第3話:信じ難い光景

 久しぶりにくぐった実家の門で、最初に楓が抱いたのは疑問だった。

 というのも、あまりにも実家がしんとしていたからに他ならなかった。

 いつもならば、数多くの門下生が稽古に励んでいる時間だが、その声も気配もまるでない。

 ロードワーク中だろうか……。

 疑問を胸に抱いたまま、楓が道場の方へ向かった時である。



「……は?」



 楓は素っ頓狂な声をもらした。

 視界に映る光景は、かつての彼ならばまず想像さえしなかった。

 楓に母はいない。

 彼が幼き頃、病によってこの世を去った。

 そして、現師範代にして父であった巌は厳格な性格である。

 最愛の人を失い、その寂しさを埋めるために新たに伴侶を娶るつもりは毛頭ない。

 そう豪語していたのを、楓はよく憶えている。

 だからこそ、隣にいる女性の存在がどうしても信じられずにいた。



「ほら、遠慮せずに私に甘えてくださいな」


「ぬ、ぬぅ……」


「お、親父……? 何やってるんだ……?」



 到底信じられるものではなかった。

 二人の仲は、息子である楓から見ても大変仲睦まじい。

 それこそ、長年寄り添ってきたおしどり夫婦のような雰囲気さえもかもし出す始末である。

 当然ながら、これを黙って見過ごせられるほど楓も大人ではない。

 これはいったいどういうことなのか。直接、本人に問い質す必要がある。



「お、親父……」


「ぬっ? まさか、楓か? そうか、修行を終えて帰ってきたのだな」


「い、いや俺のことはどうでもいい! その、隣にいるのは……」


「……そうか。お前は知らなくて当然だったな。紹介しよう、彼女の名前はキョウコ、旧姓は氷室。種族は見てのとおり雪女だ」


「あら、あなたが旦那様の息子さんですね? はじめまして、キョウコと申します。これから私のことは、遠慮なくお母さんとしていっぱい甘えてくださいね?」



 丁寧にお辞儀をする女性――見た目だけならば、ぎりぎり未成年者といったところ。

 齢40すぎの男が手を出すのは、いささか倫理的にも見た目的にもよろしくない。

 それはさておき。

 青白い肌に白を主とした着物がとてもよく似合う彼女は、正に大和撫子という言葉がしっくりとくる。

 腰まで届く白い髪は、まるで雪のよう。

 和服姿が大変よく似合う彼女だが、胸はとても豊満だった。

 G……あるいは、それ以上かもしれない。

 そういうことか、と楓はハッとした顔を浮かべた。

 父は厳格な性格であるが、唯一の弱点とも言うべきものがあった。

 それこそ、巨乳である。

 決して表には出さず、しかし根っからの巨乳好きな性格だからこそ落ちてしまったのだろう。

 それでも、父親がこうもあっさりとモンスター娘に篭絡されたことを、楓は未だ信じられずにいた。



「ちょ、ちょっと待ってくれ親父! ど、どうして……!」


「……お前が何を言わんとしているかはよくわかる。再婚の件についてだろう」


「あ……あぁ、そうだ! 何故親父は再婚なんかしたんだ!? 母さんへの誓いは……どうした!?」


「……確かに、ワシは美里との誓いを破った。それについては認めよう。しかし、キョウコはそんなワシにずっと気にかけ、寄り添ってくれた。そして妻のこともよく理解してくれている。だからこそ、だ」


「いやいやいやいや。説明になってないぞ親父」



 大方、彼女の巨乳の前にあっさりと堕ちただけではないのか?

