伸び、時計という無機物なのにどことなくユーモラスだ。


 もう一つの時計は、くたっと倒れている白いギョウザのお腹あたりに、夏の日の薄い掛布団のように巻き付いている。


 ギョウザは寝ているのだろうか、身体のわりに大きすぎる目は閉じ、長いまつげが寝息と共にかすかに揺れている。


「お兄ちゃん、早くして!」

 葵鈴が言った。


 するとギョウザがゆっくりと片目を開けた。


 すべてを見通しているような、透き通ったロイヤルパープルの、深みのある紫の瞳。


 学校の第二理科室にひっそりと置かれていた、石標本の紫水晶のようだ。


 吸い寄せられるような、美しく高い知性を感じさせる目だった。


 その目が、僕の目をじっと見据えた。


 僕は動けず、しばらくその目とみつめあっていた。


「ジブンノ、シアワセハ、ジブンデ、キメロ」


 ギョウザはゆっくりそれだけ言うと、再び目を閉じた。


「ジブンノシアワセハジブンデキメロ……?」


 僕は口の中で繰り返してみた。


 幸せって、決めるものなの? 


 誰かに与えてもらうものじゃないの? 


 そもそも幸せってナニ?


 なんだかよくわからなくなって、頭がすごく混乱した。


「お兄ちゃん、もう時間が……」


 葵鈴が言った。


 美しいピアノの音色が響き始めた。


 僕と葵鈴は慌てて絵から飛び出した。

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