第60話

 看護師が出て行くと、病室は静けさに包まれた。

 窓の一つが開けられている。

 風が舞い込んできた。ベッド脇に置かれた文庫本の頁がはらりとめくられる。


「深刻な顔してる」

 ふいに、具同が言った。

「そんなことないけど」

「突っ立ってないで、座ったら?」

 神楽はスチール椅子を開いて、腰をかけた。


 所在なく部屋の中を見渡す。

 いままで気づかなかったが、結構な荷物が持ち込まれていた。病室に備えられた棚では足りず、三段組みのプラスチック製の抽斗が一つ。

 半透明のせいで中がうっすら見えた。着替えの類か衣類の束、ほかは書類の類のようだ。

 タツヤに持ってきてもらったのだろう。


「先生に会ってきてくれたんだって?」

 神楽は具同に顔を戻した。

「そんな暗い顔をしてたら、先生が何を言ったか想像できちゃうじゃない」

「先生は――何も」

「いいのよ」

 笑顔を返した具同だったが、いままで見たどんなときの具同よりさびしげに見えた。虚をつかれて、神楽は言葉を失くした。


 知っている、この人は。

 自分がいつまで生きられるのか、わかっているんだ。


「なんだか――」

 慰めの言葉を探したのに、それ以上何も言えなくなってしまった。

「また、って言ってる」

「あ」

「まったく、あんたの口癖はほんとに治らないわね」

 そして具同は、はあーっと大きく深呼吸すると、

「そんなことより」

と、ベッドの上で姿勢を変えた。その瞬間、具同の痩せた肩が垣間見えてドキリとする。


「捜査の進展は?」

「それが――」

「タツヤから聞いてはいるのよ。がんばってくれてるみたいじゃない? 津村さくらに殺られた人たちのつながりを調べ始めてくれてるのよね?」

 頷いた神楽は、返事をしようとして、思い留まった。そのまま、具同を見つめる。


「何よ」

「報告をする前に、聞いておかなきゃならないことがあるんです」

 具同の目が光り、神楽を見返した。


「雨宮林穂について聞かせてください」

 具同の表情が強張った。

「ルリタテハに電話がかかってきたんです」

「雨宮から?」

「そうです。具同さんはいるかって」

「それで?」

「いないとタツヤが伝えると、言われたそうです。危ないことに首を突っ込むなと、具同にそう伝えろって」

 瞬間、目を見開いた具同は、ふうと、小さく息を吐いた。


「どういうことですか。津村さくらについて、雨宮という人物は、触れるなと言ってきたんですよ」

「どういうことって――」

「聞かなきゃならないことが三つあります。一つは雨宮とはどういう関係だったのかということ。二つ目は、雨宮と津村さくらとの関係」

 三つ目を言おうとして、神楽は躊躇した。聞いてしまえば、自分が腹を立てずにはいられないと思う。


 具同は不治の病を患っている。そんな相手に怒りをぶつけてもいいものか。

 

 


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