 怪訝な眼差しをジッと向ける楓に、巌が大きな咳払いで返した。

 どうやら図星であるらしい。

 これが、尊敬していた父の姿なのか……。

 威厳こそ以前と変わりこそないが、3年の間に精神はすっかり腑抜けてしまったらしい。

 実に嘆かわしく、それでいて楓はどうしてももう一つだけ。

 再婚の件よりも、重要視している疑問を父親へとぶつけた。



「……どうしてだ?」


「どうして、とは……?」


「親父、まさかそれさえも忘れたなんて言わないだろうな? 俺達が……格闘家がどういった目に遭ってきたのか。それを忘れたわけじゃないだろうな!」


「…………」



 異世界の融合によって、すべてががらりと変わった。

 世界が豊かになった、争いも小競り合いこそ未だあるものの、けれども確かな平和を築いただろう。

 すべてがそうであったならば、どれだけよかっただろうか。

 全員が幸せになるなど、夢物語にすぎない。

 そう楓が実感したのは、物心ついたある日のこと。

 モンスター娘との間に生まれた男児は至って普通か、あるいはネフィリムのどちらかになる。

 ネフィリムになる可能性は極めて稀でこそあるが、けれども人類は確かに一つ先のステージへと進んだ。

 個々の差はもちろんあるものの、優れた身体能力を持つようになった。

 そんな彼らを、人は新人類と呼称する。

 間違いでは、ない。事実、新人類となったものの活躍はとてもめざましい。


 一方で、人間同士による個体……差別的用語として、旧人類は徐々に減少している。

 かくいう楓も旧人類であり、だからこそ格闘家としての夢と希望を断たれた苦い思い出を持つ。

 旧人類と新人類とでは、てんで勝負にならない。

 新人類同士の目まぐるしい超スピードバトルこそ、迫力もあれば魂も高揚する。

 もはやレトロな戦いではいまいち盛り上がりにかけてしまって、おもしろくない……などなど。

 あくまでこれら評価は氷山の一角にすぎない。

 とはいえ、現代を生きる者達の総意と言っても過言ではないところが、楓をいきどおらせる。


 旧人類に該当する自分達では、もう活躍する場すらないのか。

 己が夢を、かような理由で諦めねばならないというのか?

 実に、馬鹿げている。そんなものは、到底認められない。

 数多くの格闘家達が、世界の波によって泣く泣く己が夢を放棄した。

 自分は果たすことができなかった、がその子孫にならば託すこともできよう。

 そうして次々とモンスター娘との結婚が相次ぎ、純粋な人類は絶滅の一途を辿っていく。

 しかし、それに異を唱える者達も少なからず存在していた。

 その内の一人が和泉家……『拳神館空手』である。



「親父……アンタは、ずっと言ってたはずだぞ。新人類とやらのせいで、自分達の力を全力でぶつけられる場所が失って嘆かわしい、と。だからこそ旧人類の底力を見せてやると意気込んでいたはずだ……俺だってそうだ」


「…………」



 新人類に旧人類ではどう足掻いても勝てない。

 これは決して誤った価値観ではない。

 実際、格闘技にせよスポーツにせよ、かつてのオリンピック選手と同等か。あるいはそれ以上か。

 好成績を次々と叩き出している時点で、この価値観の正論性は一目瞭然だ。

 そうした歪み、すっかり根付いてしまった固定観念を根底からぶち壊す。

 それこそ、『拳神館空手』が掲げた目標にして楓の原動力でもあった。

 3年の山籠もりは、そのためのもの。

 それが実父によって、あっさりと裏切られてしまった。

 楓はそのことが、どうしても許せずにいた。



「――、楓よ。確かにワシは『拳神館空手』が掲げた目標を自らの手で放棄した。よってワシは今日限りで師範代の役目を引退する。その跡継ぎは、もちろんお前だ。楓よ」


「なんだと?」


「この実家も道場も、すべてお前にくれてやろう。ワシはキョウコと二人で、新たな道を模索していく。お前はお前で、最後まで己が信念を貫きとおせ」


「お、おい親父……!」



 父の突然の引退、付け加えてあまりにも突拍子すぎる引継ぎに楓はひどく狼狽した。

 いくらなんでも、こんなにも早い引継ぎが果たして事例にあっただろうか……。

 とにもかくにも、突然の師範代昇格に楓は右往左往する他ない。

 対して父はというと、キョウコとどこかへ出かけようとしていた。

 大きなキャリーバックが二つ。すでに旅の支度はできているらしい。



「親父……どこへ、いくつもりだ?」


「とりあえず、イタリアへ」


「イタリア!? まさか、イタリアで道場を新しく……」


「新婚旅行でまずはイタリアにいきましょうねって二人で話してたんですよ」


「って、新婚旅行の話かよ!!」


「そういうわけだ、楓。しばらく……いや、当面帰ってこないだろうから道場のことはお前に任せた!」


「お、おい待て親父! 俺を置いていくな……!」



 制止するもそそくさと立ち去る二人がそれで止まるはずもなし。

 あっという間に視界より消失した二人の背中を、楓はただ唖然と見送るしかなかった。

 しばしして、ぽつんと一人残された楓はハッとする。


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