第2話:これは決して正義のヒーローの物語ではない

 決して、正義感で動いたわけではない。

 あれは結局は赤の他人であるし、別段礼がしてほしいつもりも毛頭ない。

 だから慈善の心はこの時の楓には微塵たりともなかった。

 あるのは、ただ一つだけ。

 ちょうどいい練習台がいるから、思う存分試させてもらうとしよう。

 ここで襲われれば、正当防衛が成り立つ。

 唯一、彼が注意すべきは過剰防衛にならないよう加減をしておくこと。

 武術家という家柄ステータスがある以上、一般人よりも尚更注意が必要だ。

 もっとも、これより殴り合いをするであろう相手が人間であるか否か・・・・・・・・

 これについても非常に重要視される要因だ。

 どうか、あれらがただの人間でないように。

 簡単に、あっさりと壊れませんように。

 そんなことを、これが不謹慎であると理解しながらも楓は心の奥底より切に祈った。



「――、そこまでにしておいたらどうだ?」


「あぁ、なんだテメェは!?」


「その子、明らかに嫌がっているだろ? 嫌がっている相手に尚も絡むのは同じ男としてどうなんだと思うけどな」


「なんだと? テメェ、俺たちの邪魔をしようってのかよ? おい」



 サングラスをしたこの男がリーダー格なのだろう。

 取り巻きの一人が「へいっ!」と応えた後、どかどかとやってきた。

 そして胸倉をつかみ上げると、そのままじろりと睨みつける。



「テメェがどこの誰かは知らねぇけどなぁ。今俺達は忙しんだよ。怪我したくなかったらとっとと失せろやこのボケが!」



 男は、おそらく凄みを利かせているつもりなのだろう。

 しかし、当の本人である楓は至って平然としていた。

 表情はおろか、眉一つ微動だにさせず涼しい顔で静かに男を見据え返す。

 威勢だけはあるらしい。

 だが、極めて浅はかでもある。

 相手の実力をも見極められないようでは弱者にすぎない。

 ひとまず楓は、男の手を掴むとそのままひねりあげた。

 純粋な腕力においても、男はあまりに非力すぎた。

 しょせんはこの程度……元より、期待はあまりしていなかったが。



「い、いてぇ! て、テメェ離しやがれ!」


「言われなくてもな」


「ごはっ!」



 男の水月に拳を鋭く、楓は叩き込んだ。

 重々しい音と共にぐぐもった声が男の口からもれる。

 それを目の当たりにした他の取り巻き達からはどよめきがあがった。

 まさか、こうなることを誰も予測していなかったのだろうか?

