第61話
「三つ目はなんなの?」
神楽ははっと顔を上げた。
「三つ目はその――」
「あたしが津村さくらを知ってたんじゃないかって、それが訊きたいんでしょ?」
神楽はまっすぐ具同を見た。
訊きたいが、訊きたくない。嘘をつかれていたと知りたくない。
「いいわ」
具同は、そう言って手招きした。
「声を出すと疲れるの。小さな声で話したいから、もうちょっと寄ってちょうだい」
椅子をベッドに近づける。
「まず、一つ目から話すわ。あたしと雨宮の関係だったわよね?」
そして具同は話し始めた。
具同が雨宮と出会ったのは、具同が上京して間もない頃だった。頼るあてもなく、とにかく東京で雨露をしのげる場所を手に入れるため、飲食店に住み込んで働き始めた。
場所は五反田。東京駅に着き、ねぐらと仕事を探しながら、ひたすら歩いた。そして見つけたのが、五反田の路地にある鉛筆のように細いビルの、小さな中華料理店だった。
「東京駅から歩いたんですか?」
かなりの距離だ。
「そうよぉ。タクシーなんか使ったらもったいないじゃない」
そうかもしれないが。
「若かったのね。なんとかなると信じてた。スーツケースをゴロゴロ引きずりながらあんなに歩くなんて、今じゃ絶対できない。病気じゃなくてもね」
冗談めかして具同は言ったが、さっと過った寂しげな影に気づいて、神楽は胸が詰まった。
もう具同は、二度と長い距離を歩くことは叶わないだろう。
「あの頃の五反田は――」
具同は遠い目になって、続けた。
「今みたいにきれいなビルが立ち並ぶ街じゃなかったの。風俗店もいっぱいあってね、いかがわしい感じだったわ」
「昭和ですね」
「そうよ、古き良き昭和の頃」
中華料理店で働きながら、具同は店の屋上に建てられていたプレハブの小屋で、先輩従業員とともに暮らした。
先輩従業員といっても、具同より一つ年上なだけの、十九歳の男だった。
料理を覚えたいと厨房で働いていたが、体が弱く休んでばかりで、あまり役に立たない男だったという。
「働けないせいで、いつもお金に困っててね、中華料理店の店主に借金をしていたわ。だけど、そのうち店主にも借りられなくなって。で、手を出したのが、その鉛筆ビルの二階に入ってた消費者金融。で、どんどん借金が膨らんでいって――。それを助けたのが、雨宮林穂だった」
「雨宮は、消費者金融にいたんですね?」
その後の雨宮の仕事から、十分納得できる。
だが、違った。
「雨宮は、近くの隣のビルに入ってた風俗店のオーナーだったの。その病気がちな先輩従業員、結局、ただの怠け者だったのね。風俗店に通ってたんだから。で、入れ込んだ女の子にお金を使っちゃって、とうとう借金で首が回んなくなって、雨宮に助けられたってわけ」
「どうして助けたんでしょう」
神楽は警察官という仕事柄、様々な風俗店のオーナーと話す機会があった。
店の客の借金を肩代わりしてやるオーナーの話など聞いたことがない。
「それはね、雨宮が肩代わりの代わりに、ちょっとした頼み事をしたから」
そう言った具同は、瞬間、暗い目になった。
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