第67話
津村さくらが亮平だったとき、希望園なる施設にいたことがあったなら、
興奮してまくし立てた神楽を、瀬谷は覚めた目で見返した。
「フレンチシェフもグルだってのかよ?」
「グルとまでは言わないけど、津村さくらからなんらかの圧力がかかって――」
「で、菜園に招いたっての?」
車は元希望園、今はフレンチレストランの菜園となっている場所に向かっている。
興奮した神楽は、窓を細く開けた。
周りに建物のない田舎道は、吹く風が清々しい。
「これは偶然なんかじゃないの。きっと、厚木莉久さんが菜園に招かれたのは意味がある」
「ま、たしかに、偶然にしちゃできすぎだわな」
瀬谷が返したとき、菜園らしき看板が見えてきた。
一枚板で作られた看板には、フレンチレストランの名前と一緒に、菜園の名が書かれてあった。
「ノルマンディー・ガーデンか」
車を降りた瀬谷が、看板を見上げた。看板は、バラのアーチに付けられている。
アーチの先は、地面が四つに分けられ、名前はわからないが草のような
駐車場がないため、菜園と畑の間の道に車を止め、中に入った。
菜園の中は閑散としていた。もちろん店舗ではないから客がいるはずはない。
「誰もいないのかな」
一応、人が歩ける小道が作ってある。小道が途切れる先には、ビニールハウスが見える。
「詳しいわけじゃないが、植物は毎日手入れするもんだろ? 誰かいるよ」
ビニールハウスまで行ってみることにした。かすかな電気音と水の音がする。
「失礼します。どなたかいらっしゃいますか」
ビニールハウスの入口に立ち、神楽は声を上げた。
返事はなかった。
「いないね。ま、アポなしだし、しかたないんじゃね?」
横に立つ瀬谷が踵を返そうとしたとき、水の雫が降ってきた。
「キャッ」
「ワッ」
思わず後ずさると、奥から、
「あれっ? 誰かいるの?」
と、
「いや、すみません、誰もいないと思ってさあ」
聞き慣れないアクセントでしゃべりながらこちらに向かってきたのは、初老の男だった。
どうやら、男が撒いていた水が、ここまで飛び散ったようだ。
「こちらこそすみません」
神楽は頭を下げ、要件を告げた。
「ここに見学に来た人のことを訊きにきた?」
男は、訝し気に神楽と瀬谷を見た。
「厚木莉久さんという若い女性なんですが」
話をすすめながら、ビニールハウスの中を伺った。男のほかに人はいないようだ。
「こちらのオーナーの、フレンチレストランのシェフに案内してもらったようなんですが」
「フレンチレストラン?」
男の目が大きく見開かれた。
「東京にあるお店なんですけどね、この菜園は、そこのオーナーが持ってるんですよね?」
瀬谷がわずかに声を苛立たせて割り込んだ。
「わっかんねえな」
男は呟いた。
「わかんないって、おじさん、ここで働いてるんでしょ。持ち主を知らないの?」
瀬谷の言い方がよくなかったのだろう。男はムッとした表情になり、手にしていたホースの口をこちらに向けた。
瞬間、水をかけられるかと警戒したが、ホースから水は出なかった。
「そこ、見な」
男はビニールハウスの半透明な壁の一部に、ホースの口を向けたのだった。
壁には、名前が書かれた紙が貼ってあった。
「いずみの里・保育園」
呟いた瀬谷と神楽は顔を見合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます