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蒼水透花

第1話

 いつもの彼に寝惚け眼で睨むように見上げられ、交感神経の活性化を感じる。おやつの時間に差し掛かる手前、この車輌に運ばれる人間はここに居る二人だけ。錠剤状のものを僕の御椀型の手のひらに落としてくれる。僕は隣に腰を下ろすと同時に直ぐ様それをもう片方の手でつまみ、自らの口内に落とした。舌で転がしながらつい爪先を踊らせてしまう。彼はそれを一瞥いちべつし、狸寝入りを始めた。

 〇〇駅―

「また明日」

 発車ベルに掻き消された雑音と化すほどの微かな声が耳に入る。彼は立ち上がって列車を降りた。

 列車に一人きりになった。絡まるケーブルをそのままに、音量を最大に上げてイヤーピースで耳を塞ぐ。虚構の静寂だ。ラウドロックにもかかわらずしんとしている。目を閉じると一面いちめん白く覆われているような錯覚に陥る。しばらくそのフィクションに浸っていると、やはりじわじわと何かに心が蝕まれていくのをよく実感できた。

 折角買ったんだ、と眠りに落ちる前におもむろに鞄から男性ファッション誌を取り出す。無作為に頁を開き、目玉を左右左ひだりみぎひだりと一往復させその無価値さを認識し、イヤホンを引抜いて車窓を流れる田園を眺めた。まことのしじまに包まれると、僕は彼を真っ向から問いただすほかに道がないのだとうつつに返って思わず武者震いしてしまった。

 今日も何も変わらなかった。真実を知るのが怖くて、彼とまた向き合えなかった。


 あのとき―

氷雨ひさめくんが日常の一部になってしまいそうだ」

 なぜあのとき、彼はこう口にして涙を流したのか。そしてなぜ、僕はこのすすり泣く声を聞いたとき、忘れていたはずの光景が走馬灯のように駆け巡ったのだろう。その光景は今はもう思い出すことができない。ただ、僕という人物を構成した土台である、忘れてはいけない光景だったことは確かだ。そういうがした。

「氷雨くんには幸せになってほしい。私が言いたいことは、人を信じなさい。そうすれば幸せになれる。それだけだ」

 僕はこれを聞いたとき、自然と彼の姿を父と重ね合わせていた。二人は接点も共通点も無いのになぜこのようなことをしたのか自分でもよく分からない。「人を信じなさい」これは父から教えられてきた信条であったではないか。なぜこの言葉を彼が?僕は次第に、彼と父が同じ影を重ね合わせるのは偶然ではない、必然だ、直感的にそう感じた。彼と僕とを結ぶ隠された細い針金のような繋がりが確実に結ばれた気がした。いや、昔々からすべてが結ばれていたのだ。その片鱗を今やっと見つけた。

 ここで僕はポリシーを捨て、人を疑うことを知った。

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