 つくづく男達の浅はかさに、楓は深く呆れるばかりだった。

 ただ、一点だけ。リーダー格である男だけは、ぎらぎらと敵意を露わにしていた。



「おい。あんまり調子こいてるんじゃねぇぞコラ」


「……ずいぶんと安いセリフだな。三下が使うような言葉を、まさか現実で耳にするとは思わなかった」



 別段、楓に挑発したつもりはさらさらなかった。

 ただ、思ったままのことをそのまま言葉という形にしただけにすぎない。

 男の言葉はあまりにも安く、まるで心に突き刺さらない。

 アマチュア作家の方が、もっと臨場感も雰囲気もある台詞を考えられただろう。

 もっと言えば、自分の方がかっこいいセリフを吐けるという自信すらある。

 そんなことを思う楓は、改めて男に対し深い溜息を吐いた。



「テメェ……ここでぶっ殺してやる!」



 男が本性を露わにした。

 男の瞳に宿る感情は、怒り――相手を殺すという純粋にして歪んだ気で満ちていく。

 そしてそう宣言したとおり、男は戦闘態勢に入った。

 もっともそれは、構え、などという生易しいものではない。

 文字通り、彼は本来の姿を白昼堂々と晒したのである。

 めきめきと音を立てながら膨張していく筋肉は、さながら鎧のように。

 それでいて、全身を茶色の体毛が包み込む。

 そして頭部には、鋭利な双角がメキメキと生えた。

 モンスターとしての特徴を引き継ぐの基本女性である。

 男性にはその傾向がまるで見られず、見た目は以前となんら変わらない。

 非力で、脆弱で、ちょっとしたことで簡単に壊れてしまう人間のままだった。

 だが稀に、男性でありながらもモンスターとしての力を引き継ぐ者達がいる。

 そんな彼らを、いつしか人はネフィリムと呼称するようになった。

 ネフィリムに純粋な人間ではどうすることもできない。

 そのため、専用の部隊が存在するが生憎とそれを呼ぶ暇はない。

 よって楓がここでどうにかせねばならず、しかし当事者である彼は不敵な笑みを浮かべていた。



「――、その出で立ち……お前の種族はおそらくミノタウロス族だな?」


「そのとおりだ! 圧倒的なパワーはすべてを破壊する! テメェも知らねぇわけじゃねぇよなぁ!?」


「あぁ、もちろん知っている。だからこそ、意味があるんだよ」



 ミノタウロス――本来の性格は極めて温厚で、また豊満すぎる胸に堕ちた者は星の数ほどいる。

 男とは、結局胸が大きい女性が好きなのだ。それはモンスター娘が相手でも変わらない。

 そう言う意味合いで、ミノタウロス族は人気が極めて高かった。

 それはさておき。

 温厚な性格とは裏腹に、彼女らに宿るパワーは圧倒的と言う他なない。

 100kgはあろうものを片手で軽々とひょいと持ち上げるのだから。

 正しく、怪力と評価してもなんら違和感はないだろう。

 それを暴力として用いればどうなるか、想像するのは実に容易なことである。

 一発だろうと、直撃した瞬間に敗北が決定する。


 よってミノタウロスと対峙した際は、戦わずまず逃げることが正しい選択だ。

 パワーこそあるが、スピードについてはそれほど早くない。

 楓は、そんなミノタウロスにあろうことか真っ向から立ち向かおうとしている。

 傍から見やれば、彼の行動こそ愚行の極みだった。



「テメェ……本気で勝てると、そう思ってやがるのか?」


「思っている、だけじゃ意味ないんだけどな。お前を相手に俺は完膚なきまでに勝利する……そのつもりでるし、そうしてみせる」


「バカが……! ただの人間がネフィリム相手にどうこうできるわけがねぇだろうがよぉ!」


「……あぁ、悔しいことにそれは紛れもない事実だ。俺もそこは素直に認めよう。だからこそ、俺がその事実を変えてやる」


「夢見てんじゃねぇぞただの人間風情がぁ!!」



 どかどかと男が地を蹴った。

 巨体が迫る光景は圧巻で、非力な人間ならばまず気圧されて何もできまい。

 楓は、涼しい顔をしたままで静かに拳を構えた。

 手は優しく開放し、そして……全身より発する気はひどく落ち着いていた。

 例えるならば、一切の揺らぎがない水面のよう。

 穏やか、とさえも形容できる彼に男は意に介することなく肉薄する。



「死ねやこのボケがぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 豪快に振り上げられた拳に、力こそあれど技は一切ない。

 純粋な筋力に物を言わせた、素人同然と力任せた大振りのフック。

 それでも大気をごう、と唸らせるだけのスピードと威圧感をひしひしとかもし出す。


 ここでようやく、楓も動いた。

 とは言え、先手は男に取られた挙句、拳ももう後数cmまで迫っている。

 回避は不可能。唯一、彼に残された手段は防御する、この一択のみ。

 もっとも防御した場合、運よく命は助かっても両腕は完全に破壊されよう。

 そうなってしまえばもう、満足に戦うことはできない――などと。

 普通の人間だったならば、そう考えるに違いあるまい。

 楓は再び、不敵な笑みを小さくその表情に浮かべた。

 ただいたずらに、山に3年間もこもっていたわけではない。

 すべては、この手の輩と相対した時に戦えるようにするため。



「――、よし……」


「が……はぁ……!」



 握った拳を静かに見つめる楓は、口元をわずかに緩めた。

 一方で、男はというと地に這いつくばって彼をじろりと睨んでいる。

 ぐぐもった声ばかりをもらして、言葉らしい言葉が一つも出てこない。

 しかし、楓を見やるその瞳は確かに、彼に対してこう訴えていた――どうして、と。

 楓は別段、特にこれと言って珍しい動作は何一つしていない。

 ただ、男の右フックを“捌いて隙が生じたところに正拳突きを打った”。

 肋骨に深々と渾身の一打が突き刺さったのだ。

 いかにネフィリムであろうと、無事では済まされない。

 事実、この時の男の肋骨は3本完全にへし折れていた。

 同じネフィリム同士のいざこざならば、まだ彼も納得のしようもあっただろう。

 しかし今回は、散々下等な存在として見下していた人間からの一撃である。

 彼がひどく驚愕するのも、無理もない話だった。



「……俺は、お前達ネフィリムの存在によってすべてを奪われた。だから、お前らのような奴と戦った時、必ず勝てるように自国の修練を積んできたんだよ。ネフィリムだから人間が勝てない、なんて幻想を抱いた己の愚かさを恨むんだな」



 楓がそこまでいうと、ついに男は白目を剥いて意識を失った。



「う、嘘だろ……」


「な、なんなんだよこいつ……!」


「に、逃げろォ!」


「……次からもっと、相手をよく見てから喧嘩を売るんだな」



 我先にと、一目散に逃げる取り巻きらに楓は深い溜息をすると共に見送った。



「あ、あの……!」


「あぁ、別に無事なのならそれでいい。それじゃあな」



 普通の一般人ならば、ここで接点を作っておこうと考えるだろう。

 助けた銀狼の少女は、誰しもが美少女だと口を揃えよう。

 それについては楓も、特に異論を唱える気は毛頭ない。

 彼女はかわいい、その事実は素直に認めよう。

 かわいいが、接点を作りたいなどとは楓は微塵にも思わない。

 できることならば、一期一会だけの関係に終わってほしい、とこう思う始末である。

 早く実家に帰らなければ……。

 さっさと去っていく楓の背後では、銀狼の少女はまだ何か言いたげだった。


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